あ
マイブーム!姓名判断
最近のマイブームはなんといっても姓名判断である。
きっかけは、職場に姓名判断を少しかじった人がいたことにはじまった。
その人によると、私は結婚して名字が変わってから運気が下がったというのだ。旧姓時代は、なにか失敗しても周りに責められることなく、むしろ助けてくれたはずだとその人は言った。その人は私の独身時代を知らない。でもそれは当たっている。
なぜなら中学の時、クラスで飼っていた小さなカエルをまちがって踏み潰したことがあったが、責められなかった。むしろ「仕方ないよ」となぐさめてくれたものである。
それ以降、私は姓名判断のとりことなった。そしてよくよくリサーチしてみると、私の周りには姓名判断によって名前を変えてしまった人がわりと数多くいたのだ。話を聞いてみると皆、改名してから人生に対して前向きになっている。結婚してから運気が下がったと言われてしまった私としては、なんとも興味深い話である。
そして私の住む旭川には、姓名判断をしてくれる居酒屋があり、改名のアドバイスまでしてくれるというのだ。これは行かねば!!
・・・だが実際「あなたの名前よくないですよ」なんて言われたときのことを思うと小心者の私はいっぺんにまいってしまうだろう。
だから一回誰かについて行ってどんなものなのか見てみたいと思うのだ。
しかし私の再三の申し出にもかかわらず、誰一人として誘いに乗ってくれない。みんなを実験台にしようという私のもくろみがみえみえだからだ。このことが友人関係の亀裂にもなりかねないのである。
私は姓名判断よりも自分の友達づきあいについて考えねばならないらしい。なんとも、物悲しい。
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ゴンドラへの憧れ
このサイトを訪れるくらいマニアな人たちなら、私がつい最近(でもないが)結婚したことをご存知だろう。
教会での式と、結婚式場での披露宴をおこなった。
北海道では会費制が主流。料理も円卓から各々とって食べるのが普通。
私は大学が東京なので、本州の友達も多数出席してくれたのだが、みんな会費制や円卓などはじめてのことだったらしく、たいそう驚き、とまどっていたらしい。
だが本州の友達が度肝をぬかれたといっていたのが、「キャンドルサービスでのステージからの登場」であったらしい。もくもくとスモークをたいてノリノリで登場し、余興では、職場の友人たちが、かぶりものをしてステージ上で「お嫁サンバ」を歌っているのを見て、「北海道の人って派手なことが大好きなんだぁ・・・」とあっけにとられていたらしい。
だが私はステージとスモークだけでは大いに不満だった。昔からの夢である「ゴンドラ」に乗れなかったからである。
結婚式の打ち合わせにて最初に確認した事項もゴンドラについてだった。
「ゴンドラ乗りたいんですけど。」
「ゴンドラは去年でやめになりました。今はもうみなさんお乗りにならないですよ・・・。」
なにいい!!なんたること!そんなことなら去年結婚しておくんだった!そのときのショックはとても言葉ではいいあらわせない。水谷豊が伊藤蘭と結婚したときのショックといえばわかる人にはわかるだろうか。
「いやー、陽子の結婚式派手でおもしろかったわ。」
と今でもいわれるが、私にしてみたらあんなもん、
ただの「地味婚」にすぎないのだ。
←モクモクしている
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デーブ・スペクタ−について
私はデーブ・スペクタ−が好きだ。もうずっと以前から好きだ。そのことを高校時代の友人3人に話したところ、みんな見事にひいた。そして場の空気が悪くなったのですぐ話題を変えた。
しかしなぜだろう?なぜ彼は嫌われるのだろう。私は彼の言うことはなかなかウイットにとんでいると思う。なんかみんなデーブ・スペクタ−のことは嫌いって言わなきゃダメみたいに思ってるんじゃないんだろうか。それはちょうど、女だったらみんな赤ちゃん見たら「かわいい〜!」って言わなきゃならないって思うのと同じように。そんなくだらない先入観は拭い去ろう。
ちなみに今日インターネットで「デーブ・スペクタ−」を検索してみた。結構、というか予想以上に多く検索された。
だが!!それぞれを個別に見てみると、彼の扱われ方はかなりひどい。自分の自己紹介で「嫌いなタレント:デーブ・スペクタ−」と書いてあったりする。載せんなよそんなもん。わざわざ。自分の心にとどめとけよ。そんなツッコミをいれながら次々とサイトを開いていくと、一言、「世間のデーブ・スペクタ−の評価はあまりにも低すぎる」と言及しているものがあった。
そう!それだよ!!私がいいたいのはそこなんだよ。もっと評価してやってよ。頑張ってるよー彼は。
「とくダネ!」では小倉さんに冷たいあしらいを受け、「ザ・ワイド」では草野さんの薄い笑いにしらけムード満載である。
いいじゃん、金髪に染めてたって。いいじゃん、埼玉出身だって(それはやっぱり困るか)。
この私の意見に賛同してくれる人がいたら、是非、メールをいただきたい。反対意見のメールは受け付けない。だってそっちの方が圧倒的に多いもの。
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堀君という人
私の前の職場の同期に、堀君という人がいる。自称「人を見る目が無い男」である。彼は、我家への訪問回数NO.1である。しかもダントツ。
なぜNO.1なのか。理由は簡単。ヒマなのだ。
電話すればいつでもすぐ来てくれる。彼は我家に来るとまずきちんと鍵をかける。そして部屋に入ると玄関の電気まで消してくれる。そして昼寝までする。もちろんごはんもきちんと食べていく。多分自分の家だと思っているのであろう。いや、それ以上にくつろいでいるのかもしれない。
私達夫婦は彼が大好きだ。彼のいない週末はなぜだかあまりぱっとせず終わる(一応新婚と呼ばれているが)。
彼はトランプの大富豪を何時間もつきあってやってくれる。自分がかなり弱いにもかかわらずだ。不思議人間。
