Full moon 2



連れられて来た宿は、海岸の高台に建つ、いかにも高級そうな旅館だった。
そして通された離れの部屋がまた、俺の生徒全員が泊まれそうな程広かった。
その部屋で爽やかな海風に吹かれながら、俺は今の今まで現実逃避をしていたのだ。
無理やり引き戻された現実に溜息を吐きつつ、カカシに質問した。
「・・・いい加減に、ここの宿賃いくらか教えて下さい。」
「えー?しつこいなー。聞いてどうすんの?俺が全部出すって言ったデショ?」
中々教えてくれない所を見ると、目玉が飛出るほど高いんだな。迂闊にその辺の壷なんか割ったら、
当分負債に苦しむに違いない。
絶対床の間には近寄らないようにしよう、と決意しながら尚も詰め寄った。
「いいから、教えて下さいってば。」
いくら強引に連れて来られたと言っても、少しは俺も負担すべきだろう。まして、こんな高そうな宿。
「駄目。」
「何で。」
「駄目だから駄目。」
「もう・・・何でそんなに嫌がるんですか?」
「・・・・じゃない。」
カカシがごにょっと呟いて、不機嫌そうに眼を逸らす。
「え?」
聞き返す俺に、銀髪の上忍が開き直ったように視線を戻す。
「今だって、全然笑ってくんないじゃない。値段ばっか聞いてきて。これでホントに値段聞いたら、
もう絶対笑ってくんないよアンタは。」
銀色な眉を強く顰めて、俯きながら横を向く。
「・・・俺はね、もうあんたの恐縮した顔は見たくないの。それだけは、見たくないの。だから、値段なんか
気にしないで。いい宿ですねって、笑ってよ。いい景色ですねって、笑ってよ。」
微かに語尾を震せながら、血の気が引くほど拳を握る。
「俺だって、あんたを笑わせられるって思わせて。また失敗したんじゃないって、思わせて。」

・・・・何で、そういう言い方すんだろうなぁ・・・。
がっくりと肩を落として、畳に両手をついた。
この悲壮な言いっぷり。この悲しげな声。
宿賃を聞いただけで、何でここまで人の罪悪感を煽れるんだ。ここで更に追求なんかしたら、
鬼みたいじゃないか。ていうかもう、絶対聞けない。こんな状態じゃ。
「・・・・別に俺、恐縮なんてしてません。いい宿だなあって思ってます。こんないい景色みれて
嬉しいなあって思ってます。」
「・・・・・・。」
「おっ俺の安月給じゃ、こんなトコ絶対泊まれませんしね!カカシさんとじゃなきゃ、無理ですよ!
うん!俺、カカシさんと来れて良かったなぁ!!」
何でこんなに必死になって、この男の機嫌を取んなきゃいけないんだ。強姦された上に、更に
ご機嫌をとってる俺って何者だよ。世の中不条理過ぎないか。
半ば物悲しい気分に浸りながら、萎れる白銀の男を覗き込んだ。俺の気持ちに異様に聡い男が、
ちらりと顔を上げて、また悲しげに瞼を伏せる。くっそう。なんて敏感な奴なんだ。
困り果てて、形のいい耳を軽く引っ張った。
「ね。俺に笑って欲しいなら、カカシさんも笑ってください。そうすりゃ俺も笑いますから。」
やけくそになって囁いた。ったく。何でいい年した男に、こんな子供をあやすような台詞を。

俺の言葉に、カカシがふっと顔を上げる。
「・・・俺が笑えば、あんたも笑うの?」
「そうです。」
だからもう機嫌直せ。この拗ねっこ上忍が。
「俺に、笑って欲しいの?」
「欲しいです。」
答えた途端、銀色の物体が弾丸のように体当たりしてきた。
あまりの勢いに、ドサリと後ろに倒れこんだ。長い腕がすかさず背中にガシッと回される。
「もう何でそんな殺し文句言うのかなー!?いいよ。笑うよ。だからあんたもいっぱい笑って。ね!?」
満面の笑みで、子犬のように頬にチュッチュとキスを落とす。
「可愛いよねー。俺が笑ったら、笑うだって!あはははは。男殺しだねー、イルカ先生!」
「・・・この・・っ!」
真っ赤になって、殴りかかろうとした。その手首をあっさり掴まれ、耳元でうっとり囁かれる。
「大好き。もっと言ってよ。もっと俺を、夢中にさせて。俺のこと、虜にしちゃって。」
いつもながらの歯が全部抜けてしまいそうな気色悪い口説き文句にうんざりして、ハイハイと
投げやりに銀色の頭を押しのけた。
何で俺の一言でここまで態度変えられるんだ。何なんだよ。この餓鬼みたいなはしゃぎっぷりは。
あんたほんとにビンゴブックに名前の載ってる上忍か。


