哲学概論

更新日時2019/02/03

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第6回

 

第3章 プラトン――永遠の真理永遠の善永遠の美

 ソクラテスは、ソフィストたちが経験的事実に基づいて主張した倫理的相対主義に反対し、誰もが承認できる普遍的で客観的な価値判断の基準(普遍的で客観的な知識の対象の存在)を主張し、その探求すなわち厳密な意味での哲学を提唱した。そのような探求は、人間の理性を信頼することによって初めて可能になる。このように永遠不変なものを捉える理性を信頼する態度を合理主義または理性主義(rationalism)と言う。ratioはラテン語で、理性を意味する。

 プラトンは、ソクラテスが切り開いたこの理性主義の地盤を踏み固め、普遍的で客観的な知識の対象が実在すると主張するイデア論なるものを考案し、後の西洋文明の形成に決定的な影響を与えた20世紀最大の哲学者だとされるドイツのマルチンハイデガーは、哲学とは何であるかという講演の中で、ソクラテスおよびプラトンによって始められた客観的な知の探求としての哲学について、おおよそ次のように述べている:

 「哲学への第一歩は、ソフィスト的思惟(への反発)によって準備され、まずソクラテスとプラトンによって踏み出された」。・・・この哲学は、「我々の西洋的=ヨーロッパ的歴史のもっとも内的な根本動向」である。「西洋とヨーロッパそれらだけが、そのもっとも内的な歴史の歩みにおいて根源的に『哲学的』である」。したがって「西洋哲学」という言葉自体がまったくの「同語反復」である。西洋の歴史が哲学的であるということの証拠は、この西洋史の歩みの中から科学技術が生まれたことによって証言される。なぜなら科学技術の前提(無機的物質観)は、この「哲学」によって準備されたからである(Martin Heidegger, “Was ist das --- die Philosophie ?”, pp.7~18)

第1節 プラトンの生涯(B.C.427347)

 プラトンは、アテナイの名門に生まれ、その青年期に晩年のソクラテスに師事した。当時のアテネは、前章で述べたように一部の扇動政治家に誘導された衆愚政治に陥っていた。ソクラテスやプラトンが哲学を通して目指したのは、善悪の客観的基準を見失ったアテネを思想的に立て直すことであった。彼の本名はアリストクレースであるが、肩幅が広かったことから、その「広い」という言葉のギリシア語「プラテュス」(platys)をもじってプラトンと言われた。

 プラトンは、ソクラテスの刑死後、連座を避けて他国を転々としたが、紀元前387年に40歳でアテネに戻ると、アカデーモスの森という所に――アカデーモス(academos)とは、ギリシアの伝説的英雄の名である――、アカデーメイア(academeia)という学校を開き、研究と著述活動を始め、多くの弟子を集めた。

 なお、「アカデミー」という言葉は、このプラトンの建てた学校名に由来する。このアカデーメイアは、紀元後529に、東ローマ帝国(ビザンチン帝国)皇帝ユスティニアヌスによって、キリスト教と相容れないとして閉鎖されるまで、約900年間、存続した。しかし、プラトン哲学(プラトン主義)がキリスト教とは相容れないとされても、それは見かけにすぎない。後述するように、19世紀末のドイツの思想家ニーチェ(18441900)が、「キリスト教は民衆のためのプラトン主義である(善悪の彼岸序文)と言うほど、プラトン哲学はキリスト教に深く浸透し、信じられた。

第2節 イデア論――永遠の美・永遠の善

 プラトンの哲学上の使命は、ソクラテスの遺志を継ぎ、倫理的価値判断の基準となる普遍的で客観的な知の対象が、時空を超えてどこかに存在することを立証することであった。プラトンは、これをギリシア語で「イデア」と名づけているたとえば、客観的な善そのもの、正義そのものといったものが、どこかに「イデア」として存在し、すべての人間はこのイデア(善のイデアや正義のイデア)に基づいて、物事の善悪を正しく判定できるとされた。

 さて、このイデアとは、英語で表せばideaとなり、「観念」、「物事に関する考え」、「事物の意味」を表す。簡単に言えばプラトンは、物事の意味や観念は、個人の主観()を離れてどこかに客観的に存在するにちがいないとした。

