43 「それらのすべての贈り物の中から[1]」と(聖文書は)言っています。人は神の贈り物を捧げたにもかかわらず、さらに贈り物の中から初物が大祭司に捧げられねばなりません。そのことは、比喩的な説明によって次のように処理されると、私は思います。もしも人が、身近な人たちや貧しい人たちに施しをしたり、何らかの善き業を行うなら、その人は掟に従って贈り物を神に捧げたことになります。しかし、もしもその人が、たとえば諸々の食べ物や金銭を惜しみなく与えるだけでなく、憐れみと同情の感情を持っているなら、その人は、そのような贈り物の諸々の初物を捧げることになるでしょう。実にそれは、神が人間から求めていることです。すなわち精神そのものが、諸々の敬虔で憐れみに満ちた感情で満たされ、陶冶されねばなりません[2]



[1] Nb.18,9.

[2] Sed huius muneris offeret primitias, si non solum cibos, uerbi gratia, uel pecuniam largiatur, sed et affectum miserendi habet et compatiendi. Hoc enim est quod requirit ab homine Deus, ut mens ipsa piis et misericoribus repleatur et formetur affectibus. オリゲネスはストア派(中期プラトン主義)と幾つかの概念を共有しているとは言え、この点で、ストア派のアパテイアの理想から離れている。神概念についても同様のことが言える(盗用厳禁)

 

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