19 しかし、もしも魂がいまだに女性的な類に属していて、その魂に対しては、夫なり父なりが諸々の誓いにおいて君臨しているなら、必ずしも常にその魂それ自身の中に過失がなくても、その過失はときとして夫たちや父たちに戻ります[1]。それらの事柄に取り組むのがどれほど難しくても、神が惜しみなく与えてくださるなら、思い浮かび得る諸々の事柄を私たちは披露しましょう。私たちはしばしば、神の教会の中にいる魂たちの配慮と管理が、み使いたちによって持たれると言いました。そして、み使いたちが人間たちとともに裁判所に行き、人間たちが罪を犯したのは怠惰によってなのか、忠告者たちと保護者たちの無視によってなのかの神的な吟味の中に立つことを、私たちは明示しました。ですから、この箇所の中にも、同じ事柄――すなわち、私たちが上で区別した諸々の事柄に従って、或る魂たちは、娘たちとして暮らし、他の魂たちは妻たちとして暮らしているということ――が、神秘の内に示され明示されているように私には見えます。したがって、もしもそれらの魂たちの誰かが、何かを神に捧げ、誓いたちと願うなら、もしもその魂が誓う事柄が性急であまり適切でないなら、保護者と忠告者としてのみ使いには、誓願者の無謀さを抑えて制止する務めがあります。しかし、もしも(み使いが)抑えず、忠告しなかったなら、魂は過失から解放されますが、(み使い)自身はその誓いに拘束されたままでしょう。



[1] 愚直に訳している方が、原意が通じると言うことがわからないかね。

 

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