32 しかし、諸々の約束による数々の善きことが、約束された以上にたくさん与えられるのと同じように、罪人たちを脅す諸々の罰も、以前の箇所で私たちが説明したように[1]――そこでは償いのために一日が一年にされています[2]――責め苦を増して科せられるにちがいありません。ただし誰かが、ダビデに向けられたあの脅迫に含まれる諸々の事柄から責め苦の軽減を引き出し、別の事態が起こりうると考えるのでなければ[3]。すなわち、ダビデに向けられた脅迫では、死に至る将来の荒廃は、「三日間」続くと予告されましたが、責め苦の時間は六時間に短縮されているように見えます[4]。しかし、このことは、悔い改めの時と償いの機会が与えられている場合に(のみ)有益になり得るでしょう。しかしながら、神は確かに悪人たちに「三代と四代の子孫に至るまで報い」るが、善人たちには「三代と四代の子孫に至る」ばかりでなく、聖書が述べているように、「幾千代に至るまで憐れみを施す」と書かれています。



[1] Cf.Hom.Nb.VIII,5(既訳).

[2] Cf.Nb.14,34.

[3] 直訳は、次の通り:「ただし誰かが、ダビデに向けられたあの脅迫に含まれる諸々の事柄から何らかの諸々の(責め苦の)緩和を集めて、何らかの第三の事柄が起こり得ると考えなければ」。なお、「何らかの第三の事柄」(tertium aliquid)とは、「生」(救い)と「死」(滅び)の中間の罰、すなわち、矯正としての罰をさすと考えられる。

[4] Cf.2S.24,13.

 

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