そして彼のもっともおもしろいところは、「けなされ、罵倒されてなんぼ」の精神をもっているところであると私は思う。
「あほじゃないの堀君。」
「堀君は人としてDランクだね(byT氏)。」
などという罵声をあびせられても笑って聞いている。自分がかまわれているのがうれしいというのだ。ちょっと、おかしい。
そんな彼も最近あまりいいことがないというので、マイブームを姓名判断とする私はすかさず、「名前変えたら?堀君。したら運気上がるかもよ。」と言ってみた。そしたら彼はすぐにまじめな顔で「じゃあ、森山仁(もりやまじん)がいい。」と答えてきた。やっぱり、なんか、おかしい。
それ以来彼は私達夫婦に「森山君」と呼ばれるようになった。私は彼のために森山仁名義の名刺を作ってあげた。非常に彼は喜び、友人達に誇らしげに渡していたという。あほだ。
彼は一人での旅行を好む。海外にも行く。ガイドと二人旅。台湾でつぼマッサージをしてもらい、片言で「カンゾウ、ジンゾウミンナワルイネ。」と言われて変な漢方を買わされたという。薬剤師なのに。「いやあ、話のいいネタになればと思って。」そんな理由で何万も払ってくる。えらいのかバカなのか。多分後者だ。
来年は韓国に行きたいのだという。でも一人で焼肉を食べるのはさすがの彼も気が引けるとのことで、私達夫婦と一緒に行きたいという。私としてはなんとも楽しみなのだが、それまでには彼女の一人でもいてほしいものだ。「韓国には悪いけど彼女と行くよ。」なんて案外言われるかもしれない。私達夫婦にとってそれはかなりさみしい一言になるだろうが、合コンで我を見失うほどはしゃいで飲みすぎてしまう彼を見るよりはいいのかもしれない。
でももうしばらくは遊んでね、森山くん。
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ミホ・サトウという友人
私にはミホ・サトウという友人がいる。普通の日本人なのだが、「さとうみほ」というより「ミホ・サトウ」のほうが合っていると私は思っている。まあそんなことはどうでもいい。
彼女とは中学・高校が同じで、本格的にしゃべりはじめたのは高校に入ってからであった。お互いの家は学校から全く正反対に位置している。なのに私たちは違うクラスになっても毎日一緒に帰っていた。ミホが「一緒に帰る。」と言ったからだ。帰るといっても玄関までたわいのないことを話し、玄関で「じゃあね」といって別れるだけ。それだけにもかかわらず、ミホが学校に残る用事がある時は、私ははそれが終わるまでずーっと待っているのである。待ったところで玄関で「じゃあね」といっておわり。
なぜそんなことになったのか。
それは、彼女のもつ、「ミホ・サトウの呪縛」にあると私は強く思っている。
彼女には決してさからえない。彼女は私に対して「さからうなオーラ」を強く発している。
こんなこともあった。大学時代、私は東京、彼女は神奈川だったため、休日にはよく二人で会っていた。二人で鎌倉へ出かけ、建長寺へ赴いたのだが、時間が遅く、入れなかった。悲しみの中、彼女はこう言った。
「建長寺にはじめて入るときは絶対うちら二人で入ろう。二人で入る前に他の誰かと鎌倉に来ても建長寺には行かないこと。」
そのひとこともまた、呪縛となった。その約6年後、私は別の友人と鎌倉へ向かった。日本史を選択科目としていなかったその友人も、建長寺は知っていたらしく、「いやー、うれしいなあ」といって建長寺へ入ろうとした。そのとき咄嗟に私の口から
「建長寺に入るわけにはいかない!」
という言葉が出てしまった。どうしてなの、とあたりまえの質問をする友人を振り払い私は駆け出し、
「ごめんなさい。ここで建長寺にはいったら私はもう生きてはいけない。」
と心の中で何度もわびていた。
まさしく「ミホ・サトウの呪縛」である。帰ってから「鎌倉行ったけど建長寺には行かなかったよ。」と一言うそを言えばすむ話だ。でもそれができない。
彼女にさからうことは自爆行為だ。
彼女が「朝8時の地下鉄で遊びにきなさい」といえば私は早起きをして彼女の家へ向かう。そのあと彼女のうちで昼寝をすることになってもだ。「昼寝なんかするんだったら午後からゆっくり遊びにくればよかった。」などとは口がさけても言えない。彼女が言わせないのだ。
このホームページもまた、彼女の気まぐれな「あんたホームページ作りなさいよ。」の一言でつくられていることなど、誰も知るまい。ホームページがなんたるかもよく知らない私に、ぶあつい本を読ませ、徹夜で頑張らせたのも、「ミホ・サトウの呪縛」なのだ。
だが、彼女は別に私のことはたいして特別視していない。彼女にとっての私など、「あんたが勝手に私の言うこと聞いてるだけでしょ。」と軽くあしらうにすぎない存在なのだ。そして、あんなに他の人と行くのを禁じた建長寺ですら、「う〜ん、ヒマがない。」の一言でいまだ保留のままだ。
おそるべし、ミホ・サトウ
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やすよという知人
今回は、やすよという知人を紹介する。友人ではなく、あえて知人と呼ばせてもらう。
彼女とは、高校1年の時同じクラスで、その時は確かに仲が良かった。高校卒業時までは確かに彼女は友達だった。あくまでも過去形。
高校を卒業してから、私たちは全く連絡をとりあわなくなった。もともとお互いに相手のことなど興味が無かったのだ。
彼女が生きている、ということはミホ・サトウに聞いて知っていた(ミホ・サトウについて詳しく知りたい方は、コラム「ミホ・サトウという友人」をお読みください)。私たちはミホ・サトウを通じて、かろうじて知り合いにとどまっていた。
そしてやすよと会わなくなってからちょうど3年後、ミホ・サトウから連絡がきた。
「大阪旅行いくよ。食いだおれの旅だから。食べる以外予定ないから。」
彼女の言うことは私にとっては絶対である。すかさず返事をする。
「はい、もちろんまいります。」
高校時代の友人たち総勢5人での旅だという。
ん?5人?4人まではわかる。あと一人誰だ?
