眩暈 1



死のう。

そう決めると、急に心が軽くなった。
薄汚れた酒場で開かれたアカデミー教師達の飲み会。その隣席から耳に飛び込んできた会話は、
思いがけない解決法を示してくれた。
「俺はよぅ、今度の任務で死にてぇよ。」
忍服を着た中年男が、ぐずぐず鼻を鳴らしながら訴える。
「止せよ。死んでどうすんだ。縁起でもねぇ事言うなって。」
向かい席の男が宥めるように言う。その言葉に中年男がきっと顔を上げる。
「おめぇ、自分のガキに言われた事あるか!?博打で借金こさえて、女房に逃げられるなんて最低だって、
馬鹿にされたことあるか!?お、俺はよ・・・・っ!」
酒臭い息を吐きながら、だらだらと涙を零す。と思うと、突然がっくりと肩を落とし、弱々しい声で呟く。
「・・・・死ねば、あいつも見直してくれるんじゃねぇかって、思うんだ・・・・」
「おい・・・・」
「殉職すりゃぁ、俺の父ちゃんは、最期は決める男だったって、そう思ってくれるに違いねぇ。なぁ、そうだろ?」
でもよぅ、と困った声で宥め続ける相手の言葉は、もう聞こえなかった。
『死ねば、あいつも見直してくれる。』
その言葉だけが残った。心を覆う暗雲がすっきりと払われた気がした。そうだ。死ねばいいんだ。
それが全てを解決してくれる。
あの子供の事も。
この地獄のような日々も。

地獄。
まさにこの半年はその日々だった。半年前、突然血みどろで玄関に現れた銀髪の男。
「・・・カカシさん?」
ナルトの上官。凄腕の上忍。平凡な中忍の自分とは、全く違う世界に生きる男。
顔見知りだが、決して親しいとは言えない間柄。その上忍が何故俺の家に?
「どうしたんです?何か俺に・・・」
そう問い掛けて、はっと気づいた。
「まさか、ナルトの身に何か!?」
血の匂いの篭る身体に、触れんばかりに詰め寄った。ナルトが自分に懐いてる事を、この男は知っている。
そもそも、この上忍と知り合いになったのはナルトのせいだ。
「カカシ先生、これがイルカ先生だってば!!」と青い瞳を輝かせながら、誇らしげに自分を紹介したナルト。
きっと、この上忍はナルトの異変を知らせに来たのに違いない。そう思った。

ナルトの名前が出た途端、銀髪の男は薄い唇を歪めた。それで初めて、この男が口布を降ろしているのに
気付いた。中々いい男だったんだな、と呑気な感想が脳裏にふと浮かぶ。
「・・・・別に何も。ナルトは今ごろ、布団の中で平和に寝てますよ。きっと。」
暫くの沈黙の後、カカシが落ちついた口調で答えた。
「じゃあ、なんで・・・」
「俺ねぇ。今任務から帰ってきたんです。」
イルカの質問を平然と遮って、カカシがゆったりと語りだす。
「結構酷い任務でねぇ。こういうの久々で、なんか興奮しちゃったよ。」
ニコニコと眼を細めて笑う。何故か背中に寒気が走った。
こんな馴れ馴れしい口調で話す男だったか?それに、何て白い肌だ。血の気が全くない。
まるで死人じゃないか。
その白い顔から笑顔がふいに消えた。群青の瞳がゆっくりと開かれる。
「・・・ねぇ。ナルトがいなくなったら俺とはそれきりって、ホント?」

思わず舌打ちをした。
余計な事を告げ口する奴がいるもんだ。あの時の事に違いない。
ナルトに紹介された縁で、時々会話を交わすようになった上忍。
口布に覆われた顔と茫洋とした口調は、一向感情が窺い知れなかった。何かを含むような、思わせぶりな
物言いにも戸惑った。直情系の自分には難しい人だと直感した。
だから、カカシとは一線を置いて接する事にした。会話は常に緊張を孕み、酷く自分を疲れさせた。

