指 輪 物 語 (1) |
気に入らねえ。 苦々しげに小さな頭を見下ろす。こんな奴が俺の指導官だと? 馬鹿にしやがって。 「おい!!聞いてんのか!?サイファー!」 キーキーと猿のように騒ぐ小柄な身体。 「煩せえよ。」 一言吐き捨てて、さっさと歩き出した。後ろから一層興奮した声が追いかけてくる。 自分の指導官、ゼル・ディンの声が。 結局、サイファーはガーデンに戻ってきた。 一連の行為は魔女による強力な催眠である、と言う判定が下ったのだ。 が、念の為、サイファーには半年間、指導官兼監視官がつく事になった。 優秀なSeeDがその任に当たる、と言う話だった。 当然、それはスコールだと思っていた。 サイファーは思う。誰にも媚びず、誰にも負けない孤高のカリスマ。 超絶的な強さと明晰な頭脳を併せ持つ、伝説のSeeD。 あれこそ、俺のライバルに相応しい。俺が認める男に相応しい。 俺を抑えようと思ったら、あの男しかあり得ない。 それなのに。 それなのに、どうだ。実際に決まった監視員はこいつだった。 チビで、落ち着きが無くて、騒がしい事この上無い餓鬼。以前はチキンと呼んで歯牙にも かけなかった男だ。 ショックだった。自分の価値を貶められた気がした。自分が生涯の好敵手として認めていた男は、 今やガーデンの中枢を担う存在となり、自分の相手などしてられないのだ。 この程度の男で充分なのだ。そう突きつけられた気がした。 「おい!サイファー!お前のカリキュラムなんだぞ!聞けよ!!」 サイファーはイライラと振り返った。何時までもうざいこの小猿を張り倒せたら、どんなに せいせいするだろう。サイファーの険しい視線にゼルがちょっと怯む。 「な、何だよ。き、聞く気になったのか?」 情けねえ。 心底、そう思った。ちょっと睨んだくらいでヒビリやがって。 スコールなら、違う。 奴なら、こんな事でビビリやしねえ。俺の視線を平然と受け止めて、そっくり返してくるはずだ。 「それじゃ、説明するぜ!まず、魔女思想概論だろ。それから・・・あ!おい!!」 再び歩き始めたサイファーの袖をゼルが慌てて掴む。 「聞けったら!ちゃんと出席しねえと、懲罰室行になるぞ!お前、保護期間中なんだぞ。 分ってんのか!?」 「てめぇで勝手にやれ。俺は知らねえ。」 「は?!」 「俺は雷神達と遊びに行く。懲罰室なんか屁でもねえよ。じゃあな。」 「・・・おい!俺はどうなるんだ!俺まで責められるんだぞ!!おい!!」 「俺には関係ねえな。あんまりうぜえと斬るぞ。もう、付いて来んな。」 半ば本気でハイペリオンを振り回すサイファーに、ゼルが後退りする。 サイファーはふんと鼻を鳴らすと、蒼ざめるゼルを置き去りにして去って行った。 だから、こんな仕事嫌だったんだよ。 ゼルはがっくりと肩を落として、サイファーの後姿を眺めた。 もう、これで何度目だろう。指導カリキュラムを作って、学園長の認証を貰って、準備して。 そして、サイファーがすっぽかす。 その度に叱られるのは自分なのだ。SeeDランクだってもう、洒落にならない位落ちている。 俺は何度も断ったのに。あんな奴、とても手におえないって断ったのに。 ゼルは長い溜息をついた。 何かもう、サイファーは意地でも俺の予定には従わねぇ、と決めてるみてえだ。 大体、あいつ元々俺の事、馬鹿にしきってたもんな。今更言う事聞くわけねえよ。 悄然と俯く肩を、誰かがポン、と叩いた。 「ゼル、大丈夫か?」 振り返って、声の主を見る。艶やかな濃褐色の髪に、輝く蒼天の瞳。 「・・・スコール!」 「また、サイファーが逃げたのか?・・・全く、困ったもんだな。」 