Full moon 1



あー。いい景色だなあ。

目の前の現実から、無理やり心を逃避させながら思った。
いやー、ほんといいなこの景色。打ち寄せる青い波。輝く太陽。吹き抜ける爽やかな松風。
それを一手に見下ろす、檜作りの豪勢な露天風呂。
来て良かったよ。木の葉じゃこんな景色、見れないもんなぁ。
「ねー?イルカせんせ。いい眺めデショ?」
突然、自信満々の声が耳元でした。途端にもりもりと湧き上がる怒りに、ぐっと拳を握り締めた。
ああそうだよ。いい景色だよ。絶景だよ。大満足だよ。

あんたさえいなきゃな!!写輪眼のカカシ!!


俺の心中の絶叫など知らぬ顔で、糞上忍がふふ、と笑う
ご機嫌な猫のように、色違いの瞳を細めてる。嬉しくって嬉しくってしょうがありません、って顔だ。
その顔を見る度に、ここ三、四ヶ月のうちに急転直下した自分の運命に肩が落ちる。
そう。何もかもこの男が元凶なんだ。
この、変態強姦男の。

全く、悪夢のような出来事だった。
ある日突然、酒を片手に尋ねてきた銀髪の上忍。
ナルトの事で相談が、としおらしい言葉と共にあがり込み、どうぞどうぞと愛想のいい笑みで酒を注ぐ。
今まで呑んだ事もない上等な酒に、ぐんぐん杯が進んでいった。
そして気付けば、服を全部引ん剥かれて圧し掛かられていた。
この細い体のどこに、と思うような怪力で押さえつけられ、べちゃべちゃと胸元を舐められた。
全身鳥肌が立った。必死で身を捩ったが、全く抜け出せなかった。
今まで排泄にしか使っていなかった器官に、男の太い指が突っ込まれる。そのままぐりぐりと中を探られる。
激しい痛みと異物感に、本気で吐き気がした。
「止め・・・止めてくださ・・・・お願いしま・・・っ!!」
体中から冷や汗を噴出しながら懇願した。しかし、それは全く聞き入れられなかった。
信じられない程熱く硬い棒が、めりめりと俺の内部を裂いていく。視界に赤い火花が散った。
「・・・ひ・・あぁ・・・・っ!!」
だらしなく掠れた声で仰け反った。その痛みも去らないうちに、腰を強く打ち付けられる。
その度に目の前が薄暗くなっていく。その後、この男が俺をどうしたかは知らない。
俺の意識は、既に暗い闇に呑まれていたから。

眼が覚めても、強姦男は平然と居座っていた。
それどころか、この暴挙を責める俺を罵倒した。命を張って里に貢献している上忍を、内勤の中忍程度が
非難するのか、と見下した眼でせせら笑われた。
その瞬間、悟った。
ここにはもう、ナルトを引き受けてくれた器の大きな上忍は居ない。偏見無くあいつを見てくれた、
信頼すべき男は居ない。
ここにいるのは、ただの愚かで横暴な上官だ。
気に食わない部下を、慰みにいたぶるような。自分の作戦ミスに苛立って、部下を殴りつけるような。
そんな最低な男しか、ここにはいない。

いいだろう、と思った。
それなら俺も、下の者の意地を見せてやろう。這いつくばって平然と、あんたの足を舐めてやろう。
恥ずかしくなんかない。だってあんたは人間じゃない。
人を踏みにじって、何も感じない奴は人間じゃない。
あんたはただの張りぼてだ。傲慢な階級意識を一杯に詰め込んだ、張りぼての人形だ。
張りぼての足を舐めたって、どうって事はない。頭を下げたって、どうってことはない。
惨めなのは俺じゃない。
張りぼての人形に成り下がった、あんたの方だ。

その一念で、拷問のような性交に耐えた。
どんなに体調が悪くとも、今日は止めてくれとは頼まなかった。この男の情けに縋るような真似
だけはしたくなかった。罵るように詰る声も、全て耳に蓋をして聞き流した。
けれど、身体は悲鳴を上げていた。引き裂かれるような乱暴な性交に、肉体はもうボロボロだった。

だから、カカシが豊満な胸の美女と連れ立ってるのを見た時は、心底ホッとした。
はしゃぐ美女を腕に絡ませたまま、俺を一瞥もせずに通り過ぎていく。
じわじわと喜びが胸に湧き上がった。
やっと、この男は自分に飽きてくれたのだ。やっと、自分は解放されたのだ。
そう思うと、その場で万歳したいくらいだった。

