哲学概論

更新日時2019/02/03

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第4回

第2章 衆愚政治とソフィスト

ソクラテス以前の自然哲学者たちは、ギリシア本土以外の地域で活躍した人たちだった。しかし、哲学という知の営み生み出した人間の精神活動は時の産物であり、時代の支配的精神に規定され、これを肯定的にも否定的にも反映する。紀元前5世紀のペルシア戦争(BC492449)でギリシアの都市国家連合がペルシアに勝利し、デロス同盟の盟主となったアテネが政治的経済的な発展を遂げると、哲学の舞台はアテネに移った。アテネの人々の関心は、自然現象ではなく、政治の担い手である人間に移り、人間(政治家)そのものの有り方が問われるようになった

第1節 アテネの政治状況

政治経済の一大中心地となったアテネには、その栄華に惹かれて多彩な人材が集まり、文化や芸術が開花した。周知のように当時のアテネでは、民主主義が発達した。民主主義とは、ギリシア語で「デーモクラティア」(democratia)、すなわち「民衆」(デーモス)が「統治する政治」(クラティア)という意味で、国の政治を国民自身が決定する政治である(国民主権)。アテネの政治は民会(エックレーシア)で決められ、争い事は法廷(ディカステーリオン)で裁定された。それら裁定は、有権者(陪審員)による審議と多数決によって行われた。そのため、多数の人の賛同を得を得ることのできる説得力のある話し方が重視され、上手な話し方を教える弁論術・雄弁術(レートリケー)が大いに尊ばれた。

しかし人間の弁舌は、事実(証拠)を離れて架空の話を捏造する可能性をもつ。やがて弁論術は、事の善悪・正不正を無視し、人を説得することだけを目的とする詭弁論(sophism)に変質した。詭弁論とは、言ってみればこじつけ話である――間違ったことを正しいと思わせ、白を黒、黒を白とする言論である。こうしてアテネでは、言葉巧みな煽動政治家(demagogos)の個人的利益が「公共の福祉や社会的正義」の名の下に優先され、大多数の民衆の方もそのような政治家の言説に惑わされた。このような政治を衆愚政治(mob rule)と言う。衆愚政治とは、煽動政治家のデマに踊らされ、何が正論なのか、何が悪論なのか見分けのつかなくなった愚かな民衆による「民主」政治である。民主主義は衆愚政治に陥る危険を常に宿している。

第2節 ソフィスト(sophist)・・・博識家・詭弁家・屁理屈屋

このような時代状況の要求に応えたのが、ソフィスト[1]と呼ばれる職業教師であった。彼らは、立身出世を志す人たちのために、高額の授業料を取り、国家社会の一員として優れた人物になるための技能すなわちを教えていた徳とは、道徳的理想を実現するために必要な技能と定義されるしかしソフィストは、という名の下に、立身出世に必要な技能、すなわち弱論を強論にし多数の人を説得する詭弁論(弱論強弁の術)を教えた

おそらく「ソフィスト」と呼ばれる人たちは、2500年前のアテネに限らず、現代にもいることだろう。今日でも英語に、「ソフィスティケイト」(sophisticate)という言葉がある。これは、「人々を詭弁で惑わす」とか、そのために「自分の言論を 洗練 ( せんれん ) させる」という意味の語で、「ソフィスト」という言葉に由来している。このようなソフィストの代表者としては、プロタゴラス、ゴルギアス、プロディコス、ヒッピアスなどが知られている。ソフィストが文化史上に残した功罪を事細かに取り上げるのも、実は意義あることなのであるが、ここでは、プロタゴラスの思想の紹介に話を限ることにする。

第3節 プロタゴラス(Protagoras, B.C.485ca410ca)

彼は、トラキアのアブデラ出身で、原子論者のデモクリトスの弟子だと言われる。結論から言えば、彼は、「人間は万物の尺度である」とする相対主義の立場をとり、真理の絶対的基準を否定した。彼の思想は、懐疑論不可知論相対主義という言葉で特徴づけられる。以下に、それらの言葉のおのおのについて説明する。

プロタゴラスは、人間の感覚が人によって異なるという経験的事実から出発し、何が正しく、何が間違っているかなどの判断は人によって異なると主張した(相対主義relativism)

