スパイダー 2




「・・・・は?」
イルカが不思議そうに顔を上げた。
「だからさ、宿を取ったって言ってんの。」
夕飯を食べ終わったカカシが笑いながら言う。
「いい宿だよ。風呂も広いし、飯も酒も美味い。今週末、行こうよ。」
イルカの胸元を、トンと軽く突く。
「金の心配はしなくていいよ。俺が全部奢るから。」
「・・・結構です。そんなお心遣いは無用です。」
「いーよ。遠慮しなくて。」
「本当に、結構です。」
「だから、遠慮しなくていいって。」
頑なな辞退に、ちょっと焦れて手のひらを降った。イルカがゆっくりと唇を開く。


「結構、です。」


何の感情も篭らない声だった。
無理に押し付けられた物をつき返すような、平坦な口調だった。
思わず言葉を失った。まじまじとイルカの瞳を見詰めた。イルカがふっと視線を外す。
「皿、下げていいですか?」
何事もなかったようにイルカが尋ねる。黒い瞳が、ゆっくりと虚ろに伏せられる。
いつも自分を苛立たせて止まない、覇気の無い瞳。意思の無い瞳。

突然、冷水を浴びせられたような衝撃が全身を走りぬけた。
覇気の無い?意思の無い?違う。そうじゃない。

これは、拒絶だ。

この男は、俺を締め出しているのだ。自分の心から、俺を締め出しているのだ。


「・・・・俺、あんたの為に宿取ったんだけど?それを断るって?」
無理やり平静な声を絞り出した。面白がってるような響きすら持たせた。
自分の指摘に、イルカが謝ってくるのを待った。ありがたく御一緒させて貰います、と慌てて
頭を下げるのを期待した。さっき浮かんだ考えが、自分の勘違いであって欲しかった。
イルカが深く頭を下げる。

「俺みたいな下っ端が一緒じゃ、カカシ上忍の恥になります。どうか、他の上忍の方と行って下さい。」


俺に近寄らないで下さい、と聞こえた。
愕然とした。ようやく気付いた。
へりくだった口調に隠されていた、激しい拒絶を。

いきなり天地が逆転したような気がした。
ただ恐縮しているのだと思っていた。自分は有名な上忍だから。イルカは平凡な中忍だから。
だから、あんなに畏縮しているのだと思っていた。
馬鹿げた理屈で強姦を正当化する上忍に、思考停止してしまう程怯えているのだと思っていた。
何て小心な男だろうと、呆れていた。
どうして今まで気が付かったのか。
本当はずっとそうだったのだ。この卑屈な態度の裏には、冷ややかな拒絶が潜んでいたのだ。

急に目隠しを取られた人間のように、次々と現実が目に入ってきた。
イルカが俺を拒まなかった?あっさりと従った?当たり前だ。この厳しい階級社会で、上忍の命令を
拒否できる中忍がいるか。ましてイルカは孤児だ。忍の世界から脱落すれば、野垂れ死ぬしかない
人生を送ってきた男。生きる事の厳しさを、肌身で感じてきた男。
そんな男が、上忍に歯向かうなんて愚かな真似をするか。膝を折るに決まってる。頭を下げるに
決まってる。
たとえそれが、反吐が出るほど軽蔑してる相手であっても。

何時の間にか冷や汗の染み出していた掌を、ぎゅっと握り締めた。
手応えなんか、無くて当然だった。
あの時、イルカは俺を切り捨てたのだ。横暴な要求をする上忍を、自分の心から締め出したのだ。
俺はとうに、切り捨てられていたのだ。


イルカが汚れた皿を持って台所へと消えていく。何時も通りの従順な、召使めいた仕草。
その意味が、初めて解った。
イルカにとって、俺は人間じゃない。ただの「仕事」なのだ。
下の者が押し付けられがちな、理不尽な仕事。歯を食い縛ってこなすしかない、薄汚れた仕事。
だから、どんな罵倒にも反論一つしなかったのだ。簡単に頭を下げたのだ。
「結構です」
何の迷いもなく返ってきた返事。眼も上げずに去っていく姿。
心休まる場所で、俺と共に過ごす事など考えたくもない。それが、イルカの本音なのだ。

「・・・・は・・・」
頭を振って肩を竦めた。
上等だ。随分舐めた真似をするじゃないか。
卑屈に這いつくばる振りをして、その実俺を見下してた訳か。
歯軋りするような怒りが全身から湧き上がった。自分の放つ殺気で、息が詰まりそうになった。
やっとの事で乱れた気を落ち着かせると、立ち上がって台所に向かった。
食卓の椅子にぼんやりと座っていたイルカが慌てて立ち上がる。その黒髪を鷲づかみして、床に
叩き付けた。自分の下半身を指し示しながら、一言吐き捨てる。
「舐めて。」