「あのねえ、やすよも行くから。」
かくして私たちはミホ・サトウの命により再会することになった。旅行当日に。普通、旅行って親しい人と行くもんじゃないだろうか・・・とは思ったが、なにせ主催者がミホ・サトウなのだから口には出せず、旅行当日を迎えた。
私は少なからず緊張していた。やすよと何しゃべろう。そしていよいよ対面。
「いや〜ん、ようこぉ〜、げんきぃ〜?」
両手を振りながらバタバタと近寄ってきた。・・・しらじらしい。今まで何の連絡もよこさなかったくせに。
それでも私たちはその旅でわりと普通に友達らしき間柄になっていった。携帯の番号まで交換し、楽しく旅を終えた。でもやっぱりその後も連絡をとりあうことはなかった。
それからさらに2年たち、私の中でやすよという文字が消え去ろうとしていたその時、またもミホ・サトウから連絡があった。
「四国行くよ。うどん食べまくりの旅だから。それ以外予定ないから。」
「はい、もちろんまいります。」
「あのねえ、やすよと3人旅だから。」
かくしてまたもミホ・サトウの命により、私たちは再会した。旅行当日に。
「今度こそ私は、ようこに友達とよんでもらえる関係になるわ。」
やすよは思ってもないことをしらじらしく口にする。
「むりだね。あんたなんかせいぜい”えせ友達”くらいだわ。」
私はきびしく突き放した。
それでも私たちはミホ・サトウの仲介により、またも楽しく旅を終えた。だけどやっぱりその後も連絡をとりあうことはなかった。
それからさらに1年たち、去年、またもミホ・サトウの仲介により、私たちは札幌で飲んだ。う〜ん、やっぱやすよは友達とよんでいいのかも・・・という気になってきたそのとき、私は大阪で聞いたやすよの電話番号が、とうの昔に変わっていたことを知った。しかも、1年前四国に行ったときにはもうすでに変わっていたというのだ。一緒に旅に行きながら、そんなこともやすよは教えてくれなかった。しかもその事は本人の口からではなく、ミホ・サトウによって明らかになったのだ。
やっぱりやすよは友達ではない。私は確信した。
今年のお正月、10年振りにやすよから年賀状がきた。やっぱり、しらじらしかった。
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モンブランズ
前の職場にいたころに、同期のまさことケーキの話になった。
私はモンブランが嫌いだ。食べられないわけではないが、ケーキ屋に行って好きなもの10種類買っていいよと言われてもそのなかに絶対モンブランは入らない。かなり、自信がある。その話をまさこにしたところ、
「ええーっ!私モンブラン一番好きなのに!なんでぇ?」
と言ってきた。
モンブランが一番好き??信じられない一言を聞いた。そんな人いないと思ってた(マジで)。
すぐさま、近くにいた品のいい同僚に話す。
「ちょっと、まさこモンブラン好きなんだってぇ。おっかしいよねぇ。」
「え・・・?私も一番好き・・・。」
はあ??こんな近くにおかしい人2人もいた。
そしたらさらに、
「俺も絶対モンブラン!!」
と話に入ってきた男がいた。3人でモンブラン談義に花をさかせている。すっかり私の方が珍しい人になってしまった。疎外感。
私の周りはなんでこう変な人多いんだろう。
その時期ちょうど、職場で「カルタ大会」があり、その3人がチームを組んだ。
チーム名をつけなければならないが、いいのが思い浮かばないと悩んでいたので、私が「モンブランズ」と名付けてあげた。たいそう気に入っている様子であった。
そして大会ではあっさり負けてしまっていたのだが、終了後に3人でモンブランを食べて労をねぎらったという。入れないよそんな空間。妙な連帯感が3人を取り囲んでるんだもの。
その1年後もまた3人は「モンブランズ再び」というチーム名で戦っていた。なんだかとてもウキウキしているのが目に余った。
それ以来私はますますモンブランが嫌いになった。
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森山仁氏ついに姓名判断
ついにこの日がきた。姓名判断のできる居酒屋に行ってきたのである。でも私は小心者なので自分は占ってもらわない。ひやかし要員だ。占ってもらうのは他でもない、森山仁氏。もちろん「森山仁」ではなく本名で占ってもらった。
居酒屋に着いたときからもう彼はソワソワしていた。たいした飲んでもいないのにやたらとトイレに行く。
「いつ姓名判断をしてくださいって言えばいいんだろう。もういいかな。いや、もうちょっと飲んでからのほうがいいかな。タイミングが難しいな。」
そんなことばかり言っている。どうでもいい。だが変な緊張感が私たちをとりまいていた。
そしてついに意を決して姓名判断を依頼した。居酒屋のおかみに、
「ちゃんと覚悟しといてね!」
と言われてますます弱気になっている。
「やっぱり・・・悪い結果の人とかもいるんですよねぇ・・・。」
あたりまえの質問をしている。そしてやっぱりトイレに通っている。おもしろい。
「なんかボロクソ言われるんじゃないか・・・。」
という彼の予想に反して、結果は「全体的にいい名前ですよ。」というおもしろくない結果だった。
彼は事業を起こせば必ず成功するらしい。しかも少なくとも3代は続くという。孫の代まで成功するなんてすごいことだ。あなた絶対事業を起こした方がいい、起こさないのはかなりもったいないことだ、とその占い師は力説していた。
ところが彼はそんないいことを言われたのに、なんだか上の空でまたソワソワしている。彼にとって重要なのは事業ではなく恋愛運なのだ。でも小心者の彼はそのことを切り出せずにいる。ひやかし要員である私が変わって質問する。
