哲学概論

更新日時2019/02/03

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第9回

第6章 ルネ・デカルト

近世哲学の父・数学者・合理主義者

 感覚よりも理性を重んじる合理主義(理性主義)は、パルメニデス(エレア学派)に始まり、ソクラテスを経てプラトンイデア論に大成された。プラトン主義(プラトンの哲学)は、アウグスティヌス(45C)によりキリスト教に取り入れられた。中世に至り、アリストテレスの哲学トマス・アキナス(13C)によってキリスト教に取り入れられた。しかし、プラトン哲学の本流(理性主義)が、途絶えることはなかった。なぜなら、アリストテレス主義も、質料と形相という概念を保持している限り、修正されたプラトン主義だからである。

第1節 デカルト(René DescartesRenatus Cartesius 15961650)

 デカルトは、1596年、フランスの新興階級(官僚貴族)の家に生まれ、10歳のときから10年間ほど、フランスのイエズス会が経営する学院(ラ・フレーシュ学院)で、当時としては最高の教育を受け、ポアチエ大学に進学し、法律と医学を学んだ。しかし彼は、卒業後、文献の解釈に明け暮れる中世哲学(スコラ哲学)と決別し、世間という大きな書物から真の知識を得ようとした。デカルトは、学生時代から、数学を機械工学に応用すること、ならびに、数学と現実の世界の対応関係に関心を持っていた。卒業後は、この当時の貴族の子弟の習慣に ( なら ) い、軍隊、しかもオランダの軍隊に入隊した。デカルトが、このオランダの軍隊に志願したのは、オランダ軍が早くから数学や物理学の諸成果を、築城や兵器の製造といった軍事科学に応用しようと、多くの学者を集めていたからである。デカルトは、オランダ軍在籍中、ガリレイの発見した「落体の法則」の実験などを行ない、自然現象と数学の計算式との見事な一致を目の当たりにし、自然研究への数学の応用がどれほどすばらしいものであるかを痛感したようである。

 除隊後も彼は、この数学の計算式と自然現象との奇妙な平行関係に関心を持ち続けた。なぜ自然現象は、数式によって表現できるのだろうか。自然は、(たまたま)数式によって表現できるように(神によって)造られているという安直な考えでは、デカルトは納得しなかった。ここには、パルメニデス以来の感覚と理性の対立が、数学と自然現象の奇妙な並行関係の中に再び現れている。数学(理性)の対象は永遠なもの(数・幾何学的図形)であるこれに対し、自然科学の対象は自然現象であるが、これは、刻々と変化する時間的なもの(感覚対象)である

 デカルトによると、これまでの哲学は、この問題に答えていないとされる。彼は、従来の物の見方や考え方を一切捨て、人間が確実に知り得るものは何かを再検討し、その上でこの問題に答えようとした。人間の認識能力の考察は認識論(epistemology)と呼ばれるデカルトは、数学の計算式(理性)と自然現象(感覚)との奇妙な平行関係を、認識論的に解明しようとした。言い換えると彼は、自然現象を対象とする自然科学への数学の適用可能性を認識論的に検討し、感覚に基づく自然科学が、理性に基づく数学と合体し、精密な数学的自然科学になり得ることを証明しようとしたのである。この問題についての彼の考えは、1637年に公刊された彼の主著『方法序説(discours de la méthode)、ならびに、1641年に公刊された『省察(Meditationes)に述べられている。結論を先に言えば、数学的自然科学は、自然現象を超えて、その背後に、別のもの(数学的に表現可能な理性的世界・数学的な質点と座標系)を設定している

第2節 方法的懐疑 la doute méthodique

 どのようにすれば、我々は、絶対確実な知識を得ることができるのだろうか。それは、デカルトがみずから命名した「方法的懐疑」によって得られるとされる。彼は、『方法序説』の中で、次のように述べている:

少しでも疑わしいものがあれば、それらをすべて偽りとして退け、徹底的に疑うことでどうしても疑うことのできないものが私の核心の内に残らないであろうか」。

 このようして彼は、まず、目の前に広がる世界が幻覚かもしれない、したがってそれは本当には存在せず、偽りだとして斥けた。さらに彼は、数学も偽りとして斥けた。デカルトによれば、「幾何学のもっとも単純な問題についてさえ、推理を間違える人々がいるのだから、私もまた他の誰とも同じく誤りうると判断し、私が以前には明らかな論証と考えていたあらゆる推理を、偽なるものとして投げ捨てた」とされる。