スコールが眉を顰めて、溜息をつく。それを見て、ゼルは何故自分がこんな仕事を 引き受けたか、思い出した。 あの時、皆が断った指導官の仕事は、結局スコールの元へ戻ってきた。 スコールは、困ってた。 ガーデンの雑用に追われて、とてもサイファーの面倒まで手が廻らない、と困ってた。 サイファーの相手は片手間じゃ無理なんだ、と困ってた。 だから、引き受けたんだ。友達が困ってるなら、助けるのが俺の役目だと思ったから。 それに、サイファーは一応俺の幼馴染だ。 誰も引き受け手がいなくて、いつまでも宙ぶらりんじゃ可哀想だと思ったんだ。 「何でもねーよ!これくらい平気だ。またやり直せばいーんだしな!ほら俺、反省文書くの 慣れてるし。どって事ねーよ!」 明るく笑って、自らビリビリと紙を破く。パッと景気良く空に散らした。 えへへ、と頭を掻くゼルを見て、スコールが安心したように微笑んだ。 「そうか・・・。まあ、あんまり無理しないで頑張れよ。」 「おう!!」 ゼルが拳を突き上げる。千切った紙が吹雪のように、悪戯な風に乗って飛んでいった。 翌日、ゼルは朝からずっとサイファーを探していた。 やっと探し当てたサイファーは食堂にいた。椅子にふんぞり返って座っているサイファーに、 ゼルは大きく溜息を吐いた。側にかがみ込んで尋ねる。 「お前さあ・・どうすれば俺の予定表通りやってくれるんだ?」 子犬のように足元に蹲る姿を見て、サイファーがふと、思いついた。 「そんなに俺に授業受けて欲しいのか。チキン。」 「おお。当り前だろー。」 サイファーの片頬がニヤリと上がる。 「なら、俺の飯をとって来い。ここまで運べ。」 「サイファー、飯なら俺が運ぶもんよ。」 雷神が腰を浮かせる。サイファーがそれを片手で制した。 「こいつでいいんだよ。これから、ずっとな。おら、どうするんだ?」 つまり、俺にパシリになれってわけか。 ゼルがギュッと拳を握った。サイファーが何食わぬ顔で予定表を摘み上げる。 もう取り返しがきかない程、遅れまくってる予定表を。 ぐっと唇を噛締めて、顔を上げた。 俺さえ我慢してこいつに頭を下げれば、丸く収まるんだ。 これ以上、日程を遅らすわけにはいかねえんだ。 「・・・分った。取ってくるから、待ってろ。」 久々に気が晴れた。 配膳場に並ぶゼルを見て、サイファーは満足そうに顎を擦った。 これで正解だ、という気がした。俺はこうして椅子に座り、チキンはおどおどと飯を運ぶ。 俺はチキンなんぞに指図される人間じゃねえ。俺と対等に張れる奴はスコールだけだ。 それ以外はカスだ。腑抜け野郎共だ。 ゼルがランチを運んできた。ムッとした顔で机に置く。 「ほらよ。」 「どうぞ、だろうが。」 白い顔がカッと赤く染まる。 「・・・・・・・どうぞ!!」 「ふん。仕方無ねえ、次の授業は出てやるか。」 偉そうに言い放つサイファーに、ゼルがパッと顔を明るくさせる。 「本当か!?マジで授業に出てくれるのか!?」 「おう。」 サイファーが鷹揚に頷く。そうだ。こうして俺の機嫌をとれば、少しは褒美をやってもいい。 元気良く自分の昼飯を食べ出したゼルを、サイファーはニヤニヤと見つめ続けた。 ああ、すげー疲れた。 ゼルはぐったりとベットに倒れ込んだ。何なんだ、あいつの人使いの粗さは。 よく雷神達、逃げ出さないよな。俺はもう、ヘトヘトだぜ。 あの日から自分はもう、完全なパシリだ。しかも段々要求がエスカレートしてきてる。 毎食の飯を運ぶのは勿論、喉が渇けばジュース、小腹が減れば菓子、衣類が汚れれば洗濯。 昨日なんか有名なバラムケーキが食いたいと言い出して、朝4時から店に並ばされた。 