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cubic love







何が真実なのか、私にはわからない。
ただ、私のプログラムには「誰かを愛する」ことは含まれていない。
なのに、何故?
この感情は、どうして増していくの?

真っ白な空間に、固いベットが一つ。
大きな窓には、人工の風景。
その窓の下には繋がれたままのパソコン。
椅子が2つ、床には無数に散らばったソフトとたくさんのコード。
コードは部屋中に点在する機械に繋がれている。
無機質で冷たい部屋。
微かに聞こえる音は、すべて機械が発する電磁波。
全てが「死んでいる」部屋で、ただ一つ息づく存在。
部屋の中央に無数のコードに絡まるように眠る、綺麗なヒト。
その姿は、まるで「眠り姫」のようで。
私はしばらく・・・この美しいオトコを見つめていた。

━━━またこんなとこで寝て・・・

溜め息と同時に、顔が綻ぶ。
張り詰めていた糸が、ぷつん、と切れた感じだ。
「ハカセっ、ここで寝ちゃダメ、感電しちゃう。」
ぺたりとその場に座り、柔らかな金色の髪に指を通す。
気をつけないと、私の関節に髪が絡まってしまうから、ゆっくりゆっくり梳いていく。
「・・・ん・・・、杏?帰ってきたの?」
ふるりと長いまつ毛を震わせて、ゆっくりと開かれた瞳は眩しそうに細められた。
真っ白な世界は、瞳に痛みさえ感じさせる。
次第に大きく開かれる青い瞳に、覗き込む私の姿が映る。食い入るように見つめられて、私はその間、瞬きをしないでハカセを見つめた。
「僕、また寝ちゃってた?」
コードに絡まった腕を苦笑しながらゆっくりと引き抜き、立ち上がろうとしている私に声を掛ける。
少し疲れた感じの声は、でも、柔らかくまあるい。
私の思考を包み込むような声色。
すべて投げ出してしまいたくなるような、そんな声。
ぼんやりとしながら立ち上がると、また柔らかな声がかけられる。
「おっと、このコードには気をつけて。杏のメンテに使えるように準備してたんだよ。」
そのまま寝ちゃったんだけどね。
複雑に絡まりあったコードは、どこに繋がっているのか、ハカセにしかわからない。
片手で髪をかきあげ、胸ポケットに入れてあった眼鏡をかけて、ハカセは微笑んだ。
私の胸の奥の方で、ビリリっと電気が流れる。
「・・・っ・・・」

ムネガ、イタイ。

苦しいのに不快じゃない。でもやっぱり苦しい。
ここのところ、何度も感じる。
それは、ハカセを見つめて居る時だけに感じる痛み。
ハカセが私を見つめる眼差しに感じる、痺れるような感覚。

これは・・・誰かを『好き』という気持ち?
━━おかしい。
私は・・・プログラムに・・・この感情を追加してはいないのに。

「おかえり、杏。」
急に真面目な顔つきで言ったハカセは、私の頬を両手で挟んで微笑む。

私は・・・プログラムに・・・こんな複雑な表情をインプットしてはいないのに。

「ただいま、ハカセ。」
「杏がここに居ると、ほっとするよ。」
「ほっとするのは、私のほう。」 ハカセと出会う前の私は、ゴミ置き場に捨てられた猫のようなもの。
いつもいつも、雨の中で私を抱き上げてくれる腕を探していたのだから。
「研究で・・・辛い思いはしていない?杏がイヤなら、やめてもいいんだよ・・・?指のメンテナンスもしようね。昨晩から作っていたプログラムを埋め込んであげる。もっと人間のようにしなやかに動くように。」
「うん」
私たちは立ち上がって、ハカセに手を引かれて椅子に座った。
ハカセは白衣に引っかかっていた3本のコードを無造作に引っ張りまとめて持ち、椅子に座った。
「お待たせ。杏。」
長い指が私のコートのボタンを器用に外し、そっと腕から抜き取った。
私の胸はまた痺れだす。
おかしい。こんな感情が生まれるはずがないのに?
私の戸惑いを感じたように、ハカセは不思議そうに私を見つめた。
「・・・?どうかした?杏。」
私は慌てて首を振り、背筋を伸ばしてハカセを見つめた。
「何でもない。研究は、辛くない。大丈夫。ちょっと追試を言い渡された感じだけど。」
どうしてもわからないプログラムについて。
ボディーを覆っていた服を丁寧な指先で全て脱がしながら、ハカセは「追試?杏が?そんな難しいテストがあるの?」とくすくすと笑っている。
肩口とひじにコードを繋ぎ、ハカセは小さなチップをポケットから取り出した。
「追試は、これからの研究に大いに役立つだろうね?」
キュイン、と無機質な音が室内に響き、ハカセは私の掌を掴み、人間の目では見えない蓋を探り当て、掌をぱっかりと開けた。
小さな手の中は、この室内と同じようにコードが張り巡らされ、赤や黄色、緑、青い電気が点滅している。
「ああ、杏。関節の間に砂が入り込んでる。」
エアーを吹き付けられると、人差し指第二関節の間から小さな砂が落ちた。
「気をつけなくちゃね?一応人工皮膚で覆われていても、こうして砂が入り込むこともあるから。しなやかに動かす為には、どうしても小さな隙間が開いてるから。」
「うん。」
私はハカセの金髪の下から見える眼鏡越しの瞳に吸い込まれるように、目を離せなくなっていた。