それなのに。

キッと顔を上げて、横でだらりと寛ぐ上忍を睨み付けた。その視線に、何を勘違いしたのか
糞上忍が端正な顔に蕩けるような笑顔を浮かべる。
「・・・そんな見つめないでよ。照れるデショ。」
そう言って、デレデレと銀色の頭を掻く。馬鹿丸出しの照れっぷりに、俺は怒ってんだよと訂正する
気力も失せていく。胸の中でカカシ、と呼び捨てにするだけじゃ生温い。頭に「バ」を付けてバカカシ、と
呼んでやりたいくらいだ。こんな馬鹿に騙されていたかと思うと、自分が本気で情けない。
この男の女体変化なんかに、騙された自分が。

銀髪の上忍が去った後、突如現れた楓と名乗る美女。
透き通るように白く滑らかな肌。繊細そうな紅色の唇。羽根のように瞬く銀色の睫毛。
何て綺麗な人だろうと思った。こんな綺麗な女性が、現実にいるのかと驚いた。

更に驚く事に、その綺麗な女性は俺をわざわざ訪ねてきた。
一緒に夕飯を食ってくれと、甘えるように俺を見上げる。思わず躊躇した。何しろこっちは女が
喜ぶような洒落た店なんか知らない。それも紅先生を呼び捨てにしてた所を見れば、多分上忍の
くの一だろう。そんな高い女が喜ぶような店、全然心当たりが無い。

返事を渋る自分に、いきなり楓は不安そうな眼になった。
さっきまでの、妖艶で自信に満ちた態度がたちまち消えていく。失敗した子供の様に、おどおどと
俺を見上げて後ずさる。ごめんなさい、と途方に暮れたように細い声で謝ってくる。
驚いてブンブンと掌を振った。俺が躊躇すれば、この人は不安になるのだと知った。
慌てて、いい店を知らないのだ、と正直に白状した。
すると、楓の表情がパッと明るくなった。イルカ先生の行きつけの店で構わない、と力んで訴えてくる。
何だか可愛らしい人だなあ、と思った。
こんなに綺麗で大人っぽいのに、まるで小さな子供のようだ。
大事な人に気に入られようと、目一杯頑張っている子供のようだ。

そんな印象を持ってしまったものだから、とても断れなかったのだ。
暇な日は夕方から里を案内してくれという、楓の頼みを。
本当は、暇な日なんか無かった。
ここ暫くの騒動で発生した、膨大な事後処理書類。残業しても残業しても、全然追いつかない。
まさに仕事は山積みだったのだ。
けれど、どうしても拒否できなかった。躊躇う素振りすら出来なかった。
そんな事をすれば、泣き出してしまうのではないかと思った。百戦錬磨だろう上忍のくの一が、
そんな子供じみた真似をするはず無い。頭ではそう分かっていても、駄目だった。
喜んで、とすぐさま笑って頷いた。すると、楓は頬を染めてふわりと嬉しげに微笑んだ。
胸が痛くなるような、無邪気な子供の笑顔だった。

その後も、楓はよくそんな風に笑った。
その度に胸が熱くなった。この笑顔を守ってやりたいと思った。ずっと傍にいたいと思った。
だから、ありったけの勇気を振り絞って告白したのだ。あなたを好きだと。あなたを守りたいと。
馬鹿は重々承知だった。
楓は上忍で。そしてこんなに綺麗で。どんな立派な男に言い寄られてても不思議じゃない。
こんな一介の貧乏中忍なんかの告白、断られて当然なのだ。

けれど、楓は断らなかった。
甘く震える声で、私も好きです、と言ってくれた。
天に昇る気持ちと言うのは、こういうことを言うのだと思った。
嬉しくて、嬉しくて、胸が破裂しそうだった。自分は世界一の幸せ者だと思った。

なのに。

なのに!なのに!!なのに!!!なのに!!!!!
ギャーっと叫んで頭を掻き毟りたくなった。
楓はこの糞上忍の変化した姿だったのだ。俺はこの馬鹿上忍に一世一代の告白をしてしまったのだ。
あの時は本当に、明日後ろから手裏剣を投げつけてやろうかと思った。
何であそこまで演技する必要があるよ。何であんなに、儚げに頬染めて笑う必要があるよ。
弄ぶにしたって、気合入りすぎじゃないか。念入れすぎだろが!
何でそこまでして、俺を傷つける必要がある。身体の次は心か。いい加減にしろ。
もう俺は絶対に、あの男を一生許さない。

