11 妙秀。実(=げ)[]も実にも。今まで御身の仰せられそうろう事を聞けば、神道の理り、面向き(=趣)を有りのままに云えば、をかしく、下心を聞けば、又はずかしく、或いは真としかんからぬ事のみにてさぶらいけるを、今まで知らで、誠に此の国は伊弉諾、伊弉冊より産み玉えるとのみ思いし事のおろかさよ。隣国より吾朝へは渡り染めて(初めて)、加様に弘まるべきと仰せさぶらうは、尤もにておわする也。さて、其の何れの隣国よりとか思い玉う[]

 幽貞。其の事にてそうろう。是に付きて申すに、先ず、吾朝には色々の名がさそうろう。或いは豊葦原、或いは豊秋津島、又は占安国(=うらやすのくに)、又は細矛千足国(ほそほこちたるのくに)などと申して、加様の名の十三、四も有ると聞きて侍る。其の内に姫氏国(=きじこく:周の王、姫氏の子が日本に移住したという伝説に基づく)と申す名のそうろうは、大唐よりつけたるとやらん承[]。何とて加様には名付けたるぞと云えば、昔、周の太王に泰伯(=たいはく)、仲雍(=ちゅうよう)、季歴(=きれき)と申して、三人の王子のおわせし。その第三の季歴の子に昌と申せしは聖徳が備わる人なりと太王は見そなわし玉いしかば、御世をば是へとこそ思し召しかども、泰伯は長子にて在します(=まします)上は、是を差し置き玉わん様もなくておわする事を泰伯は見及び玉えば、即ち、国をば仲雍に譲り、荊蛮(=けいはん:華南の異民族・楚の原族)にのがれ、髪をきり、身を文して(=みをもとおしして:身をめぐらせて)、龍蛇の害をさけ、東海に赴き玉えば、 仲雍も亦其の心ろを悟り、季歴に譲りて退き玉えば、季歴亦その子の昌に譲り玉えり。文王と申せしは是なり。『論語』の泰伯の篇に「泰伯は其れ至徳と謂うべき也。三度天下を以って譲る。民は得而して(=得として)称焉(=称すること)無し」とあるは、此の事也と承る。去れば彼泰伯の苗裔(=末裔)が、日本へ渡り初めし(=そめし)事は必定にて侍り(=林羅山もこの伝説に言及している)。故に其の周の氏なる姫の字を以て、此の国に名付けて姫氏国とは云えり。日本人の髪をはさむいわれも、申しつる如く泰伯より発れり(=おこれり)と聞こえたり。然るに加様のすじあることをば云わずして、伊弉諾尊、伊弉冊尊は天より下り玉える神にて、人間の元祖とも、其の外、山河大地を先きとして、万の草木までをも産み玉える一切の物の父母なりなどと云うは、疎か(=おろか)なる事にはそうらわずや。去れば其れも理のすみたる(=はっきりした)事か。如何に神代と云う事を立て申すとも、道理にはずれたる事ならば、其れは計るに足るぬことにて侍るぞ。

尚々、日本紀の趣(=内容)を申すに、始中終(=しちゅうじゅう:最初から中、最後まで)、一つとしても真とし[]こと侍らず。「舞(=当時盛んな幸若舞)程なる偽りはなし」と申せども、是も三つの真は有るとやらん申す。其の内一つは、「東の山の端に月ほのぼのと出でにけり」と、八島(=屋島:舞の曲名)に舞う。是は真と申しそうろう。おかしや、日本紀には是程の真も有るべしとは見えず。先ず、ひいきへんば(=贔屓偏頗・ひいきへんぱ)を止めて、是を与所の事にして聞きて見玉え。始中終、なき事を書きたる物と見如し(=知り)玉うべし。先ず、其の本文に、「伊弉諾、伊弉冉が、共に計りて宣わく、吾れすでに大八洲の国及び山川草木を産めり。如何ぞ天の下の主(=きみ)たる物を生まざらんやと云いて、茲に於いて共に日の神を生めり。大日孁貴(=おおひるめのむち)と云う」。是、天照大神也。次に月の神を生み、次に蛭児(=ひるこ)を生めり。是、三歳までこしぬけにて有りしを、舟に乗せ推し流す。西宮のえびす三良(=さぶろう)是也。次に素戔嗚尊(=すさのおのみこと)を生めるに、是又、武き悪神なりし故に、父母ともに是を嫌い、根の国、底の国へ遂い(=おい)やられしと也。是即ち、常に人の云[]伊弉諾尊、伊弉冊尊の子、一女三男也。

