Fallen 2




中忍風情、と捨て台詞を吐いたカカシが去ってから、二週間が過ぎた。
別れた当初は流石に辛かった。が、それ以上に、カカシのいない生活は解放感があった。
今までどんなに身を縮めて生活していたか、改めてしみじみと実感した。
もう家に帰っても、何故自分に尽くさないかと責める奴はいない。そのままだらりと寛ぐ事が出来る。
あまりに気楽過ぎて、少し物足りなく思えるくらいだった。一人じゃ寂しいし猫でも飼うか、とカカシと
付き合う前は考えもしてなかった事を思ったりした。

職場の風当たりも、劇的に柔らかくなった。
カカシと別れたと言った途端、俺の立場は一変した。俺は「上忍に身体で媚を売る男」から、「上忍に
遊ばれた可哀想な男」になった。皆こぞって俺を励まそうとした。俺をカカシの便所扱いしてた奴等まで、
掌を返したように元気を出せと言って来るようになった。

カカシの姿は見なかった。
受付にも来ないと思っていたら、俺と別れて直ぐに任務が入ったらしかった。
ついこの間Aランクの任務に行ったばかりなのに、今度はSランクの任務を命ぜられたという。
腕の立つ男だからな、と他人事のように思った。たった二週間前の事なのに、もう随分遠い男に思えた。
そう思って、ふと首を振った。
いや、そうじゃない。カカシは元々遠い男だった。あんな関係にならなければ、普通に口を利く事さえ
憚られる相手だった。
だから、これが本当なんだろう。これが、俺とカカシの本来の距離なんだろう。
長い夢から覚めたような気持ちで思った。

そんな事をつらつらと考えながら書類を纏めていると、誰かがふいに俺の前に立った。
顔を上げると、そこには俺の同期の同僚がいた。
「イルカ、久々にちょっと呑んでいかないか?」
人好きのする笑顔を浮かべながら言う。
「おお。いいな。」
俺もにっこり笑って答えた。この笑顔そのままに気さくな性格の同僚は、俺とひどく気があった。
カカシと付き合う以前は、頻繁に一緒に呑みに行っていたものだ。同僚がホッとしたように息を吐く。
「じゃ、あそこにしよう。いつものとこ。」
妙に緊張した声で言ったかと思うと、すぐにスタスタ歩き出す。常に無い態度を取る同僚に、首を傾げ
ながらその後を付いていった。



「頼むイルカ!!この通り!!」

居酒屋で突然土下座しだした同僚に、慌てて周囲を見渡した。
「・・・ちょっ!止せよ!何かと思われるだろ!?」
衝立で仕切られただけの座席は周りから丸見えだ。皆、何事かと興味深げに覗いている。
「いや!お前が承知してくれるまで、この頭は上げん!!」
「上げんって・・・」
困り果てて首を傾げると、同僚は土下座したまま悲壮な声で言った。
「お前にしか出来ないんだ。お前しか頼めない。お前しか、俺の気持ちを判ってくれる奴はいない・・・!」
一息ついて、一気に吐き出す。
「カカシ上忍に弄ばれたお前にしか・・・・!」

要するに、下に対して傲慢なのはカカシの専売特許じゃないのだ。
他の上忍達も、いい加減傲慢なのだ。
この同僚の上官の上忍も、その例外ではなかったのだ。

その上官は女関係のだらしなさで知られていた。
妻も子もいるというのに、平気で他の女に手を出しまくっていた。
しかし、今回手を出した女はやばかった。
有力な忍一門の娘を、火遊び気分で口説いたのだ。いつものように楽しんだ後、いざ別れようとして
問題が持ち上がった。
激怒した女が、上官を脅迫しだしたのだ。

女は当然、上官が離婚すると思っていたのだ。
それが、ただの遊び相手にされたと知った時の怒りは凄かった。里でも有名な一門の女は、これは
一族に対する侮辱だと言い出した。実際、女は一人娘だった。跡取娘が弄ばれた、と騒ぎ立てれば
親族一同が激怒する事は明らかだった。

しかし、上官はおいそれと離婚する事は出来なかった。
上官の妻もまた、相当の名家の娘だったからだ。
その娘が浮気相手に追い出されるように離縁されたとなれば、そちらも黙っているはずがなかった。
上層部で人事権を握る妻の父親から、どんな処遇を受けるか分ったものではない。
浮気相手には離婚しろと責められ、そんな事をすれば妻の実家から報復され、上官は当に袋小路に追い
詰められた。
そんな時、ふと思いついたのだ。自分の部下の事を。
この同僚の事を。

