しかし、もしもよろしければ、『民数記』に述べられている歴史の秩序そのものに、私たちは再び戻ることにしましょう。そこから私たちは、どのような箇所で、どのようにして、初子たちの神秘が求められるべきかを考察することにしましょう。そこで私たちは、どのようにして十二の部族が、三部族ずつ四組に分けられ、天の四つの方位の定められた場所に宿営したのかを、より注意深く検討することにしましょう[1]。私たちは、次のことを見出します。ユダ族が東側に、イサカル族およびゼブルン族とともに据えられました[2]。ルベン族が西側に、シメオン族およびガド族とともに据えられました[3]。エフライム族が南側に、ベニヤミン族およびマナセ族とともい据えられました[4]。さらにダン族は北側に、ナフタリ族およびアシェル族が据えられました[5]。これらの部族は、大地の四つの方位に、円を描くように据えられましたが、彼らの間に、神にもっとも近かったレビ族が、神の幕屋を中心にして据えられました[6]。東側にあったユダの宿営地の中に、モーセとアロンがいました[7]。ルベン族の宿営地にゲルション族がいました[8]。ベニヤミン族の宿営地に.、ケハト族がいました[9]。また、ダン族が天幕を据えた場所に、メラリ族が配置されたと書かれています[10]。こうしてイスラエルの子らは、レビの子らを四方から円をなして取り囲むかのように配置され、レビの子らは、いわば他の諸部族の中に植え込まれ縫いつけられているかのように見えます。



[1] Cf.Nb.2,1s.

[2] Cf.Nb.2,3-9.

[3] Cf.Nb.2,10-16. 新共同訳では、「西側」ではなく、「南側」である。

[4] Cf.Nb.2,18-24. もちろん新共同訳では、「南側」ではなく、「西側」である。

[5] Cf.Nb.2,25-31.

[6] Cf.Nb.2,17.

[7] Cf.Nb.3,38.

[8] Cf.Nb.3,23.

[9] Cf.Nb.3,29.

[10] Cf.Nb.3,35.

 

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