そりゃ、お陰で予定は何とか進むようになったよ。だけど、その前に俺の身体が持つのか。 それに、とゼルは大きな溜息をついた。 何か、俺、違うよな。雷神達と扱いが違うよな。 雷神達だって勿論パシリに使われてる。必要な用事は、全部奴等がこなしてる。 だけど、俺は違う。 サイファーは、わざわざ必要もねえ用事を、俺に言いつけてる気がする。 何となくだけど、俺をただ見下す為に、無理矢理用事を作ってる気がする。 ゼルはゴロリと身体を反転させた。枕をギュッと抱きしめる。 ・・・・止めよ。深く考えると暗くなりそうだ。 眼を瞑ると、すぐに眠気が襲ってくる。ゼルはそのまま、泥の様な眠りに引き摺りこまれて いった。 次の日は休日だった。突然サイファーが渓流釣りをしたいと言い出した。 自分はもう海釣りを極めたので、今度は渓流釣りにステップアップする、と宣言したのだ。 何でも渓流釣りは釣り人の究極の姿なのだそうだ。例によってあれを持って来い、これを持って 来いと、自分は動かず指図するサイファーに、雷神達と一緒に振り回されながら、ゼルはバラム 近くの渓流にやって来た。 生憎の曇天で、まだ春浅い河原は寒々と薄暗かった。 と言うか、そもそも渓流釣りにはまだ季節が早いのだ。どこの馬鹿がこんな時期に川に入るか、と 本物の釣り人なら言うだろう。 サイファーは当初、川の中央で竿を振るのだと意気込んでいたが、流石にこの寒さに断念して、 大人しく岸辺で竿を振り回してる。 ゼルは嬉しかった。元々アウトドアが好きだし、ガーデン内でサイファーにこまこまと振り回さ れてたので、曇天とはいえ、広々とした河原はそれなりに気分が良かった。 それに、たとえパシリ要員だとしても、自分を誘ってくれて嬉しかった。 しばらくすると、サイファーがムッとした表情でゼル達の元へ帰ってきた。 魚篭を除くと、見事に何も入っていない。もう帰るぞ、厳つい顔が不機嫌に宣言する。 大騒ぎして準備させたくせに、もう飽きて帰ろうとする。呆れるほどの我儘さに、思わずゼルは 頭を抱えた。それをちらりと見たサイファーは、ふと、ゼルが指輪を嵌めているのに気付いた。 どこかで見た記憶がある指輪だ。伝説の獅子が彫られた、シルバーの指輪。 この指輪は、もしかして。 「チキン、その指輪・・」 「おっ、これか。」 ゼルがパッと顔を輝かせた。 「へへっ。これ、スコールがくれたんだ。」 小さな身体に相応しい、細い指に嵌められた指輪を、嬉しそうにかざす。 「俺がカッコイイ、カッコイイって言ってたら、くれたんだ。もう、俺びっくりしてよ。 気に入ってるんじゃ無いのか?って聞いたらさあ、」 顔一杯に笑顔を浮かべて、サイファーを見上げる。 「あいつ、大事な友達だからいいんだ、って言ったんだぜ!」 照れるよなあ、と金色の頭を笑いながら掻く。ぶかぶかの指輪をくるくると大事そうに廻す。 何でだ。 どうして、こいつが。 こんな、たあいもねえ奴が。 激しく湧き上がってきた怒りに、全身の血が沸騰するような気がした。 口を開けば、叫び出してしまいそうだった。 あいつは俺のライバルなんだ。俺が認めた男なんだ。 それが、てめえみたいなチキン野郎を大事な友達だと?ふざけるな。てめぇ、どこまで 調子に乗ってやがるんだ。どこまでつけ上がってやがるんだ。 俺をどこまで、コケにすれば気が済むんだ サイファーの手が、ゼルに伸ばされる。あっと言う間に、細い指から指輪が抜き取られた。 「あっ!何すんだよ!」 ゼルが慌てて腕を伸ばす。それをひょいとかわして、サイファーが高く手を上げた。 「・・・てめぇ、俺のパシリの分際で・・」 低い声でゼルを見下ろす。 