彼によれば、物事の善悪や正・不正を決める客観的基準は存在せず(懐疑論skepticism)またたとえ存在するとしも人間はそれを知ることができない(不可知論agnosticism)とされる。では、物事の善悪を決める客観的な基準がないとすれば、何が物事の善悪を決めるのだろうか。プロタゴラスは、物事の善悪を決めるのは、我々ひとり一人であると答える。彼によれば、各自が正しいと判断することは正しいものとなる。彼は、このことを、「人間は万物の尺度である(資料)という一文で端的に表している。物の善悪を決定する基準(尺度)は、一人ひとりの私という主観にある(恣意的な主観の強調)

このようにしてプロタゴラスは、人間の恣意的で気ままな主観()を一切の価値判断の基準に高め、万人が等しく承認する客観的な価値判断の基準を否定した。このような価値判断の相対主義は、たとえば現代においても、いわゆる諸宗教の対立という事実によって正当化されるように思われる。およそ宗教的対立というものは、争いの事者たちが自説を「絶対的に正しいと思い込み」、相手を断罪することに起因する。このような事態は、プロタゴラスの見地に立てば、価値判断の普遍的で客観的な基準(真理)が存在しないことを証ししている。

ともあれプロタゴラスによれば、各人が判断したことは、たとえ相互に異なっていようとも、そのまま真実になるそれゆえ、どのような事柄も、言い方一つで正しくも、悪くも思わせることができる。プロタゴラスのこのような倫理的相対主義が、民主主義の極端に発達したアテネで、もてはやされたのは想像に難くない。なぜなら衆愚政治に陥ったアテネでは、議会や法廷で自分の主張を押し通し、相手の主張を論破することが至上命令だったからである。したがって、そのためには、物事の真相(正義や不正)はどうでもよく、聴衆が自説に賛同してくれるようにもっともらしく語りさえすればよかった。「論より証拠」ではなく「証拠より論」が求められた。聴衆に受け入れられ、支持された強者の説が、民主主義の名の下に正義となった。これは、「勝てば官軍」ということである。プロタゴラスの相対主義は、アテネの民主主義の危険なあり方に一つの思想的な表現を与えたと言うことができる。

しかし、このような倫理的相対主義の危険を孕むアテネの民主政治を堕落した政治とみなし、祖国アテネを救おうとしたのが、次章に紹介する「哲学の語の創始者」ソクラテスである。ソクラテスは、アテネの民衆に行き渡っていた善悪の判断(価値判断)についての倫理的相対主義に反対し、すべての人が従うべき何らかの客観的基準――これは理性の対象である――があり、人はそれに従って正しく生きねばならないと主張した。

 

第4節 補足――フュシス(自然)とノモス(規約法律習慣約束事)の乖離と対立

人間の守るべき価値判断の基準・倫理(エートス)は、物事の本来のあり方(フュシス)に即して定められたものではなく、人為的で主観的な約束事・規約(ノモス)に過ぎないというソフィストの考え方(恣意的な主観・私の強調)は、アテネの民主政治の堕落以前に準備されていた。既にヘラクレイトスは、人間の憶見(ドクサ)が自然の秩序(ロゴス)から離れていくことに警鐘を鳴らし自然の理法(ロゴス)に従えと主張した。プロタゴラスの師とされるデモクリトスも、外界(感覚界)に関する人間の思惟は仮象・幻想(エイドーラ)であって、外界の真相(真実)を把握することはできない(不可知論)と述べていた。人間が外界に認める諸価値は、主観的な憶見(ドクサ)であり人為的な産物(ノモス)にすぎないとされる(相対主義)。念のために、デモクリトスに関する資料を以下に写す:

  レウキッポスとデモクリトスとエピクロスは、知覚と思惟エイドーラ(主観的な心象・イメージ)がやってきたときに生じるエイドーラを離れては、知覚と思惟は存在しない(DK. 67 A 30 )

  真実には、我々は何ものについても何ものも知らない。むしろ各人への(エイドーラの)流れが、各人の憶見(ドクサ)になる(DK. 68 B 7)

  真実には、それぞれのものがどのようなものであるか、あるいはどのようなものでないかということを、我々は把握しない(DK. 68 B 10)

  人間の慣わしでは(ノモス)甘さ、人間の慣わしでは辛さ、人間の慣わしでは温かさ、人間の慣わしでは冷たさ、人間の慣わしでは色。しかし真実にはアトムと空虚(DK. 68 B 9)



[1] 「ソフィスト」という語は、フィロソフィアの「ソフィア」と同一語源で、「ソフォス」(賢者・識者)に由来する。正しくは「ソフィステース」と発音するが、日本語としては英語の発音を借用し、ソフィストと表記するのが普通である。彼らは、哲学史の脇役であり、哲学者とは見なされていない。

 

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