妙秀。実に御申し候ように、有智有徳の作者一体なくては叶わぬことにて侍り。然らば又儒者の説にてそうろうが、盤古王(=中国古伝の天地開闢の神皇)と申すは、天地の主とや申すべき。

 幽貞。其の事にて侍り。盤古王と申す事も、通鑑要略(=『資治通鑑』を要約したもの?)などに、卒度(=僅かばかり)のせたるとやらん聞きてさうろうが、其れは儒者などの実に用いるに沙汰にてはさぶらわず。儒者は右に申したる太極陰陽の沙汰をこそ、真実にしそうらえ。盤古王が天地の主など申す義は、努々(=ゆめゆめ)さぶらわず。皆其れはおさながましき事(=子どもじみた事)にて候。彼要略に「渾沌の初めは、其の状は卵のの如くにして、日夜に一周し左旋す。天は卵の白きが如く、智は卵の黄なるが如くにして中に升降(=昇降)す。天地が始めて分かれ、陽気の軽清はのぼり浮かびて天となり、陰気の重く濁れるは下り凝りて地となる。盤古は其の中に生じて人極(=帝位)を立つ。在位八万四千年」と云えり。然らば、はや此の理りにても、盤古は天地を造りたる物には非ざること明かにそうろうぞ。去れば、天地を造りたるにはあらで、唯鶏の子、鶏卵の間より開け出たる物ならば、「こきやこう」となきたりと書かぬばかりが不足にてそうろう。去れども此の不足は又、在位八万四千年と云えるにたして(=足して)侍り。あら、ながの命やそうろう。是は云うにたらぬ事、事おかしき沙汰なれば、本の儒者は、かようの事をば申さず。日本の神代の沙汰に似たる事にて侍るぞ。書にあればとて、まことと思い玉うな。

 妙秀。誠に左様に仰せさぶらえば、是は実もなき事にて侍り。さて其の神代の事はいか様なる義にてそうらうや。

 

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