4.年代・場所

 『過越について』のパピルス写本自体の作成年代は、地理的に見てその所有者であると考えられるアルセニウス修道院が公会議の決議に忠実なカルケドン派のギリシア教会に所属していたこと、および何の保護策も講じられずに無造作に棄てられた写本の廃棄状態を考慮に入れると、オリゲネスの断罪が宣言された553年を大きく下回ることはあり得ない。またその写本の字体は、V.ガルトハウゼンの提供する資料に基づくと、七世紀のコプト語系のオンシャル字体(大文字体)となることから、『過越について』の写本の作成年代は、六世紀初頭から半ばにかけてと見做されるのが妥当ではないかと私には思われる。

 更に、『過越について』の原本をオリゲネスが作成したのは、P.ノータンの年譜によれば、彼がアレクサンドリアを離れてパレスティナのカイサレイアに拠点を設けてからおよそ十五年後の245年ごろ、彼が六十歳のころであろうと考えられる。

 先ず、オリゲネスは既に、『ヨハネによる福音注解』第10巻14.77-111の中で、過越について考察することは、数巻に及ぶ特別な論考に値するだろうと二回述べて、過越に関して考えられることを大雑把に語っている。もしも彼が既に過越についての論考を書き終わっていたとすれば、彼はいつものように、「前に述べたように」とか「それについてはかつてより詳細に扱った」とか言って、その作品を指示あるいは暗示していたことであろう。したがって『過越について』が書かれたのは、早くても『ヨハネによる福音注解』第十巻が書かれた234年または235年以後のことであると考えられる。

 他方、オリゲネスは、『過越について』の第23節で、『ヨハネによる福音』6.9,13でイエスがお増やしになられたと言われている「大麦からできた五つのパン」を、「小麦からできた五つのパン」と取り違えている。ところが249年に完成された『マタイによる福音注解』第11巻の2では、これらのパンの種類については共観福音書では特定されていないが、『ヨハネによる福音』だけがそれらは大麦のパンであったと述べていると、オリゲネスはきっぱりと言い切っている。これはあたかも彼が、『過越について』での言い違いを訂正しているかのようである。したがって『過越について』の作成年代は234年から248年の間に設定されることになるだろう。

 しかしもう少し正確に年代を特定すれば、それは、オリゲネスが六十歳の頃すなわち245年ごろということになろう。なぜならP.ノータンのオリゲネスの年譜によれば、オリゲネスはその時期から、説教活動を休止して注解の口述活動に専念し始めており、また既に『出エジプト記講話』の作成を終了していたからである。『過越について』には、既に仕上げられた『出エジプト記講話』を前提にしなければ説明できないような荒削りで暗示的な聖書解釈が見られるのである。

 

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