21 マタイの言い回しは、次の通りである:「実はヘロデは、ヨハネを捕らえ、彼を牢獄の中で縛った[1]」。

 それらのことに関して、私には次のように思われる:「律法と預言者たちはヨハネまで[2]」――彼の後、ユダヤ人たちからの恵みは止んだ――であるのと同様に、民の中に君臨した者たちが持っていた、死に値すると見なされた者たちを抹殺するに至るまでの権限は、ヨハネまでであった。そして、預言者たちの内で最後の人がヘロデによって不法に抹殺された後、ユダ人たちの王は、抹殺する権限を奪われた。実際、ヘロデがその権限を奪われなかったとしても、ピラトがイエスを死に定めたわけではないだろう[3]。そのためには、そのための「祭司長たちと民の長老たち[4]」との意向に従ったヘロデで十分だったろう[5]。そしてその時、ヤコブによってユダに対して次のような仕方で言われたことが成就したと私は思っている:すなわち、「ユダから支配者は絶えず、イスラエルから指導者は絶えないだろう――取って置かれた方、諸国の民たちの希望である方が来られるまで[6]」とある。おそらく、ユダヤ人たちも、その権限を奪われただろう。なぜなら、たとえユダヤ人たちによって拒まれても、律法に即して行われるように見える信者たちの抹殺に至るまでの権限が無効になるように、神的な摂理がキリストの教えにおいて民の内に牧草を備えてくれたからである。

 かくして「ヘロデは、ヨハネを捕らえ、彼を牢獄の中で縛り、勾留した[7]」。それは、彼自身の権限と民の邪悪さに基づいて――預言的な言葉を投獄し閉じ込め、彼が以前と同じように自由に「真理の宣教者[8]」のままでいることを阻止したことを意味する。ヘロデは、「自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアのゆえに」それを行った。「なぜならヨハネは『彼女を持つことはあなたに許されていない』と、彼に言ったからである[9]」。このフィリポは、「イトラヤとトラコン地方との領主[10]」であった。そこである人々は次のように考える:すなわち、フィリポは死んで、(一人の)娘を残したため、ヘロデは、「自分の兄弟の妻ヘロディアをめとった」。なぜなら律法は、男児のいない結婚を許容していたからであると[11]。しかし我々としては、フィリッポが死んでいたことを決して明瞭に見出さないため、我々は、ヘロデが、まで生きている兄弟の妻をめとったことは、もっと大きな違法行為であると結論する。



[1] Mt.14,3.

[2] Mt.11,13.

[3] Cf.Mt.27,26; Mc.15,15; Lc.23,24; Jn.19,16.

[4] Mt.21,1; Lc.22,66.

[5] ピラトが実権を持っていたが、ヘロデが名目上主権者だったことに基づく、オリゲネスの意見。

[6] Cf.Gn.49,10.

[7] Mt.14,3.

[8] Cf.1Tm.

[9] cf.Mt.14,3-4.

[10] Cf.Lc.3,1.

[11] Cf.Dt.25,5.

 

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