 其の時は、天地が相去ること、未だ遠からずして、日神、月神をば天の柱(=みはしら)を以て天に送り揚げるに、あの日輪、月輪となれり云う。さてさて、初心なる(=幼稚な)作り立て様そうろうや。同じ作り事にも又似つきたることも有る物なるが、是は皆、きょうこつなる(=軽忽なる:軽率な)巧みにてそうろうぞ。心を静めて、一つ一つ分別し玉え。先ず、大八洲の国と云うは、日本一州、其の海山草木までも生めりとや。あら、おびただしの腹や。是程の大なる腹を持ちたる身にては、国土を生まざる先きは、いづくに陶り(=すわり)居られしぞ。腹に応ずる手足、目口耳花なくば、此の(書の)初めにして(本書・仏説三界建立之沙汰の事)笑いし羅睺・阿修羅(=らごう・あしゅら)王が大きさはものかは(=問題になるか)にて侍り、又日の神、月の神とて、あの日月をも下にて天へ揚げしに、其の時は、「天地が相去る事は未だ遠からず」などとある。何れを何れとも云われぬおかしき事にて侍り。あの日輪は是よれい見ればこそあれ、其の大きさは日本の事はおき玉え。一世界にも遥かにまして大也(=『ヒイデスの導師』)。然るを生みたる腹は奇特にて侍り。惣じて昔より今まで、馬は馬、牛は牛の種子を受けて、面々の類を生む。人も人の種子を受けては人より外は生まぬに、伊弉諾、伊弉冊は、互いに共為の夫婦(=とのいのまぐわい)して、己が種子にあらざる月日を生めるなどと云え(=う)様なる、不都合(=不合理)なる物がある物にてそうろうか。又、其の時は「天地が相去ることは未だ遠からず」と云う。さてさて是は笑止と無分別なる事にて侍るや。開闢より以来(=このかた)、天地の遠さは、令(=今)の如くより外は曾て(=かつて)成らぬ事にてそうろうぞ。其の故は、天の形はまろくして、地は内に裏(=つつ)まれてあり。去れば重き物は刹那も空虚(=空中)に独りあること叶わず。下に降る物なれば、今大地の陶り(=すわり)居る所は、周天の為には(回転する十層の天空としては)第一下なれば、昔も今も大地は此所(=ここ)により外は有る事叶わぬ物なるに、昔は天地の間が近かりしとは、きょうこつ(=軽忽:軽率)千万なる云い事にてそうろう。素戔嗚尊が、天にのぼりて、あねの天照大神の間より互いに互いに子を生まれしとある其の趣もおかしく侍り。「天に上るに梯(=はし:梯子)なし」とこそ云うなるに、のぼれるも先ずうそがまし。さて、「天照大神は素戔嗚尊の十握の釼(=とつかのつるぎ)をこいとり(=請い取り)、三段(=みきだ)に打ち折り、天の真名井にてふりすすぎ、其の剣をがりがりとかみて、口はなの息を霧の如く吹き出して、其の中より田心姫(=たこりひめ)、端津姫(=たきつひめ)、市杵島姫(=いちきしまひめ)の三女を生み、素戔嗚尊は天照大神の八坂之五百筒御統(=やさかのいおつみすまる)とて、ももどり(=髺:髪を頭頂に束ねた房)にある玉をこい(=請い)取りて、是も天のまないに於いてひたがみして(=ひたすら噛んで)、鼻息あらく吹きならし、其れより天丑穂耳尊(=あまのおしほみみのみこと)、天穂日命(=あまのほひのみこと)、天津彦根命(=あまつひこねのみこと)、活津彦根命(=いきつひこねのみこと)熊野櫲樟日命(=くまのくすひのみこと)、此の五男を生ず」とあること、加様にして、そも(=そもそも)子が生まるる物にてそうろうや。