「・・・・・・・・はい。」
イルカが緩慢な仕草で身体を起こした。そのまま、カカシの腰に唇を寄せる。
立ち上がったモノをゆっくりと口に含み、熱い口腔で先端を吸い上げていく。
下半身から這い上る快感に、思わず荒れた溜息を洩した。それに答えるように、イルカの舌が柔らかく
蠢く。
ふいに、胸に鋭い痛みが走った。

まやかしだ。
この熱もこの柔らかさも、全て嘘だ。本当は何も感じていない。イルカは何も感じてないのだ。
突然の暴行を非難する気も、理由を聞く気も無い。早くいかせれば、それだけ早く俺が去っていく。
それだけが、イルカの望みなのだ。

「ねぇ先生・・・・あんま俺をコケにすると、殺すよ?」
押し殺した声で囁いた。
「・・・・残念だったね。俺、今日は帰んないから。あんた一晩中俺に突っ込まれて泣くんだよ。
先生の腹、暫く使い物になんなくなるよ。」
殺気混じりの脅しにも、答えは無かった。カッと怒りが膨れ上がった。
唾液に濡れる唇から竿を引き抜き、思い切り突き飛ばした。そのまま圧し掛かって下着を剥ぎ取る。
自分の言葉が口先だけの脅しでない事を、判らせてやるつもりだった。

その日から、セックスは執拗で暴力的なものになった。
同性同士の強引な性交に、イルカの顔色がどんどん悪くなっていく。
同情心は起きなかった。むしろ当然だと思った。でなれば、不公平だ。
自分はあの日から、ずっと胸が痛いのだ。まるで鋭利な刃物で斬りつけられているように、痛いのだ。
こんな痛みは初めてだった。

怒りだと思った。
大した取り柄もない内勤の中忍に、上忍の自分が見下されてる。
その怒りが、この痛みを引き起こすのだと思った。
それなのに、当のイルカは何の痛みも感じてないなんて、そんな事は許せない。
イルカにも、痛みを味あわせてやりたかった。
心が無理なら、せめて身体に痛みを感じさせてやりたかった。

連日の責めに腫れぼったく熱を持った秘部に、強引に挿入した。イルカの背中が折れそうな程反り返る。
「・・・ひ・ぁ・・・いた・・・っ・・・!」
ズブズブと遠慮なく腰を動かせば、イルカがボロボロと生理的な涙を零す。
「ちょっと、何泣いてんの。男に泣かれても気持ち悪いだけだって。」
嘲けり笑って、激しく揺さぶる。もっともっと、いたぶってやるつもりだった。それなのに、血の気の
引いた指先でぎゅっとしがみ付かれた瞬間、思わず放ってしまった。
「・・・あーあ。出しちゃった。」
背中に回された手を無造作に掴み、証拠のように突きつけた。
「もっと楽しみたかったんだけどねーえ?あんたがおねだりするもんだから。」
殊更に下卑た声色で囁く。と、思いがけず黒い瞳がふいに開いた。そのまま真っ直ぐにカカシを見上げ、
物言いたげに唇を震わせる。
心臓がバクリと脈打った。
何を。何を言いたいんだろう。俺に、何を伝えたいんだろう。
「・・・・・なに・・・?」
興奮を押し隠して、顔を近づけた。イルカが抑揚の無い声で呟く。

「申し訳ありませんでした。」

その瞬間、イルカの腕を投げ捨てた。
「帰る。」
一言だけ吐き捨て、服を手繰り寄せる。無言で服を着、部屋を出た。
胸の痛みに、息が止まってしまいそうだった。


そのまま任務が入ったのは、幸いだった。
暫く里を離れたお陰で、大分頭が冷えた。
どうかしていた。あんな中忍一人、どうだっていい話じゃないか。
別に今までだって、全ての女が自分に靡いてたわけじゃない。こっちの誘いに、全く乗ってこなかった
女だってちゃんといた。それどころか、毛嫌いされた事だってある。殺人のエキスパートである忍を
嫌う女は、案外多いのだ。
しかし、それに腹を立てた事は一度も無かった。
ああそう、とあっさり引いて終わりだった。女は他にもいる。その気の無い女を、わざわざ口説く
必要は無い。時間の無駄だ。そう割り切っていた。それならまして、あんな中忍の男ごとき、だ。
あの男が自分を嫌ってるからといって、それが何だ。
自分に興味が無いといって、それが何だと言うんだ。

そう思ったから、里に戻った後すぐに適当な女を探した。
あては幾らでもあった。中でも、以前から一際あからさまな視線を寄越していた女に、声をかけた。
笑える程あっさりと応じてきた。応じるどころじゃない。一声かけただけで、すっかり恋人気取りだ。
豊満な胸をべったりと押し付けて、腕を絡めてくる。
崇めるように見上げるその眼差しに、久々に溜飲が下がる思いだった。