 こうしてデカルトは、方法的懐疑によってすべてを偽りとし、「世界の内には何ものもなく、天も地も、精神も身体も存在しない」と自分自身に説得し、一切の存在を否定した。しかしながら彼は、それでもその存在を疑い得ないものがただ一つあることを発見したと言う。それは、疑っている「私自身」の存在である。私はすべての存在を疑って退けたが、そのように疑っている私自身が存在することは、疑い得ず、それは確実に存在する

 このことを、デカルトは、「私は考える、ゆえに私は存在する(Je pense, donc je suis / Cogito, ergo sum )という言葉で表している。彼によると、我々が確実に知り得る対象は、理性の対象でも、感覚の対象でもなく、先ず「思考する私自身の存在であるデカルトは、この絶対に確実な私の存在を基準にし、それと比較しながら他の対象の確実性を探求しようとした――もしも理性の対象であれ、感覚の対象であれ、その存在が、私自身の存在と同程度に確実に知られるのであれば、それは確実に存在すると言えるはずだと

 もちろん方法序説が出版されたとき、この「私は考える、ゆえに私は存在する」というデカルトの言葉に異議を唱える人がいた。私の存在を確認するためであれば、たとえば、「私は散歩する、ゆえに私は存在する」とも言い得る。それゆえ私は、「考える」ときだけ、確実に存在するのではない。しかしデカルトは、これに反論し、結局すべてのものは、「私は考える、ゆえに私は存在する」という命題に帰着するという。なぜなら、「私は散歩する、ゆえに私は存在する」という言葉は、「私は散歩すると考えるゆえに私は存在する」という言葉に言い換えられるからである。

第3節 考える私

 では、この絶対確実に存在するとされる「考える私(思惟する私)とはどのようなものだろうか。デカルトは、ここで「実体」という言葉を導入し、この「考える私」を説明している。実体とはアリストテレス以来、「他の何かに依存せず、それ自身で存在するもの」と、伝統的に定義される。それは、ギリシア語で hypokeimenonラテン語で substantia といい、本来、「下にあるもの」を意味する。実体とは、他の何ものにも依存せず、さまざまな変化の下にあり、その変化を下から支え、それ自身で存在する自存者(基体)を表す。デカルトは、この実体について次のように述べている:

私とは何であるかを注意深く吟味し、私がいかなる身体も持たないと仮定することができ、また私がその中で存在するいかなる世界も、いかなる場所も存在しないと仮定することはできる。しかし、だらからといって私がまったく存在しないと仮定することはできないこと、いやそれどころか、私が他のものの真理性を疑おうと考えるまさにそのことからして、私が存在するということが極めて明証的に、極めて確実に帰結してくる

それに反して、もしも私が考えること、ただそれだけを止めていたら、・・・私自身が存在していたと信ずるためのいかなる根拠も私は持たないことになる。このことからして、私というものは、一つの実体であって、この実体の本質もしくは本性とは、考えるということだけである。そして、このような実体が存在するためには、いかなる場所も必要とせず、いかなる物質的なものにも頼らないものであること、したがってこの「私」なるもの、すなわち私を私たらしめている精神は、身体とはまったく別個のものであり、身体よりもはるかに容易に認識されるもの、またたとえ身体がまったく存在しないとしても、それは本来在るところのもの(思考する精神)であることを止めないことも、私は知ったのである。

 デカルトによれば、私は、身体や世界が存在しないと仮定しても、それ自身で存在する実体であり、その本質は、思考する精神である。すなわち私は、考えることを本質とする考えるもの(レース・コーギタンス)(res cogitans)である。これに対し、物質(身体)は、広がりのあるもの(レース・エクステンサ)(res extensa)と呼ばれる。

 こうしてデカルトのもとで、考えることを本質とする精神と、身体――デカルトによれば、身体という物質もそれ自体で独自に存在する実体である――とは互い独立して存在する別個の実体であるという物心二元論が生まれた。彼以後、「精神(esprit)と身体(corps)」、「精神と物質(matière)」、「心(coeur)と物(chose)」は、互いにどのように関係するかという心身問題が、今日に至るまで十分納得のいく解答の与えられていない哲学上の難問となった。

