塩薬師堂(群馬県富岡市)
小町四薬師のひとつ。塩畑堂ともいう。
小町が長谷観音の霊夢から故郷の出羽に戻る中途、ここで病に倒れた。村人にこの薬師に通うことで病が癒えると教えられ、鏑川の近くに小町山普済寺と称する庵を結び百日(千日とも言う)通いつめた満願の日、
南無薬師まづは諸願の叶はずば身より仏の名こそ惜しけれ
と歌うと、薬師が、
むらさめは唯一時のものぞかしおのが身のかさここにぬぎおけ
と返し、病を癒やしという。おかげで小町は出羽へと旅立ち、生地で生涯を閉じることができた。村人は小町が庵を結んだ跡に寺院を建立、小野山得成寺と改号し、のち貞応元(1222)年心前律師により開山した。
このとき小町は薬師に祈願するさい、塩若千俵を寄進したので、今も薬師堂の裏には、塩の井戸という塩水が湧き出している。人々は、諸病に効ありとしてこの水を汲んだ。
なおこの薬師堂の歌の刻まれた石碑は、「上野国甘良群小幡谷奥平里後賀村塚本忠右衛文政十三年寅二月再興」と刻まれているところから、江戸期に再び信仰の対象とされたのであろう。今でも塩を供える人があるらしい。 |