Casa ( Chapter2)9 |
ぐずつく鼻を腕で乱暴に擦って、返事を待った。 「…嘘吐きカーサ、か」 やがて、そう低く呟く声が頭上から聞こえてきた。 ぐっと奥歯を噛み締めた。思い切って顔を上げると、目の前の男は顔色一つ変えず、 何時も通りの端麗な顔で自分を見詰めていた。 男がふいと面を上げる。ハッ、と強く息を吐き捨て、馬鹿馬鹿しい、と言わんばかりに 傲慢に言い放つ。 「それこそが、嘘ではないか。」 眼を見開くカーサに、カノンが淡々と話し始める。 「お前が嘘つきと呼ばれていた事は分かった。まぁ、貴様はリュムナデスだからな。嘘に 長けていても当然だ。それで、『リュムナデスに選ばれた理由が分かった』と言っていたのだな。」 カノンが小さく頷く。 「しかし、嘘をつく事しか出来ぬ、という事はあるまい。そんな訳があるか。それとも、貴様は嘘さえ ついていれば満足なのか?」 カーサがプルプルと首を振る。カノンがそら見ろ、と言わんばかりに顎をしゃくる。 「そうだろう。ならば、貴様は嘘吐きなだけでは無いではないか。」 長い腕を組んで、ばっさりと言い切る。 「嘘をつくだけでは、満足出来ぬ。それが何よりの証拠だ。貴様は、嘘をつくだけの男には なりたくないのだ。」 確信に満ちた低い声が、力強く周囲に響く。 「地上で付けられた下らぬあだ名が、貴様の全てでは無い。現に、貴様はその名に満足して 無いではないか。それだけでは無い己に、なりたいと願っているではないか。それならば、貴様の 性根は、嘘だけでは無い。」 組んだ腕を解かぬまま、朗々と響く声できっぱりと言う。 「『嘘つきカーサ』など、それこそが嘘ではないか。」 眼を見開いたままのカーサに、第一、と蒼い髪の男が不快気に続ける。 「そもそも、嘘だけついて暮らすなど、この俺が許さぬ。貴様一体、自分の立場をどう考えて いるのだ。」 そちらの方が大問題だ、と言わんばかりにカノンが急に憮然とした口調で話し始める。 「「ここに居たい」も何も、貴様はここで南氷洋の海柱を守らねばならぬ身ではないか。 己の持ち場を去って、何処に行くつもりだったのだ。貴様の居場所は、ここに決まっている ではないか。」 カノンがぐいと顔を上げる。回廊を吹き渡る風に群青のマントを靡かせ、よいか、と 高らかな声で宣言する。 「どこかに去ろうなど、夢にも思うな。ここが貴様の居場所だ。この場所で、この俺が 貴様を一人前の海将軍となるまで鍛え抜いてくれるわ。」 分かったらすぐ訓練場に来い、と言い残し、シードラゴンが来た時と同じように足音高く 去って行く。 その後ろ姿を、まともに見ることが出来なかった。ぼたり、と眼から涙が零れた。 去っていく広い背中に、なぁ、と胸の中で震える声で呼びかけた。 なぁ、シードラゴン。 俺は、本当に嘘吐きなんだ。嘘以外は、持ってねぇんだよ。自分でも、そう思ってたんだ。 涙が次々に掌に滴り落ちる。握り締めた拳が燃えるように熱くなった。 だけど、あんたがそれだけじゃ無いって言ってくれたから。 あんたが、俺を嘘吐きなだけじゃねぇって言ってくれたから。 ここを去るなんて、夢にも思うな、って言ってくれたから。 手の甲を滑り落ちる涙が、ポタポタと床を濡らしていく。 湧き出る涙をゴシゴシと手で擦りながら思った。 じゃあシードラゴン、そうなってやる。 あんたの為に、嘘をつくだけじゃねぇ俺になってやる。 ここを去るなんて夢にも思わねぇ、海界の海将軍になってやる。 そうしていつか、守ってみせる。 俺の柱を。俺を、嘘吐きなだけじゃねぇ俺にしてくれたあんたを。神様任せにしねぇで、 俺を引き寄せてくれたあんたを。 それが俺の本当だ。本当に、俺がやりたい事だ。 流れる涙に構わず天を仰いだ。胸が震えるほど、強く誓った。 嘘しかつけないリュムナデス。それが俺の運命ならそれでいい。その嘘で、あんたを、 俺の柱を守ってみせる。命を懸けて、守ってみせる。 俺の本当を、リュムナデスの嘘で守ってみせる。 カツカツと足早に回廊を歩きながら、カノンがさっきの自分の言葉を思い返す。 『それだけが貴様の全てでは無い』 カッと身体が熱くなった。そうとも。それが全てではない。もしそれが全てなら。 宝石のような瞳に蒼く激しい炎が宿る。 この俺は、生きる事すら叶わなかったのだ。 悪たる俺には、何も望めぬと言うのなら。 俺のような邪悪の輩は、誰も知らぬ水牢でただ朽ち果てるのが相応しいなら。 それなら、俺は今此処で息をする事すら出来なかったのだ。 このまま、聖域の闇に押し隠されたまま終わるものか。惨めに葬られた「悪」のままで 死ぬものか。 サガに生かしておけぬと断罪されたこの命を。悪魔と罵られ、投げ捨てられたこの命を、 自らの力で価値あるものに変えてみせる。 そう腹の底から願ったからこそ、俺の命は繋がったのだ。 あの餓鬼とて、俺と同じだ。 俺がポセイドンに願ったように、このまま終わりたくないと願ったのだ。 嘘しか持たぬと訴えながら、その嘘を全部さらけ出して、「何か」を得ようとしたのだ。 何を切っ掛けに、あの餓鬼がそう決意したかは知らぬ。 が、あの餓鬼はその「何か」の為に、ただの嘘吐きで終わりたくないと思ったのだ。 己の命を。己の生き方を、「何か」の為に変えようとしたのだ。苦難を厭わず、選んだのだ。 己の命を、価値あるものに変える道を選んだのだ。 ならば、俺もあの餓鬼も、自ら選んだ道を突き進むのみ。 あの餓鬼がこの先、討ち死にするか生きて勝利を勝ち取るか、それは俺の預かり知らぬ事。 けれど、その日まで俺はあの餓鬼を鍛え、守り、育てるのだ。 俺は俺の野望の為に。あの餓鬼はあの餓鬼の望みの為に。 決して俺の手元から離さず、あの餓鬼をこの海界で育て上げるのだ。 |
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