 ところでデカルトによれば、この考える実体としての私の存在は、絶対に確実であり明晰判明に知られるそこで彼は、私がこれと同程度に明晰判明に(clare et distincto)認識するものは確実に存在するという真理の規準を打ち立てた。簡単に言うと、私の存在と同程度に確実に存在すると「明晰判明に」認識(判断)できるものは、確実に存在するのである。デカルトによると、この明晰判明な認識(clara et distincta perceptio)が、真理の認識の基準になる。彼は、次のように述べている:

「私は考える、ゆえに私は存在する」という命題において、私が真理を言明していることを私に確信させるものは、考えるには存在せねばならないということを極めて明晰に私が悟るということ以外に何もない、ということを私は認めた。そこで私は、『我々がきわめて明晰判明に理解するものはすべて真である』ということを一般的規則として認めてよいと考えた」。

 すなわち、存在の確実性を与えるのは、私なのである。では、我々は、この考える私の存在以外に、どのようなものの存在を明晰判明に知ることができるのだろうか。すでに方法的懐疑の説明で見たように、世界や私の身体の存在は、錯覚かもしれないとして退けられている。それゆえ、世界や身体の存在は、明晰判明に知り得る絶対に確実な存在ではない。しかしデカルトは、明晰判明に知ることのできるものがあると言う。それが、神である。

 

第4節      神の存在証明

 デカルトの神の存在証明は――これは、後の人(カント)によって神の存在論的証明と言われるが、デカルトが始めたものではなく、既にトマス・アキナスも取り上げている――、神の完全性の概念から神の存在を導く証明である。

 デカルトによれば、我々は、神の完全性について明晰判明な知識を持っており神の完全性を疑うことは絶対にできない神が不完全であれば、神は神でなくなる。ところで、この神の完全性の概念には存在するという観念も含まれている。そこでもしも、この完全性の概念に「存在する」ということが含まれていなければ、神は不完全ということになる。それゆえ、神は確かに存在するデカルトは、三角形の内角の和という概念が、それが180度であるという事態を含むのと同程度に、この推論が明晰判明(確実)であるとした

 しかしながら、デカルトの神の存在証明は、後に取り上げるカントにより、 誤謬 ( ごびゅう ) 推理であることが証明されている。カントによれば、デカルトの神の存在証明は、ある人が100円玉の観念を持っているという事実から、その人が実際に100円玉を持っていると判断するのと同様に間違っている。物の観念から、その物の現実の存在は帰結しない。

 ともあれ、この神の完全性の概念に、その「存在」が必然的に含まれなければならないということは、デカルトにとって、考える私の存在と同程度に明晰判明なことだった。では、なぜデカルトは、神の存在証明をしたのだろうか。

第5節 神の誠実さfidélité――数学的認識の確実さと物質の存在の確実さ

 彼が神の存在証明を行なった狙いは、一方で、一度はその確実性を疑った我々の数学的認識(計算)と、自然界(物質)の存在が疑い得ないものであることを、神の誠実さの観念から証明しようとすることだった

 デカルトによると、「神の完全性」の観念には、「神の誠実さ」の観念も含まれている。したがって、万物の創造主である神は、我々の理性が、間違いを犯すように創造したはずがない神の誠実さを信用すれば、我々は、神によって与えられた理性を正しく使用する限り、間違えることはない。こうしてデカルトは、「神の誠実さ」によって、人間の理性による数学的認識(計算)の確実性を証明しようとした。

 同様に、神の誠実さの観念によって、物質(物体)の存在の確実性も証明される。なぜなら、神の誠実さを信用すれば、神が万物(物質)を無から造り、存在させたことを嘘であると見なすことはできないからである。それゆえ、私が、神によって与えられた理性を正しく行使し、明晰判明に把握する物体(物質)も、確実に存在する

第6節 物体の本性――幾何学的世界観・機械論的世界観

 しかし、我々の理性が明晰判明に把握する物体の観念とは、どのようなものだろうか。デカルトは、「物体」を、「延長(広がり)とそれに付随する「性質(属性)とに分け、我々の理性の対象となるものは、「延長」のみだとした。

 延長(extensio)とは、物体が占有する長さや幅や高さなどの空間的な広がりである。デカルトによれば、それは、「私の存在と同程度に明晰判明だとされる。これに対し、物体に付随する性質、すなわち物体の属性とは、色や音、味、触覚、熱などの感覚器官を通して得られるもので、その都度さまざまに変化するため、「私の存在」と同程度に確実に存在するとは認められない。デカルトによれば、それらの感覚的な諸性質は、物体そのものに属しているものではなく、我々の感覚に対する物体の現れ方に過ぎず、当の物体を実質的に構成するものではない。

