それらの事柄に続いて、継承順序に関する神の律法が定められます。すなわち、一番目に息子、二番目に娘、三番目に兄弟、四番目に父の兄弟が来ます。しかし五番目の順位は、特定の人を指定していません。「一族全体の中でいっそう近い者[1]」の誰かが次に来ることになっています。それらの事柄における歴史の意味は完全無欠で、さらに探求するものは何もないように見えます。

しかし、霊的な諸々の律法においてよく指導され、知識のいっそう満ちた光によって輝く人は、諸々の順位継承のそれらの多様な諸々の順位を理解することができます;教えと知識の功績に従って獲得されべき天的な嗣業地の第一の順位の人がどうして「男の子」なのか、諸々の業の特権として第二の(順位)がどうして「娘」に与えられるのか、何らかの同情と模倣による第三の(順位の)人が、そのことのゆえに「兄弟」とも名づけられるのはどうしてかを理解することができます。実際、少なからぬ人たちは、自発的に自分自身の知性によって何も行わないけれども、他の兄弟たちの間に置かれているため、他の人たちの模倣によって、自分自身の知性によって動く人たちが行うのと同じ諸々諸の事柄を行うように見えます。ですから彼らにも、兄弟の名前の称号の許に、嗣業地の第三の順位が与えられます。



[1] Cf.Nb.27,11.

 

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