「恋愛運はどうですか?」
その一言で占い師の顔が曇った。
「う〜ん・・・・。31才逃したらもう(結婚は)ないね。それラストチャンスだから。」
「ええ〜っ!!31才なんてもうすぐじゃないですか!もう2回くらいチャンスあって欲しいんですけど。」
「いや、無いよ。ま、頑張って!それよりあんた絶対事業やんなよ!!大成功するんだから!じゃあね!」
あっさりと彼の希望をはねのけ、占い師は帰って行った。
「すごいじゃん、事業絶対成功するってさ。」
私は興奮して彼に話しかけた。男の人は仕事関係でいい事を言われると誰だってうれしいはずだ。しかし彼はポツリとこう言った。
「事業なんか興味ない・・・。」
「人生の運は悪くても、恋愛運だけはいいっていう方がいい・・・。」
私は彼のその言葉に大爆笑してしまった。彼にとって事業の成功など二の次三の次である。恋愛運こそがすべてだ。その、彼のすべてである恋愛運はおせじにもいいとはいえない結果だった。
31才までにいいチャンスを逃さなきゃいい話じゃないか、ちっとも悪い話じゃないじゃないか、とみなさんは思うだろう。
だが、わりと近くで彼の生き様をみている私はこう思った。
「今の調子じゃ、十中八九、逃す。」
そして誰よりも強くそれを感じているのは、まぎれもない本人だ。
帰り道も事業の話はでなかった。なんか暗い感じになっている。
景気づけに、我家で飲みなおしの2次会をやろうということになった。だが彼はウーロン茶を静かに飲んだだけだった。
「大富豪やろう、森山君!」
20戦行い、彼は14回ビリだった。もうフォローの仕様がなかった。
せめて、今日くらい、いい夢をみてほしい。ただそれだけ願った。
でもこれでまた当分遊んでもらえるな、とも思った。
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まったりチーム
今回は、まったりチームについてご紹介しよう。
まったりチームとは、私も含めて高校時代の友人3〜4人より構成される(人数からしてあいまい)。
その名の通り、まったりとした人たちの集まりだ。
構成メンバーについて詳しく説明するととてもこのコラムは終わらないので簡単にしておく。
まさは自分の家とテレビをこよなく愛する。あやちゃんは教会でドレスの裾を巻き込んで歩けなくなった。しらちゃんはどんなにひどい写真でも「でもよく撮れてるよ。」とのフォローを欠かさない。こんな人たちだ。
しらちゃんは去年の春より札幌へ行ってしまったが、他はすべて旭川に住んでいる。高校時代からかなり仲が良かった人たちであり、みんな旭川に居るのだから頻回に会っていると思われがちだが、このメンバーが集まるのは年に1〜2回あれば多いほうだ。事実、2000年は1度も会わなかった。2001年は結婚式などがあってかろうじて会った程度。みんな出不精、めんどくさがり。年賀状にも「今度会えるのはいつなんだろうねぇ。」と他人事な感じのコメントが書かれているくらいだ。
会わずとも、メールや電話などは頻回にしていてもよさそうであるが、それもあまりない。なので久々に連絡をとるときにはお互いに「生きてるの?」から始まってしまう。
みんなが会う時はお互いかなり久しぶりなので、かなり盛り上がるかと思いきや、そうでもない。たいてい誰かの家でだらだらゴロゴロして終わる。まんがとか読んでたりする。
何年か前に、まったりチームには珍しく「海に行こう!」ということになった。道中はかなり車の中で盛り上がったのだが、いざ海に着いてしまうとなんだかみんな疲れてブルーになり、海に背を向けて、「これからどう生きていけばよいのか」という話を30分くらいしてそのまま帰ってきたことがあった。テンションの続かない人たちなのだ。慣れない事をしてはいけない。
以前ミホ・サトウの主催で大阪へ行った時も、朝早くのJR(千歳空港行き)に乗るのがめんどくさいとの理由で(ちょっと早起きすればなんてことないのだが)、みんな前の日からきっちり休みをとり、前泊をした。しかも普通ならその前泊も早めに行ってちょっと札幌で遊ぶくらいはしそうなものだが、私たちに「札幌で途中下車」などというめんどくさい選択肢は無い。日中はそれぞれまったりと過ごし、夕方にだらだらと集まって千歳へ直行し、ごはんを食べて早々に寝た。
行動力のかたまりであるミホ・サトウに言わせれば「信じられない人たち」であり、「時間を無駄に使う人たち」なのだという。その旅は札幌からミホ・サトウ、やすよ(えせ友達)、そして旭川からはまったりチーム3人(まさ、しらちゃん、私)が出向いた。札幌チームは行動力があり、好奇心旺盛なので、自由行動では2人であちこちと走り回っていたが、我らまったりチームは、旅に出てまでも「めんどくさいね」との理由から行動範囲狭く、精進料理とかおしることかだらだら食べて過ごした。のちに合流した際に、あまりの行動範囲の違いにかなりびびってしまったのを覚えている。
まったりチームの人々は、自分たちがダメ人間であることをきちんと自覚している。そこが素晴らしいところだ。誰も率先して何かしようとしない。でもチームは成り立っている。それでいい。
「年明けたらすぐ新年会やろうね!」といいながらもうすぐ1月も終わる。いつものことだ。まあ誰も本気で新年会をやろうなどと思ってないのだろう。めんどくさいからね。それに寒いし。
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四国3人旅
以前にもコラムで若干触れたことがあるが、1年半ほど前に四国へ行った時の話をちょっとしてみようという気になった。
