恋をするころ(3)



職員室に戻ると、さっきの同僚が勢い込んで尋ねてきた。
「ど、どうだった!?やっぱ、怒ってたか!?」
「・・・・今夜、呑みながらサシで話をつけようって。」
重々しく返事をすると、同僚は我が事のように顔を青褪めさせた。
「・・・・そりゃ・・・お前・・・」
「いいさ。俺が悪かったんだし。」
仕方ない、と頭を振った。沈鬱な雰囲気が周囲に漂う。
突然、その空気を弾き飛ばすような明るい声が俺たちの間に割って入った。
「イルカ先生〜、カカシ上忍と何話してたんですか〜!?」
「仲、良かったんですか〜!?何で言ってくれなかったんですかぁ!」
女生徒並にはしゃぎながら、若いくの一先生達が俺を取り囲む。皆何となく頬が上気してる。
やっぱりそういう意味でも人気なんだ。いいよな、畜生。あんな執念深い性格なのに。
その時、同僚がポン、と大げさに手を鳴らした。

「イルカ、お前、先生達連れてけ!」

は?

首を傾げる俺に、同僚がしたり顔で頷く。
「写輪眼のカカシつったってさ、結局男だよ。女で囲めば、絶対機嫌直るって。」
「え?何?何の話ですか!?」
女先生達が興味深々で質問してくる。
「イルカさぁ、今日カカシ上忍と飲むんだって。先生達も付いてけば?」
「お、おい・・・!」
慌てて止めようとしたが、もう遅かった。
「えーっ!いいんですかーっ!?」
「やだー!!どうしよう!」
女先生達は既に大興奮だった。今更駄目なんて、とても言えない雰囲気だ。
「イルカ先生、ホントにいいんですかぁ?」
女先生が一人、上目遣いに聞いてきた。リスみたいなクリクリした薄茶の瞳が、すごく可愛い。
確かに、こんな娘にちやほやされたら嬉しいかも。カカシ先生もご機嫌になるかもしれない。
俺なら内心デレデレだよ。

じゃあまあ、いいか。
俺は肩を竦めた。
大体あの人、中忍とは真面目な話しないって決めてるみたいだしな。
好物は何だとか、趣味は何だとか、いつ休みだとか、そんな質問なら女の方が断然話が弾むだろう。
何か接待みたいだけど、俺も怪我しないで済むならそうしたいし。
「勿論です。よろしくお願いします。」
そう言って深々とお辞儀をすると、女先生達は一層はゃいだ声を上げた。

「・・・・・え?」
意味が分からない、というようにカカシ先生がぼんやりと返事した。
「ですから、今日はあの先生達も一緒でいいですか?」
俺はもう一度同じ言葉を繰り返した。背後では女先生達が嬉しげに様子を伺っている。
「俺だけと呑むより、きっと楽しいですよ。彼女達、カカシ先生と話せるって、すごく張り切ってるし。」
押しの一手とばかりに説得する。なんか俺、客引きみたいだな。いい娘いますよーって。
カカシ先生は無言で俺の顔を眺めている。口布に覆われてると表情が伺えなくて、ちょっとコワイ。
「憧れのカカシ上忍と呑めるって、もう朝から大騒ぎで・・・」
「もういいです。分かりました。」
カカシ先生が冷たい声で話を遮る。そしていきなり俺の背後にニッコリと笑いかけた。
「ど〜も。じゃ、早速行きましょーか。」
打って変わった明るい声で先生達に呼びかけて、スタスタと歩き出す。
あまりの態度の変化に、呆気にとられた。何なんだ一体。本当に掴めない人だな。

飲み会は大盛り上がりだった。
先生達は目茶目茶はしゃいでたし、カカシ先生はかつて無いほど愛想が良かった。
「えー?やだぁ。それ作ってないですかぁー?」
「作ってなーいよ。アスマってそーゆー奴。」
「うっそ、笑えるー!あ、じゃあカカシ上忍はどうなんですかぁ?」
・・・・女ってスゴイ。話が弾みまくりだ。会話の早いテンポに付いていけず、俺はぼーっと隅っこで
質問攻めされるカカシ先生を眺めていた。
カカシ先生は終始ご機嫌で、ホッと安堵した。同僚の言葉は正しかったらしい。俺はそういう色めいた事が
不得意なので気が付かなかったが、もしかしたら最初からカカシ先生はこうして欲しかったのかもしれない。
俺が気を利かせて女を連れて来るのを、期待してたのかもしれない。
そう言えば、戦場では上忍用の商売女を中忍が手配したりするもんなぁ。
楽しそうに笑うカカシ先生を見ながら、俺は一人頷いた。

大成功のうちに飲み会は終わった。
繁華街の出口までくると、カカシ先生はくるりと振り返った。
「じゃあ、ここで解散てコトで。」
「はい!今日はすっごく楽しかったですー!ありがとうございました!」
「オレも。ありがとね。」
ニコニコと上機嫌で手を振る。その後姿が雑踏に消えていくと、カカシ先生は大きな溜息をついた。
「じゃあ、俺もここで失礼します。」
ペコリと頭を下げると、上から凍りつくような冷たい声が降って来た。

