夏恋



唇を開放してやるとイルカは慌てて空気を求める。
そんな色気の無いさまの筈なのに、熱を冷ます所か、お互いの唇の間で糸を引く唾液
や、真っ赤な顔、黒い潤んだ瞳はカカシにそれ以上を求めさせるには十分過ぎた。
「イルカ先生」
未だかつて無いほど、カカシは焦れた甘い声でイルカを呼んだ。
まるで初めからそのつもりだったみたいに早急過ぎる自分を自制出来ず、カカシは
イルカが酔いに任せて自分に身を任せる事に期待した。
彼が女なら良かった。
彼が女ならこんな不安は無かった筈だ。
優しく抱きしめて、優しい言葉をかけ、ベットに押し倒すだけで良かった。
だが、現実、夢の中で抱いたような体はそこにはない。
柔らかな胸も、細い腰も。
「カカ……」
怯えというより、理解できないというような目で自分を見上げる黒い瞳。
卑怯だと知りながらカカシはイルカの言葉を遮る。
「俺に憧れてるって、好きだって書いてあったと思うけど?」
嘘だ。
尊敬と好意と恋慕はどれも別物で、最後のは俺のものでしかない。
でも、幾ら人のいいお人よしでも俺の噂ぐらいは知ってるよね?
来るもの拒まず。好き勝手にやりたい放題。挙句に飽きて直ぐにさようなら。
実際は断るのが面倒なだけ。
寝たい奴と寝てやるだけの事。
俺にだってメリットか無い訳でもない。
あんたが俺に言い寄ってくる奴らと違うのは知ってる。
でも、俺はあんたが思うような優しい先生じゃない。
俺はあんたが抱きたい。
それでいい。
「ヤらせて」
耳元で囁けばビクリと震える。
それに、あぁ、やっぱりと落胆する。そんなつもりあるはずも無いと思いながら、少しは
期待していたらしい。
この先生が少しぐらいそのつもりで俺の家の扉を潜ったのだと。
ゆっくり、ゆっくり、怯えさせないようにその体を抱きしめて、耳元に軽いキスをす
る。
年端もいかない処女相手でもこんな面倒な事はゴメンだったし、そんな面倒な段取り
を踏むぐらいなら良く慣れた女の方が良かった。
「お、俺は」
上擦った声。
それが妙にいやらしく聞こえた。
そういや、まともにこの先生と話したことも無かったなとか、何で急にこの男を抱きたいなんて
思ったのだろうとか思う事は色々無くは無い。
どんなイイ女の噂でもさして興味も無く聞き流していたし、この目の前の差し当たっ
て目を引く所の無い男がイイなんて噂を耳にした事は無かった。
聞いた事といえば受付の生真面目な受け答えと、ナルト達の他愛ない話。
耳から首へ、首から、顎のライン、唇、鼻、鼻筋の傷跡。
唇と舌でいやらしく移動してやれば目を白黒させたり、瞼を硬く瞑ったり。
自分が結構奇麗な類の顔である事に感謝しながら、愛撫を続ける。
「イルカ先生男とヤッた経験は?」
逃げない相手に気を良くして、俺はまるで娼婦みたいに奉仕して、その上着を剥いでゆく。
「カカシ先生……」
戸惑うような懇願するようなイルカの声にカカシは笑った。
「それは俺が初めての人って意味?」
カッとイルカの顔に赤みが増す。
止めて下さいって意味だった事ぐらい分かってるが、聞いてやる義理は無い。男の経験が
無いというのなら、これはいい経験だ。例え男でもフラフラとロクでもない噂の
男の所に転がり込んだらどうなるか、身をもって知って貰う良い機会になる。
馬鹿げた自己弁護を振り翳す自分を滑稽に思いながらも、それでも、背中を押してくれる何かが必要だった。
案外逞しい胸は流石に腐っても忍。
野郎の胸なんて見ても楽しいはず無いのに、馬鹿みたいに興奮した。
初めての女の時より、初めての男の時より。
「先生、折角だから講義してよ。知識はあるよね?」
濡れた目が自分を睨む。
あぁ、いやらしい。
「いい加減にして下さい。冗談にも程があります」
真面目そうに唇を一文字に引き結んで、冗談で人を犯すも殺すもするような男を前にして。
知らない筈も無いだろう、そんな世界がある事を。
知らないわけではないだろう、そんな世界の住人が目の前の男だという事を。
それでも、そんな馬鹿な事をする筈がないと、あなたはそんな人ではない筈だと訴える。
イルカの言いたい事も、それに嘘が無い事も知りながらカカシは笑った。
「冗談?」
カカシは妙に浮かれている自分を笑った。
確かに冗談ならイルカの言うようにここで手を上げて止めるだろう。
でも、今の俺に本気を見出さないのはあなたが悪いとでも言うように、イルカの体に
己の強張ったものを押し当ててやればイルカは眉を寄せた。
「ね?」






