16 「そして、イエスはそこから出て行き、ティルスとシドンの諸地方の中に退いた。そして、見よ、カナンの女性[1]」。

ゲネサレトの土地からでなければ、どこから(出て行ったの)か。ゲネサレトについて、(この箇所の)前で次のように言われていた:「そして彼らは渡って、ゲネサレトの土地の中に行った[2]」。そしておそらくファリサイ派の人たちが、「(口に)入って行くものでなく、出て行くものが人間を汚す[3]」ということを聞いて躓いたがゆえに[4]、「彼は退いた」のだろう。しかし、陰謀を企んでいると憶測された人々のゆえに、彼が退いたこともあるこのは、「ヨハネが渡されたことを聞いて、彼はガリラヤの中に退いた[5]」という言葉から明らかである。おそらくそれゆえに、マルコも、その箇所に関する諸々の事柄を書き記して次のように言ったのだろう:「彼は立ち上がって、ティルスの諸々の境の中に行った。そして、彼は家の中に入ったが、(それを)知る者が誰もいないことを望んだ[6]」。さだめし彼は、苦しみを受けるためにもっと適切で美しく限定された時宜を待っていたので、彼の教えに躓いたファリサイ派の人たちを避けたのだろう。しかし人は、「ティルスとシドンは、異邦人たちの代わりに言われた。したがって、イスラエルから退いた彼は、異邦人たちの諸地方の中に入った」と言うかもしれない。たしかにティルスは、ヘブライ人たちの許では、ソルという呼び名で共有されている。それは、「集合」と解釈される。同じくシドンは、ヘブライ人たちの許で、「狩猟する人たち」という意味の呼び名で共有されている。そして異邦人たちの内では、実に「狩猟する人たち」とは、邪悪な諸力である。そして、彼らの許には、邪悪と諸々の情念の内にある大きな集合がある。したがってイエスは、ゲネサレトから出て行くと、イスラエルから退いたが、ティルスとシドンの中には行かず、ティルスとシドの諸地方の中に行った[7]。なぜなら異邦人たち出身の者たちは、部分的にしか信じていなかったからである。もしも彼がティロスとシドンの全体の中に入って留まったなら、そこでは不信仰な人は誰も見つからなかっただろう。他方、マルコによると、「イエスは立ち上がって」、異邦人たちの集合である「ティルスの諸々の境の中に行った[8]」とある。それは、それらの境の中からも信じる人たちが、それらの境から出るとき、救われることができるようにするためである[9]。実際あなたは、「見よ、カナン人の女性がそれらの地方から出てきて、『主よ、ダビデの子よ、私を憐れんでください。私の娘が悪霊に激しく取り憑かれています』と叫んで言った[10]」という言葉に注意すべきである。そして、もしも彼女が大きな信仰によってそれらの地方から出て行かなければ、彼女は――(聖文書によって)証されたように――イエスに対して叫ぶことはできなかっただろうと、私は思っている[11]。実に人は、「信仰に比例して[12]」、異邦人たちの中にある諸々の境から出て行きます。それらの境を、「至高者は、異邦人たちを分けるときイスラエルの子らの数に応じて定め[13]」、それらからの甚だしい越境を禁止したのである。

ここで、「ティルスとシドン[14]」のある諸々の境のことが述べられているが、『脱出[15]』の中では、ファラオの諸々境が語られている――しれらの中で、エジプト人たちに諸々の災難が生じたと、人々は言っている[16]。実に次のように考えられねばならない:すなわち我々各人は、罪を犯したなら、ティルスやシドンの境や、ファラオとエジプトの境や、神の所領以外の諸地域のどこかの境の中にいる;しかし邪悪から徳へと向き変わるなら、諸々の卑劣に従う諸々の境から、神の領地の諸々の境へと突き進むと。ただし、それらの境の中には違いがあり、その違いは、霊的な律法に比例して、イスラエルの分割と嗣業地とに関する諸々の事柄を理解する人たちには明らかになるだろう。またあなたは、イエスとカナン人の女性との間に起こった出会いに注意すべきである。なぜなら彼は、「ティルスとシドンの諸地方に」行くが、彼女は、それらの境から出て行って叫び、『主よ、ダビデの子よ、私を憐れんでください』と言った[17]」からである。その女性は、カナン人であった。それは、「下落の準備ができた(女性)」という言葉に置き換えられる。義人たちは、諸々の天の国と神の国の生ける高揚とに対して準備ができている[18]。それに対し罪人たちは、自分たち自身の内の邪悪と、邪悪に即した諸々の行い――これらの行いは彼ら自身を邪悪に備えさせる――とによる下落に対して準備ができており、「彼らの死すべき身体の中に[19]」君臨する罪による下落に対して準備ができている。しかし、「カナン人の女性は、それらの境から出て行くことによって、下落に対する準備ができた状態から脱して叫び、「主よ、ダビデの子よ、私を憐れんでください[20]」と言った。



[1] Mt.15,21-22.

[2] Mt.14,34.

[3] Mt.15,11.

[4] Cf.Mt.15,12.

[5] Mt.4,12; cf.Mc.1,14.

[6] Mc.7,24.

[7] Cf.Mt.15,21.

[8] Mc.7,24.

[9] Cf.Mc.16,16.

[10] Mt.15,22.

[11] Cf.Mt.15,28.

[12] Rm.12,6.

[13] Dt.32,8.

[14] Mt.15,21.

[15] 『出エジプト記』である。何度も言っているが、訳者(朱門)は、最近ますます直訳を心がけている。「脱出」とは、もちろん、「出て行くこと」である。

[16] Cf.Ex.8,2.

[17] Mt.15,21-22.

[18] Cf.Mt.25,34.

[19] Rm.6,12.

[20] Mt.15,22.

 

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