ミホ・サトウ、やすよ(えせ友達)との3人旅。主催はミホ・サトウ。旅の企画はミホ・サトウとやすよの2人で進められた。この人たちは私にまったく旅の日程を教えない。ただ、「うどん食べまくりの旅」ということのみしか教えてくれなかった。
「教えてくれなきゃ準備のしようがない。」と言うと、「じゃあ、決めうちして自分で考えて準備しなさい。」と言われた。なんであてずっぽうに旅の準備をしなければならないのか。不条理きわまりない。
それでも当日には旅の全容が明らかになるだろうと思っていたが、彼女たちは当日になってもかたくなに予定を教えてはくれなかった。
「ねえ、着いたらどこ行くの?」
「まあまあ。悪いようにはしないから。」
あたりまえだ。悪いようにされたら訴えてやる。
そして四国へ着いた。ミホ・サトウは手際よくレンタカーを借りる。事前に、「マーチじゃないと運転できません。」と交渉して無理矢理マーチを手配してもらっていたらしい。さすがだ。ミホ・サトウの影響力はもうすでに外部にまで及んでいる。
「だれ運転するの?」
「んー・・・どうする?あんたする?」
かくしてどこに行くのかもわからない私が運転を任された。どういうことだ。そして誘導されるまま、途中、1mmでもずれたら脱輪しそうな狭い道や、目の前にあるうどん屋に気付かず何度も同じ道をぐるぐるまわったりしながらうどん屋を渡り歩いた。
彼女たちは非常にアクティブであり、スケジュールが分刻みだ。行動範囲も限度を超えている。
「次、道後温泉。」
「どこにあるの?」
「んー・・・100 km以上。ま、高速あるから。今(昼過ぎ)から行って、つかって、夜帰ってきてまたうどん食べよう。」
もうこの時点で私はついていけないと判断し、運転を変わってもらう。お風呂に入るという目的のためだけに雨の高速を飛ばす。すごい人たちだ。彼女たちは自分たちのスケジュールになんの疑問ももたない。こっちは疑問だらけだというのに。
「いやー、食べ過ぎて胃がもたれた。ようこ、胃薬ちょうだい。」
「うん。・・・あ、トランクの中だ。」
「・・・・。」
ここは高速。止まって出すことはできない。罵声が私を襲う。
「このダメ薬剤師!」
延々と説教をうけた。不条理さならこっちのほうが断然上だというのに。
これ以外にも、無駄な写真を撮りすぎて肝心の場所でフイルムがなくなってしまい、高級料理屋でお互い相手のせいだとののしりあったり、醜態をさらした旅であった。
結局、こんな調子で、振り返ってみれば、たった2泊3日で四国中を引きずり回されることになった。
2人はとてもご満悦であった。帰りの飛行機では口々にすばらしい旅だったと言い合っていた。私は言いたいことは山のようにあったが、
「ま、ミホ・サトウがご満悦なら世界は平和だ。」
と自分をなだめることにしたのであった。
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私のものまねネタ
私はものまねがうまいと自分では思っている。
「鈴木あみ」「山崎まさよし」「山崎努」「福山雅治」「三宅裕司」をはじめ、身近な人物までその多種多様なものまねは絶品である。秀逸といってもいい。だが、人前で披露して拍手をもらったことは1度もない。むしろその逆で、罵声をあびせられることのほうが断然多い。
なぜか。みんな私の才能をひがんでいるのか?と思ったが、みんなの意見を聞くとどうやらそうではないらしい。
ものまねを披露する時間帯の問題なのだ。みんなで旅行をしてひとしきり遊び、さあ寝ようか、という段階になって部屋を暗くした途端、私のオン・ステージを始めてしまうところに問題があるようだ。それも同じネタをくりかえし、くりかえし。
ちょっとでもみんなの反応が鈍ると名指しで起こしにかかる。
「しょーじー、起きてますかー?」
そして誰も聞きたくもないのにリクエストをとったりする。
「次何歌って欲しい?」
「寝かしてください・・・。」
「だめ。じゃあ、山崎まさよしね。」
「またですか・・・。」
とこんな具合だ。
以前職場の同期とディズニーランドに行ったときはもう絶好調であった。となりで寝ていたちえという友人は本気で枕をぶつけてきた。失礼きわまりない。次の日は私以外、みんな寝不足でどんよりしていた。
私の歌う『桜坂』を聞いて、大好きだった歌がもうまともに聴けなくなった、という苦情もいただいたことがある。
でもやめる気は全く無い。これからもどんどんみんなを楽しませていこうと思っている(楽しんでくれている人がいるのかどうかはこの際気にしない)。
そして現在、「田中真紀子」を取得中。はやく披露したい気持ちでいっぱいである。
だれか一緒に旅行に行きましょう。ふふふふふ・・・。
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森山仁の大富豪の戦い方
以前、ここのコラムで『マイブームは姓名判断』と書いたが、私の中でそのブームはもう去ってしまった。今はなんといっても『大富豪』につきる。なんで今頃大富豪なのか。久しぶりにやったら思いのほかはまった、というだけのことである。
でもこの大富豪をやる条件として、欠かせない条件がある。
『森山仁の存在』だ。
カードゲームにおいて、顔色を読まれてはいけない、というのは常識だ。しかし彼の顔色は非常にわかりやすい。敵であるはずの私が注意してしまうほどだ。
まず、非常に弱い手の時はカードを見た瞬間、悲痛の叫び声をあげてその場に倒れ込み、自分がいかにひどい手であるのかをベラベラとしゃべり出す。それを見て周りは「あ、こいつはザコだ。」とわかってしまうので、非常に冷たいあしらいをうけ、森山氏が1枚もカードを出さないうちに勝利者がでてしまうこともある。
