「うお!唯ちゃん、チョコ大売り出し!?」
ようやく眠ったと思ったら、この奇声。
睡眠妨害だと言いたいところだけど、今はとりあえず眠りたくてブランケットを頭まで被った。
多分、まだ7時過ぎ。
「きゃーーーーなに、このお店ってスィーツなんて作ってんの!あ、限定!?うわっ、こっち、コレ、手に入らないって弥生ちゃんが言ってたヤツ!?」
「・・・・・・・。」
結局、ベッドから起き上がり、髪を掻きあげて時計をちらりと見た。
7時・・・前!6時50分・・・。
がくりと項垂れ、ベッドの上で溜め息をついた。
まだ視界にその姿は入れずに、目を瞑る。
なんでこんな早くから押しかけてくるかな・・・理子は。
バレンタイン前日ということもあって、昨日はかなりのゲストが店に訪れた。
不況のニュースが連日メディアを賑わせているというのに、店に来るゲストは限定品だとか高級菓子店の包みを抱えて、お目当てのホストにプレゼントしていた。
確かに、一時期ほどの勢いは衰えたとは実感しつつ、店の常連さんたちはまだ不況の煽りを受けていないの?とこちらが驚くほどだ。オーナーは流石に「昨年に比べたら厳しいよ」と零してはいたけれど。
もともとホストという世界に身を置きつつ、あまりその世界に明るくない俺にとって、それがどの程度の浮き沈みなのかはわからないのだけれど。もう一つの仕事の方が、余程煽りを受けてると思う。・・・とはいえ、こちらも俺自身にはほとんど関係がないこと。予約はずっと先まで埋まっている。
「凄いなー唯ちゃんって。」
とりとめのない考えに囚われていた俺を現実世界に引き戻すのは・・・いつだって理子。
愛しい彼女は、俺が貰って来たバレンタインのプレゼントを覗き込んで、歓声をあげているのだ。
気になる様子で袋を一つ一つ覗きこむ癖に、開けようとしないところが理子らしい。
「また"ちゃん"言ってるし・・・」
呟いて、だけど口元が緩むのを止められない。
俺は理子に対して甘すぎる。
自覚してみたところで、それが今更自分の中の気持ちを変えるモノになり得ないとわかってるから、性質が悪い。
寝室とリビングは大きく一つの部屋になっている。遮るものはソファーの後ろにある育ちすぎたタビビトノキだけだ。
音哉が運び込んだこの鉢植えは、理子が選んだソファーと一緒に無機質な室内をそこだけ優しい色合いに変えていた。
その葉の隙間から、早朝の訪問者を眺めれば、先日俺をセールに引きずって行って買った新しいコートを着ていた。
デザインはオープンカラーのロングだけど、やけに可愛らしく見えるのは真っ白だからかな。
白を敬遠してる理子にしては珍しかったけれど、こうして身に纏ってしまえばこれほど似合う人は居ないと思う。
「くそ、やっぱり可愛いじゃないか。」
思わず零した声は思っていたより大きな声で、俺は口元を押さえて俯いた。
「あー唯ちゃん!おはよっ!」
理子はプレゼントの山から顔をあげて手を振る。
無意識なんだろうか?理子はあのタビビトノキを越えてくることはない。
理子はタビビトノキからこっち側は"ベッドルーム"と呼んでいた。
それにしても、自分は俺を部屋に入れても、ベッドに呼びつけても・・・下着姿でウロウロしたりするんだけれど、ここではどこかぎこちなくなるのは気のせいだろうか。
まあそのくらいの線引きをしてくれていないと、無邪気に俺のベッドに上がられた日には自制する自信はないのだけれど。
にこにこと手を振る理子が小さな紙袋を両手に持てるだけ持って「唯ちゃん、今日何人にチョコあげるつもり?」なんて茶化してる。
この言葉がどこまで本気なのか、考えると恐ろしい。
「・・・いや、それもらったヤツだから。」
仕方がない、と溜め息をつきつつベッドから起き上がる。
上半身裸だったから、とりあえずシャツを羽織った。
理子は恥ずかしげもなく俺をじっと見つめ「ほう」とうっとりしたような息を吐く。
「唯ちゃんの寝起き、襲いたくなるくらい可愛い」
「理子あのね」
襲われるのは理子の方だから!と言いかけてやめた。
どうせわかりっこない。
チョコやプレゼントの包みの中で俺を見上げる姿は、あまりに無防備だ。
で、なんでバレンタインにこんな可愛いんだよ!?と、内心焦る俺って。
「・・・それで?理子はなんでこんな早朝に俺の部屋に来てるわけ?」
「えへ。合鍵、初めて使ってみた。」
チャリ・・・とキーケースから俺の部屋の鍵を覗かせて、理子は含み笑いをした。
「なんだかドキドキしちゃった!」
「・・・そりゃどうも。」
論点がずれてる気がするけれど、これもいつものことだ。
いつだって理子のペース。
苦痛に感じないのは、もうこのペースに慣れてしまってるからだろう。
「理子は今日、仕事休みなの?」
「え?あ、まさか。仕事だって。」
「じゃどうしたの?何かあった?」
「何かあったってわけじゃないけど。」
「お洒落してる?」
「あーきょうね、プレゼンなの。気合入れてみた!」
なんだ仕事・・・とほっと胸を撫で下ろす。
俺の様子に首を傾げながら、理子は自分のバックを引き寄せて、中から小さな袋を取り出した。
今度は俺が首を傾げる。
「何?」
「何って」
だって・・・仕方ないだろ?
