12 引き続いて朗読された個所には、次のことが含まれています。すなわち「モーセは、エチオピアの女性を妻として迎えた。しかし、ミリアムとアロンは、なぜエチオピアの女性と結婚したのかと、モーセのことで悪口を言い、いったい神はモーセにだけ語ったのかと言った。そこで主は(彼らの悪口を)聞いた[1]」と。その後、主は「証の幕屋」に行くように命じた。そこである裁きが言い渡され、ミリアムは定められた期間、「思い皮膚病」を患い、宿営地に呼び戻されました[2]

 このことをより手短に説明するために、私たちは次のように申します。すなわち、ミリアムは最初の民の象徴[3]だった。そして、モーセすなわち主の律法は[4]、諸国の民の中から集められたエチオピアの女性と結婚した、と。モーセすなわち霊的な律法は、彼女を妻として受け入れました。しかし、これによって、今日のシナゴーグであるミリアムは[5]、アロンとともに、すなわち、祭司たちとパリサイ派の人たちとともに、憤慨し、悪口を言ったのでした。ですから、あの(最初の)民は、私たちとともに置かれたモーセを、今日に至るまで ( けな ) していますが、彼には汚らわしく思われています。なぜなら彼は、「肉の割礼[6]」を、私たちの許で教えているわけでもなく、「安息日」の遵守も、「新月祭」の遵守も[7]、血の諸々の生け贄も教えておらず、むしろ、「心の割礼[8]」、罪を犯すのを止めること、「誠実さと真実とからなる種なしパン[9]」の諸々の祭日、「賛美の諸々の生け贄[10]」、諸々の家畜ではなく諸々の悪徳を犠牲として屠ることを、勧めているからです。



[1] Nb.12,1-3.

[2] Nb.12,4-16.

[3] forma plebis prioris

[4] 同様の解釈は、フィロンやアレクサンドリアのクレメンスにも見られる。両者とも、モーセを「生ける律法」(no,moj e;myucoj)と呼んでいる。Cf.Philon, De Vit. Moys. I, 162; Clemens Alex.,Strom., I, 26 (SC 30, 166).

[5] Cf.Procopius, Com.Nb.12,1(PG 87,1, 826, 8):「ミリアムがシナゴーグの予型であるように、アロンはユダヤ人祭司の予型である」;Ireneus, Adv. Haer.,IV,20,12(SC 100, 672):「モーセの結婚によって、み言葉の結婚が示され、エチオピア人の妻によって、諸国の民からなる教会が明示される。この教会を非難し、批判し、嘲笑する者たちは、清くない。彼らは重い皮膚病にかかり、義人たちの宿営地から追い出されるだろう」。

[6] Ep.2,11.

[7] Col.2,16.

[8] Rm.2,29.

[9] 1Co.5,8.

[10] Ps.49,14.

 

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