 しかし、プラトンのイデアという言葉には、もう少し特別な意味が込められている。ギリシア語のイデアは、語源的には、ギリシア語の見るという動詞(idein)に由来する。したがってイデアとは、文字通りには、「見られるもの」「見られた姿・形」を表す。すなわちイデアは、頭の中で考えられるものではなく、「魂の目(omma tes psyches)で見られるものであった。もちろんそれは、「肉眼」で見られるものではない。なおプラトンは、イデアを、姿や形を表すもう一つのギリシア語「エイドス(eidos)」という言葉で表すことがある。これは、もともと幾何学的図形を意味したが、イデアと同様に「見る」という動詞に由来する。日本語では、「形相(けいそう)という語がそれに充てられている。

 しかしながら、イデアを魂の目(すなわち理性の目)で見るというのは、いかにも漠然としている。プラトンは、哲学的思索をするための訓練として幾何学の学習を弟子たちに勧めている。その幾何学的な図形を書く実際の有り様が、この「魂の目」と「イデア」の関係をわかりやすく例証している。

たとえば、数学の教師が黒板に描く三角形は厳密に見ると三角形ではない。たとえ定規で三角形が書かれたとしても、黒板はわずかに曲がっていたり、凹凸があったり、あるいは、書かれた線の太さも一様ではない。本当の三角形は黒板にはなく教師の頭の中に観念(イデア)として存在する教師は、頭の中にあるこの理想的な三角形を魂の目で見ながら、黒板にその写し(模像)を描いたのである

 プラトンは、この理想的な三角形を「三角形のイデア」と呼び、それは我々の心の目で見られるものだとした。教師が黒板に書いている三角形は、この「三角形のイデア」の曖昧な写しでしかない。教師は、この理想的な「三角形のイデア」を心の中に思い浮かべながら、それを黒板に写している。

 プラトンは、永遠不変のイデアは三角形のイデアだけでなく、この地上に存在するすべての事物についてもそれらに対応するそれぞれのイデアがあると考えた。たとえば「」、「のような制作物、「」、「人間のような生き物、「」、「美しさのような事物の性質物の善し悪しなどの道徳的価値にも、それぞれに対応する永遠不変のイデアが、時空を超えてどこかに存在するにちがいないと考えた。すなわち家のイデア、机のイデア、馬のイデア、赤のイデア、美のイデア、善のイデアなどが存在するにちがいないとされた。これらのイデアが、ソフィストたちとの対決の中で、プラトンが打ち出そうとした真の客観的で普遍的な価値判断の根拠になることは、容易に察することができる。

 こうしてプラトンは、現実の世界とは「別の場所に」、時空を超えたイデアの世界すなわちイデア界(叡智界cosmos noetos)が「天上(青空の裏側)にある」と想定し、このイデア界を真に存在する世界(真実在の世界)とした。現実の世界は、多様に変化する無常の世界(現象界)であるのに対し、後者の天上にあるイデア界は、永遠不変の世界である。

第3節 想起説――真の知識(エピステーメー)

 しかしながら、時空を超えて存在するとされるこれらのイデアを、いったい人間はどのようにして知ることができるのだろうかプラトンによれば、我々人間の魂(理性)は、肉体を受けてこの地上に生まれる前に、天上においてそれらのイデアを「すでに見知っていた」。したがって、この世にある我々は、イデアを知るのではなく、「想起(アナムネーシス)しているにすぎないとされる。

 イデアの想起(想起説)が主題的に語られるのは、プラトンの『パイドロス』という対話編である。彼は、不本意ながら神話という権威を借りて、この想起説を提案している。これによれば人間の魂はこの肉体に宿り肉体と結合する以前には天上のイデア界に住み、肉体の欲望に煩わされることなく、魂の目(理性の目)で純粋にイデアそのものを見ていた。しかし人間の魂は、あるときこの地上に落下し、肉体(ソーマ)という墓場(セーマ)に閉じ込められてしまった。その際、魂は、この地上に降りる途中で、 忘却 ( レーテー ) (lethe)の川を渡ったため、かつて見ていたイデアの記憶をほとんど喪失した。ところが魂は、この地上でイデアの写しを見るとき、その忘れていたイデアをおぼろげに思い出すのである。こうして我々は、視線を外界から魂の内面(記憶)へと転じ、かつて見ていたイデアを「想起」するとき、我々は、ソクラテスが追求していたあの「普遍的で客観的な真の知識」を得ることができる。すなわち、真の客観的で普遍的な知識(エピステーメー)の獲得とは、プラトンによれば、この地上にあるイデアの写し(感覚物)をきっかけにして喚起されるイデアの想起(アナムネーシス)に他ならない