男の口から言うのもなんだが、同僚は中々いい顔立ちをしている。
腕も確かだ。同期の中でも、一番の有望株だ。二、三年もすれば特別上忍に推薦されるだろうと周囲から
言われている。
上官は必死で女を説得した。俺の部下で、有望なのがいる。今は中忍だが、きっと将来、木の葉を背負う
ような上忍になる。顔もいい。お前もきっと気に入る。
だから俺から、その男に乗り換えてはどうか、と。

「冗談じゃないっつんだよ!!何で俺があいつのお下がり貰わなきゃなんねーんだよ!!」
同僚が激昂して叫ぶ。
「ふざけんのもいい加減にしろよ!!てめぇの女の尻拭いを、なんっで俺が・・・・!!」
悔しげに机をガツガツと叩いて喚く。だよなあ、と思わず深く頷いた。
「そりゃ、酷いよなあ。」
「だろ!?」
同僚がガバリと顔を上げる。
「あの野郎、「俺を怒らせたら、次の任務でどうなるか判るな?」とか言いやがって・・・!何が「お前にも
悪い話じゃない」だ!えっらそうに!!畜生!上忍がなんぼのモンだっつーんだよ!!あいつら人の事
なんだと思ってんだ!!」
うんうん、と首が千切れんばかりに頷いた。そうだ。あいつ等いったい人を何だと思ってるんだ。
「わかるぞ・・・!」
思わず同僚の手を取ると、同僚は勢い込んで顔を近づけてきた。
「だろ!?お前は判ってくれると思ってた!!じゃ、俺の頼みを聞いてくれるな!!」
力強く叫ばれる。うっと怯んだ。
「・・・・・いや、それはやっぱり・・・その・・・・」
「何でだ!!今、わかるぞって言ったじゃねーか!!」
「・・・・だって無茶だろ・・・・」
途方にくれて同僚の顔を見る。

「俺が、女に変化するなんて。」



つまり、こういう訳なのだ。
同僚は来週上官と飯を食う事を約束させられた。多分、その席に例の名門女を連れてくる気だろう。
そして、同僚を紹介するつもりだろう。
だからその席に、女に変化した俺を一緒に連れて行く。同僚には既に相手がいる、と問答無用で女に
判らせる。
そうやって、上官の企みを突っぱねようというのだ。

「・・・・なら本物の女に頼めばいいだろ・・・・」
「いねえもん。女の知り合いなんか。」
あっさりと同僚が答える。そう。こいつはそのさっぱりしすぎた性格がいけないのか、何故か女に
縁遠いのだ。 (そんな所も俺と気が合うのかもしれない)
「それに、もしいたって頼めねえよ。その子が後で何されるか分かんねえだろ?んな危険な事させらん
ねえよ。可哀想じゃねぇか。」
架空の女の身を心配する余裕があるなら、俺の心配をしろと言いたかったが、同僚が突然キッと俺を
睨んだので言えなかった。
「なんだよ。俺はお前なら判ってくれると思ったんだぞ。上忍に遊ばれたお前なら、俺の悔しさが分かって
くれるだろうって・・・・!協力してくれるだろうって・・・っ!」
同僚がまた悔しげに机をドンドンと叩く。その瞼に薄っすら浮かぶ悔し涙に、思わず嘆息した。

そう、確かにこいつはいい奴なのだ。
俺がカカシの男娼と陰口を叩かれてる時も、全く以前と変わりなく接してくれた。
下んねぇ噂なんか気にすんなよ、とわざと周囲に聞こえるように大声で話し掛けてくれた。
そんな同僚が今、困ってる。困って、俺を頼りにしてる。目の前で男泣きしてる。

・・・仕方ないか。

溜息交じりに思った。仕方ない。一肌脱ぐしかないだろう。
それに、上忍に心無い仕打ちを受ける悲しさは、手もなく利用できると思われる悔しさは、今の俺が
一番分かる。せめてこの男には、不幸になって欲しくない。
「・・・・分かった。やる。やってやるから、もう泣くなって。」
同僚の肩に手を置いて言った。マジでか、と喜ぶ同僚に頷きながら、俺はまた小さな溜息をついた。



