Casa ( Chapter2)10
カーサが急いで訓練場に駆け込む。
その中央で、シードラゴンは既に訓練着に着替えて待ち構えていた。
「遅いぞ。」
何時も通りの不遜な口調で、腰に手を当てて自分を見下ろす。へへ、と赤い目を擦りつつ、
悪りぃ、と頭を下げて謝った。
「では、始めるぞ。」
ぶっきらぼうにシードラゴンが言う。この男が決して自分を手放さないと分かった今、
思い切って恐る恐る尋ねてみた。
「シードラゴン。俺、実はさ、あんたと同じ位強くなんて、な、なれねぇんじゃねえかって
ちょっと心配…」
最後まで言いきらないうちに、身体が宙高く吹っ飛んだ。数秒後、眼の眩むような痛みと
共に背中全体が地面に叩きつけられる。ゲホゲホと咳き込みながら涙眼でシードラゴンを
見上げると、目の前の男は青々と怒りに底光りする瞳で自分を見下ろしていた。
「俺と同じ位だと…?貴様、よくもそんな大口を…」
大きな手でぐいとカーサの胸元を掴み、片手だけで吊るすように持ち上げる。
「なれるものなら、なってみるが良いわ。この海将軍筆頭シードラゴン、貴様などに決して
遅れは取らぬわ!何時でもかかってくるがいい!!」
言い終わると同時に、またカーサの身体が宙に吹っ飛ぶ。今度は競技場の壁に背中が
叩きつけられた。

「…くっ…」
カーサの喉から笑いが漏れる。その笑いがどんどん大きくなっていく。ついに腹を抱えて
笑いだした。
何てこった。とんだ取り越し苦労だったって訳だ。
シードラゴンは、誰かと自分を比べるなんてしねぇんだ。俺を、誰かと比べたりしねぇんだ。
最初から、「俺」に一人前になれって。他の奴が強かろうが弱かろうが関係ねぇ。
この「俺」に、一人前になれって言ってたんだ。



「く・・っ!くくくっ・・・・!」
座り込んだまま笑い続けるカーサに、シードラゴンがゆっくりと近付っていく。
「何を笑っている。今日は貴様の思い上がりをとことん…」
「シードラゴン」
カーサがカノンの言葉を遮り、ニッと笑って拳を突き出す。
「俺、頑張るよ。あんたの言う、「一人前の海将軍」になる為に。」
驚いたように眼を見開く男に向かい、大きな声で晴れ晴れと宣言する。
「あんたと一緒に海界を守る。あんたにずっと、付いて行くよ。」


「……む、そうか。」
端正な顔の男が、少し呆気にとられたように頷く。
「うん。」
またニカリと男に笑いかけ、おし、と声を上げて立ち上がろうとした。すると、突然
蒼い光がサラリと頭上から流れ落ちてきた。見上げると、シードラゴンがごく近くで自分を
見下ろしていた。淡い薔薇色の唇をうっとりする程優美に綻ばせ、宝石のような蒼い瞳を
楽しげに瞬かせて自分の顔を見詰めている。
「…!っな、なん…っ、」
ドギマギと狼狽しつつ尋ねた。マジで、何でこんなに綺麗なんだ。こんなボロボロの
訓練着を着てるってのに、全然いつもと変わらねぇじゃねぇか。畜生、上がっちまって
しょうがねぇよ。
「お前、今日は随分元気が良いではないか。どうしたのだ。」
可笑しげにシードラゴンが尋ねる。何時もより明るく澄んだ声の響きに、ぼおっと聞き惚れ
そうになった。
「い、いや、俺もようやく自覚したって言うか…その、ええと…」
しどろもどろの返事に、シードラゴンがほぅ、と一層可笑しげに端麗な唇を綻ばせる。
「シ、シードラゴンこそ、随分ご機嫌じゃねぇか。何でそんなに笑ってるんだよ。」
真っ赤になっていく頬を誤魔化そうと、早口で矢継ぎ早に尋ねた。カノンが「む?」と
首を傾げ、何を今更、という口調で言う。

「貴様が笑ってるからに決まっているだろうが。俺がご機嫌なのでは無い。貴様が、
ご機嫌なのだ。」


「…あ、そ、そうなんだ…」
呆けたように言うカーサに、カノンが「辛気臭い仏頂面しか出来ぬのかと思っていたぞ」と
声を立てて笑う。
そんな風に笑うと、随分と無邪気な顔になるのだと思った。いつもの冴え冴えとした美貌が
嘘のように、思わず触れたくなるような無垢な笑顔になるのだと、夢見るような気持で
思った。

ああ、でも。
シードラゴンは俺が笑ったから笑ったのか。
俺がご機嫌だから、こんな風に楽しそうに笑ってるのか。

ふと気付いた事実に、また涙が出そうになった。
俺が笑ったから笑うなんて。俺が楽しそうだから、自分も楽しいなんて。
やっと乾いた眼に、また涙がじわりと滲んでいく。
そんな事を、言って貰える日がくるなんて。


眼を潤ませるカーサに気付いたカノンが、ふっと笑いを収めて尋ねる。
「どうした、カーサ。何を泣いているのだ?」
「あ…、いや、何でもねぇ。なんか、やっぱ背中痛てぇなって」
慌てて言い訳するカーサに、カノンがフン、と傲慢に胸を張って言う。
「軟弱者め。そんな事でどうする。やはり貴様はとことん鍛える必要があるようだな。」
立て、と顎をしゃくって指図し、すっかりいつもの冷徹な口調を取り戻してカーサに告げる。
「時間は幾らでもある。今日は心ゆくまで、貴様の相手をしてやるぞ。」

「・・・・明日は?」
カーサがポツリと尋ねる。カノンが腕を組んで答える。
「勿論、明日もだ。」
「明後日は?」
「明後日もだ。」
「その次の日は?」
陶器のように滑らかなカノンのこめかみに、青い筋がヒクリと立つ。
「〜〜〜っ!くどい!!その次の日も、そのまた次の日も、ずっとやるに決まってる
だろうが!!これからずっと、嫌というほど修行をつけてくれるわ!!」


「・・・分かった。じゃ、宜しくお願いします。」
大音響で怒鳴るカノンに、カーサが深々と頭を下げる。
「・・・・・・・・では、取りあえず立て。」
突然礼儀正しくなったカーサに、カノンが毒気を抜かれたように言う。
カーサが背中を摩って立ち上がる。立ち上がりながら、胸の中で今のカノンの言葉を
もう一度繰り返した。
明日も。明後日も。その次の日も。これから、ずっと。


明日も。明後日も。その次の日も。これから、ずっと。
呪文のように心の中で繰り返す。
ずっと、この場所に居る。あんたの居る、この場所に。
あんたの側で強くなる。あんたの為に、強くなる。



この海界で、ずっと共に生きていく。
いつか来るその日まで。いつかやってくる、その日まで。
明日も。明後日も。その次の日も。ずっと一緒に、生きていく。
嘘も欺瞞も真実も、全て抱えて生きていく。
この海の底で、生きていく。








Fin


Casa9
Novel目次
index