13 他方、多くの箇所において[1]、救い主の諸々の言葉に関して、ユダヤ人たちの許で起こった「彼は権能の内に話した[2]」という驚きを考察しなければならないのと同様に、この箇所でも(彼の)次の諸々の言葉に関して(それを)考察すべきである:「それから彼は、群衆を呼び集めて、彼らに言った:『あなた方は聞きなさい。そしてあなた方は理解しなさい』云々と[3]」。そして彼がそれを[4]語ると、ファリサイ派の人たちはその言葉に躓いた[5]。なぜなら彼らは、邪悪な諸々の教えと、律法に関する貧弱な解釈とのゆえに、諸々の天の内におられる彼ら自身の父の諸々の植木ではなく、そのため根刮がれるからである[6]。現に彼らは、父によって手入れされた真のブドウの木、イエス・キリストを受け入れなかったからである[7]。実際、イエスの諸々の言葉に躓いた彼らは、どうして「父の植木」になることができただろうか。イエスの諸々の言葉は、「あなたは掴んではならず、味わってはならず、触れてはならない――それらはすべて、人間たちの諸々の指図と諸々の教えによれば、使えばなくなってしまうもののためにあった[8]」という言葉から遠ざけるもので、ご自分の明敏な聴衆を、それらの事柄に関して――ユダヤ人たちのように「地上なる物諸の事柄」を探求するのではなく――「上にある諸々の事柄」を探求することへと前進させる[9]。そして、ファリサイ派の人たちは、邪悪な諸々の教えのゆえに、「諸々の天の内におられる植木」ではなかったのであるから、それゆえ彼(イエス)は、癒やされ難い彼らに関して、弟子たちに、「あなた方は彼らを放っておきなさい[10]」という言葉を言っている。すなわち、「あなた方は、彼らが盲人であるがゆえに、(彼らを)放っておきなさい」。彼らは、盲目に気付くべきであり、導き手たちを探すべきである。ところが彼らは、自分たち自身の盲目に気付かず、盲人たちを導くことを約束する――自分たちが「穴」の中に落ち込むことを考えもせずに。それについては、『詩編』の中に次のように書かれている:「彼は、溝を掘り、それを深くした。そして彼は、自分が作った穴の中に落ちるだろう[11]」と。他の箇所では、次のように書かれている:「彼は、群衆たちを見ると、山に登った。そして彼が身を落ち着けると、彼の弟子たちが彼に近づいてきた[12]」。すると彼は、群衆に手を伸ばして、彼らを招き、律法に関する諸問題の周知の解釈から解き放った。すなわち彼は、まず彼らに次のように言った:「あなた方は聞きなさい。そしてあなた方は理解しなさい[13]」と。なぜなら彼らは、自分たちが聞いた諸々の事柄を、まだ理解していなかったからである。しかし、続けて彼は、いわば諸々のたとえ話の内に、彼らに次のことを言った:「口の中に入るものは、人間を汚さない。むしろ。出て来るものが人間を汚す[14]」と。



[1] Cf.Mt.7,28; 8,27; 9,33; 13,54; 15,31 etc.

[2] Mt.7,29.

[3] Mt.15,10.

[4] Cf.Mt.15,11.

[5] Cf.Mt.15,11.

[6] Cf.Mt.15,13.

[7] Cf.Jn.15,1-2.

[8] Col.2,21-22.

[9] Cf.Col.3,1-2.

[10] Cf.Mt.15,14.

[11] Ps.7,16.

[12] Mt.5,1.

[13] Mt.15,10.

[14] Mt.15,11.

 

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