7.写本

 『過越について』の写本は、多少の欠落箇所あるいは毀損箇所を度外視してその全体を伝えているのは、やはり1941年にエジプトのカイロ近郊のトゥーラの古代採石場跡で『ヘラクレイデスとの対話』と共に発見されたパピルス紙の巻物だけである。しかし本書を批判校訂したP.ノータンによると、その発見と解読、他の写本との比較研究によって、ガザのプロコピオスの手になる『旧約八書注解選集』の中に、若干圧縮された形で十二箇所の断片が匿名のまま伝えられていることが明らかとなった。その他、旧約八書のギリシア語カテーナを伝える十世紀のバーゼル写本、十三世紀のパリ写本、十一世紀のバチカン写本、アテネ写本等にも、『過越について』の断片がわずかに含まれており、中にはパピルス写本の発見によってオリゲネスの作品からの抜粋として初めて同定されたものもある。これらのギリシア語カテーナはいずれも、ガザのプロコピオスの手になる今日現存しない原始カテーナに基づいており、『旧約八書注解選集』に抜粋された断片と共に究極的にはパレスティナのカイサレイアにオリゲネスの死後しばらく存在した図書館の原作に遡ると推定されている。『過越について』も、それらの断片とは別の伝承経路をたどってカイサレイアの図書館に行き着くものと考えられている。更に、六世紀のカプアのヴィクトルもそのラテン語訳の断片を伝えており、彼の手元に合ったギリシア語写本もカイサレイア図書館にあった原本に由来するものだろうと推定される。以上の数々の断片は、『過越について』の毀損箇所の修正や欠落箇所の回復、また逆にそれらの断片の伝承史の推定ないしは確定に役立った。しかし六世紀の終わりから七世紀にかけてたぶんアイルランドで書かれたと思われるラテン語作品、偽・アレクサンドリアのアナトロスの『過越の日の算定について』に含まれるオリゲネスの『過越について』からの引用は偽作であることが、当の『過越について』およびオリゲネスの『ヨハネによる福音注解』の当該箇所との比較研究から証明されている。

 

次へ