あまりに気分が良かったものだから、女の腕を振り解かずに歩いた。
つんと自慢気に周囲を見回す愚かさが、むしろ可愛らしいとすら思った。

だってあの人は、こんな事してくれない。

ふっと脳裏に浮かんだ言葉を、慌てて追い払った。馬鹿馬鹿しい。何を考えてるんだ俺は。
あの中忍を、あの人、なんて大事そうに。大切そうに、呼んだりして。
第一、自分はもうあの男の事は考えないと決めたはずだ。
そう思って顔を上げた瞬間、イルカの姿が眼に飛び込んできた。

思わず足が止まった。
公園の大木の下で、結んだ黒髪が尻尾のように揺れている。簡単な印を結ぶ手を、幼い生徒達が
真剣な眼で見上げていた。
「どうしたの?」
女が不思議そうにカカシを見上げる。
「・・・べつに。」
首を振ってまた歩き出す。女がまたぐっと胸を押し付けてきた。

あと数メートル、という所で、イルカがくるりと振り向いた。
自分の姿を見た途端、驚きに黒い瞳が大きく開く。激しい興奮に指先がじんと痺れた。
馬鹿みたいに気分が昂揚した。ようやく、思い知らす事が出来た気がした。
素知らぬ顔で通り過ぎながら、立ち尽くすイルカに胸の中で語りかけた。

ねえ。この女を見てよ。俺に絡み付いてる、この女を。
綺麗で垢抜けていて、いかにも金が掛かりそうな女でしょ?
こいつはね、格下の男なんか、目もくれない女だよ。あんたなんか、逆立ちしたって抱けない女だ。
その女が、俺に夢中なんだよ。俺はこういう女が、夢中になる男なんだよ。
俺にはそれだけの価値があるんだ。あんたが、気付かなかっただけなんだよ。
ねえ。気づいた?
俺には価値が、あるんだよ。
もし、あんたがもう一度・・・

その時、背後で微かな溜息が聞こえた。
弾かれたように振り返った。その瞬間、心臓が凍りついた。
イルカはゆったりと笑っていた。
厄介者がやっと去ったと、安堵している顔だった。
突然降りかかった災厄が、とうとう去って行ったと、心の底から安堵している顔だった。

「・・・・・ふ・・・」
思わず笑いが込み上げて来た。
ああ。あんたはそんなに、俺が迷惑だったんだ。そんなに、消えて欲しいと思ってたんだ。
「カカシ・・・?どうしたの?何がおかしいの?」
驚いたように女が尋ねる。ぎゅっと強く引き寄せた。
「・・・あんた、俺と付き合えて嬉しい?」
「え?ええ。嬉しいに決まってるじゃない。カカシ上忍と付き合えるなんて。」
上忍、に力を入れて答える女に、カカシがニコリと眼を細める。
「・・・可愛いね、あんた。ほんと、可愛い。」
やだ、と女が大袈裟に身を捩じる。その媚びた笑顔に、微かな吐き気がした。
背後から、弾んだイルカの声と子供達の歓声が聞こえてきた。


その一ヶ月後、木の葉にSランクの依頼が入った。
鉄の防衛力を誇る国から、秘伝の巻物を盗む依頼だった。
考えられる隙は、後宮しかなかった。
好色な国主が作り上げた女の園。そこに忍び込み、かつ鉄の包囲網をかい潜って脱出出来る者。
いざとなれば、力づくで血路を開いて逃げられる者。
夕日紅とはたけカカシに、その任務は降りた。

「早く術を解きたい。」
うんざりしたように言う美貌の女を、紅が面白そうに見る。
流れるような銀色の髪と、艶やかに塗られた赤い唇が、妖艶なコントラストを作り上げている。
その蟲惑的に美しい「女」ぶりは、見事としか言いようがない。
「いいじゃない。しばらく里の男の目を喜ばしてやれば?カカシ」
クスクス笑う紅に、カカシが憮然と溜息を吐く。重たげに瞬く長い睫が、一層悩ましげだった。

最後の最後で、ちょっとした手違いが起こった。
巻物を奪うや否や、即座に脱出するしかなかった。男の服に着替えるなんて時間は無かった。
まさか女の着物を着たまま、男に戻るわけにもいかない。それで仕方なく、女に変化したまま里に
帰ってきたのだ。
「あら。」
ふいに紅が足を止めた。嬉しそうな明るい声で、軽く手を上げる。
「イルカ先生じゃない。お久しぶり。」