「・・・・・こんなもんでいいか・・・・?」
おどおどと同僚に問い掛けた。その声が既にか細い女の声な事に、顔から火が出る思いだった。
同僚がうーんと首を傾げる。
「・・・やっぱ、だめか?」
こんな事なら、ナルトの術をもっと真面目に見とくんだった。つうか大体、俺みたいな無骨な顔した男が、
女に変化するってのがそもそも無理有り過ぎなんだ。今更文句つけられても、こっちだって困る。
そう半ば拗ねた気分で尋ねると、同僚はいやいやと首を振った。
「やー。結構いいよ。俺、どんなゴツイ顔した女になるかと思ってたけどさぁ。何、こうして見ると、
お前って結構色気あるな。」
「はぁ!?」
思いがけない言葉に、思わず大声を出した。同僚がうんうんと大きく頷く。
「イルカ、黒目大きいしなー。なんつうの?濡れた瞳って感じ?首もわりと細いしさ。それでそんな
恥らわれっと、なんか、わざと触りたくなる感じ?もっと恥らえ!いっそ泣け!みたいな。」
あはは、と笑いながら同僚が言う。その顔が微かに赤らんでいるのを見て、何だか物悲しくなった。
「・・・・お前、これ終わったら本気で彼女探せよ・・・俺相手に顔赤くしてるの、空しくないか・・・・?」
「お前もな。」
すかさず同僚が返す。暫く二人とも沈黙した後、同僚はよし、と気を取り直したように声を上げた。
「んでは、行きますか!頼むぞ、イルカ!」
「おう。」
柔らかな女の声で相槌を打つ。同僚がニッと嬉しそうに笑った。


目の前で派手な顔立ちの美女が、ピクピクとこめかみを震わせている。
こわ。
思わず眼を伏せて視線を逸らした。女の震える声が頭上から聞こえる。
「・・・・これ、どういうこと?」
女の隣に座るがっちりした体格の男が、苦虫を噛み潰したような顔で腕組みをする。なるほど。
これが同僚の上官か。
「俺の彼女です。私的な食事会と聞いていたので、連れて来ました。」
あっさりと同僚が答える。
「・・・・そんな相手は居ないと思っていたが・・・・」
底力の篭る低い声が、同僚に向かって放たれる。
「つい最近出来たんです。」
同僚がさらりとそれを受け流す。な、と脇を突付かれ、慌てて頷いた。それっきり、重苦しい雰囲気が
周囲を包む。沈黙の中、女の顔色だけがどんどん蒼褪めてくる。
なんか、可哀想だよなあ。
そっと女を盗み見ながら思った。
自分を捨てたがってる男と、明らかに自分を引き受けたがってない男。しかもそいつは彼女まで連れてきた。
聞けば随分気位の高い女らしいし、こんな席にいるのは屈辱の極みだろう。

早くこの不快な食事会が終って欲しい。俺の為にも、同僚の為にも、この女の為にも。
そう思いながら、ひたすらに箸を動かした。そう思ってるのは俺だけではないらしい。
同僚も、手の込んだ会席料理を丼飯でも食うようにガツガツとかきこんでいた。

「・・・・馬鹿にして・・・・・」

突然、女が小さく呟いた。一斉に顔を上げる俺達の前で、女の艶やかな唇が堪え切れないように震える。
「・・・っ馬鹿にするのも、いいかげんに・・・!」
やばい。爆発する。
と思った瞬間、背後から場違いに明るい女の声がした。

「あーら、こんなトコであうなんて。ひさしぶりー。」

名門女が叫ぼうとした声をぐっと飲み込む。
「・・・・ほんと、久しぶり。アンコ。」
瞬時に余所行きの声を作り上げ、無理矢理愛想笑いを頬に浮かべる。
「元気だったー?相変わらず派手だねーあんた。」
アンコ上忍が女の顔をひょいと覗き込む。
「アンコも変わらないじゃない。今日はどうしたの?あんたがこんな店来るの、珍しくない?」
ここデザート少ないのに、と女が尋ねると、甘味好きのくの一は嫌そうに背後を振り返った。
「そうなんだけどさぁ。紅達がここがいいっていうんだもん。」
「紅も来てるの?」
「うん。今度の任務の作戦会議があってさ。そんで皆で食べて帰ろうって話になったの。下の奴等も
連れて来たから、座敷が広い方がいいって。」
かったるそうにアンコ上忍が答える。女の眼がキラリと光った。
「そんなに大勢で来たの?」
「まぁね。ガイの馬鹿がお前等も来い!遠慮するな青春だ!とか訳分かんない事言っちゃってさ。
お陰で大宴会よ。全部で三十人位いるんじゃない?もうあいつ一遍死ねって感じ。」
アンコ上忍が不機嫌そうに眉を顰める。女の眼に一層怪しい光が浮かんだ。
赤い唇をゆっくりと釣上げ、擦り寄る猫のように媚びた声で尋ねる。