やっかいな事は、それだけではなかった。
忍の世界に名を轟かす上忍と親しげに話す姿は、嫌でも他の中忍の好奇心とやっかみを買った。
三代目の後は写輪眼か、と悪意のこもった言葉を投げつけられた事も一度や二度ではない。
そこまでいかずとも、天才忍者と近づきになるにはどうしたらいいのだ、としたり顔で尋ねられるのは
再々だった。ある日、いい加減嫌気が差して、こう言った。
「俺はカカシさんに擦り寄ってるつもりは無い。親しくするつもりもない。向こうだってそうだ。
俺がナルトの事を聞くから、相手をしてくれてるんだ。ナルトがあの人の手を離れたら、それきりだ。
お前等が羨む事なんか、何一つ無い。いい加減にしろ。」
そう言い切って、憤然とその場を去った。これ以上、下卑た好奇心で詮索されるのは真っ平だった。

あれが、この男の耳に入ってしまったのか。
気まずい沈黙の中、溜息を吐いた。あいつ等の事だ、一体どういう伝わり方をしたんだか。
カカシ上忍、イルカは内心貴方を嫌ってるんですよ、くらいの事を忠臣面で大仰に喋ったのかもしれない。
いや、きっとそうだろう。
「あのですね、カカシさん・・・」
カカシがゆっくりと首を振る。
「ナルトがいなければ、俺は必要ない?利用し終わったら、顔も見たくない?俺は、使い捨て?」
淡々と尋ねる低い声に、思わず息を呑んだ。
「そんな・・・!」
慌てて弁解しかけると、カカシは大げさに手を振った。
「ま。いいです。それなら俺もアンタを利用させてもらうから。」
青く血の引いた唇がニッと弓なりに釣り上がる。不吉な、嫌な笑い方だった。

「アンタ、俺の奴隷になってよ。」

言い終った瞬間、全身をチャクラで噴き飛ばされた。床に激しく叩き付けれた衝撃に、一瞬、眼が眩んだ。
その隙を捕らえて銀色の獣が襲い掛かる。
そして、悪夢のような陵辱が始まったのだった。

目の前の男が何をしようとしてるか分からなかった。
呆然と圧し掛かる身体を眺めていた。下着を毟り取られ、尻を剥き出しにされて初めて、何をされようと
してるか分かった。
死に物狂いで抵抗した。が、相手はケタ違いだった。殴る手も、押さえ込む腕も、容赦は無かった。
殴られた頬は赤黒く腫れあがり、足の付け根には精液と血が汚らしく交じり合った。
陵辱は長く、執拗だった。激烈な痛みに何度も気絶しかかった。朦朧とした意識の中、しつこく腰を
揺さぶられた。解放されたのは、完全に意識を失ってからだった。

目が覚めても、悪夢は終わらなかった。
むしろ、そこからが本当の悪夢の始まりだった。軋む身体をようやっと起こした自分に、銀髪の上忍は
平然と「これでアンタは俺のもんですね」と言ったのだ。
「何を馬鹿な・・・・!俺はあんたの顔なんか二度と見たくない!」
怒りに震えて言い返せば、「中忍程度が大きく出たね」と鼻で笑われた。
「上忍の性欲処理は中忍の仕事デショ?」
「・・・!ふざけるな!!」
「何で?戦場じゃ、よくあるじゃない?先生、里で楽な仕事し過ぎて平和ボケしてんじゃない?」
「・・・・・!」
目を見張るイルカに、カカシがぐいと顔を近づける。
「もう遅いよ。アンタ俺にやられちゃったじゃない。だから、俺のもんだよ。あんま聞き分けないと、
俺、触れ回るよ?あんたとやったって。イルカ先生は男とやりまくる淫乱だって。」
思わせぶりにいったん言葉を切って、続ける。
「・・・ナルト、どうなっちゃうかなあ。大好きなイルカ先生が、俺に股開く変態だって知ったら、傷つくよねぇ。
絶望の余り、腹の封印解けたりしてね。そしたら里も大変だ。」
あはは、とカカシが可笑しそうに笑う。思わず繰り出したイルカの拳は、虚しく空を切った。
逆にその手首をがっちりと掴まれ、ギリギリと腕を逆手に捻りあげられる。
「せっかく命がけで助けた小狐、壊されたくないでしょ?ね?」
優しい口調で語りながら、底冷えする瞳でイルカの顔を覗き込む。
「先生が大人しく俺の相手してくれりゃ、全て丸く収まるんですよ。里もナルトも。」
蒼褪めるイルカの頬を冷たい指がなぞる。
「・・・・・選択の余地は無いんですよ。アンタは俺を怒らせたんだ。イルカ先生。」