第4節 イデア界と現実界(感覚界)の関係――分有(metoche)・原型(archetypos)・模像(eikon)

 では、現実の世界とイデアの世界の関係は、どのような関係にあるのだろうか。プラトンは、この二つの世界の関係を様々な比喩を用いて説明している。たとえば、ある家具職人が多くの机を作ろうとする場合、まず家具職人は、頭の中であるべき机の姿すなわち理想的な机の形を思い描き、次にその理想の机を手本にしながら無定形な材料を加工し、多くの机を制作する

 このようして制作された実際の机は理想的な机すなわち机のイデアのいわば模造品であり机のイデアと無定形な材料の合成体(synolon)である。プラトンによれば、地上にある一つひとつの机は、天上のにある机のイデアに従って無定形な材料から制作されたものである。その机がまさに机としてあるのも、無定形な材料によるのではなく、この天上の机のイデアによるのである。机のイデアこそが、地上の机に、机という意味と形(本質)を与えている

 地上の机と天上の机のイデアとの関係は、いわば原型とその写し(模像)の関係にある。プラトンは、この関係を「分有の関係」あるいは「参与の関係」とも呼ぶ。「分有とは、あるものを共有するという意味である。たとえば、地上の机は、天上の机のイデアを、他の諸々の机と共有する。「参与という言葉も同じ意味である。ある場合には、地上の机は、机のイデアの印鑑を押され、机のイデアの刻印すなわち机のイデアの形相(エイドス・姿)を持つと言われる。

 プラトンは、このように現実の机が机のイデアを雛形にして制作されるといういわば制作的な考え方を、あらゆる事物に拡張し、この地上の物事には、それぞれ特定の永遠不変のモデルすなわちイデアが存在すると考える。たとえば、天上の永遠不変のイデア界には、「真理のイデア」、「善のイデア」、「美のイデア」が存在し、地上にある「真なるもの」、「善なるもの」、「美しいもの」はそれぞれ、それらのイデアを分有することによって(それらのイデアをモデルとして)、まさに「真なるもの」、「善なるもの」、「美しいもの」になる。すなわち、プラトンによれば、イデアの集まりであるイデア界が、それ自身では意味や形を持たないこの地上の諸事物に意味や形を与える真の存在である

 なお、プラトンの弟子の一人であったアリストテレス(後述)は、このイデアを、この世の個々の物事が何であるかを示する本質(to ti estin)と言い換えている。たとえば、この地上の机を机たらしめている机のイデアとは、まさに机が何であるかを示す「本質」である。プラトンが想定するイデア界とは、このようなそれぞれの事物に意味と形を与え、それぞれが何であるかを示す永遠不変の本質の集合体だと言うことができよう。

 さらにプラトンは、この感覚界とイデア界との関係を、これまた不本意ながら神話の権威を借りて、説明している。プラトンによると、世界は、デーミウールゴス(制作者demiourgos)という神的な存在者によって作られたとされている。すなわちデーミウールゴスは、万物のそれぞれをイデアに従って制作した。プラトンはこのような神話を導入することによって、この世のそれぞれのものには永遠不変のイデアが対応し、この地上の諸事物(個物)はそれぞれに対応するイデアの模造品になっていることを例証しようとした。

 このようにして、プラトンは、イデア界感覚界――実物写し原型模像永遠の存在時間的存在本質存在現実存在――を設定し、前者が真の意味で存在する真実在の世界とした。このような彼の考え方を二元論という。二元論は、英語ではdualismと表記される。duaは、「二つ」を意味するラテン語のduoに由来する。すなわち二元論とは、二つの世界の存在を主張する考え方である[1]

第5節 真理(アレーテイア)とイデア

 プラトンは、このイデア界全体あるいは一つひとつのイデアを、「真理」とも呼んでいる。「真理という言葉はギリシア語でアレーテイア(aletheia)である。すでに述べたとおり、このアレーテイアの「ア」(接頭辞)は、原子論者のところで述べた「アトモン」の「ア」と同じく、否定(非・不)を意味する。他方、アレーテイアの「レーテイア」は、ギリシア語では、まさに「忘却」(レーテー)に由来する。したがって、アレーテイアとは、「忘却の覆いを取り払われたもの」という意味である。このようなわけで、どうしてプラトンがイデアをアレーテイア(真理)と言い換えたかが理解される。なぜならイデアは地上にあるその写し(その影・模像)をきっかけにして忘却の淵から呼び覚まされ思い出されるからであるイデアは、プラトンによれば、忘却の覆いを取り除かれて想起される真理である