ぎょっと振り向いた先に、一ヶ月ぶりに見る黒い瞳があった。
とっさに紅の後ろに隠れた。よりによって、こんなみっともない状態の時に会うなんて。
「ほんとですね。紅先生、お久しぶりです。」
イルカが耳障りのいい低音で、穏やかに挨拶する。耳を塞ぎたくなった。
やっと薄皮のはった傷口を、尖った爪で掻き毟られたような気がした。
二人の楽しげな会話が続いていく。紅の受け持っている、優しい内気な少女の話。獣を操る少年の話。
早く終わってくれないかと思った。一刻も早くこの場を去りたかった。
突然、紅がからかうようにイルカを指指した。
「なあに?イルカ先生、私の後ろの人、そんなに気になる?」

ギクリと身体が強張った。まずい。気付かれたか。
思わず顔を背けるカカシに、イルカが狼狽した声を上げる。
「え、いや!!あの!ち、違います!ただ、その、ちょ、ちょっと・・・」
両手をブンブン振って訴える。

「あんまり綺麗な人だから・・・」

紅がブッと盛大に吹き出した。イルカが益々慌てて腕を振り回す。
「や!だから!こんな綺麗な人、この里にいたかなって!ええと、あの、その・・・」
真っ赤に顔を染めながら、しどろもどろに言い訳をする。そして突然、ハッと気づいたように
勢い良く頭を下げた。
「す、すいません!ジロジロ見てしまって。き、気を悪くされてたら、申し訳ないです・・・!」
紅が涙まで浮かべて笑いながら、必死で掌を振る。
「ち、違うって・・・!イルカ先生、この人は、カ・・・」
その瞬間、紅の腕をぐいと引いて前に進み出た。

「初めまして。イルカ先生。」

零れんばかりの微笑みを浮かべて、イルカの顔を覗き込む。
「紅から、先生の事聞いてました。とってもいい、先生だって・・・・・お会いできて、嬉しいです。」
蕩けるような女の声で、柔らかに囁く。イルカの顔が一層赤くなった。
「い、いい先生なんて!そ、そんな・・!」
紅の腕をギリギリと強く掴んだまま、強請るようにイルカを見上げる。
「・・・私、ずっと里の外で任務についてたんです。だから、ここの事よく判らなくて・・イルカ先生、
良かったら色々教えてくれません?」
「え!?あ!も、勿論です。俺で良かったら、いつでもどうぞ!」
ポリポリと鼻の頭を掻きながら、イルカが照れ笑いする。丁度その時、背後からイルカを呼ぶ声がした。
「イルカー。そろそろ時間だぞー。」
「・・・ああ!今行く!」
大きな声で返事をして、くるりと振り返る。
「じゃ、これで失礼します。紅先生。あと・・・ええと・・・」
口篭もるイルカに、カカシがにっこりと笑う。
「かえで、です。私、楓って言います。」
イルカが明るい声で頭を下げる。
「ありがとうこざいます。じゃ、楓さん。失礼します!」

「・・・ちょっと!どういう事?」
紅がカカシの手を振り払って睨み付ける。滑らかな白い腕には、指の形がくっきりと鬱血していた。
形のいい眉を強く顰めて顔を寄せる。
「・・・・カカシ、イルカ先生騙して遊ぶつもりじゃないでしょうね。」
「・・・・別にいいデショ?面白いじゃないの。」
意に介さぬように答えるカカシに、紅の揃った睫毛が一層不快気に瞬く。
「やめなよ。あんないい人からかうなんて。可哀想じゃない。」
「いいんだよ。・・・ね、この事、誰にもバラさないでいてくれるよね・・・・?」
もう一度紅の腕を掴み、今度は本気で締め上げる。細い腕から、骨が軋む音がした。
「ちょっ・・・カカ・・・」
明らかな脅しを含んだその力に、紅の瞳に怯えが走る。
「ねえ・・・・どう・・・?」
放たれる殺気に、周囲の空気が凍りつく。ギリギリと脳に食い込むような恐怖に、紅の全身が瘧の
様に震えた。
「わ、分かった・・・・・。」
やっと搾り出した言葉に、一気に身体が軽くなった。
「良かった。余計な種明かしされちゃ、つまんないもんねー。」
ニコリと眼を細めて、銀髪の麗人が笑う。ぞっと背筋に寒気が走った。カカシが何故、突然こんな
真似をしたのか、理解できなかった。
掴み所の無い男だとは思っていた。けれど、こんなたちの悪い悪戯を仕掛るタイプには見えなかった。
しかも、基地外じみた口止めまでして。全くカカシらしくない。
しかし、理由は聞けなかった。さっき腕を掴まれた時の光景が、それをさせなかった。
絹糸のように輝く銀色の髪。その下から覗く瞳には、赤い巴紋が狂ったように踊っていた。



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