そしてかなり強い手であった場合、途端に何もしゃべらなくなる。背筋ものびて、なんだかこわばっている。それを見て周りは「やすやすと勝たせるわけにはいかない。」として、革命をおこしたりする。そして革命をおこされた彼は逆に弱い手に変わってしまうので、先述したように叫び声をあげて倒れ込む。わかりやすすぎる。
じゃあ、弱くもなく、かといってすごく強いわけでもない手であった場合はどうなるの、とみなさんは思うだろう。その場合ももちろん法則がある。人の顔色ばかりをうかがい、相手の残りのカード枚数を細かくチェックし、素直に出せばいいものを一人で勝手に悩みぬき、敵のハッタリをすべて間に受けて小心者になり、その結果強いカードを出し惜しみしすぎて、そのくせわけのわからない時に無意味な勝負に出てあっさり阻まれてしまうという、いわば『自爆』ともいえる負け方をする。
そしてもう一つ、彼が勝てない理由がある。ちょっと自分が余裕あるときには、戦っている最中に「最近コラム増やしてないね。」とか人が気にしていることを言ったり、自分が勝ったときには、人に向かって「あそこで2を出されてたらもうちょっと違った展開になっていたね。」などと評論家口調になったりして敵の逆鱗に触れてしまい、仕返しをされてしまうのだ。口は災いのもと、という言葉を29にもなって知らないのである。
結局、彼はどうあっても勝てないのだ。なのに「今日大富豪しない?」と誘いをいれるとあっさり「うん、やる。」という。やればかなりの罵声を浴びせられて心寂しく帰ることになるのに。
彼が帰ったあとは、私はいつもダンナに説教される。「あそこまでけなされたら俺ならもう来ないね。」と言うのだ。そうかなー、いや、そうかもしれない、今度来たらあやまろう、と私も反省してみた。つい昨日、森山氏がまたも大富豪をしにやってきたので、
「ほんとはやりたくないって思ってない?ほんとにおもしろいと思ってやってる?」
とおそるおそる聞いたところ、彼は
「うん、楽しい。」
と即答してきた。私の心配は全くの杞憂であった。逆に、やさしさの手を差し出したことがばからしくなるほどだった。彼はバカなのだ。罵倒され、けなされてなんぼのバカだったのだ。忘れていた。
本当ならこのコラムは書きたくなかった。これを読んで彼が学習し、手の内を顔色に出さないようになるかもしれない、と思ったからである。でもそれも多分杞憂にすぎないだろう。彼に学習能力は見受けられないからね。きっとまた次も同じことをやってくれるだろう。
それでこそ、森山仁なのだ。
(おまけ)
昨日までの大富豪191戦(よくそんなにやったな)について、ダンナが徹夜で個人成績表(アベレージや勝率などを表・グラフ化して比較した顔写真入りの大作)を作成した。
大富豪を+1、平民を0、ど貧民を−1として点数化したものによると、「ダンナ+2」「私+13」そして森山氏は「−15」という、日本経済もビックリのマイナス値となった。これで第三者的にも彼が弱いことが証明されてしまったのである。
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DAM-dam club についての一考察
ミホ・サトウの「あんたHP作りなさいよ。」の一言からはや4ヶ月。そして2002年1月1日にHPを公開してからもう3ヶ月になろうとしている。
当初の予想では1日アクセス5件目標でスタートしたが、世の中には物好きが多いと見えて、予想をはるかに越えたアクセス数に達している。ありがたいの一言につきる。
私はいつも1日1回はHPをチェックしているが、そこから得たDAM-dam club
へのアクセス件数に対する考察をしてみた。
1番アクセスが多いのは日曜夜。特に21時以降に結構集中して増える。これは何故か。
『明日(月曜)からまた働かなければならないことからの現実逃避』
だと私は思っている。
「あ〜、明日からまためんどくさい1週間だ。あ〜、うざい。」との思いから、くだらないサイト(DAM-dam
club)へアクセスして少しでも現実を忘れようという行為に走っているのだろう。
その証拠に金曜夜はそれほどアクセスが伸びない。
『花の金曜日に家でパソコンなんてやってられっか。遊ぼうぜ〜。』
ということか。なるほど、正直だ。
そして月曜もわりと少ない。おそらく、
『昨日の夜 DAM-dam なんか見てたから今日目覚め悪かった。
今日はそんなくだらないもの見ないでさっさと寝よう。』
ということだろう。うむ、賢明だ。月曜になってしまうといやでも現実を直視しないとならない。週のしょっぱなから現実逃避なんかしてしまうと確実に社会から追われてしまう。こんなサイトを見ている場合ではない。
・・・と、アクセス数に関してはこんな感じだ。まあ、どんな理由であれ、このサイトを訪れてくれることはとてもうれしい。訪れた人たちが本当に満足しているのかどうかはこの際全く気にしていない。気にすると多分、へこむ。
自分自身としては、人に言われて強制的に作らされたといっているわりには、かなりこの
DAM-dam club には愛着がある。『今日のひとこと』なんていう、よせばいいのに毎日更新するコーナーを作ってしまったばっかりに、外泊ができない。なんともアホくさい。そんなに更新を待ちわびている人などいないことくらいわかっているのだが、毎日、「更新しなくては!」との使命感にかられている。
でも、この間今日のひとことにも書いたが、HPの値段鑑定を行って『50万円』との結果が出た時には、もう『売りたい』しか頭になかった。
結局、どうでもいい。
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サイト考察