殺してやりたい。
本気で思った。実力で敵わなくても、せめて一太刀、と何度もクナイを握り締めた。
しかし、結局実行はできなかった。
上忍相手に刃傷沙汰を起こせば、あっと言う間に噂が里中に広まるだろう。それを恐れた。

「イルカ先生!俺ってば、カカシ先生に良くやったって言われたってば!!」

上気した頬で、興奮して語るナルト。里中から疎まれて育った哀れな子供。
その子供を支える二本の柱。自分に血の通った人間として認められ、写輪眼のカカシに仲間として
認められている。それだけが、ナルトの支えなのだ。
それなのに、そのカカシが自分を犯し、恨んだ自分がカカシを殺そうとした、などという醜悪な話を聞けば、
どんなにナルトは傷つくだろう。そんな惨い真似はとても出来ない。そう思った。

だから、決意した。
自分を襲った悪夢のような災厄を、歯を食いしばって耐える決意を。
這い回る大きな手も、薄笑いを浮かべながら要求される舌での奉仕も、黙々と受け入れた。
カカシの要求は厳しかった。その要求は私生活にも容易く及んでいった。
指定された時間に遅れれば、容赦なく殴られ、解す事も無く突っ込まれた。
不規則なカカシの生活に合わせれば、真面目で仕事熱心だ、という自分への評価はみるみる地に落ちて
いった。
たまに思いついたように施される愛撫は、更に苦痛だった。望まぬ関係に、望まぬ反応まで示すのは
耐え難かった。拳に爪を突き立て、痛みで気を散らした。イルカの手から滴る血に、カカシはふん、と
つまらなそうに鼻を鳴らして愛撫を止めた。抱き合う腕もないまま、ただ獣のように欲望を吐き出すセックスが
全てだった。何故と問えば、いつも答えは同じだった。
アンタは俺を利用したんだ。だから俺もアンタを利用したまでだ。
その一点張りだ。尚も問えば、お決まりのセリフを忌々しげに吐かれる。
アンタは俺の物だ。俺の奴隷だ。
犯される前にも、怒りに満ちた瞳で言われた言葉。この男にとって自分は対等な人間ではない。
そうであれば、あんな言葉は出てこない。この男にあるのは、格下の者に「利用された」怒りのみなのだ。

けれど、何の落ち度が自分にあったのか。
随分と気を使って接してきたつもりだった。ナルトの事を尋ねる時だって、余計な事は一切言わないように
していた。
確かに掴めない男だとは思っていた。が、一面、信頼もしていた。
腹に化け物を抱え込まされた子供を、あっさりと引き受けてくれた上忍。
その成長を尋ねる自分に、いつも丁寧に応じてくれた。度量が広く、階級差に奢る事の無い人だと、
感心していた。
今となれば、とんだ間抜けだ。
この男は、こんなにも階級差に拘る男だったのに。
些細な言葉尻に憤激し、こんな気違いじみた真似をするほど狭量な男だったのに。
「ナルトがいなくなれば、それきりの関係。」
互いの階級差を思えば、当然のことではないか。
何故それを「利用」だの「使い捨て」だと思うのか。そして、ここまで怒るのか。
全く理解出来なかった。

狂ってるとしか思えなかった。
6歳で中忍となり、暗部となり、血に塗れて生きてきた男。
きっと、どこかで歪んでしまったのだ。その歪みが、僅かなきっかけで一気に噴出してしまったのだ。
自分は運悪く、その歪みに触れてしまったのだろう。
自分以外には全く普通に振舞っているのが、いっそう不気味だった。
今ここで、この里の誇る上忍は男の俺を犯し、その関係を脅迫し続けているのだ、と叫んでも誰も本気に
すまい。そう思える程、カカシは平静だった。その平静さは、やはり狂気にしか思えなかった。