「俺、上手くやったでしょ?」

思わず頭を上げた。
目の前で、月光に照らされた銀髪が氷のように冴え冴えと輝いている。
その氷よりもっと冷えた瞳で、カカシ先生が吐き捨てるように言う。
「俺、結構上手くあの娘達喜せたでしょ?イルカ先生の顔、潰さなかったよね。誉めてくれる?」
ふいに何かが込み上げてきたように、苦しげに繰り返す。
「誉めてよ。俺のこと、誉めてよ。よくやったって、言ってよ・・・!」
「か、カカシ先生・・・?」
「何で逃げんの?」
鞭のような鋭い声で、ピシリと問い掛ける。
「俺がアンタと話したがってるって分かってて、何で女連れてくるの?そんなに俺と話すの嫌なの?
じゃあ何で、最初から断ってくれなかったの?何で女で誤魔化すような、こんな真似すんの?」


一言もなかった。
俺のしたことは、確かに逃げだ。それも、カカシ先生の心を踏み躙るような、卑怯な逃げだった。
今更気付いた。
カカシ先生は俺にちゃんと謝って欲しかったのだ。真摯な謝罪の言葉がほしかったのだ。
それを、俺はうやむやにしようとした。カカシ先生が怒ってたから。
「写輪眼のカカシ」の怒りが、怖かったから。

女に囲ませて、いい気分にさせたんだから、許して下さいよ。

そうやって、自分のした事から逃げようとしたのだ。
俺のしたことは、最低だった。それが今、ようやく分かった。

俺はむしろカカシ先生に庇われていたのだ。
最低な尻拭いに利用された女先生達を、カカシ先生は精一杯喜ばせてくれたのだ。
そうやって、俺のメンツと女先生達の気持ちを守ってくれたのだ。
初めてナルトの言葉の意味が分かった。
この人は、思いやり深い人なのだ。忍耐強い人なのだ。
あの楽しげな笑顔の裏側で、この人はずっと耐えていたのだ。

「申し訳ありませんでした!」
姿勢を正して、心の底から頭を下げた。
「確かに俺、逃げてました。卑怯でした。反省してます。本当に申し訳ありませんでした。」
突然土下座せんばかりに謝り出した俺に、カカシ先生はちょっと驚いたように眼を開いた。
「・・・・別に無理に謝ってくれなくてもいいんです。ただ、俺は・・・」
そう言ったっきり、辛そうに言葉を途切らす。痛烈に感じた。この人は俺を見切ってる。
一度卑劣な逃げを打った俺の謝罪を、本気で聞こうとしていない。本気だと思ってない。
俺の言葉を、信じていない。

自分が情けなくて、涙が出そうだった。
俺が本気で悪かったと思ってること。感謝してること。許してもらいたいと思ってること。
それを、どうしたらカカシ先生に信じて貰えるか分からない。

ふと、思い出した。
そもそも、何でこんな事になったのか。
俺がカカシ先生に失礼な口をきいたからだ。カカシ先生はあの時、とても怒っていた。苛立ってた。
ガイ先生がいなかったら、俺が逃げなかったら、俺はその場でボロボロにされてたはずだ。
あの時、本当はカカシ先生は俺を半殺しの目に合わせたかったのだ。

「カカシ先生!!」
大声で叫んだ。
「!はい!」
びっくりしたカカシ先生が反射的に返事する。
「俺、本気です。これが俺の気持ちです。どうか、信じてください。お願いします!」
もう俺の誠意を分かって貰うにはこれしかない。
大きく息を吸い込む。まっすぐにカカシ先生の顔を見詰めながら言った。


「俺の身体、好きにしてください。カカシ先生の好きなように、してください。」


随分、沈黙の時間があったと思う。
「・・・・・・・・・・・え?」
呆然、といった感じでようやくカカシ先生が小声で聞き返した。
「あの・・・・イルカ先生、自分で何言ってるか、分かってる・・・・?」
「勿論です!」
「俺に身体好きにさせるって言う意味、分かってる?」
「はい!」
例え千鳥で全身の骨が折られたとしても構わない。俺はこの人に、信じてもらいたい。
カカシ先生は酸欠の金魚のようにパクパク呼吸を繰り返してたが、突然ハッと気付いたように聞いてきた。
「・・・同情?それとも、俺が上忍だから?それで仕方なく、そんな事言ってるの?」

「違います!」
悲しい気持ちで叫んだ。ここまで言ってるのに、どうして信じてくれないんだ。
信じてもらえない悔しさに、思わず涙がこみ上げてきた。
「同情なんかじゃないです。上忍だからでもありません。ただカカシ先生に信じて欲しいんです。
俺の気持ち、信じてほしいんです。俺が本気だって、分かって欲しくて・・・・っ」
喉に熱いものがせり上がって、最後まで言えなかった。ゴシゴシと目元を擦る俺を、カカシ先生が
無言で見つめる。そして、ゆっくりと口を開いた。
「ホントに・・・?」
「はい。」
「・・・・後でやっぱり嫌です、なんて言っても聞かないよ?」
「いいです。」
胸を張って、キッパリと言った。