 妙秀。いやいや。其れは又、下心がありての事にて侍らん程に、何とぞ理のすむ事もそうろうべし。

 幽貞。さこそ、はや下心も侍るべし。然れば、素戔嗚尊の持たれし剣、天照大神の持たれ玉とは、其の下心何なるべきぞ、不審に侍る。天のマナイ(=真名井)はいずくにぞや。其のかみ(=噛み)よう、鼻息きのあらさ、何れも不審にそうろう。如何なる下心にてや侍らん。又此のつづきには「八坂之五百筒御統(=やさかのいおつみすまる)は、是、吾が物也。十把(=とつか)の剣は是、素戔嗚尊の物也」とある文章は、折節わろくおかしく聞こえそうらへば、先ず、所の(=当面の)不審をば差し置き申すべし。さて素戔嗚尊の悪行によて、天照大神は、天の磐戸(=いわと)にとじ籠り玉いしかば、天地の間が、常闇となりしとある。是又、笑うに絶えざる事にて侍り。其の故は、是は先ず、あの日輪(=太陽)をしかと天照大神と宣いての云い様にてそうろう。おかしや、月日は非情無心の体(=物体)にて、生き物にては侍らず。生き物にあらぬ証拠は、日蝕、月蝕の時分を此方(=こなた)より計りそうろうに、少しも違わず。又、冬至、夏至の時日をさすも麦(=違)わず。冬至と云うは、冬の日(=太陽)の南へよりつもって行く極めの日。夏至と云うは、夏の日の北へよりくるに、北の究めに至る日也。去れば、生き物ならば、加様の事、差し図(=物差し・指示)を差したるように是より計らわるる物にて侍るや。喩えば、あの庭をはう蟻も生き物なれば、あのとおり(=通り)まで行きて、此方へ帰るべし、是まで来ては又あなたへ行くべしなどと云う差し図(=指示)は曾てならぬ事にてそうろう。其の身は、生類なれば、動揺はおのが(=己が)心にまかする物也。其の如く、月日も生類ならば、此方よりの差し図なるべからず。是より計るることの違わぬは、生き物にあらざる謂れにて侍るぞ。

 然るに、天照大神は生ある体とは申す也。去れば上に沙汰せし如く、天照大神は弟の素戔嗚尊とよりあいて(=寄り合いて)、此の六七忍も持たれし。其の子は、何にてさぶらいしぞ。牛は子にも牛を生み、馬は馬、人は人を生むが定まりぬる事にて侍り。天照大神は、其の身が日輪ならば、生める程の子も皆日輪にてなくて叶うべからず。日輪の六つも七つも大日輪のあとさきにもかがやく(=輝く)なれば、「あれこそ、日の神なる天照大神の生める小日輪よ」とも云いなまし。さりとては、「天に二つの日なく、国に二人の君なし」(『礼記』曽子間)と、昔より申すならわしたるが如く、日輪は唯一つゆより外はさぶらわねば、是等の理りを以ても、日輪は天照大神に非ずと云うことは、明かにそうろうず。又、日輪は唯日輪にて、天照大神にはあらざる事は、道理分明なれば、畢竟、天照大神と云う物はなきこといて侍るべし。其の故は已に日本紀には、日の神とて、あの日輪を伊弉諾、伊弉冊の生める天照大神と云えども、其れが其れにあらざれば、天照大神と云うべき物なし。然る時は、伊勢大明神と云うも、なんでもなき事と心得玉へ。其の神体と云う、天照大神がなき物なれば、伊勢大神宮もあるべきようなし。加様に(貴女が)物のすじ道をやりて紀し(=記し)玉わば、万に理が聞こえそうろうべし。

 

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