9.内容

 オリゲネスの『過越について』は、過越に関する文献としては、その真作性が保証され、しかもその全体がほぼ完全に保存されている最古のものである。したがって私たちは本書を通してオリゲネスの過越思想をかなり正確に立ち入って知ることができる。しかしここでは本書の内容をすべて紹介することはせず、上記の過越論争を背景に据えて、彼の過越解釈に見出だされる注目すべきいくつかの特徴を手短に指摘しておくにとどめたい。

 本書が、パスカは移行であるという考え方、いわばディアバシスの論理で貫かれていることは、本書を通読しただけですぐにわかる。既に述べたように、本書の執筆の動機は直接的にはヒッポリュトスの過越についての論考にあったとは言え、より直接的より根本的な動機は、パスカは移行を意味するヘブライ語のパスに語源を持つことを知っていたユダヤ人たちに対するキリスト教の弁護にあったと思われる。本書の執筆の動機が宣言されていると言える本書第一頁の序文では、まさにパスカをパトスすなわち受難と解することは、自分たちの無知を曝け出してユダヤ人たちの嘲笑を買うだけだ、というようなことが言われているのである。この意味でオリゲネスは、ヒッポリュトスの論考によってキリスト教信仰共同体が、ユダヤ人たちから要らぬ誤解や嘲笑を受けると案じたに違いない。既にユダヤ人たちは、オリゲネスよりも、またキリスト教が成立するよりもはるか以前に、ヘブライ語のパスカ(hsp)を日本語の「移行」に相当するギリシア語で訳していたことが、ヨセフス・フラヴィウスやピロンまたアクィラなどの著名なユダヤ人の残した文献を通して窺えるのである。ところが、パスカを移行と解釈したキリスト教著作家はオリゲネス以前では、彼がひとかどの人物になる直前にアレクサンドリアを去ったクレメンスただ一人しか、文献上知られていない。これに対して、オリゲネス以前あるいは同時代の大多数のキリスト教著作家たちは、既に述べたように、キリストの最後の晩餐をいつに定めるかについては見解の相違があっても、みな一様にパスカを受難として解釈していた。オリゲネスがアレクサンドリアから遠いとは決して言えないカイサレイアで本書の執筆に着手したとき、たぶん彼の周辺には、パスカの正確な語源を知らずにパスカを受難と解したキリスト者たちがたくさんいたであろう。オリゲネスは本書の序文の冒頭で、真っ先にこう言い放っているのである。

 「パスカの遂語的な解釈を開始するに先立って、パスカという単なる名称それ自体について二、三述べておくのが適当だろう。と言うのは、大部分の兄弟たちが、あるいはたぶんすべての兄弟たちが、パスカという呼称は、救い主のご受難にちなんで、パスカという名前で呼ばれたと思っているからである。ところがヘブライ人たちは ・・・ 」。

 こうした事情に促されて、そしてより根本的にはただ全くの護教論的な動機から、オリゲネスはパスカについてのディアバシスの論理を、本書で大々的に展開するのである。彼が、パスカをパトス・受難ではなくディアバシスすなわち移行と見做す論拠は、パスカのヘブライ語の語源がパス・移行であるということに加えて、次の二つの『聖書』の言葉である。

 パウロの『コリントの教会への第一の手紙』5,7の「しかも私たちのパスカ・キリストは屠られたのです」。

および

 『ヨハネによる福音』3,14に報告されているイエスご自身のお言葉:「モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人間の子も上げられなければならない」。

 オリゲネスによれば、キリストのご受難の予型は、『民数記』21,4-9および『知恵の書』16,5-12で述べられている、モーセによって棒の上に掲げられた青銅の蛇であって、旧約聖書に規定されたパスカなのではない。パスカは、使徒パウロが述べているようにキリストご自身の予型、しかも、ご受難とご死去そしてご復活を通して無知の闇に支配されたこの世のエジプトから脱出し、約束された天の国へと移行されたキリストご自身を指す予型なのである。本書のラテン語訳抜粋を作成したカプアのヴィクトルは、オリゲネスが本書第32節で、こうした意味でのパスカを「過越の秘義」(mysteria paschae)と言い換えたことを伝えている。これはベネディクト会のO.カーゼル師が「過越秘義」(ミュステリウム・パスカーレ)と呼んでいたものを思い起させる。