「こんな指輪してるなんざ、生意気なんだよ。」 大きく腕を振りかぶる。 「捨ててやるぜ!!!」 銀色の軌跡を描いて、指輪が川に投げられる。小さな飛沫を上げて、水の中に沈んでいく。 サイファーは満足気に息を吐いた。ああ、せいせいしたぜ。チキンが何を喚こうと、 今更無駄だ。ざまあみろ。 そう思って、後ろを振り返った。ひょっとしたら、泣いてるかもしれねえな、と思った。 だが、ゼルは泣いていなかった。 喚きもしていなかった。 ちょっと拍子抜けした気分になった。何だ、チキンらしくピーピー泣き喚くと思ったのに。 その時、ゼルが静かに口を開いた。 「お前、俺が何をしても怒らないと思ってるのか?」 しん、とその場が静まり返った。流れる水音さえ、止まったような気がした。 「俺がチキンだから、だから何をしても許されると思ってるのか?」 ゼルが淡々と言葉を続ける。薄い唇が、すうと息を吸いこんだ。 もう、これっきりだと言わんばかりに、青い瞳がじっとサイファーを見つめる。 「お前は、最低だ。二度と、お前の顔なんか見たくない。」 それだけ言って、ゼルはサイファーの前を通り過ぎた。 川の中に靴を履いたまま入っていく。指輪が投げ捨てられた場所に向かって。 そして、冷たい水に手を浸して指輪を探し始めた。 「サイファー・・・」 風神が細い声でサイファーを見上げた。途方にくれたように、赤い眼が瞬く。 どうして、あんなことを? その眼はそう言っていた。サイファーは風神から目を反らし、傍らの雷神を見た。 雷神も、同じ眼をしていた。 とてつもなく、居心地が悪かった。この二人の前で、こんなに落ち着かない気分になったのは、 初めてだった。 「分ったよ、ちょっとやり過ぎたって言いてえんだろ?今すぐチキンを連れ戻してやるから、 待ってろよ。」 サイファーは川に足を突っ込んだ。水は驚く程、冷たかった。まるで氷のようだった。 ざぶざぶと水を掻き分け、しゃがみこむゼルの側に立つ。 「ほら、帰るぞ。」 ゼルは何も答えなかった。サイファーなんてそこに存在していないように、一心に川底の小石を 攫っている。 サイファーはやれやれと首を振った。 「しょうがねえな。俺も一緒に探してやる。暫く探しても無かったら、諦めて帰るぞ。」 ゼルがふいに、立ち上がった。振り向きもせず、吐き捨てる。 「お前に見つけてもらうなら、見つからない方がましだ。帰れ。」 その言葉は、サイファーの心にムチのようにビシリと響いた。 何言ってやがるんだ。チキンのくせに。 無理矢理そう思おうとしたが、何故か上手くいかなかった。不思議なくらい、動揺した。 ゼルが振り向きもしない事に、手ひどい拒絶の言葉を吐いた事に、酷く慌てた気分になった。 何か大事なものが、手からすり抜けていった気分になった。 「・・・チッ」 舌打ちと共にサイファーは踵を返した。わざとらしい程大きな声で雷神達に話し掛ける。 「雷神、風神、こんな馬鹿は放って帰るぞ!」 「・・・・サイファー」 呼びかける雷神の声に、今度ははっきりと非難の響きがある。カッと血が登った。 「煩せえ!!探したいって言ってんだから、好きなだけ探せばいいんだ。俺には関係無え!!」 乱暴に小石を蹴り上げて叫ぶ。何だか破れかぶれな気分だった。 焼け付くように、胸が痛くて、その上、惨めだ。その気持ちを見つめるのが怖くて、 サイファーは一際大きな声を上げた。 「帰るって言ってるんだから、帰るんだ!!嫌なら、俺一人でも帰る!!」 負け犬のような、気持ちだった。 |
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