いい宿だけあって、夕飯はすごく美味かった。
しかし、絶対に酒には手を伸ばさなかった。それに気付いたカカシが不審そうに尋ねる。
「何で呑まないの?」
何でと聞くか。この強姦魔が。
呆れてカカシの顔を眺めた。かって俺を泥酔させて強姦したのはどこの誰だ。
俺の無言の抗議に、カカシがへちゃりと眉を下げる。
「あー、そーか・・・・参ったなー・・・」
いきなりがばりと食膳に両手をついて、銀色の頭を下げる。
「ごめんなさい。もうあんな事絶対しません。だから酒、呑んで下さい。」
色違いの瞳を悲しげに歪めて、切々と訴える。
「ね、先生こういう宿に泊まりたかったんデショ?それで、美味い酒呑みたかったんデショ?
なら、そうして。お願い。俺がいるから我慢する、なんてコトしないで。」

・・・・何でそこまで詳しく知ってんだ。
当然のように俺の希望を語る男を、マジマジと見詰めた。写輪眼てのはリサーチ能力もあるのか。
「いや・・・・別にそれほど強く・・・呑みたいとか思ってたわけじゃ・・・」
すっかり毒気を抜かれて、しどろもどろに言い訳した。
「お願い。お願いします・・・!」
カカシが一層低く頭を垂れる。その悲壮な声に、ギクリと身体が強張った。
やばい。泣かれる。この声になった時は、この男は絶対泣く。
殆ど条件反射のように声を張り上げた。
「呑みます!呑みますってば!だから、もう顔上げて下さい!!」

「そう?」
ケロリとした顔で、カカシが顔を上げた。打って変わったニコニコ顔で徳利を手に持つ。
・・・・ああ。またやってしまった。
自分の馬鹿さ加減に、ほとほと呆れながら杯を差し出した。
言い訳にもならないが、要するに最初のショックがでか過ぎたのだ。
この図体のデカイ男に、子供のようにボロボロ泣かれた、というショックが。
お陰で、俺がこの人を泣き止まさねば!みたいな変な使命感が同時に刷り込まれてしまったのだ。
そして絶対、俺のこの妙な使命感は見破られてると思う。
絶対、そこにつけこまれてるんだ。この嘘つき上忍に。

久しぶりに呑んだ酒は美味かった。
勿論、酒そのものが極上なんだろう。しかし、値段を聞くとまたやっかいな事になりそうなので、
何も考えずに呑む事にした。
そして、妙な恋愛感情さえ表に出さなければ、カカシは上手な聞き手だった。
惚けた声で飄々と打たれる相槌。そこには相手の言葉を巧みに引き出す、不思議な吸引力があった。
写輪眼のカカシは頭脳戦も得意だ、と言われる理由の一端が分かった気がした。
いい調子で語り、呑み続けてるうちに、段々愉快な気分になってきた。

何かの話の途中に、カカシがちょっとした冗談を言った。それに思い切りはまってしまい、
俺は盛大に噴出した。
間の悪い事に、俺はその時グラスに並々と注がれた冷酒を飲んでいた。
噴出した途端、全部それを引っくり返してしまった。零れた酒がぐっしょりと胸元をぬらす。
「あー、やっちゃったー。えーと、まだ予備の浴衣あったよね。」
カカシがひょいと立ち上がる。
「・・・・あ。いいですカカシさん。自分で取ってきます。わー、腹まで濡れてる。」
俺は頭を振って立ち上がった。
「俺、もっかい風呂に入ってきます。せっかく備え付けの露天風呂があるし。」
そう言うと、カカシはそうだね、と垂れた目尻を一層下げて優しく笑った。

晧晧と浮かぶ月に照らされた露天風呂は、物凄く気分が良かった。
規則的に繰り返す波の音も、耳に心地よかった。酒に緩む身体と心に、暖かい湯が溶けるように
染み渡っていく。
うわー極楽。
そう呟きかけて、ナルトが聞いたら「じじくせー」とか言って笑うんだろうなぁと可笑しくなった。
詐欺みたいな(いや詐欺そのものだが)やり方で連れて来れられた温泉だが、本当に来て良かった。
俺は幸せな気持ちで、白い湯気の上にぽっかり浮かぶ満月を眺めた。

風呂から出た後は、身も心も緩みまくっていた。
ふかふかの布団に座り込んで、濡れた髪を乱暴にタオルで拭いた。
「手伝おうか?」
カカシが寄ってきて耳元で囁く。何を?と思ったが、もう何かを考えるのが面倒だった。
「・・・・あー、じゃ宜しくお願いします。」
ペコリと頭を下げると、持っていたタオルをひょい取られた。そのまま丁寧に頭を拭われる。
ああ。俺の髪を拭きたかったのか。
変な事をしたがる人だなぁ、と可笑しくなった。俺が雑に髪を拭くのが嫌だったのか。
何だか、自分の宝物を雑に扱われるのを嫌がる子供みたいだ。
俺のモンなんだから大事にしろよ、と唇を尖らしてその手に奪い返す、独占欲の強い子供みたいだ。

