しかし、諸々の川の間から、「東方の山々から」彼を呼び出したモアブの王バラクは[1]、彼に何を言ったのか、私たちは見てみましょう。彼は言っています:「来て、私のためにヤコブを呪いなさい。来て、私のためにイスラエルを呪いなさい[2]」――ラテン語の言い回しでは、「私のためにヤコブを呪いなさい。私のためにイスラエルを呪いなさい」と述べる言葉は、ほとんど余計であるように思われる。しかしギリシア語の表現では、イスラエルの名前の前に置かれた呪い(という言葉)の内に接頭辞の付加があります。私たち(の翻訳者たち)は、その付加はあまり適切に言われていないと考えて、あるいはそれによって何の意味もその言葉に付け加えることができないと考えて省略しています。しかし私たちは、慣例に反することですが、意味を余すところなく保持するために、(新しい)言葉を造語しました;次のように言うことができます:「来て、私のためにヤコブを呪いなさい。来て、私のためにイスラエルをさらに呪いなさい」と[3]。これによって、バラクが、ヤコブにおいてよりも、イスラエルにおいて、より強い力とより大きな力な意図をもって呪いを頼んだと思われるために、言葉が反復されたことが明らかにされます。つまり、人がヤコブである限り、すなわち諸々の活動と諸々の業の内に置かれている限り、より劣った諸々の呪いの攻撃にされされます。しかし、精神の目の覆いを取ることによって「内なる人間[4]」を神を見る方向に進歩させ、促し励まし始めたなら、そのときその人は、敵からの諸々の呪いにばかりでなく、諸々のさらなる呪い、すなわち、諸々の呪いの中でもさらに激しい矢の攻撃にさらされます[5]



[1] Cf.Nb.23,7.

[2] Nb.23,7.

[3] ルフィヌスの訳注である。

[4] Cf.Rm.7,22.

[5] ヤコブは「活動生活」に対応し、イスラエルは「観想生活」に対応している。もちろん、ヤコブとイスラエルによる「活動と観想」の対比は、オリゲネスに独自のものではない。

 

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