・・・・と、思っていたのだ。ほんとに。
それなのに、なんとこの極悪上忍は、正体がバレたその日にしゃあしゃあと俺を訪ねてきた。
しかも、ふざけた事に楓の姿のままで。そして、何だか知らないが通りすがりの酔っ払いまで味方につけて
扉を開けろと言って来る。
ここまで舐められてるかと思うと、悔しくて憤死しそうだった。俺がもっと腕が立ったら、あの悪魔の銀髪を
クナイで丸坊主にしてやるのにと思った。
喚く酔っ払いに閉口して渋々カカシを中に入れた。浮かれる俺は面白かったですか、と嫌味を言うと、
流石に気まずくなったのか、糞上忍はやっと変化の術を解いた。
久しぶりに見たその姿に、以前の悪夢が鮮明に蘇った。
・・・もしかして、またあんな拷問みたいな日々が始まるのか・・・?
激しい落胆に目の前が暗くなった。何とかその感情を隠して、今日は帰ってくれと深く頭を下げた。
けれど、殆ど期待していなかった。
この傲慢な男が、俺の言う事など聞き入れるわけがないと諦め切ってたから。

しかし、この男の反応は俺の想像の遥か上をいった。
何故か無言で立ち尽くすカカシに、不審に思って顔を上げた。その瞬間、度肝を抜かれた。
この性悪上忍は、ポロポロと涙を零して泣いていたのだ。

澄んだ蒼と赤の瞳から、透明な雫が次から次へと滴り落ちる。
声も立てずに、唇を噛締めて辛そうに泣くその姿は、ひどく痛々しかった。
どこか怪我してるのかと思った。手当ての仕方も分らない、とでも言うように呆然と泣いている姿に、
自制心がすっかり崩れた。動揺しまくってカカシの腕を取った。どこが痛いのか教えろと詰め寄った。
その途端、カカシが一層ボロボロと泣き出した。驚きのあまり、全身が固まってしまった。
そして次の瞬間、俺は物凄い力で腕を引っぱられた。
「イルカせんせえ・・・・!」
校外実習中にはぐれた生徒が、見つけた、と泣きながら抱きついてくるように、カカシが俺を強く
抱きしめる。
そして、俺は驚愕の一言を聞いたのだ。

「あんたが好き。」

何がなんだか分からなかった。
箍が外れたように、好きだと繰り返す整った唇。切なく涙に濡れる眼で、それでも隙あらば
人の唇を舐めようとする赤い舌。がっちりと俺を抱き込んだまま、離そうとしない力強い腕。
この男の突然の豹変ぶりに、思考が全然追いつかなかった。追いつかないまま、カカシだけが
どんどん先に走っていく。しかも、俺を引き摺ったまま。
あまりの展開に混乱しまくって、上忍相手だということも忘れて無茶苦茶に怒鳴り散らした。
それなのに、全然効き目が無い。怒鳴れば怒鳴るほどカカシが嬉しげに笑う。
大好き、大好き、と馬鹿のように繰り返す。しまいにゃ楓も自分も一緒だとほざく。
俺の猛抗議は、カカシの能天気な笑い声に全部掻き消されていったのだった。

そして、今に至る。
ストーカーの如く張り付かれ、押し売りの如く家に入り込まれる。突き放せば、恥も外聞もなく
天下の往来で涙ぐむ。最近じゃすっかり俺は「写輪眼のカカシ」の保護者扱いだ。
そして好きだ好きだの大連発だ。暇を持て余した猫のように、べたべたと纏わりついてくる。
そして、異様に俺と温泉に行く事に執念を燃やす。
こうなる以前、俺はカカシの言う事は全て聞き流す事にしていた。だからよく覚えていないが、
どうも俺は温泉旅行の誘いを断ったらしいのだ。それも、カカシに言わせれば「そりゃー冷たく」。
だから、どうしてもリベンジしたいのだと言う。
うかうかしてるうちに、ナルトが昇給するかもしれない、と訳の分からない事まで言って人を説得
しようとする。
絶対、ごめんだった。
普通の日常生活でさえ、この男の面倒を見るのにほとほと疲れきってるんだ。
それを二人きりで旅行なんてとんでもない。そう言って、きっぱり断った。
そして、この男はまた、俺の想像を越えた荒業に出たのだった。

