恋をするころ(1)




うわ。また居る。

居酒屋の奥座敷に陣取り、ぎこちなく手招きする銀髪の上忍。その姿に我知らず肩が落ちる。
また居るんですかカカシ先生。また来たんですかカカシ先生。
ヒクヒクと顔を引き攣せながら、無理やりに愛想笑いを返す。くそう。今日こそ、今日こそは。
ぐっと拳を握り締めた。

今日こそは、ガイ先生と二人きりで飲めると思ったのに。


言っとくが、俺は別にカカシ先生が嫌いなわけじゃない。
「写輪眼のカカシ」と二つ名で他国の忍に恐れられてるカカシ上忍を、素直にスゴイと思ってる。
そんな人と、しがない中忍の俺が一緒に酒が呑めるなんて、ホントはすごく光栄な事なのだ。
だけど。

だけど、俺はそれ以上にガイ先生を尊敬しているのだ。

ガイ先生は努力の人だ。
子供の頃、あんまり忍術が得意じゃなかった(はっきり言えば落ちこぼれだった)ガイ先生は、
体術を極める決意をした。そして極めた。
並大抵の努力では無かったはずだ。まさに血を吐くような日々だったに違いない。
いかに強力な忍術を会得しているか、に重きを置かれがちな忍の世界において、体術一本で勝負
しようとするガイ先生の姿勢は、嘲笑される事も多かっただろう。華やかに忍術を操る仲間の後姿を
眺めながら、歯を食い縛る日もあっただろう。
それでも、ガイ先生は負けなかった。
そうしてついに、ガイ先生は体術の達人になった。体術ならこの人、とまで言われる程になった。
俺自身、アカデミーではいまいち成績がパッとしなかったせいもあって、このエピソードを聞いた時
には感動で涙腺ユルユルになってしまった。
しかも、ガイ先生の素晴らしさは、それだけじゃない。
性格にちっとも卑屈さが無い。落ちこぼれだった過去を、恥じる事も無く堂々と語る潔さがある。
「天才忍者」と幼少の頃からその才を持て囃されていたはたけカカシを向こうにまわし、「永遠の
ライバル」と胸を張って言い切る誇り高さがある。そして、かつての自分のように忍術が不得手な
部下を励まし、導こうとする情熱を持っている。
俺はそんなガイ先生を、忍としても、一人の人間としても、心の底から尊敬していたのだ。

ある日、受付に来たガイ先生は、他の上忍に酒の誘いをかけていた。
その上忍は「お前と飲むと濃すぎて疲れる。」なんて失礼極まりないセリフでその誘いを断った。
密かに憤慨しながらその様子を眺めていると、俺の視線に気づいたガイ先生は、ぐっと親指を
立てながら振り返った。
「この青きマイトガイの誘いを断るとはな!勿体無いと思わんかイルカ!?」
「勿体無いです!!俺が御一緒したいくらいです!!」
思わず叫んだ。すると、ガイ先生は眩しい位に歯を輝かせてニカッと笑った。
「ようし!それならお前を誘ってやろう!どうだ、今日、呑みにいかんか!?」
「・・・!!光栄です!!」
俺はガイ先生に負けないくらいの大声で返事をした。きっと受付所中、いや、廊下まで俺達の会話は
響き渡ったことだろう。それくらい、嬉しかった。ものすごく、嬉しかった。

ウキウキと胸を弾ませながら約束した居酒屋に入った。
急いで仕事を終わらせたつもりだったが、既にガイ先生は到着していた。店の奥で「おーいイルカー!」
と立ち上がって腕を振っている。
「うわー!申し訳ないです。お待たせして。」
満面の笑みを浮かべながら、いそいそとテーブルに近づいた。

「どーも」

ガイ先生の向かい席から、ふわりと間延びした声が聞こえた。クルリと振り向く銀色の髪。
俺は眼を見張った。

「カ・・・カカシ先生っ!?」

思わず声が裏返ってしまった。いや、だって、何でこの男がここにいるんだよ。
写輪眼のカカシ。千の技をコピーしたと言われる天才忍者。生きながら伝説化している、凄腕の忍。

この上忍と俺の接点は、僅かなものだ。
ナルト達の元担任と現在の上司。受付所での義務的な挨拶を除けば、今まで会話らしい会話は数える
程しかない。
しかも、その内の一回は、手厳しい叱責だった。
ナルト達の中忍試験参加に反対する俺を、カカシ先生は激しく指弾した。
もう俺の生徒ではなく、自分の部下なのだと反論を許さぬ口調で言い切られた。
そして実際、カカシ先生の眼は正しかった。あの子達は立派に試験をくぐり抜けた。
ぐうの音も出なかった。
確かに、俺はナルトの保護者気分でいた。俺が庇護すべき存在のように思ってた。
そのけじめのなさを、可愛がるが故の盲目さを、この優秀な男は見抜いていたのだ。

