如意輪小町か、薬師小町か

 中世『御伽草子』のひとつとして、『小町草子』という話が生まれた。内容は謡曲や伝説を簡易に語った ものなのだが、小町が野晒しとなり業平に手向けの歌を貰い成仏する彼の話を最後にこう締めくくられ る。
「此物語を聞く人、まして読まん人は、すなはち観音の、三十三体を作り、供養したるに等しきなり。小町 は、如意輪観音の化身なり。又業平は、十一面観音の化身なり。あだにもこれを思ふべからず。南無大 慈観音菩薩と、回向あるべし。」
 小町は如意輪観世音菩薩の化身だといっている。如意輪観世音は一切衆上の苦厄を救う仏である。 ではなぜ小町が如意輪観世音の化身なのか。これにはいくつかの理由が考えられる。
 まずひとつには随心院の縁起の影響ではないかということ。本来御伽草子は仏の利益を説く説教や寺 社の縁起から発生したものが多く、独立してからもその影響を色濃く残す。随心院は「小町寺」の異称も あるほどの寺で、小町への艶書を埋めた『千文塚』や『文張り地蔵』などが残る。ここの本尊が如意輪観 世音であることが「=小町」と結びついたらしい。ただ、随心院ばかりではなく洛北の如意山補陀落寺で も如意輪観世音を本尊とし、また小町終焉の地(藤原仲実【著】『古今集目録』の「出羽郡司良実」の記 事から小町が出羽出身と宣伝されるまで、この地で死んだとされていた。)であるとされたことは重視する べきである(補陀落寺は小野の里に清原深養父が別業として建立した寺。陸奥小野氏の土地であった が、どういう経緯か清原氏の持ち物となった。)。
 二つめは小野氏との関連。小野氏の祖は渡来系の和邇氏である。その祖霊は『(天足彦國押人命六 世孫)彦姥津命五世孫 米餅搗大使主命(『新撰姓氏録 左京皇別下』)』と記されているように、稲作の 神(現在は「米餅(たがね 米の菓子)」の名から菓子の神)であると考えられ、後に稲荷神と重ねられ る。稲荷の本地は如意輪観世音であるといわれることから、その神を祖とする小野と結び付けられたら しい。
 三つめは「女人往生」。如意輪観世音と立山信仰は結びつきが強く、仏教で「往生できない」とされた女 性が立山を信仰することで成仏できると唱導したことと、「一切衆上の苦厄を除く」如意輪観世音の思想 が結合し、小野唱導衆が「小町ほどの浮名を流したものが、如意輪観世音の化身であったのである。」と の宣伝が混ざり合ったのだろう。また「白比丘尼」、「八百比丘尼」と呼ばれる人々の白山唱導と、小町の 説話が混ざり合って、「小町の長寿」も一般化していることから、北陸の唱導衆と小野唱導の交わりのな かでこの話は生まれたと考えられる。
 最後に「六歌仙」と「六観音」の関連。六歌仙は在原業平・遍照・大伴黒主・喜撰・文屋康秀・小野小 町、六観音は聖観世音・馬頭観世音・千手観世音・如意輪観世音・十一面観世音・不空羂索(あるいは 准胝観世音)である。この御伽草子では「又業平は、十一面観音の化身なり。」といっているが、異本で は「馬頭観音の化身」ともされる。いずれにしても、六歌仙のような「歌の上手」は言霊の国、日本では仏 に近い存在ともくされたのであろう。
 いずれの理由が先行し、また関係をまったく持たない偶然の産物であったとしてもこれらの事柄はすべ て小町を如意輪観世音とする説へと向いていることは確かなのである。

 小野小町には水が付きまとう。折口信夫の論でいけば『水の女』という位置づけになろう。
 謡曲『雨乞小町』では、干天を嘆く衆上を救うため神泉苑で歌を詠むよう主上の命を受けた小町が、
  ことわりや日の本ならば照りもせめさりとてはまたあめが下とは
と詠んだことにより雨が降る。
 雨を降らすという行為は特殊技能であるのは言うまでもないが、神泉苑で空海が孔雀明王法を修して 雨を降らしたことに比べると、あまりにもお手軽な請雨法である。かといってその例がないわけではなく、 能因法師の、
  千早ぶる神もいまさば立さわぎ天の戸川の樋口あけたまへ
の歌もあるし、源実朝の、
  時により過ぐれば民の歎きなり八大竜王雨やめたまへ
のように止雨の歌もある。これらの歌は願文であり予祝(あらかじめ、その願うことが起こったと仮定して 祝ってしまう行事)であった。歌の上手が雨を自由に出来るという考え方は、『古今集』の仮名序にある 「力も入れずして天地を動かし」という一文が如実に語っているだろう。先に述べた「稲作の神の末裔」で あることも水を自由に出来る理由のひとつである。(cf.大陸の思想では、篁のような冥官は天候を自由 にできるという。)
 同じく『草子洗小町』では大伴黒主との歌合せの際、『水辺の草』という題で、
  蒔かなくになにを種とて浮草の波にうねうね生い茂るらむ
と詠むと、黒主が「そは万葉の古歌」であると横槍を入れる。ところがこれが書き付けられた万葉集の草 子を小町が洗うと、墨が流れ消えてしまい身の潔白が証明される。
『草子洗』の歌は、小町ともあろうものがこれほど下手な歌を詠むはずもないので、後世の偽作であろう が、草子を洗うことと題の浮草、漂うものと洗い流すもの、これは思わず知らず小町の宿命をあらわすキ ーワードとなっている。
 雨、浮草、洗い流す。
 小町は晩年各地を流離い歩いている。その小町が瘡病になり、この客地から動けなくなってしまう。す ると里人から「近くの薬師に参るといい」と聞かされ、その日より千日(あるいは百日)日参する。そして満 願の日、小町が、
  南無薬師まづは諸願の叶はずば身より仏の名こそ惜しけれ
と詠うと、薬師が、
  むらさめは唯一時のものぞかしおのが身のかさここにぬぎおけ
と返す。このことにより、瘡病は癒え、旅を続けることが出来るようになる。この説話は全国に分布し、特 に日本国内に四箇所、古来より「小町薬師」として知られる地がある。その地には必ず「小町の井戸」か 「小町の泉」があり、薬師と一体となっている。薬師如来は飛鳥の薬師寺に代表される諸病平癒の仏で ある。
 日本で水への畏怖と信仰は神であるなら竜神あるいは天神、仏なら不動、弁財天へと結び付けられた が、「湧き出す泉」に神性を持たせ、「浄化」と「再生」を見出し、水辺に薬師如来を祀るようになるのには そう時間はかからなかったであろう。
 この物語を読むと「大祓」を思い出す。一年間人が生活をすると、様々な穢れを身に負ってしまう。この 穢れを拭うのが「祓」である。このとき人々の穢れを一手に引き受け飲み込む神を「速開都比賣(はやあ きつひめ)」といい、これを流離うことで浄化する神を「速佐須良比賣(はやさすらひめ)」という。小町の身 にできた瘡は「穢れ」であり、薬師の祝言と水による清浄化により小町は「穢れ」から復活する(「ハレ」と 「ケ」と「ケガレ」についてはまた他のところで語ろうと思う。)。
 自らは如意輪観世音として「歌の祝言」により衆上を助け、その身に溜まったケガレを薬師如来の「水 の浄化」により拭い去り、再び衆上を救う。小町の霊性はこのあたりから発生しているのだろう。