 ところで先ほども述べたように、過越論争の問題はパスカの解釈だけに始終するものではなかった。それは、感謝の祭儀が制定される最後の晩餐の日時の決定にも関わっていた。それをいつにするかによって、新受洗者のための感謝の祭儀をユダヤ人の過越祭と同じニサンの月の十四日にするか、それともその後に来る最初の日曜日すなわち主のご復活を祝うご復活の祝日にするかが争われたのである。当のオリゲネスも、以前『ヨハネによる福音注解』第10巻でパスカについて暫定的に論じたとき、そうした問題があることを充分に知っており、またそれが扱いにくいものであることをほのめかしている。彼は言う。

 「なお、春分の日の前後に祝われる過越の日付に関する問題を考察すること、およびその問題が引き起こすその他の問題点について検討することは別の機会にするのがよいだろう」。

 これは、あたかも彼が『ヨハネによる福音注解』第10巻の口述時に、『過越について』の論考を作成して、そこで過越問題について包括的に考察する意欲があったことを示しているかのようである。ところがそうした憶測とは裏腹に、オリゲネスは、本書の中でこの日取りの問題についてほとんど断定的なことは何も言っていない。勿論、その日取りについての彼自身の見解が表明されていると思えるような箇所はある。彼は、パスカがキリストのご受難の予型ではないことを論証する過程で、次のように述べているのである。

 「しかしこれがもしも救い主のご受難の時に行なわれたものではいとすれば、その場合、彼のご受難はパスカの対型ではなく、パスカは、私たちによって屠られたキリストご自身の予型になるのである」。

 これらの言葉が前後に置かれた文脈から切り離されて文字通りに受け取られれば、オリゲネスはどうやら、共観福音書の記述に従って、最後の晩餐の日付は、旧約のパスカが挙行されるニサンの月の十四日で、主のご受難はその翌日だと考えていたことになろう。するとオリゲネスは、サルデスのメリトンと同じように、「十四日論者」だったのであろうか。やはりそれらの言葉の前後に置かれた文脈に注意を払うべきである。それらの言葉の前では、パスカは私たちキリスト者が祝う真のパスカであり、また後では、パスカ・キリストは精神的なものであって、感覚的なものではないと言われているのである。オリゲネスの議論はいつのまにかユダヤ教のパスカからキリスト教のパスカ・最後の晩餐、しかも精神的なパスカ(小羊・キリスト)に移っている。現実のユダヤ人のパスカにこだわらずに、純粋にキリスト教の内部でパスカを見れば、確かにキリストは最後の晩餐の翌日に苦しみを受けられたのである。約束された神の御子イエス・キリストの到来によって古い契約の律法が完全に成就されそしてある意味で廃されたという事実の上に成り立つ新しい契約のパスカ、精神的なパスカを重視するオリゲネスにとっては、ニサンの月の十四日にパスカを行なうべきか否かという具体的な日時の問題は、キリスト=パスカの本質とはもはや何の関係もない、どうでもよい問題のように思えたのではあるまいか。肝心なことは、キリストの過越秘義に与り、罪から浄められ、この世の悪から解放されて、天に昇り、御父なる神のみ許でとこしえに開催される真のパスカに集い、これを無数の天使たちと共に祝うことなのである。

 しかしながらオリゲネスが本書で精神的パスカ、パスカの霊的な意味を展開しているからと言って、彼が感謝の祭儀で祝別される小羊の肉と血を象徴的に解釈している、したがってオリゲネスには、感謝の祭儀の秘跡的性格が見えなかったとは、絶対に言えない。L.リース師が言うように、司祭オリゲネスは、今も昔もキリスト教信仰共同体の中で常に行なわれてきた感謝の祭儀の枠内で、その霊的意味を探求しただけなのである。オリゲネスは感謝の祭儀で祝別されるパンとブドウ酒が何か特別な秘跡としての性格を有していることを決して見失ってはいない。たとえば彼は、『過越について』の数年後に書かれた最晩年の大作『ケルソスへの反論』で、感謝の祭儀で捧げられ祝別されて食されるパンについて次のように述べている。

 「しかし私たちは万物の造り主に感謝を捧げ、捧げ物への祈りと祝福と共にもたらされたパンを食べる。このパンは、祈りによって何かしら聖なるからだとなったのであり、それは健全な意図を持ってそれを享受する人々を聖化するからだとなったのである」。

 ベネディクト会のF.フェッスラー師の詳細な分析によると、オリゲネスにとって聖性は卓越した神性を指し示し、聖化は神化に等しい。拝領するものに聖化の効果をもたらすこの神聖な尊いパンが、どうして単なるキリストの身体の象徴に過ぎないと言えようか。またどうしてそれが祝別される感謝の祭儀が単なる主の晩餐の記念たりえようか。

 緒言はこれ位にして、六十歳に達していよいよその円熟味を増した司祭オリゲネスの入魂の作品をご覧になっていただきたい。

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