それ以来、俺は公の場でナルトを自分の生徒扱いするのを止めた。
受付ではあくまで事務的に、忍同士として臨む。けれど一歩外に出れば、今までと同じように
可愛がった。それが俺なりの、公私のけじめだった。ナルトにもそう言い聞かせた。
カカシ先生に対しても、同じだった。
それまではナルトの様子聞きたさ半分、伝説の上忍と話したさ半分で、俺から時々ポツポツと
話し掛けたりしてたのだが、あの件以来、そんな態度は改めた。
カカシ先生は口数が少ない男で、元々自分から話し掛けてくる事はなかった。
だから俺が話し掛けなくなれば、それでお終いだった。会話は全く無くなった。
まあもっとも、平凡な一中忍に、この有名上忍が取り立てて話したい事なんて無いだろうが。
要するに俺とこの男とでは、住む世界が違うのだ。
公私のけじめをつければ、交わす言葉は一つも無い。
その程度の関係だったのだ。

だから、その無口上忍がこんな酒の席で、いきなり俺の前に現れたのは、かなり驚きだった。
何ていうか、コアラが道でばったり白熊に会ったような。おいおい大陸違うだろ、みたいな。
面食らったまま固まっていると、突然ガイ先生がはははははと大笑した。
「我が永遠のライバルが一緒に飲みたいと言うのでな!」
ああ。そういう訳か。
納得して頷いた。
カカシ先生はガイ先生と飲みたかったのか。やっぱり上忍同士、仲がいいんだ。まあ、「永遠の
ライバル」だもんな。ある意味、絆固いよな。

・・・あれ?そんなら俺、もしかして邪魔者?

ずーんとテンションが下がってしまった。
だって今日はガイ先生と語り倒そうと張り切ってたんだぞ。それなのに今更邪魔者扱いなんて。
「・・・どーぞ。」
立ち尽くす俺に、カカシ先生が横の椅子を軽く叩いた。隣に座れ、と言う事らしい。
相変わらず惚けた声だが、迷惑そうな響きは無かった。
「あ、ど、どうも。」
慌てて席につくと、隣から、ふう、と安堵したような深呼吸が聞こえた。横を向くと、カカシ先生が
口布に覆われた顔面から、唯一露な右目を線のように細くしてニコリと笑う。
ちょっと驚いた。普段は俺が挨拶しても、俯きながら返事らしきものを口の中でモソモソ呟くだけなのに。
へぇ。酒の席では愛想がいいんだ。
初めて見たカカシ先生の笑顔に、気を良くして考えた。考えてみればガイ先生もカカシ先生も凄い忍だ。
そんな二人と一緒に呑めるなんて、物凄い幸運じゃないか。残念がるなんて不遜だ。
「今日は宜しくお願いします。」
ペコリと頭を下げて、にっこりと笑い返した。
「・・・あ。ハイ。」
一瞬の沈黙の後、カカシ先生がボリボリと頭を掻きながら、呆けたように頷いた。


今思えば、あれがケチの付き始めだったよなあ・・・。
しみじみ思う。あれからのカカシ先生を一言で表すとすると、これだ。

邪魔。

もう、ほんっとに申し訳ないと思ってる。あの写輪眼のカカシが邪魔なんて、何様だよ俺。
でも、実際邪魔なんだ。邪魔って言うか、もどかしい。そう、もどかしいんだ。だって。

カカシ先生がいると、全然ガイ先生と喋れない。

酒の席でのはたけカカシは、とにかく人の話に割って入ろうとする男だった。
折角俺がガイ先生に質問してるのに、あの不思議なテンポで言葉の切れ目にふわりと入り込んで、
ガイ先生との会話を奪ってしまう。そのくせ、俺の方を見ようともしない。
いかにも「中忍風情と語る必要なんか無い」って感じだ。
無口な男だと思っていたが、それは勘違いだった。この男は同じ上忍同士だと、結構饒舌だったのだ。
くそう。何か悔しい。
お陰で俺は置いてかれっ放しだ。ガイ先生に話し掛けては、ポツンと取り残される。
まるで、ガラス越しに二人の会話を眺めているみたいだ。

