Casa ( Chapter2) 1 |
俺の一生は、嘘しか無かった。 漆黒の夜の海で、波に呑まれながらカーサが思う。 昨日、10歳になったばかりだった。 容赦無く胃に流れ込む海水に、身体がガクガクと痙攣する。僅か十年分しかない思い出が、 気狂いのようなスピードで次々に頭の中を駆け巡っていく。それなのに、思考はまるで 冷えたタールのように重たるく醒めていた。 『嘘付きカーサ』 それが自分の地上でのあだ名だった。嘘付きなガキ。正直さなんて欠片も無い糞ガキ。 何時から何て覚えてもねぇ。物心ついた時から、俺は嘘付きだった。 俺の両親も、嘘付きだった。 あちこちに取り入り、調子のいい嘘を並べ立てた挙句、ちんけな詐欺を働いて取引相手に 刺し殺された父親。 場末の酒場で、見え透いた嘘ばかり吐いていた厚化粧の唄歌い。あんたさえいなければ、 が口癖だった母親。10歳もサバを読み、子持ちなんかじゃない、と痩せぎすの身体を くねらせてパトロンを漁る姿は、酒場中の冷笑の的だった。挙句、最後は本当に子供を 捨てて出て行った。 そんな二人の餓鬼なんぞ、嘘付きで当たり前だ、と町中の人間が言っていた。 だって、しょうがねぇじゃねぇか。 陰口を叩かれる度、そう心の中で言い返していた。 じゃあどんな人生が俺等にあったって言うんだ。嘘をつく以外。 嘘をつく時だけが、上等な人間になれる。 金周りが良く、大事な取引を任される、重要な男に。まだ若く、足かせになる子供もない、 華やかな歌姫に。 俺は親父もお袋も愛しちゃいねぇ。あいつ等だって、俺なんか愛しちゃいねぇ。 あいつ等は最初から最後まで、自分の事しか頭に無かった。あんな奴等の子供だって、 思うだけで虫唾が走る。 だけど、分るんだ。 あいつ等の気持ちが。あいつ等が嘘を吐き続けた理由が。 あいつ等みたいな奴は、嘘をついてる時の方がまともなんだ。嘘を吐いてる時だけ、一人前 の台詞が吐ける。世間がまともに見てくれる。まともに相手してくれる。 世の中から弾かれねぇ、ちゃんとした「人間」になれるんだ。 俺も、あいつ等の同類だ。 嘘をついてる時だけ、「人間」になれる。世間にまともに見て貰える。 碌な見かけも、血筋もねぇ無一文の孤児。チンピラ詐欺師と売女の子供。ひょろひょろと 可愛げ無く伸びた身体。笑う度、小狡そうにつり上る青白い唇。常に何かを企んでいる ような、細く白眼の勝った不気味な瞳。 どれも俺のせいじゃねぇ。俺が自分で選んだものじゃねぇ。 だけど、そんなのは理由にならねぇ。 誰も、こんな餓鬼の面倒は見たがらねぇ。引き取ってやろうなんざ、夢にも思わねぇ。 人は生まれや外見じゃない、と言いながら、実際手元に引き寄せるのは見栄えのいい、 血筋の奇麗な餓鬼ばっかりだ。 それが、世間の本音なんだ。 俺みてぇな餓鬼、本当は誰もいりゃしねぇ。 「本当」なんて、俺には何の価値もありゃしねえんだ。 そう思ったから、俺は嘘をつき続けた。 嘘で小銭を稼いでは、その日その日を食いつないだ。 俺みてぇな風体の餓鬼が人を騙すのは、小奇麗な餓鬼がやるよりよっぽど難しい。 小狡げな顔と小汚い身なりは、それだけで疑いの対象だ。嘘の大半は直ぐに怪しまれ、 見破られた。どこでも嫌われたし、どこでも信用されなかった。 特に、女達の評判は最悪だった。 子供のくせに、明るさの欠片も無い陰気な眼差し。様子を窺う爬虫類のような、卑屈で 物欲しげな視線。 それは、女どもに酷く気味悪がられた。うっかり身体に触った途端、ハッと顔を強張らせて 全身で飛び退かれた。鞭の様に手を弾かれた事だってある。 まるで本能がそうさせたような、容赦無い叩きぶりだった。 一度だけ、女の方から擦り寄られた事がある。 それがまた、傑作だった。 