残る希望は一つだけだった。
ひたすらにカカシが飽きるのを待った。
写輪眼のカカシは飽きっぽい。女とは、もって半年だ、と聞いた噂に縋り付いた。
半年たてば、この男は飽きる。それだけが支えだった。
半年後、まるでイルカの心の声が聞こえたかのように、カカシが言った。
「俺はね、アンタを一生離さないよ。もし逃げたら、ナルトに言うよ。お前の大好きなイルカ先生は俺に何度も
やられてよがってる、変態男だって。」
にやにや笑いながら、俯くイルカの顎を持ち上げる。
「だって先生、感じてるもんねぇ。最近、後ろだけでイクじゃない?あの真面目だったイルカ先生が大した進歩
だよねー。」
唇を噛んで横を向いた。前立腺を刺激すれば、男は嫌でも射精する。当然の生理現象を「感じてるからだ」と
うそぶくカカシが憎かった。それ以上に絶望が胸を覆った。
半年経てば。
そう思って、今まで耐えてきた。それなのに、この男の執着は酷くなる一方だ。
こんな吐き気を催す関係を何故続けようとするのか。そこまで、この男の怒りは、狂気は深いのか。
自分は一生、この男の慰み者として生きていくのか。
カカシがぐいと自分をイルカの中にねじ込む。さっき注がれたばかりの精液が、ドロリと股を伝って
流れていった。思わず目頭が熱くなった。なんて惨めな。なんて醜悪な。これが俺の姿か。
固く閉じた瞼から涙が溢れ出した。泣けばこの男を喜ばせるだけだ。そう思いながらも、涙を止める事は
出来なかった。

そんな矢先に聞いた居酒屋での会話。
『死ねば、あいつも見直してくれる。』
その通りだ。何故気づかなかったのか。任務で殉職する。それ以上に自分の名誉を回復させてくれる手段が
他にあるだろうか。
死んだ者は美化されるものだ。華々しい殉職なら、尚更そうだ。
手紙を書こう。ナルトに。
綺麗な理想を並べ立てた、感動的な手紙を。子供の心を揺さぶるような手紙を。
そうすれば、自分が死んだ後で、カカシが俺との事をナルトに暴露しても、信じる可能性は半々だろう。
俺を疑う一方で、俺を信じたいと思うだろう。殉職者の思い出を汚したくないと願うだろう。
そうなれば、俺の勝ちだ。ナルトには強い執念がある。まっすぐに歩きたい、という執念が。
その執念が、俺の死を美化するだろう。結局は、俺の手紙を信じるだろう。
あの子はそれで、生きていける。俺の手紙を支えに、生きていける。

有頂天になった。
こんな地獄のような毎日も、終りにできる。男に貫かれる自分を、唾棄する日々は終わるのだ。
里の為に、殉職する。素晴らしい解決法だ。
もう自分を蔑んで生きていくのは御免だ。あの男の奴隷でいるのは、もう沢山だ。
内勤になって、随分たつ。戦闘の勘も鈍ってることだろう。ハイランクの任務を受ければ、誰にも怪しまれずに
殉職出来るはずだ。何て都合のいい。
興奮のあまり、叫びだしてしまいそうだった。


Aランクの任務を受けたいと申請すると、幹部は驚いたようだった。
荷が勝ちすぎるのではないか、と何度も聞かれたが、大丈夫だと頑強に言い張った。
過去に何度もAランクの任務をこなした。心配は要らない、と幹部を説得して回った。
三代目が生きていれば、そんな無茶は通らなかっただろう。
しかし、今はいない。
そして里は完全な人手不足だった。説得は次第に現実味を帯びだした。
結局、Aランクの任務許可が下りた。
二週間後に、激戦地に囮として赴くべし、という辞令だった。

これは死ねる。

依頼書を見た途端、悟った。囮はその性格上、敵に囲まれやすい。手を抜くつもりはないが、結局は駄目だろう。
敵を引き付けるだけ引き付けて、命を落とす事になるだろう。背筋がゾクゾクした。
忍としてこれ以上の舞台は無い。最高の花道だ。ひどく心が浮かれた。



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