HPをつくるようになってから、1日の中でパソコンに占める時間の割合が多くなっている。仕事が早く終わるようになったこともあり、帰ってきてから家の事を終わらせた後でも、ダンナが帰ってくるまでには結構な時間がある。その間はTVとパソコンの同時進行を行っている。
そうなると当然、色々なサイトを見る機会も多くなる。そこで思ったことをちょっと書いてみる。
1.むやみに音がなるサイト
ページを開くたびにオルゴールのような音が鳴り響くサイト。
これはわりと迷惑。夜だとかなりびっくりする。
どんなにいい音楽でもちっともなごんだ感じがしない。
使うのはせめてトップページのみにしていただきたい。
2.自己紹介
これも個性様々。
名前とか横文字のハンドルネームを使い、出身などもあやふやに書いて、
個人情報が漏れない(悪用されない)ようにしておきながら、最後に堂々と
おもいっきり『顔写真(それもかなりお気に入りショットと思われる写真)』を
載せているのはどういうことだろう。それなら名前も堂々と載せたらどうな
んだ。
しかもそういうのに限って写真のコメントに『かわいくなくてゴメンネ♪』
とか書いてある。なら何故載せる。そして最後の♪マークはなんだ。
明らかに、『一応そう書いておくけどでもかわいいでしょ』と言っているよう
だ。おかしいだろう、さすがに。
3.掲示板へのコメント
HPをつくっている人なら誰でも、掲示板に全く知らない人が訪れてくれて
「素敵なサイトですね」なんて言ってくれるととてもうれしくなるだろう。
ネット上でしかありえない出会いは貴重だ。
ところが最近、Web素材のサイトで「掲示板にひとこと書いてくれるととっ
てもうれしいし、はげみになります。レスも必ずつけますので、是非、あし
あと残していってください。」と書いておきながら、書き込みしてくれた人に
とても失礼と思われるレスをつけているのを見つけてしまった。
訪問者「はじめて遊びに来ました。アイコンがとっても気に入りました。
これからもよろしくおねがいします。」
管理人「う〜ん、特に言うこと無いけど、
ま、とりあえず書き込みありがと。」
なんじゃい、こりゃ。
「言うこと無い」って・・・・。
「う〜ん」って考えておきながら「言うこと無い」って・・・。
しかも「ま、とりあえず」なんて流しやがっている。
そして「ありがとう」ではなく「ありがと」である。たった一文字の「う」まで
端折っている。
「はげみになります」なんていう謙虚な姿勢はどこへ行ったんだ。
この管理人に何か人間不信に陥るようなことがあったのだろうかと、逆に
心配になってしまった。
4.語尾がおかしい。
これはかなりの確率で出会う。
『なのらぁ〜』とか、『ごじゃるじゃる』とか、『だっぴょ〜ん』とかとにかく
連発し、こちらが恥ずかしくなってしまうことが多い。
実際会ってみるととてもまじめな人だったりする。ま、でもネット上だけでも
いつもの自分とは違うキャラクターを演じてみたいという気持ちは全く
否定しないので、これに関してはそれほど腹立たしさは感じない。
実際会ってみてもこんなキャラクターだったらかなり問題だが。
・・・こんな感じだがいかがなものだろうか。わりと同じこと思っている人も多いのではないか。「でもおまえの DAM-dam club もたいして変わらんぞ」と言われたらそれはそれでかまわない。真摯に受け止めよう。
では、最後にひとこと。
『これからも皆様のご意見、お待ちしてるにゃりぃ〜。
どしどしご報告くだしゃれ〜♪』
・・・ほら今かなりむかついたでしょ?そういうことさ。
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薬剤師の目分量
私は薬剤師だ(何も威張って言うことではないが)。
簡単に言ってしまえば薬を調剤して患者さんに渡すという仕事。
なので毎日粉薬も計量しており、だいたいどのくらいが10gだとかは感覚として身についている。そうでなければならない。
先日、入浴剤を買った。今までは、1回使いきりになっているものを使用していたが、最近私のマイブームに『半身浴』が加わったため、使いきりのものではもったいないことに気付いたので、自分で計って入れるタイプのものを購入した。
『ほのかなゆずの香り:800g』
一回量は25g。ということは、単純に計算して半身浴の湯量では1回15g程度。800gもあれば50回以上はゆうに使用できる。お得だ。
早速使ってみる。薬剤師のプライドとしてもちろん目分量。15gは大体こんなもんだ、という量を入れる。
使用して4日後、ダンナが、
『いやにお湯黄色くないか?そしてすげー匂いだぞ。』
と言ってきた。
私もうすうすと気付いていた。『ほのかなゆずの香り』と書いてあるわりには自己主張の強い匂いだと思っていた。
『おまえ、ちゃんと計って入れてるか?』
・・・・・・。いいえ。
よく見てみると、ふたの部分のすりきり一杯がちょうど15gだと書いてあった。それで計ってみた。
私が3gくらいだと思っていた量だった。
あせって残りを確認する。
半分くらいになっている。
正確に15g計って入れたお風呂は、きちんとほのかな香りがし、色も普通の黄色であった。
《結論》
『仕事場での知識は外ではたいして通用しない。』
もしくは、
『私は薬剤師には向いていない。』
うん、多分後者だ。
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人生ゲーム
子供の頃、人生ゲームで遊んだ記憶をお持ちの方は多いのではないかと思われる。私も類にもれず遊んでいた。