一時期ぶちこまれた保護施設。そこにやってきた、教会ボランティアの中年女。そいつが いきなり俺の手を取り、悲しげに頷きながら言ったのだ。 分ってるわ。あなたも本当は、辛いのよね。 嘘なんて、本当はつきたくないのよね。ね、嘘をつくのは辛いでしょう? 大丈夫。神様は貴方を許して下さるわ。そして貴方のお側に、いて下さるわ。 あんなに笑った事はねぇ。 じゃあ神様は、俺を絶対許してくれないってことだ。 俺の側には、決して来て下さらねぇってことだ。 そんな事、一度も思った事はねぇ。 嘘をつくのが、辛いなんて。本当は、嘘をつきたくないなんて。 嘘付きな俺を、許して欲しいなんて。 神様が許すのは、罪を悔いた奴だけだ。 なら俺は許されねぇ。 許しを請わない奴なんか、神様だって許しようがねぇ。 側になんか、来てくれるはずもねぇ。 この女が神の名を口にする度、神様が俺から遠ざかっていく。 こんな俺に、居場所なんかねぇんだって思い知らせてく。 ゲラゲラ笑う俺を、女は痛ましそうに眺めて去っていった。「可哀想な俺」を、最後まで 憐れみながら。 薄気味悪い餓鬼に神の許しを与えた、自分の優しさに酔いながら。 女に優しい声を掛けられたのは、その時ただ一度きりだ。 その後も、俺は嘘をつき続けた。 そうしてるうち、上手い嘘のコツが段々分ってきた。 一つは嘘の内容。そしてもう一つ、「誰が」嘘をつくかだ。 信頼している相手。愛情を抱いてる相手。 そういう相手の嘘には、大抵の人間が弱い。最後の最後まで、相手の言う事を信じようと する。 胡散臭い浮浪児の嘘を苦心して信じさせるより、そいつに成り済ます方が、遥かに手っとり早い。 それに気付いてからは、成功率が格段に上がった。 注意深く相手の心に潜む人間を見つけ出し、様々な声色や筆跡を真似、それを影で 使い分けては周囲を騙しまくった。 ついに切れた町のチンピラにボコボコにぶん殴られ、海の中に放りこまれるまで。 「嘘ばっかつくから、こんな事になんだぞ糞餓鬼。」 夜の桟橋で、沈みかけの身体を波間に漂わせてもがく俺を見下ろしながら、派手な 柄シャツの男が吐き捨てるように言う。 「てめぇみてぇな嘘付きな餓鬼、神様だってうんざりだ。」 死んじまえ、と大袈裟に手を振りながら、男が肩をいからせて去って行く。その姿が 視界から消えた途端、手足が急に重くなった。まるで、海が意図をもって自分を引き摺り 込もうとしてるかのように、身体が急激に水中に引き摺りこまれていく。 何て力だ。これじゃ、助かり様がねぇ。 恐怖が慄然と背筋を走った。もがく力が、自分でも分る程どんどんと弱まっていく。 死ぬんだ、とはっきりと自覚した。 俺はこれから死ぬ。それを、沈みゆく身体に理解した。 ああ。 畜生。何て下らねぇ人生だったんだ。 顔だけを地上に向けて毒づいた。屑みてぇな男についた嘘がバレて、屑みてぇに 殺されていく。廃油混じりの、汚れた海水の中で死んでいく。 明日になれば、街の奴等が俺の死体を指差して言うだろう。 あれが、嘘付きな餓鬼の末路だと。 嘘ばかりついてると、ああいう眼に合うのだと。 そうして、それきり俺の事は忘れ去られる。 何て下らねぇ。 何て、下らねぇ人生だったんだ。 身体から感覚が失われていく。もう、自分がどこにいるのか分らなくなった。まだ水面に 浮いてるのか、沈んでるのかすら分らない。ああ、本当に俺は死ぬのだと思った。 嘘しかなかった人生。 嘘しか、手に入らなかった人生。 畜生。畜生。畜生。誰にともなく口の中で呟き続けた。その間にも、視界が真っ黒に 塗りつぶされていく。 もう終わりだと、強く眼を瞑って力を抜いた。 |
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