神道の事

 

 幽貞。御尋ねなくとも、此方(=こなた)より語りまいらせんと思う折節、問い玉えば申すなり。惣じて、先ず神道と申す事は三様に定められたると承る(=吉田兼倶の神道)。其の一には本迹縁起の神道。二には両部習合の神道。三には還(=元)本宗源の神道と申す也。然らば本迹縁起の神道とは、神に本地垂迹を立て沙汰する(=仏が本地であり、神のとして迹・あとを垂れたとする)を云い、両部習合とは、弘法大師が吉田の家にて神道を習い、日の神は即ち大日覚王と一体也など云うを両部習合とは云えり。さて、還本宗源とは、万法が一に帰ると云う所を云うなり。茲に至っては、垂迹と云うこともなく、神も衆生も隔てなく、無二なる所なれば、是を唯一神道とも云う也(=本地垂迹を排した吉田神道)。去れば是等の神道より神代の次第を申すに、天神七代、地神五代と惣て(すべて)合わせ[]神代十二代に挙げて沙汰せられそうろう。其れとは、第一、国常立尊(くにのとこたちのみこと)。第二、国狭槌尊(くにのさつちのみこと)。第三、豊斟淳尊(とよくんぬのみこと)。第四、埿土煮尊(ういぢにのみこと)、沙土煮尊(すびちにのみこと)。第五、太戸之道尊(おおとのちのみこと)、大苫辺尊(おおとまべのみこと)。是を天神七代とは云えり。さて、地神五代とは、第一、天照太(=大)神、第二、正哉吾勝々速日天丑穂耳尊(まさやあれかつかつはやひあまのおしほみみのみこと)。第三、天津彦々火瓊々杵尊(あまつひこひこほににぎのみこと)。第四、天津彦火々出見尊(あまつひこほほてみのみこと)。第五、彦波瀲武鸕鶿葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあわせずのみこと)、是也。さて、是は何の時より、何と初まりたることぞと云えば、其の趣き(=様子)が、神書にのせられたり。神書と云うも色々そうらえども、旧事紀(=先代旧事本紀)、故事紀(=古事記)は神代の心ろはあれどお、作者が私の心ろ(=私見)を入れて書きたるに、日本紀(=日本書紀)は神代の事を其のまま集めて、私なく編みたる故に、三部の内には二本紀を正意(=しょうい)とすると申さるると聞いて侍り。去れば、此の二本紀の巻頭に「古(=いにしえ)、天地(=あめつち)が未だ剖れず(=わかれず)、陰陽が分かれざる時、渾沌たること、鶏の子の如く溟A(=くくもり)て牙(=きざし)を含めり。其の清陽(すみあきらか)なる物は、たばびいて天となり、重く濁れる物[]淹滞て(=つついて)地となるに及びて、精妙(くわしくたえ)なるが合えるは摶やすく(=むらがりやすく)、重なり濁れるが凝(=こ)りたるは場(=かたまり)がたし。故、天が先ず成りて、地が後に定まる。しこうして後に神聖(=かみ)が、其の中に生す(=あれます)。故曰く、開闢(=あめつちのひらくる)の初め、洲壌(=くにつち)の浮かび漂える事、譬えばなおし(=猶し)、遊ぶ魚の水の上にうけるが如し。時に天地の中に一つの物なれり。壮(=状:かたち)葦牙(=あしがい)の如し。便(=すなわち)、神と化為(=なる)。国常立尊(くにのとこたちのみこと)と号す。次に、国狭槌尊(くにのさつちのみこと)。次に、豊斟淳尊(とよくんぬのみこと)。凡(=おおよそ)、三神(=みはしらのかみ)ます。乾道(=あめのみち)独りなす。此の故に此の純男(=おとこ)のかぎりをなせり。次に神ます、埿土煮尊(ういぢにのみこと)[沙土煮尊(すびちにのみこと)]。次に神ます、大戸之道尊(おおとのしのみこと)

大苫辺尊(おおとまべのみこと)。次[]神ます、面足尊(=おもたるのみこと)、惶根尊(=かしこねのみこと)。次[に神]ます、伊弉諾尊(=いざなぎのみこと)、伊弉冊尊(=いざなみのみこと)。凡(=すべて)八柱の神ます。乾坤(=あめつち)の道、相参て化(=あいまじってなる)。此の故に此の男女を成す。国常立尊より伊弉諾尊、伊弉冊尊まで、是を神代七代と云う物也。伊弉諾尊、伊弉冊尊は、天の浮橋の上に立ちて、共に計らいて曰く、底下(=そこつ)に豈に(=あに)国なからんやと宣いて、廼(=すなわち)天の瓊矛=ぬぼこ)を以て指し下ろし、かきさぐりしかば、茲に滄溟(=あおうなはら)を獲(=え)き。其の矛より鋒(=さき)より滴瀝(=したたる)の潮、凝って一つの嶋となれり。是を名付けて磤馭慮島(=おのころしま)と云う。二柱の神は、茲に於いて彼島に降り居まし(=くだりまし)、共為夫婦(=みとのばぐわい)して洲国(=くにつち)をうまんと欲す。便(すなわち)、磤馭慮島を以て国の中の柱とす」とかけり。先ず、是等の心ろをよくわきまえ玉いけるか。

 

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