第6節 制作的存在論と自然的存在論

 ところでプラトンは、イデアを説明するとき、好んで机やベッドの制作を例に挙げる。既に述べたように、家具職人が机を制作するには、先ず頭の中に「あるべき理想的な机の姿」(イデア)を思い描き、それに合わせて材料を加工し、実際の机を制作する。プラトンは、こうした人間の制作行為(ポイエーシス)をモデルにして、すべての存在者はイデアに従って――しかもデーミウールゴス(制作者)という神話的存在者を持ち出し――いわば「作られて存在する」とした。このような考え方を、我々は、制作的存在論と呼ぶことにする。

 しかし、プラトンのこのような制作的存在論の下では、この地上の物質は、一切の固有の意味をイデアに奪われ、無定形で無機的な材料になってしまう。プラトンのイデア論すなわち制作的存在論の成立は、同時に、それ自身では意味のない単に加工されるだけの材料にすぎない無機的な物質観の成立を必然的に伴っていた。この無機的な物質観こそ、近代ヨーロッパに端を発する自然科学・技術文明の前提になっていることを我々は記憶しておこう。

 しかし、万物は、イデアに従って作られて存在するという彼の制作的存在論は、ソクラテス以前の思想家たちが前提にしていた自然観とまったく異なっている。これまで、何度も示唆してきたように、ソクラテス以前の思想家たちの自然観は、古代の未開民族に広く浸透していた物活論的自然観と同類であり、自然全体を、生命原理を内に宿す生き物として捉えていた。彼らにとって自然は、「作られてある」のではなく、文字通り「フュシス」(physis)すなわち「自ずから生まれたもの/生むもの」、「自ずから然あるもの」という生命原理を内蔵する存在者である。したがって、ソクラテス以前の思想家たちの諸事物(自然物)の在り方に関する考え方は、言うなれば、植物的成長や動物的成長という自然の造化作用をモデルにした自然的存在論である。それに比べると、諸事物はイデアに従って作られて存在するというプラトンの製作的存在論(イデア論)は、「きわめて不自然な存在論であると言うことができよう。前者にとって世界は、「自ずから然ある世界」(自然物)であり、後者にとって世界は、「作られてある世界」(人工物)、いわば芸級の巨匠が制作した無数の作品を収める巨大な美術館である。

第7節 イデア論の歴史的役割とアリストテレスへの移り行き

 以上、プラトンにイデア論を簡単に紹介した。それは、パルメニデス(エレア学派)によって主張された理性の立場と、ヘラクレイトスによって感覚の立場の一種の総合であると言える。しかしプラトンは両者の立場を、デモクリトスのように永遠不変の原子の組み合わせを仮定することにより、両者を同等に保持したのではない。彼は、ヘラクレイトスの感覚の立場をパルメニデスの理性の立場よりも劣ったものし、感覚を理性に従属させた。すなわち彼は、理性(魂の目)によって捉えられる永遠不変の存在(イデア)を本当の存在(真実在)と見なし感覚によって捉えられる現実の世界(感覚界・現象界)を前者の模造品・写しとしか見なかった

 しかしながらイデア論は、職人の制作的行為をモデルにして考案されたもので人工物(制作物)にはよく当てはまるが、成長する生物(自然物)には厳密には当てはまらないなぜなら生物は、作られるものではなく、生まれて成る生きものだからである。たとえば、机のイデアは想像できても、生きた馬のイデアは想像できない。なぜなら現実の馬は、以前存在しなかったのに生まれ、成長し、老化し、死んで地の塵に帰るのに対し、馬のイデアは、永遠に不変不動だからである。プラトンのイデア論は、現実の世界の多種多様な生命活動や生成変化を説明することができなかった。このようなプラトン哲学の不備を補ったのが、次章で解説するアリストテレスである。

 ともあれ、ソクラテスによって要請され、プラトンによって明確な形を与えられた哲学客観的で普遍的な知識(の対象すなわちイデア)を探求する哲学は、時として形而上学という名で呼ばれつつ、その副産物である無機的な物質観とともに、以後の西洋文明をきわめて不自然な仕方で形成する指導的理念(理想)となった



[1] dualism対立する二つの原理(観点)、たとえば精神と物質、本体(実物)と現象(写し)などであらゆる事象を説明しようとする立場。

 

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