パウロも、次のように言うとき、そのように行っており、内側にいたと、私は考えています。「しかし私は、完成の域に達した人たちの間では、知恵を語ります。しかしこの知恵は、この世のものでも、滅び行くこの世の支配者たちのものでもありません。私は、神秘の内に隠された神の知恵を語ります。これは、この世の支配者たちの誰一人として覚知しなかった知恵です[1]」。パウロがこのように言うとき、彼がどのような意味で内側におり、神的な知恵の密やかで内側の事柄の数々を洞察していたかが、あなたにはお分かりでしょう。しかし、彼が「民の許に進む[2]」とき、どのようなことを語ったか、あなたはお聞きください。「あなた方の口からいかなる悪言も出てはなりません[3]」。「男性はそれぞれ、自分の妻を持つべきです」。「女性はそれぞれ、自分の夫を持つべきです[4]」。これらの言葉や、それに類する言葉は――もしもそれらがあれば――、パウロが、モーセを雛型として、屋外に出て民に語ったものです。



[1] Cf.1Co.2,6-8.

[2] Cf.Nb.11,24.

[3] Cf.Ep.4,29.

[4] Cf.1Co.7,2.

 

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