話題は木の葉の将来についてに移っていった。勿論俺は蚊帳の外だ。
だんだん悔しさを通り越して物悲しくなってきた。
何も、ここまで俺を無視することないじゃないか。畜生、カカシ先生め。
悄然と肩を落としていると、ガイ先生がパッとこっちを振り向いた。
「何だイルカ!静かだな!折角の飲み会だ、もっと遠慮なく話せ!」
「ガイ先生・・・・」
感激で拳が震えた。やっぱりガイ先生は素晴らしい人だ。こんな中忍風情の事も忘れず気にかけてくれる。
何ていい人なんだ。ガイ先生が輝く笑顔でぐっと親指を立てる。
「カカシ!貴様もイルカと何か話さんか!親睦を深めるのはいい事だぞ!」
言われたカカシ先生が、俺に振り向く。ここまで大声で宣言されると、流石に無視するわけにも
いかないんだろう。色素の薄い瞳が、銀髪の下から俺をじっと見つめる。
何だかちょっと緊張する。考えてみれば例の中忍試験以来、初めての会話だ。
今後の木の葉の情勢について、俺なりの意見を素早く頭の中で纏める。大丈夫かな。馬鹿にされたり
しないかな。ドキドキしながらカカシ先生の言葉を待った。
カカシ先生が思い切ったようにすぅと小さく息を吸う。


「あの・・・休みの日とか・・・何してるの・・・・?」


蚊の鳴くような、か細い声だった。

がっかりだ。
別に対等に討論できるとまでは思ってなかった。が、今まで里の動向について語り合ってたんだくせに、
この質問はかけ離れすぎてないか。下らなすぎる。いかにも俺はお呼びじゃないって感じじゃないか。
それに何だ。このボソボソとした喋り方は。語尾も震えて頼りないし。やる気が全く感じられない。
こんな投げやりな質問なら、されない方がましだ。
要するに、俺となんか話したくないんだろうな。きっと。
ため息をつきながら答えた。
「・・・別に大した事してませんよ。部屋でゴロ寝してます。」
「あ。そう。」
せわしなく瞬きを繰り返して、カカシ先生が何度も頷く。そして急に、咳き込むように喋りだした。
「お、俺もねぇ、好きなんです。ゴロ寝すんの。いいよねぇ。ゴロ寝。」
別に今更気を使ってくれなくても。つうかアンタのはゴロ寝じゃなくて本気寝だろう。遅刻ばっか
してるってナルトが零してたぞ。
半ばグレながら曖昧に頷いた。もういい。この男に期待するのは止めよう。この男は公私のけじめ
のみならず、上下関係にも厳しい男だったのだ。下っ端との交流は必要としないタイプの男だったのだ。
カカシ先生から顔を逸らしてガイ先生に向き直った。
「ガイ先生は休日、何してらっゃるんですか・・・・え?」
ガイ先生は全身ブルブルと震えていた。
そしていきなり、勢い良く椅子を蹴って立ち上がった。
「情けないぞ――――――――――!!カカシ―――――――――っ!!」
「ガ、ガイ先生!?」
「俺のライバルが、部屋でゴロ寝だと!?お前はいつからそんな堕落した奴になったのだ!勝負だ!!
堕落したお前の実力、俺が見極めてくれる!!」
「え!?あ、あの・・・」
「何言ってんの。こんなトコで。」
カカシ先生がうんざりしたように手のひらを振る。
「問答無用!!」
廻し蹴り一閃。
食いかけのカラ揚げが風圧で吹っ飛んでカカシ先生の顔面を殴打する。机ごと。
「・・・・・・・。」
カカシ先生がゆらりと立ち上がる。全身から背筋が凍るような殺気が湧き上がる。
あとはもう、地獄だった。
飛び交う食器、砕け散る酒瓶、逃げ惑う酔っ払い達。
もう二度と、あの店には行けない。

翌日、ガイ先生は受付で俺に頭を下げた。
「昨日はすまなかったな、イルカ!お前まで亭主に怒られてしまって。」
「いいんです!ガイ先生。頭を上げて下さい!勿体無い!」
俺はブンブンと首を振った。ガイ先生がうむ!と爽やかに笑う。ああいいなぁ。この潔さ。
上忍で、しかも人前だと言うのに、中忍の俺に躊躇なく頭を下げる。ホント、男の中の男だよ。
さっき「昨日は・・・・どうも」と消え入りそうな声で言ったっきり、俯いてしまったカカシ先生と
えらい違いだ。
「楽しかったです!あの!また是非誘って下さい!!」
カカシ先生抜きで。とは流石に言えなかったが、まぁあれだけ会話が弾まなければ、あの人はもう
来ないだろう。
「うむ!また呑もう!」
「お願いします!!」
俺は晴れやかに笑って頭を下げた。

律儀なガイ先生は、それから何日も経たないうちに本当にまた俺を誘ってくれた。
今度こそ、と期待ではちきれそうに居酒屋に向かった。勢い込んで店内に入り、口をポカンと開けた。
「・・・・カカシ先生・・・・・?」
そこには銀髪の上忍が、前回と同じように眠そうな眼で座っていた。

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