「カカシ!」
緊迫した声と共に突然ドアを荒々しく叩く音に、お互い動きが止まる。
正直、自宅とはいえそこまで人の存在に気付かないほど、目の前の存在に溺れた自分
に溜息が洩れた。
「カ、カカシ先生?」
戸惑いがちに自分の顔を見ようとする腕の中の人も常と違うとはいえ、声の主が誰で
あるか気がついたのだろう。
イルカの後ろの壁に額を預けながら、カカシは小さく唸った。
来客の用件は既に知れていた。
とすれば、答えは一つなのだ。
否は、ない。
「アスマ、今、俺ちょっと取り込み中なんだけど」
カカシの答えに今にも扉を壊しそうな勢いで、アスマが怒鳴った。
「何が取り込み中だ! ふざけてる場合か!!」
カカシは自分の腕の中で既に先ほどのような甘い抵抗は萎え、息を殺して事態を見守るイルカを
もう一度強く抱きしめるが、反応は無い。
「カカシ!!」
「うるさいよ! 熊!」
イライラと言い返してみても、事態は変わる訳ではない。
イルカが、先ほどからピクリとも動かないのは上忍のやり取りに支障をきたさないよう配慮して。
「ちょっと、行ってきます」
苛立ちのままに耳元で怒鳴った自分を情けなく思いながら、カカシは小さくそうイル
カに囁いた。
「御武運を」
恐らくどんな時でもそう答えるだろうイルカに苦笑いを噛み殺した。
「直ぐに帰って来るから、待ってて」
そんな甘い言葉を自分が囁く日が来るとは正直想像もしていなかった上に、敗色も濃い。
「カカシ先生」
困ったようなイルカの声。
早く行け? それとも無理な命令をする嫌な上司だと思ってる?
その両方?
相変わらずイルカの顔を見れないまま、カカシはうな垂れて喉の奥で笑った。
「嘘です。冗談。じゃぁ、また、今度ね、イルカ先生」
まさか、そんな捨て台詞が精一杯なんてね。
笑える。
「カカシ!」
また、アスマの檄が飛び、それが言い終わらぬうちに、カカシはイルカの前から消えていた。


ずるずるとイルカは力が抜けたようにその場に崩れて、カカシの消えた空を見る。
「な、なんだったんだ」
緊急の事態を告げるアスマがカカシを連れて去り、一人取り残されればまるでおかし
な夢でも見ていたみたいなそんな不思議な感覚だけがイルカを包む。
最後にカカシが残した言葉だけが、それを解く鍵で、全部冗談だった?
「なんで」
先ほどまでの事を思い出せば、自分に与えられた抱擁に頬は染まる。
「まさかな」
一人ごちり。
「だよな?」
一人、結論も出た。
乾いた笑いがイルカの口から洩れて、まだ少し残っているような酔いも手伝ってイル
カはふらふらと先ほどカカシに通された扉を潜り、暖かくなり始めた夜の風に吹かれ
れば、まるで何事も無く夜の星は瞬いて、先ほどと何も変わる所はない。
「からかわれたんだ」
同僚にも良く、からかいのネタにされるじゃないか、それと同じだ。
自分の過剰な反応が面白いからと、面白そうにからかう同僚と同じだ。
少し、冗談が過ぎただけで。
今度顔を合わせたら、きっと、「本気にしました?」なんて笑われるんだ。
「あ〜やられましたとも、騙されましたとも」
イルカは可笑しそうに笑った。
「ちょっと冗談キツイですって、一応、怒っとくか」
鼻歌を歌いながら歩く、イルカの足はどことなく頼りないものがあったが、もやもや
した思いも次にカカシに会えば全て晴れると考える事をやめた。