「・・・・ねぇ。私達も参加していい?」

「は?参加?」
アンコ上忍が驚いた表情で聞き返す。その驚きを綺麗に無視して、名門女が強請るように話し掛ける。
「楽しそうじゃない。ねぇお願い。私達も参加させてよ。」
「って言われてもぉ・・・」
流石のアンコ上忍も、女の唐突さに戸惑っている。その袖口を掴み、女が力強く請合う。
「ね、損はさせない。安心して。」
いきなりクルリと振り返り、ビシリと上官の顔を指差して宣言する。

「この男が、全員分奢るから。」

「!!おい・・・・!」
上官が狼狽した声を上げた。そりゃそうだ。ここの食事は決して安くない。それを三十人が飲み食い
すれば、相当の額になるだろう。婿養子状態の上官には、この支出は痛いなんてもんじゃない。
妻に原因追求される事は必至だ。
「ねえ、いい話でしょ?参加させてよ。」
名門女の眼が据わってる。男の慌てぶりに何かを悟ったのだろう。アンコ上忍が面白そうに唇を歪めた。
「・・・ふーん。じゃ、いいよ。奥の座敷でやってるから、おいでよ。」
「ありがと。」
女がにっこりと笑う。じゃお先に、とアンコ上忍はニヤニヤ笑いながら去っていった。

「おい、何馬鹿な事言ってるんだ!そんな金出せるわけないだろう!!」
上官が慌てふためいて女の腕を取る。その途端、女の身体から殺気がぶわりと吹き上がった。
思わず三人とも女から一歩身を引いた。
女が上官にぐいと顔を近づける。食い縛った歯の隙間から、凄みのある低音がほとばしる。

「これで今回の事はチャラしてやろうって言ってんのよ。舐めた事言ってないで、覚悟決めなさいよ。」

女は切れると怖い、とはよく聞くが、勇猛で鳴る忍一門の女の殺気は桁違いだった。
その場で全員金縛りにあったように、身動きが取れなくなった。
よくまあこんな怖い女に手を出したもんだ、と冷や汗をかきながら思った。

上官がたちまち沈黙する。張り詰める空気の中、同僚が恐る恐る名門女に話し掛けた。
「・・・・じゃ、俺達はこれで・・・」
「駄目よ。」
女がピシリと同僚の言葉を遮る。
「あなたも一緒に来るの。そこで好きなだけ飲み食いしなさい。・・・・あなたもよ!」
いきなりがっちりと腕を掴まれる。ぎょっと名門女の顔を見上げた。
「いい?ここまで来たら、最後まで付き合ってもらうから。先に帰るなんて許さない。」
男の支払額を増やす為なら人殺しも辞さない、という迫力で女が迫る。捻りあげるように俺の腕を
持ち上げると、強引に奥座敷に引き摺って行こうとする。
「え?ちょ、ちょっと待っ・・・」
突然の展開に動転して、まともな言葉が出てこない。女がわき目も振らず足早に歩く。上官と同僚が慌てて
跡を追うが、女の足を止めるどこの騒ぎじゃない。ついて来るのが精一杯だ。
「どうも!皆さん!今日は宜しくお願いしますね!」
甲高い声と共に、突き飛ばされるように座敷に投げ込まれる。思わず重心が崩れた。転がるように部屋の
中に倒れこみ、畳の上に両手をついた。
「・・・・っ」
眩んだ頭を振りながら顔を上げる。そのまま、全身が硬直した。
「・・・・・・。」
目の前の男が、僅かな驚きを滲ませて瞳を開いている。あまりの衝撃に、思考の一切が停止した。
男がゆっくりと瞬きする。黒い布に覆われた顔から、唯一覗く濃紺の右眼。銀色の髪。
三週間前に別れた上忍、はたけカカシがそこに座っていた。






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