妙秀。謂れを聞けば、面白く(=目の前が白く開ける)侍り。加様に有るべきことにてそうろう。然らば又、天罰にて、人は都て(=すべて)扶かることを叶うまじきに、キリシタンの教えに、又、扶かる道の有ると宣うは何と申す謂れにて侍るや。

 幽貞。是もよき不審にておわする。其の謂れと申すは、今の如く、阿檀、恵和が、破戒の後、身の上、子孫の上に出できたる難義、難艱を見て、Dsを背き奉りし罪の程をかえりみ、天にあおぎ地に臥し、悔いの八千度(=やちたび)、身を責め、心ろを砕き、此の罪を赦し玉えと、慚愧(=ざんぎ)、懺悔の心深く、涙の床に伏し沈み、其の身を初め、子孫末孫までも科を公開致さん程の者の後生をば、扶け玉えと、Dsへいのり申されしかば、大慈大悲の御内証(=御旨)より、Dsは、苦をぬき、楽を与うる御利生(=御利益)として、ダビツと申せし帝王の後胤(=こういん)に、マリヤと申し奉りし大善女人の、一生不犯(=ふぼん)にて在ませしに、其の御胎内に夫婦の交わりなく、Dsの御力を以てやどり玉い、人界を受け玉い、御出世なされ、滅罪生善の御償いとして、苦悩を受け堪え玉い、滅を唱え玉いて、三日目に又本の御色身に活り(=よみがえり)玉い、其の後、猶、四十日か間は御弟子達と共に在まして、御蘇生より四十日目に御上天なされたるよりして、又人の扶かる道も初まりて侍り。此の御主の御名をばゼズキリシトと申し奉りし也。其の御弟子達の内に、法務の司をば、サンヘイトロと申せしが、此の方、其の代々をつぎ玉うをば、惣名(=一般的名称)をバッバ(Papa)と申して、キリシタンの本国、イタリヤの内、郎磨(=ローマ)と云う、都に本寺を立て、彼サンヘイトロより当代のバッバ、ケレメンテ(Clemente VIII, 1592-1605)と申すまでは、二百三十五代。的々相承(=代々継承)、絶ゆる事そうらわねば、此の教えのたしかなる事、何の疑い侍んや。

 

次へ