召集から解散まで一時間ほどで全てを終え、アスマに笑われながら帰ったカカシを
待っていたのは誰もいない部屋。
がらんとしたそこには既に酒の匂いも残っていない。
さっきまでそこにイルカがいた事を全てが否定してるみたいに、静まり返っていた。
カカシは肩を落として、溜息を吐き出した。
「何期待してるんだか……」
扉を開ける前に既に気配が無い事は分かっていたのに、その扉を開ける瞬間までは何処かで
期待していた。
「あ〜、犯りたい」
さっきまでイルカがいた筈の壁に背を預けてカカシは空しく笑った。









心底ドキドキしながら、カカシは受付の扉を潜った。
そこにはカカシの思う相手は、やはり、思うように椅子に座って仕事をこなしている。
これが恋心というものだろうか、と自覚したのはつい昨日。
知り合ってからもそう日は経っていない。
これと言った会話をしたことも無ければ、共に食事に行くような間柄でもない。
それでなんで恋になるのかと問うた所で答えも無い。
ギクシャクとした動作でカカシはイルカの列に並ぶ。
もう直ぐそこまで夏が来ているらしく、受付所は既に酷く暑い。
本来なら列に並ぶなんて冗談じゃない筈なのに、妙に浮かれている自分が可笑しい。
段々に近付くイルカに列を離れたいような、前の奴らを押しのけたいような言いがたい思いが込み上げる。
あと、三人。
今日も快活に仕事をこなす男は相変わらず。
昨日、この人にキスをした。
あと、二人。
日に焼けた首を晒す、彼の髪型は健康そのもの。
なのに、酷く卑猥。
だって、昨日、そこに俺は顔を埋めた。
汗の匂いに、酒の匂い。
今でも思い出せる。
あと、一人。
顔を上げたイルカに笑ってやれば、真っ赤になって、持っていたペンを落とした。
そんな様を、可愛いと思う。
心に自然湧きあがる感情。
酷く手際の悪くなったイルカを前の男は別段イライラするでもなく、大人しく待っている。
「す、すいません、えっと、……え〜」
まるで初めて受付に座ったみたいにオタオタしているイルカを面白そうに見ている男に、お前にじゃないよと
言ってやりたい。
「あ、ん?」
書類に目を走らせながら鼻の頭を掻く。
顔は倒れるんじゃないかってほど、赤い。
「なんだ〜、イルカ。俺が男前だから照れるのは分かるけどなぁ」
クックックと喉で笑って、男が言う。
男の言うのも分からなくも無い。
真っ赤になって、必死になって書類に目を落としてる姿は何かから目を必死に成って
背けてるように見えるから。
「は、は、は」
乾いた笑いを浮かべるイルカに少し安心する。
やっぱり、意識してるのはこの男の後ろの俺。
あと、一人。
さっさと退け。
イルカの目は彷徨って、必死になって俺から目をそらす。
照れてるの?
それとも、避けてるの?
答えを探そうとイルカを見るがイルカはカカシを見ない。
目の前の男は随分、イルカと親しいのか、書類にペンを走らせながら思わぬことを口にする。
「もう、仕事上がりか? 良かったら飯でも、食いに行くか?」
一瞬、イルカの目が助かったと、確かに輝く。
「いいですね、俺ももう上がりなんで」
その言葉に嘘はないだろうが、嘘くさいよ。
言った、男も驚いてるじゃない。
イルカ先生も目を見開いて驚いてる。
あぁ、違う。

「駄目だよ」

俺が手を出したからだ。
気が付けば二人の間に割り込んで、イルカの手を取っていた。
「この人は俺と先約。悪いね」
「か、カカシ上忍」
引き吊った顔、男の手の中で皺になった書類。
言葉もないイルカ先生。
「ね? イルカ先生。また、今度って昨日約束しましたよね?」
「え、いや、俺、その、仕事が」
それを言うか。
「そんな警戒しないでよ、昨日はほんと悪かったって思ってるんですから」
目に見えてイルカが力を抜いたのがわかる。
「俺ね、決めたんです」
「は?」
「あんたと恋をしようって」
「は?」
まるで土砂降りの雨に突然降られたみたいに、間抜けな顔をしてあんたは俺の一世一代の告白を聞いていた。