そして皆、子供の頃は『ただお金がいっぱいたまればいいや』みたいな感覚でゲーム上の細かいルール(株券など)は無視し、進化したすごろくみたいな気持ちでやっていたのではないだろうか。
だが今あのゲームをやってみると、かなり気になる点がいくつもあった。ちょっとご紹介してみる(ちなみにここで話すのは初代の人生ゲームではなく、多分その次あたりのもの)。
まず、人生に一貫性がない。
職業が教師(最初に止まったマスで職業が決まる。教師以外にも医師や建築家、弁護士などというマスもある)でありながら、逃げたサーカスの象をつかまえたり、ウラニウム鉱山を発見したり、ダービーのもち馬をもっていたり、ついには油田まで発見してしまったりする。
それ以外にもはじめて書いた本がベストセラーになったり、TVのゲームショーで勝ったりと、かなり有名人にもなれるのだ。
本当に一個人の人生ですか、と口に出してしまうほどに、規模が大きい。
でもそれだけ儲けているにもかかわらず、本業の教師を決してやめることなく、地味に給料をもらい続けている。500ドル払って人間ドックに入ったりもする。意外と地味で健康マニアだ。
そして晩年を迎えたところで、ダイヤのイミテーションを買ったりする。
なんで石油王にもなってイミテーションなんですか、とは言ってはいけない。とまったマスの命令には必ず従うのだ。それが人生。奥深い。
そしてこのゲームで一番恐ろしいと思われるところは、『仕返し』というマスがあるところなのだ。別に過去に誰かにいやな思いをさせられていなくても、そこにとまれば、誰かに10万ドルもらうか、誰かを15マス戻すという仕返しを強要される。
・・・・・・こわい。
でもお金を要求されるのも確かにいやだが、何もしてない相手に人生を戻されるというのもかなりな話だ。
それ以外にも人がお金をもらうときに、その半額をもらえるというラッキーカードというのも存在するのだが、それもどうだろうか。何の理由もなく人のお金を半額横取り。
・・・・・・訴えられます。
大丈夫なんだろうか、このゲームは。対象年齢9歳以上となっている。9歳・・・。いいんだろうか。
ウケたのは、『ゲームをはじめる前にじゃんけんで銀行家をきめます』と書いてあるところだ。じゃんけん以外で銀行家を選んではいけないらしい。
でもこのじゃんけんという響きが、かろうじて子供らしさをかもし出しており、ちょっと安心した。
大人になったあなたも、ぜひもう一度、人生ゲームをしてみて欲しい。
きっと、普通の人生が一番いいことに気付くはずだ。
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私のNG曲
今日のひとことにもちらりと書いたのだが、今回久々のコラムは『私のNG曲』というタイトルで押してみよう。
私が勝手に嫌いなだけなので、別にその曲が好きだという人までうとましく思ったりはしない(多分)のでご了承願いたい。
まずはダントツで『それが大事(大事MANブラザースバンド)』。もう何がダメってグループ名からしてダメ。漢字と中途半端な横文字を組み合わせている時点で私の逆鱗モードに触れている。確かボーカルの顔も馴染めなかった。でも当時この歌が大流行したのでカラオケに行けば誰かが歌い、みんな大合唱になるというパターンがとてもつらかったのを覚えている。
基本的に、みんな頑張っていこう、みたいな曲はうけつけない(以前この話を友人にしたところ、それは協調性がないからだ、とあっさり言われたことがあった)。
なので同じコンセプトの『愛は勝つ(KAN)』もNG。
♪し〜んぱ〜いないからねぇ〜♪という出だしがもう腹が立つ。なんでお前にわかるのよ、という感じだ(同じくこの話も友人にしたところ、随分悲しい人生を送ってきたんだね、となぐさめられた)。
KANは、この曲が売れた年、紅白に出場したが、モーツアルトをイメージした衣装がとても寒々しかった。
友人に、『最初で最後の紅白でやっちまったね。』と言ったところ、『何いってんの。これからも出続けるって!』と怒られたが、私の予見どおり、その後も彼は紅白に出ることは無かった。
あとはZARDの『負けないで』もNG。日本TVの24時間TVでのマラソンのラストは必ずこの曲をエンドレスで歌っていた。うんざりだった。
一番最近では『おっととっと夏だぜ!(EEJUNP)』。
コメントのしようが無い。初めて聴いたときに浮かんだ言葉は『世紀末』。この曲に関しては私の意見に同意してくれる人が多いのがうれしい。
まだまだあるのだが、かなりメジャーで熱狂的なファンが多い人のことを書くと私の存亡が危ぶまれるのでこのあたりにしておく。
お読みになってお解かりのことと思うが、私のNG曲はみな、ヒットした曲である。なので、ラ・ムーの『愛は心の仕事です』みたいな売れてない曲ははじめから除外ずみだ。っていうか、今時ラ・ムーを知ってる人いるんだろうか。菊池桃子が脱アイドルをする為に結成したグループである。歌のトップテンにて司会の堺正章に、『すごく大人っぽくなって桃子ちゃん、変わったよね。』と社交辞令を言われて本気にしてうれしくて泣いてしまったという逸話のある伝説のグループだ。
当時は、このまま菊池桃子消えてしまうんだろうか、と本気で心配してしまったほどであった。今でこそ『追いがつおつゆ』のCMで好印象をあたえている彼女も、実は辛い過去があったのだ。無事に戻ってこれてよかったね、菊池桃子。これからも『空にSAY YES!』みたいな感じで頑張って欲しい。
・・・・・・話がかなりそれてしまった。いつのまにか菊池桃子応援コラムになってしまったことをお許し願いたい。
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