10 では、使徒によって与えられた命令について、私たちは何を言いましょうか。彼は言っています:「あなた方は祝福しなさい。呪うおうとしてはいけません[1]」。人間たちの生活に模範を与える方ご自身が、人間たちによって行われて欲しくないことを行うのですか。そのようなことではありません。実に神が呪う人々に対して、呪われるに相応しい事柄を示し、判決を言い渡しますが、当然のことながら、罪の性質も罪人の考えも神を間違わせません。しかし人間は、(それらの事柄を)知ることはできません。なぜなら人は互いの意図も精神も見ることも知ることもできないからです。それゆえ、判決を告げたり言い渡したりする人が、みずからの洞察によって、呪いを表明するとしても、罪人の考えが知られていなければ、呪うことの正しい原因はあり得ません――特に、その人が諸々の悪口や数々の中傷にかき立てられると、人間たちの悪徳が諸々の呪いを表明し得る場合です[2]。使徒は、私たちが諸々の呪いによって諸々の呪いを引き起こし、諸々の悪口によって悪口を引き起こさないようにするために、この悪徳を根絶しようと望み、「私たちは祝福すべきで、呪ってはならない」という必要な命令を定めました。それは、悪口を言うという悪徳が根絶されるためであって、人間たちには分からない判決の真理が根絶されたり、(判決の)言い渡しの権威が廃されたりするためではありません。



[1] Rm.12,14.

[2] 訳者(朱門)は直訳している。超訳すると、次のようになる:「なぜなら、その人が悪口や中傷にかき立てられた場合には、人間の悪徳が呪いを表明するときがあるからです」。

 

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