17 「その後、民はハツェロトから前進し、パランの荒れ野に宿営した[1]」と(聖書は)言っています。ハツェロトは、完成された諸々の家と解釈されます。ですから、民は、ミリアムが清められた後、完成された諸々の家から前進し、パランにつきます。それは、「目に見える口」と解釈されます[2]。「目に見える口」は、「み言葉が肉となったこと[3]」および「目に見えないものが目に見えるようになったこと」として理解されえ、さらに、あの民に対して為されるべきであったすべての事柄の終わりと完成が訪れた後に、あの民が「移動し」、かつては信じなかった方、すなわち「肉となったみ言葉」の許に至ったことが示され得ると、私には思われます。



[1] Nb.12,16.

[2] アレクサンドリアのフィロンは、パランを「雹」ないしは「挽かれた小麦」と解釈している(Quaest.in Gn.3,36)

[3] Jn.1,14.

 

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