それらの事柄を踏まえて、イエスとそのペトロは船に乗るだろう。そして、風は弱まるだろう。そして、船の中にいる人たちは、自分たちがどのような諸々の危険から救い出されたか理解してひれ伏し、言うだろう:悪霊に取り憑かれた二人の人が言ったように[1]、「あなたは神の子です」と単純に言わず、「あなたは本当に神の子です[2]」と。それは、船の中にいる弟子たちが言った言葉である。なぜなら私は、弟子たちとは異なる人たちがそれを言ったと思わないからである。

 我々は、それらすべての事柄の中にいながら渡り終えると、イエスが私たちに先に行けと命じた土地の中に、我々は入るだろう[3]。また、イエスによって救われた或る人たちに関する曰く言い難い或る秘められた神秘も、おそらく次の言葉から示されるだろう:すなわち、「その土地――すなわち対岸――の男たちは、彼だと知ると、その付近(の土地)全体すなわち対岸の付近全体――その対岸の中ではなく、対岸の周囲――に(伝令を送って)知らせ、状態の悪いすべての人たちを彼の許に連れてきた[4]」。この箇所においてあなたは、次のことに注意すべきである:すなわち、彼らは単に状態の悪い多くの人たちを彼の許に連れてきたのではなく、その付近(の土地)の中にいるすべての人たちを連れてきたことである。そして、彼の許に連れてこられた状態の悪い人たちは、「彼の外套の裾にでも触れさせてほしいと彼に求め[5]」、彼からその恵みを願った。なぜなら彼らは、「十二年間も長血を患っていた婦人」のようではなかったからである。彼女は、「後ろから近づいてきて、彼の外套の裾に触れ」、次のように一人口した:「彼の外套に触れるなら、私は救われるだろう[6]」と――あなたは、それらの言葉の中に、「彼の外套の裾」に関して共鳴するものがあることに注目すべきである――。それによって「彼女の血の流れは、即座に止まった[7]」。ところが、ゲネサレトという土地――その土地の中に、イエスと彼の弟子たちは、(海を)渡って入った[8]――の付近(の土地)から来た人たちは、自分たち(の力)でイエスの許に近づいたのではなく、(伝令を送って)知らせた人たちによって連れてこられたのであった[9]。なぜなら彼らは、甚だしく悪い状態であったために、自分たち(の力)で近づくことがでなかったからであり、長血を患っていた女のように独力で裾に触れることもなく、あの人たちが(救いを彼に)求めたからである[10]。とはいえ、彼らの内でも、(裾に)「触れた限りの人たちはすっかり救われた[11]」。どころで、彼らに対して言われた「彼らはすっかり救われた」ことと、あの女が救われたこととには何らかの違いが存在します。なぜなら長血を患っている彼女に対しては、「あなたの信仰があなたを救った[12]」と言われているからである。これは、あなたご自身でご検討ください[13]



[1] Cf.Mt.8,28.

[2] Cf.Mt.14,33.

[3] Cf.Mr.14,22.

[4] Mt.14,35.

[5] Mt.14,36.

[6] Cf.Mt.9,20-22; Mc.5,25-28; Lc.8,43.

[7] Cf.Mt.9,22; Mc.5,29; Lc.8,44.

[8] Cf.Mt.14,34.

[9] Cf.Mt.14,35.

[10] Cf.Mt.14,36.前出の引用では、「裾に触れる」ことを願ったのは病人であったが、ここではマタイの本文通りに、病人を連れてきた人たちがそれを願ったことになっている。多産なオリゲネスにしばしば見られる不注意である。

[11] Mt.14,36.

[12] Mt.9,22.

[13] オリゲネスは問題提起だけして、次に進むが、注意深く読む読者には答えは明瞭である。そういった議論の飛躍も、彼の作品の中には時折見られる。

 

次へ