理子からバレンタインなんてものは貰ったことがないんだから。
小さな頃なんて「ダンナさんにチョコは?」なんて言われて俺があげてたくらいだし、理子が中学生になった頃は「唯ちゃん一緒に選んでね」とかなんとか、その当時理子が憧れてた先輩とやらに渡すチョコを選んでたくらいだ。
一昨年は出張で1週間こっちに居なくてスルーされたし、昨年なんて「唯ちゃんに負けてないでしょ!」なんてチョコの数競う始末。
「一緒にホワイトデーのおかえし、買いに行こうね!」なんて言われたんだった。
そんな訳で、差し出された袋に俺は懐疑的な眼差しを向け、手を出すのを躊躇った。
理子は焦れたように俺の手を掴み、俺の手のひらにその袋を握らせた。
ラッピングされた袋から、理子へと視線を移す。
理子はほっとしたような笑顔を浮かべ、俺の視線に気づくと頬を膨らませて腕を組んだ。
「酷いよ。せっかくのチョコなのに。」
「・・・チョコなの?」
間抜けにも問い返した俺に、理子は「そうだよ!」と横を向いた。
ちょ、っと、何、俺の心臓!
こんな、こんなことくらいでドキドキしちゃうって・・・。
「理子?」
このチョコの意味は?
そう問いかけようとすると、理子はぞくぞくするような悩ましい瞳で俺を見て、少しだけ頬を染めた。
俺は理子を抱き寄せようとして、腕を伸ばした。
やばい、仕事いかせたくない。
「・・・初めて作ってみたんだ。」
「え?」
「・・・友チョコなんだけど、唯ちゃん味見してくれる?」
頭の中で、ラヴェルの「スカルボ」(*夜のガスパール 第3曲)が流れる。
複雑で不気味な旋律。
自由に飛び回る小悪魔・・・
理子はあの小悪魔だ。
「唯ちゃん?」
邪気のない顔で覗きこむ理子が憎らしくなる。
俺は伸ばしかけていた右手を理子の左頬にあてて、ぎゅっと摘みあげた。
「あ・り・が・と!」
一言ひとこと厭味たっぷりに声に出した。
「イタイ〜!!」とむくれる理子はやっぱり可愛くて、少しだけ赤くなった頬にちゅっと音をたてて口づけた。
瞬間、理子は真っ赤になって立ち上がる。
「ゆ、ゆいちゃ・・・!」
「"ちゃん"じゃない。」
「ちゅっって・・・!」
「ああ、お礼。友チョコの。」
目を細めて微笑むと、理子は口をパクつかせ「ううううううう」と妙な唸り声をあげた。
「何?また唇にして欲しかった?」と、唇に指をあてる。
理子は、思い出したように自分の唇に触れ悔しそうに俺を見上げた。
「唯、の、イジワル・・・」
これくらい許してもらわないとね?
お世辞にも手がこんでるとは言えない包みを開けて、理子からの初めてのバレンタインチョコを口に放り込む。
not sweet, it's sweet
「美味いよ。ありがと。」
思わず営業用の笑顔と口調で理子を見つめた。
理子が息をのむ。
真っ白にラッピングされた、俺だけの理子。
「今年はこれで満足です。」
理子からの初めてのチョコ。
それは、甘くないのに、とても甘い。
理子がくれる俺への気持ちと、それはよく似ていた。
2009.2.14up