妙秀。去れば、今の理りに付き、わらわが心得のよし悪しをば知りそうらわねども、先人の申しならわす如く、此の国は天竺、震且(=インドと中国)にも勝れ、三国一の我が朝(=我が国)と申す。其の謂れは、日域は小国とは申せども、今宣いし(=のたまいし)様に、国常立尊を初めまいらせ、伊弉諾尊、 伊弉冊尊が天地を開き玉えるの其の始めは、此の国よりなればなり。此の故に、日本は神国と申して、神を以って天地の主ともあおぎいまいらせそうろう。惣じて何れも物の始めは小さき物なれば、我が国の余国よりも小さきは理り也。彼したたる矛のしずくが落ち留まりて淡路嶋となれるより、(その次に)天竺、大唐も始まりたると聞きてそうろう。此の国を大日本国と申すは、陰陽の両神が、御鉾(=みほこ)を下し、大海をかいさぐり玉いし時、潮の上に大日と云う文字が浮かびたりしに(本地垂迹思想による伝説)、彼鉾のしずくが落ち留まりて島となる故に、大日本国とは申すと也。所詮、此の国は三国の始めで、国常立尊より開き玉うと心得そうろう。

 幽貞。左様により外は心得玉うまじきと思い、尋ねまいらせしが、案の如くにておわする。然れば先ず、国常立尊より天地は開けしと心得玉うは、ひがごと(=僻事:間違ったこと)也。其の上、矛のしずく[]こと、大日の文字上に、其のしずくが落ち留まり、国となれる故に大日本国と云うなどとの沙汰、何れも真の心をば知り玉わぬ人にておわする也。其の故は、日本紀の本文にも、「開闢(=あめつちのひらくる)の初め、洲壌(=くにつち)の浮かびただよえる事、譬えば尚し(=なおし)、遊ぶ魚の水の上にう(=浮)けるが如し。時に天地の中に一つの物なれり。弉(=状:かたち)、葦牙(=あしがい)の如し。便(=すなわち)、神となる。国常立尊(くにのとこたちのみこと)と号す」、とは書かれずや。是、見玉え。此の心ろも、天地を開きたる国常立尊にはあらで、開けたる天地の間より生じたる国常立尊なれば、此の開き手(=創造主)なくはあるべからず。惣じて、是等の心ろ、遠くは此の天地につき、近くは我が一身について分別ある事にてそうろう。先ず、此の天地の上にて申さば、「天地の中に一つの物なれり」とは、天地の中に一物生ずる事を云うなり。一とは陽数、物と云うは陰の形なり。去れば、一物と云うは陰陽なり。是を差(=指)して国常立とて、別ちにたっとき(=貴き)物とな思い玉いそ。

 

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