13 妙秀。げにげに、御身の宣うを聞けば、是又、理のすみたる事にてそうろう。仏法、神道の沙汰もなき国にも王法は行われ、天下も却って泰平に侍れば、今の世上の申し分は疎か(=おろか)なる事にて侍り。さて又、茲に今一つ、たずね申すべき事のそうろう。其れと申すは、キリシタンの教えをかように日本に弘め玉うことは、唯、日本をたばかって(=謀って:だまして)、取らんとのはかり事なるべしと、世上に申しあえるは如何に。

 幽貞。さようの事を申さば、如何程も云わせ玉え。余りの事に、云い分けにも及ばぬことにて侍り。喩えば、あの天が、地に落ちて、人は皆おし(=おもし)にうたれて死すべしとの風聞が、世に出で来るとも、智恵あらん程の者は実(=本当)とは思いそうろうべからず。キリシタンの国と日本のへだたる程を聞き侍るに、塩路ののり(=矩)をばしばらく置き玉え。かた道三年により外はならぬ事にてそうらえば、天地の隔てと申しても、けんがく(=懸隔)にはなき事にて侍り(=途方もないこと、的外れなことを言ったことにはなりません)。かかる処に勢(=軍勢)を渡し、かて(=糧)をはこびて陣をはり、戦いをなすようなる事は、人の申せばとて、そもなるべき事にて侍るや。其の上、「焼亡(=しょうもう)にも取る所と」やらん、常の諺に申すふしに、日本は昔より兵乱のみにて治まらず。徳土(=徳によって治まった国)は「楚人の弓をわすれし」(「楚人忘弓『孔子家語』好生篇)とやらんには替り(=違って)、武勇の道になれ、弓矢を取っては、唐土、天竺にも勝り、人の心も強(=きょう:剛毅)なれば、与所(=他所)の国をば取るとも、他国にはとらるまじきは日本にてそうろう。何の気づかいか侍らん。

 妙秀。わらはなども、さように思いそうらへば、又人によて申し侍るは、いや、勢をはこびて取らばこそ(=軍勢を運んで取らないとしても)、唯、あのハアテレ(padre)とやらん云う出家を以て取るべき巧み(=計画)なりと申しそうろう。

 幽貞。是又、云うに足らぬをかしき事にて侍り。此の日本が袂(=たもと)やふところ(=懐)に入らるるようなる物ならば、実に(=げに)もとも思い侍らん。吾朝も小国とは申せども、未だ袖(=そで)やふところい入りては取りていかるべき物にはそうらわず。智恵もなき者の申せばとて、左様の事には返答をもなし玉いそ。あわれに、つたなき(=馬鹿げた)人の推量そうろうや。「鳳凰千仭(=せんじん:山谷の高く深いこと)にかければ、鴟鴞(=しきょう)、腐鼠(=ふそ)を隠す」とやらん申すも、かようのこといんてや侍るべき。鳳凰は瑞鳥(=ずいちょう)にて、雲井遥かにかけるは、徳の輝く所を見て下らんが為なるに、是を知らずして、いやしきとびづれ(=鳶など)の鳥の云うは、「鳳凰殿が飛びめぐるるは、たまたま求めたる此のえじきを奪わん為の用なるべし」と恐れ、腐りたる鼠を翅(=つばさ)の下に隠すに異ならぬ事にて侍り。ハアテレなどと申す人は、さように世界の国、郡(=こおり)などに目を掛け、是を奪わんと思うつれの人にては侍らず。唯、日本は人の心ろも賢く、後生菩提のなげきをなすと云えども、真の道を知らざれば、是に迷えるを導き、現世安穏、後生善所の徳を得せしめん為に弘め玉える法なれば、外には善に勧め、悪を懲らすの道を教えて、利慾を離れ、あやうきをすくい、きわまれる(=窮まれる)人を扶け、内には又、天下の泰平、君臣の安穏をいのって、孝順(=孝行と従順)を先とし、高きを敬い、賤しきを哀れみ、おのれを責めて戒律を守り、都て(=すべて)浮世の宝、位を獘屣(=へいし:破れ靴)を捨てるよりも尚かろんじ、厭い離れし真の出家にておわするに、日本を奪わんが為に渡り玉へなどと、つたなき推量をなす者は、本の人にてはそうろうまじきぞ。鳥の内にてならば、からすの類い、むさくさ者(=屁理屈を云う理不尽な人)が己れが心にて替り(=真実とは違って)、鳳凰を疑うに似て侍れば、さようの者は共に以てはかる(=一緒に何かを思いはかる)に足らぬ事にてそうろう。

 

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