「男に二言は無いです。気が済むまで好きにして下さい。」

俺の決意の言葉を、カカシ先生は胸の中で反芻してるようだった。
そして突然、長い長い溜息をついた。すっと静かに口布を下ろす。
え?口寄せ?まさか忍犬まで使うのか?
二言は無いといいつつ、そこまで念のいった技を使うと思わなかったので、思わずたじろいだ。
カカシ先生が、ゆっくりと顔を上げる。息を飲んで眼を瞑った。
長い指が、俺の腕をぐいと掴む。


「大事にします・・・!」


は?


「俺、大事にします。イルカ先生の事、すごく大事にします。きっと幸せにします・・・!」
カカシ先生が興奮した声で、矢継ぎ早に言葉を繰り出す。
「嬉しいです。ホント、嬉しいです。ああ、夢みたいだなぁ。いや夢だって、ここまでイルカ先生積極的じゃ
なかった。もう鼻血出そうですよ俺。どうしよう。」
夢?積極的?鼻血出そう?
「あ、あの・・・?」
カカシ先生が赤い顔で俺を覗き込む。
「ここからなら、俺の家の方が近いです。俺の家でいい?」
俺の家?
「あー、こんな事になるなら、ちゃんと掃除しとけば良かったなー。」
ぶつぶつ呟いたかと思うと、いきなり力強く俺の手を握り締める。
「俺、頑張りますね!先生が辛くないよう、出来るだけ頑張ります!俺を信じて下さいね!」
頑張るって、何を?

行きましょう、と興奮した声で囁かれて歩き出す。手は繋ぎっ放しだ。
熱に浮かされたように、カカシ先生が喋り続ける。
「俺、イルカ先生といると緊張して全然喋れなくて。ホントはすっごく話したかったんだけど、どうしても
駄目で。それなのにあんな事になって。いや、アレは俺にも言い分があるんで、謝るとか、そういう話じゃ
ないんだけど、だけどあれからイルカ先生、話し掛けてくれなくなっちゃって。あせったよホント。」
うんうんと自己完結して頭を掻く。どうしよう。話が全然見えない。何言ってんだこの人。

「あいつに頭下げるなんてホント嫌だったんだけど、でも先生が来るって聞いたから、もう己のプライド
曲げに曲げて頼み込んだの。なのに、まるで無視デショ?あれだけ会話に割り込んでるのに、全然
話し掛けてくれないし。勇気振り絞って質問しても、それっきりだし。ああ俺嫌われてんだなぁって、
そう思うと益々話し掛け辛くて・・・でも良かった。諦めなくて。まさかイルカ先生がこんな大胆な事言って
くれるなんて。」
薄桃色に頬を染めて、カカシ先生がニッコリ笑う。整った薄い唇に浮かぶ微笑は、とても綺麗だった。
いい男は意味不明の言葉を喋ってても、やっぱりいい男だなと場違いな事を思った。
て言うか、そもそも今自分がどの場にいるか分からない。俺はいったい、何を聞かされてるんだろう?

「あの・・・カカシ先生・・・?」
ようやく口を挟むと、カカシ先生は満面の笑顔で振り向いた。
「先生なんて付けなくていいですヨ。俺、先生って呼ばれるの、結構違和感なんですよ。慣れなくて。
もういっそ呼び捨てで。」
「と、とんでもない!」
上忍を呼び捨てする中忍なんて聞いたこと無い。この人、上下関係に厳しい人じゃ無かったのか?
おかしい。何かおかしい。

頭の中に警報が鳴り響く。
俺は今、取り返しのつかない間違いを犯した気がする。それも、人生最大級の間違いを。
だけど、何をどう間違えたのか分からない。その原因が分からない。
意味の分からない警報は、ただ悪戯に頭を混乱させるだけだ。
その上、隣でカカシ先生が次々意味不明の事を言って来る。おかげで思考が全く纏まらない。
訳の分からないままどんどん深みに填まって行くような不吉な予感に、心臓が痛いほど激しく脈打つ。
いったい俺はこれから、どうなってしまうんだ。



白銀の月が浮かぶ夜道を、銀色の男に引かれて歩く。
夢見るように軽やかに、知らない道を進んでく。
お互いの手を、固く握り締めたまま。
まるで二度と離される事がないみたいに。ずっと二人で歩いてくみたいに。
ああ、おかしいな。何で俺、こんな事思ってるんだろう。

多分、この男の手があんまり熱いからだ。
俺の心臓が、あまりにドキドキしているからだ。


まるで永遠の恋に落ちたみたいに、二人で歩いているからだ。





END
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