上忍控え室に足音を響かせ、真っ直ぐ突き進む。その先には長椅子に寛ぎ愛読書を開く男がいた。
面白いものでも見るようにその目は明らかな笑いを乗せている。
「聞いたわよ、カカシ」
好奇心を隠そうともせず紅はカカシの前に立った。
カカシは鬱陶しそうに顔を上げる。
そう知り合いの多いほうではないカカシの所に今日はいったい何人がこうやってやって来るつもりかと、
暇な連中揃いなのを呪いたくなる。
赤い唇が弧を描く。
普段彼女がカカシの前にこうやって立ちはだかる時は不機嫌に歪んでいるそれが、酷く嬉しそうに弧を描く。
「フラられたんだって?」
嬉々とした目に腹が立つ。
こいつら人の不幸が、人がフラれたのがそんなに面白いのか?
そろいも揃って。人の傷を抉りにワザワザやって来るって、それでも友達か?
「その顔! そう、私が見たかったのはその顔よ!」
今にも感極まって震えだしそうに喜ぶ紅。
彼女にそこまで言われるような事をした覚えは自分にはないのだが。
「じゃ、あの話は本当だったわけね? あんた、そっちが趣味だったって訳? 知ら
なかったとはいえ、ごめんなさいね、そりゃ、幾らイイ女でも駄目よね、だって、天下の車輪眼の
カカシ様は男が好きなんだものね」
紅は高らかに笑った。
「ちょっと……黙って聞いてたら随分好き勝手言ってくれてるけどさ……、俺、なんか、紅にそこまで
嫌われるような事した?」
カカシの言葉にピタリと紅が笑いを止める。
「なんか?」
形のいい眉がピクリと上がる。
カカシはガシガシと頭を掻いた。
「覚えは無いんだけど」
「ない?」
紅の冷ややかな態度に、何か自分がしただろうかと思い返すが、やはり何一つ思いつかない。
「知ってたけど、ほんとに馬鹿ね、あんたに良い様に遊ばれて泣かされた女の事考えたら誰だって拍手喝采するわよ」
「遊ばれって人聞きの悪い、ちゃんと同意の上でしか付き合った事ないって」
紅が大きく溜息を吐き出す。
「同意するわよ、普通」
「上忍で車輪眼だから?」
「ほんと、馬鹿ね」
奇麗な髪を鬱陶しそうにかきあげる。
その顔には複雑な色が滲んでいる。
「そういうあんたは、ワザワザその馬鹿を笑いに来たわけ?」
「半分はね。でも半分はあんたの顔見てから決めようと思ってた」
「で、見たかった顔が拝めた訳?」
「かもね」
紅はカカシの横にスッと腰を降ろし長く細い足を組む。
「確認するけど、あんた、受付でイルカに告白したって本当の話?」
それを前程にあれだけ笑っておいて何を今更。
「したけど、間に合ってますってさ」
思い出すだけでも、泣けてくる。
あの人は自分の一世一代の、生まれて初めての告白をまるで押し売りセールスが宗教勧誘のように断ったのだ。
「なんでイルカなの? 今までそんな素振りも見せなかったじゃない」
そりゃそうだ。
「昨日気付いたの」
「で、いきなり告白?」
あきれを隠さぬ紅の物言い。
「いきなり、でもない、かな?」
「なに、結構ちゃんと順序踏んでたわけ? 昨日気付いたのに?」
カカシはじっとりと紅を見た。
「何よ」
紅はそれに少し乗りだし気味の体を引いた。
「あのさ、答えても良いけど、それって協力してくれるって事?」
答えはなんとなく気付いていたけれど。
ゆっくりと紅の唇が弧を描く。
「私は好奇心だけで根掘り葉掘り聞くほど野暮じゃないわよ?」
「もし裏切ったら?」
「そうね、アスマの髭をかけてもいいわ」






小池さんから続き頂きました〜!ありがとうございます(感涙)
強引なようで本質的にイルカ先生対しては絶対的に弱い小池さんのカカシ先生に萌え萌えですvvv
カカシ先生達が何を企んでるか、早く知りたいよう(切望)続きを早く頂けるよう、私も頑張りますっ!>小池さん




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