クスクス笑って、図体のデカイ子供のやりたいようにさせた。
カカシが不思議そうに俺の顔を覗き込む。
「何?何で笑うの?」
きょとんとした顔が面白くて、一層笑いが漏れてきた。
なになに?とカカシが詰め寄ってくる。笑いが止まらなくなった。おっかしいなあ、この人。
益々子供っぽいよ。すげームキになってんの。
意味が分からないながらも、俺がご機嫌で笑うのが嬉しいらしい。カカシもつられて笑い出した。
しかし手は止めようとしない。何時の間にかタオルじゃなく、長い指で直接俺の髪を梳いていく。
うー。酔ってなければ、きっと物凄く寒く感じる行為だな。でも、なんか今は駄目だ。
この感触が気持ちいい。
あまりに気持ち良かったので、カカシに笑顔全開でニカーっと笑いかけた。
そしてポリポリと鼻の頭を掻き、ありがとうございます、と照れ笑いして礼を言った。

その瞬間、ふいに髪を梳く手が止まった。
そのまま、静かに首筋を引き寄せられる。同時にカカシの顔も緩やかに近づいてくる。
あ。写輪眼。
ぼんやりと思った。何て綺麗なんだ。深く輝く真紅の虹彩。その中に黒く揺らめく巴の紋章。
カカシの唇が、ゆっくりと俺の唇に押し当てられる。入れて、と強請るように薄い舌で歯列をなぞっていく。
その舌の燃えるような熱さに、頭の芯がボウと霞んだ。

それでも、口は開かなかった。
僅かに残っていた理性が、辛うじて俺を踏み留ませた。カカシが何度も触れるだけのキスを繰り返す。
それでもいい、と言うように。それでは嫌だ、と言うように。
「・・・・止めて下さい。駄目です。俺、駄目だって言いました・・・」
拒否する為に発した声は、自分でも驚くほど頼りなかった。
本当は、堂々と突き飛ばしていいはずなのだ。こんな、懇願するように断らなくてもいいはずなのだ。
カカシが突然玄関で泣き出した日から、俺は何度も言い渡していたのだ。
もう、俺を性欲の道具にしないでくれと。自分の欲望の解消に、俺を使ってくれるなと。
でなければ、あなたと付き合う事は出来ないと。
そう言っていたのだ。カカシはそれに、頷いていたのだ。

「ごめん・・・ごめんね・・・・ごめん・・・・」
カカシが震える声で何度も謝る。それでもキスを止めようとしない。
「お願い・・・俺と寝て・・・・ねえ・・・お願いだから・・・・お願い・・・」
胸が締め付けられるような、切ない声で繰り返す。
「・・・嫌です。俺、もう無理にやられたくありません・・・もう、嫌なんです・・・・」
何とか自分を励ましてもう一度断った。強引に腹の中に捻じ込まれる欲望。ボロ雑巾のように
引き裂かれる身体。あんなのはもう嫌だ。本当に、嫌なんだ。
「そんなことしない・・・!」
カカシが身体中から搾り出すように叫んだ。
「もうあんなことしない。道具みたいに扱ったりしない。大事に、大事にするから。だから、させてよ。
俺に、無理矢理じゃないセックスさせてよ。ね、お願い・・・・」
両手でそっと俺の頬を支え、包み込むように柔らかく唇を食む。
「・・・・道具じゃないあんたと俺で、セックスさせて・・・・」


・・・・凄過ぎる。
殆ど呆然としながら思った。
この人、今まで落とせなかった女いるんだろうか。この雰囲気に飲まれなかった奴なんているのか。
そりゃ巨乳美女も夢中になるよ。こんな調子で口説かれたらもう、大抵の女は一発だよな。
女が切れた事が無い、って言われるわけだ。

カカシの視線がふっと翳る。
「・・・・他の事なんか、考えないで。俺のことだけ、考えて。」
俺の心を読んだかのように、縋るような声で囁く。
「あんただけだよ。あんたにしか、こんな事言わない。あんただから言うんだ。だから、お願い・・・・」
何でそこまで俺の考えてる事が分かるんだ。先回りして、逃げ道を塞げるんだ。
ただじっと、その色違いの瞳で俺を見詰めているだけで。

はあ、と大きな溜息を吐いた。
もう駄目だろう。こんなに酔ってて。この男が、こんなに本気で迫ってて。
今から逃げ出すなんて、絶対不可能だ。
「・・・・・けですよ・・・」
「え?」
「だから!こ、今夜だけですからね!!」
「・・・・それって、OKってこと?」
「そうですよ!!」
ヤケになって叫ぶと、カカシがパーッと明るい顔になった。
「大丈夫・・・!絶対、よくしてあげるから。うんと喜ばしてあげるから!」
はしゃいだ声で、俺をぎゅっと抱きしめる。嬉しくて堪らないように頬を摺り寄せてくる。
しみじみと決意した。
俺は明日から、禁酒する。





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