第二節

理性的被造物の創造・堕落・神化のプロセス

 

 他方、オリゲネスによると、神によって無から創造された被造物は、大別して自由意思を与えられた理性的被造物と非理性的被造物とに分けられる。特に前者の人間をも含む理性的被造物は、後者の非理性的被造物に比べて際立った品位(dignitas)を与えられており、神に似た者となることがその生存の目的であり使命であると考えられている。『創世記第一講和』の一二から一三および『原理論』第三巻六の一などによると(De Princ.,II,6.1;II,11.4;Comm.Jo.,XX,22;Hom.Ez.,XIII,2;Rom.,IV,5;De Or., XXVII,2; C. Cels., IV,3 ; IV,30;Comm.Cant.,II.)、『創世記』第一章二六節の「そして神は言われた。私たちは、私たちの像と私たちの似姿にかたどって人間を造ろう。」と二七節の「そして神は人間を造られた。神の像にかたどって人間を造られた。」という二つの節は、人間の尊厳性(magnitudo hominis)を示していると言う。つまり人間以外の被造物はすべて単に神の御言を通して造られたに過ぎないが、人間は、根本的に神の像にかたどって造られた存在者であり、「私たちの像と私たちの似姿にかたどって人間を造ろう。」という言葉によって、神の像にかたどって造られた人間は、やがて神の似姿にかたどって造られた有り方へと進むようにと神によって意思されているのである。しかも神の像にかたどって造られた有り方から神の似姿の実現へと進む可能性は、人間本性の根本を成すもので、いかなる罪によっても破壊されないとされる。つまり人間はいわゆる原罪によっても救いの可能性を喪失したという考え方をオリゲネスは採らないのである(Image.,206sq.;Hom.Gen.,XIII,4; Sel.Ps =PG.XII,1612B;Exhort.,XLVII;C.Cels.,IV,83)。

 こうしてオリゲネスは、人間は、自らの力量に応じてキリストを模倣し、神の像にかたどって造られた有り方から、神の似姿にかたどって造られた有り方へと進歩し(procicere)変容して(reformare)、遂には復活した栄光に輝くキリストに似た者となることができるし、またそうなるべきだと考えているのである。このようにオリゲネスにとって人間を始めとする理性的被造物は、神の像に即した有り方から神の似姿に即した有り方へと向う神化のプロセスの途上にある躍動的な存在なのである。ここでホワイトヘッドの用語を使って人間の生存の目的を言い表わせば人間の主体的目的(subjective aim)は神の似姿の実現である言えるのではないでしょうか。

 

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