いや、荒業と言ったら流石に気の毒かもしれない。
本人だって、好きであんな目に合った訳じゃないだろうから。
この上忍は、どっかの敵に三日間身体を串刺しにされる幻覚を見せられたのだ。それで、意識不明に
なってしまったのだ。
五代目の話では、命には別状無いが、神経系統がかなりやられてるという話だった。
眼が覚めたぞ、といらん気を回して教えてくれたアスマ先生の手前、俺はしぶしぶと見舞いに行った。

カカシはいつもの青白い顔を一層青くさせて、ベットに横たわっていた。
俺の姿を見て、不自由な体を必死に起こそうとする。そして、こっちに何とか手を伸ばそうとする。
でもその動きは、ひどく緩慢で、弱々しかった。思わず枕もとに駆け寄った。
そんなに必死になる必要は無い。俺にだって手はあるんだから。俺から手を伸ばせば、いいんだから。
そう思ってカカシの白い手を取った。長い指が、縋るように俺の手を掴む。
「・・・・大丈夫ですか?」
大丈夫なわけはないのだが、他に言い様もなくそう言った。俺ってほんと、芸が無い奴だな。

俺の手を握ったカカシが、にっこりと嬉しそうに笑う。
心臓が、ズキリと痛んだ。
カカシはよく、楓と自分は同じだ、と言う。その度に、んなわけあるか、と俺は怒って否定している。
でも実は、この笑顔だけは確かにそうだと思ってる。
今だってそうだ。ただ手を取っただけで、ほんの少し、その手に力を込めただけで、幸せそうに微笑む
薄い唇。無邪気な喜びを浮かべて見詰める、澄んだ瞳。
それを見る度に思う。
どうしてこんな笑い方が出来るんだろう。どうしてそんな眼で、俺を見つめる事が出来るんだろう。

「・・・・見苦しいトコ、見せちゃって・・・・・」
俺の手を握ったまま、カカシが弱々しく苦笑する。舌まで上手く動かせないらしい。声が縺れてる。
「何言ってるんですか!全然見苦しくなんか無いですよ!大丈夫、すぐ良くなります!そんな気弱に
ならないで下さいよ!!」
両手でカカシの手をブンブン振り回して励ました。
「・・・・なんかね・・・ちっとも身体が動かせななくて・・・」
カカシが一層儚げな笑顔を浮かべる。
「早く元気になって・・・イルカ先生と温泉・・・行きたいなぁ・・・・」
身動きも取れない病床で、そんな小さな夢を語る。その姿に、胸がぎゅっと締め付けられた。
思わず顔を近づけて、精一杯優しく微笑んだ。
「大丈夫。行けますよ。元気になったら、温泉、一緒に行きましょう。俺、ちゃんと待ってますから。
だから安心してゆっくり休んで下さい。」
「・・・・ほんと・・・?」
「本当です。」
「・・・絶対?絶対一緒に行ってくれる?」
あどけなく何度も確認するカカシに、思わず微笑した。整った長い指を、強く握り締めて頷いた。
「はい。絶対一緒に行きます。」

「じゃ、いこっか。」

は?

眼を見張る俺の前で、カカシがむくりと起き上がる。
今までの弱々しい態度はすっかり掻き消え、てきぱきと戸棚を空けて小さな携帯袋を取り出す。
「さ、イルカ先生んち行きますよー。荷造りは早くね。時間無いから。」
「は?」
「綱手様ってほんと人使い荒いよねぇー。あんなアピールしたのに、二日しか有給くれないんだから。
何だと思ってんだろうねー、人の身体を。」
「・・・有給?」
傷病休暇じゃなくて?あんた病人じゃないのか?
「あ。へーきへーき、先生の分の有給もしっかり許可取ったから。」
「はぁ!!?」
茫洋とした半眼が、ニコッと線のように細められる。全身鳥肌が立った。俺が一番嫌いな、カカシの笑顔。
嵌められた、と瞬時に俺に悟らせる笑顔。
「これでやっと、一緒に温泉に行けるねー。」
いやー長かったなーと暢気に笑って、カカシが銀色の頭をボリボリ掻く。
またしても、この男の演技に騙されたのだと分かった。
ずるずる身体を引き摺られながら、今度ガイ先生の所で修行させて貰おう、と固く固く決意した。
いつかこの演技派の悪魔の頭蓋骨を、ひびが入るほど蹴り倒してやる為に。




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