 こうして物体に関して、明晰判明に存在すると確信できるものは、広がりのあるもの(res extensa)の長さ・幅・高さなどの延長だけであり、これのみが、理性の確実な対象となるとされた。デカルトの言葉を引用すれば、人間の理性が確実に認識し得るものは、@「大きさ、すなわち長さと幅と深さとからなる延長(拡がり)、Aこのような延長をもつ種々の物体(質点)の相互に占める位置、B運動すなわち位置の変化 (座標系上の軌跡・空間化された運動)である」。

 要するに、神の誠実さの下に人間の理性が確実に認識する世界とは、感覚的諸性質を取り除かれた色や ( ぬく ) もりのない幾何学的な図形の集合体(幾何学的世界)である。これによって、「なぜ自然現象は、数学の計算式によって端的に表現されるであろうかという問題は解決されたなぜなら我々の理性は、感覚によって捉えられる可変的な現象界を超えて、その背後に、数学的に表現可能な幾何学的世界(理性的な永遠の世界・数学的な質点と座標系)を観ているからである。この幾何学的世界は、その所在を天上界から現象界の背後に移し変えたプラトンのイデア界そのものである。

節 合理主義(理性主義)

 以上、デカルトによる数学的自然科学の認識論的基礎づけの試みを簡単に紹介した。しかし、この試みの過程で彼が人間の理性に与えた明晰判明な認識は、人間の理性に著しく大きな権限を与えた

 デカルトによれば、人間の理性が、私の存在と同程度に明晰判明に存在すると判断したもののみが、真の意味で存在する。このことは、この世界において何が実在し、何が実在しないかを決定するのは、人間の理性だということを意味している。デカルトは、人間の精神を神に等しいものにした。なぜなら、何が存在し、何が存在しないかを決定する権限は、本来、万物を造り、万物に存在を与えた神にあるからである。

 このように合理主義(理性主義)は、人間の理性に絶大な地位を与え、すべてを理性によって割り切る。このような考え方は、「 ( ) ( ) することと有ることとは同一である」(DK.28B3:Clem,Strom.VI 23)とするパルメニデス(エレア学派)に初見される。それが、プラトンを経て、デカルトに至り、遂に数学的自然科学(近代科学)を根底から支える世界観として確立された

第8節 カントへの移り行き――合理主義と経験主義

デカルトの哲学が残した問題は、三つある:

@  理性による推理の正当性と物質の存在を証明するために、彼が神の存在とその誠実さを前提にしたこと

A  人間の理性には、神の観念や数学の諸概念(数概念や幾何学的概念)などの生得観念(l’idée innéeidea innata)が備わっているとしたこと

B  思考する精神(res cogitans)広がりをもつ物質(res extensa)を互いに排除し合う実体(substantia)としたこと

 デカルト以後のヨーロッパの哲学者たちは、これら三つの問題をめぐって思索を重ねた。第1の問題に対しては、哲学とは、みずからの経験と判断で物事の根拠を探求する試みであるとすれば、神の存在を前提にして、幾何学的世界の実在を証明しようとするデカルトの哲学は、不完全である。第2の問題に関しては、人間の理性には生得観念など存在せず、人間の精神に見出される観念は、すべて経験に由来するとする経験論(経験主義empiricism)が主張された。第三の問題は、物質は精神の反映であるとする観念論(idealism)[1]、これとは逆に精神の実在を否定し、物質の根源性を主張する唯物論(materialism)、さらに、両者は第三の実体()の表れだとする汎神(pantheism)をもたらした。

 まず、汎神論(スピノザ)経験論(ロックとヒューム)が主張され、次いでそれらを否定する形で観念論(バークリー)が唱えられた。最後に、神の存在を前提とせずに数学的自然科学の基礎づけを試みたのが、18世紀最大の哲学者カントである。彼は、デカルトが「物質の存在」を証明するために訴えた「神の存在」を切り捨て、理性に生得的に備わるもの(観念や形式)があるとし、それらによって数学的自然科学を認識論的に基礎づけようとした(超越論的観念論)



[1] 物質と精神との関係において、物質よりも観念(精神)がより根源的なものとする認識論上の立場。プラトンをはじめ、近世ではバークリーの主観的観念論、カントの批判的先験的観念論、ヘーゲルの絶対的観念論などがある。

 

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