それすら、おかしなこと。
作り物の瞳であるのに、何故、そんな感覚に陥るのだろう?
瞳だけでなく。
触れられた手の平は体温を感じたりしないはずなのに、いや、生身の物ではないのだから・・・私の腕は偽物の腕なのだから、何も感じたりしないはずであるのに・・・。
繋がれた手からは・・・確かに温かな波動を感じる。
そうされることを心地よいと感じる。
おかしい。そんなはずはないのに。
ハカセから流れ込む感情まで伝わってくる、そんな錯覚まで。

『キミガスキ』

それは、頭の中がショートしそうなほど熱を持たせ、圧倒的な優先事項として他のプログラムを押しのけている。

『キミガスキ』

そんなはずは、ない、のに・・・。
また、胸の奥が痺れる。
不意に瞳が熱くなる。
「君が望むように『人間に近い』指の動きに近づく為に。」
これは、今までのプログラムより数段反応がいいはずだよ。
説明を聞きながら、時折体中を突き抜けるような痛みを感じて歯を食いしばった。
「・・・イタイ?もう少し我慢してね。」
ハカセは私の両手にチップを埋め込みながら、呟く。
「杏、君は僕の大事なヒトだから。」

ほら、また。

「本当はこんな痛みを与えるようなことはしたくないんだけど。」

そんな風に私の『感情』を揺さぶるの?

「僕にも痛みを与えて。僕が杏の痛みを感じられないのは・・・イヤだから。」
その一言は、私の中で麻痺しかけていた『心』を直撃して、どうしようもないほどの嵐を巻き起こす。
制御不能な感情は、ただ真っ直ぐに。

あなたが好き。

思ったときには抱きしめていた。
繋がれたままのコードが、そのままハカセに巻き付いていて、まるで棘に捕らわれたかのように見えた。
そう、ハカセは私に捕らわれている。それは私が・・・。
「杏?どうかしたの?」
胸の中でハカセが不思議そうに声を出す。

あなたには伝わらない。
私の鼓動が早く苦しく打っていることも。

「まだ、メンテは終わってないよ?それとも何かバグってしまった?」
「・・・・どうして?ハカセには・・・感情をプログラムしなかったのに・・・!」

何が起きているの?ハカセ、あなたの中で何が起きているの?
ああ、それとも、私がそう思い込んでいるだけなのかな?
独りぼっちの寂しさを埋めてくれるハカセに。
この何もない空間で、ただ一つ、私の心を癒してくれるモノだから。

ゆっくりと背中に回された手が、おずおずと力を増しながら抱きしめてくる。
布越しにも伝わる・・・冷たい感触。
それでも、嬉しい。
抱きしめてくれるこの腕が、私の心を温かく包んでいった。
だから、温かく感じる。
それは、科学では立証されない不思議な作用。
「杏?」
「なんでもない、なんでもない・・・」
涙が頬を伝っていくのを感じて、私はゆっくりと腕をほどいた。
見下ろした先には、私を見上げたハカセの青い瞳。
その瞳は・・・私が作ったもの。
その皮膚も、体も、声も、何もかも、私が作り上げたもの。
話し方も、仕草も、私がプログラムしたもの。
私の理想どうりに、私が作ったモノ。

━━━愛だとか恋だとか、そういった感情のプログラムは・・・ハカセには与えてないのに、何故?

なんて滑稽な姿だろう。
コードに絡まって、一つの塊となっている私たち。
両腕が作り物の私と。
そして━━━全てが作り物のハカセ。
私の手が作り上げた最後のアンドロイド。
今は、失くしてしまった私の両腕が。

何が真実なのか、私にはわからない。
作り上げたアンドロイドは戦いに使われた。
感情を持たないアンドロイドは、最前戦で使われた。
どれほどのアンドロイドが無意味な戦いで人の命を奪っただろう?
私の作ったプログラムには「誰かを愛する」ことは含まれていない。
そんなアンドロイド達が、何体破壊されたのだろう?
戦争に利用されることを・・・私が望んだ訳ではなかったけれど。
いつしか、心はずたずたにされ、私はゴミ箱に捨てられた猫のように、ただ泣く事しかできなかった。
救いを求めるように、私は『ハカセ』を作り上げた。
だけど、自分だけが助かろうなんて・・・浅はかな考え。
私は戦争で両腕と自由を奪われた。
残されたのは、『ハカセ』だけ。
私の頭脳を欲する人間たちに、唯一持つことを許された『非破壊能力のアンドロイド』。
それは、私に捕らえられてしまった憐れなアンドロイド。
なのに、何故?
ハカセは、プログラムにはない感情で私を包み込む。
そして、私はそんなアンドロイドを・・・愛してるんだわ。
この感情は、どうして増していくの?

「杏、僕は君のためなら・・・ここから君を連れて逃げ出すよ?杏は、もう、充分に利用された。そうでしょう?」
私は頭を横に振る。
「・・・いいの、いいのよ。私がしてきた・・・貴方たちにしてきた酷い仕打ちを考えれば・・・奪ってしまった命のことを思えば・・・ハカセだって・・・私に縛り付けられてるのよ?」
貴方の、創造主として。
それはインプットされたのよ?
「ごめんね。それでも、私は幸せだわ。ハカセが居るから」
ハカセはゆっくりと私の頬を伝う涙を冷たい唇で辿ると、また抱きしめる腕に力を込めた。
「・・・杏、僕は、ずっと一緒だよ。君が望むなら、僕は自分のプログラムを破壊してでも杏を守るから・・・」
「・・・・っう」
嗚咽を漏らす私の唇に、ゆっくりと重ねられたハカセの唇が、私の心の痛みを吸い取っていくようだった。

ハカセ・・・・貴方は、私の為に、存在する・・・人間よ。







2006,3,4




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