2004年03月15日

斷袖私論 −美男蔓は大樹に捲かず−

 斷袖とは「分桃斷袖」の故事からきた言葉で、「ホモセクシャル」を指す。ホモセクシャルはいわゆる男 性と男性による恋愛であり、性的関係を主としたものと一概に括ってはならないが、一般的にはこれをホ モといい、純粋な恋愛まではそれに含めることはない。現在このホモという男性対男性の関係(レズビア ンも同様であるが)は、一時よりは改善されたものの、いまだ奇異の目に曝される「特異」な人々であるこ とには変わりはない。西洋化が進み、キリスト教主義の中で背徳の行為として許されざる行為、ホモセク シャルは日本人の意識を180度変えてしまったわけだ。日本人は古来より、ホモセクシャルの文化を持 っており、明治の近代化の波に揉まれて衰微したものの地方では昭和の声を聞いてもその風習は残っ ていた(都市部でもわずかに残っていたとする意見もあるが、それは西洋化されたホモセクシャルの形 で、古来からの流れからは寸断されていたと考える。あるいは、地方出身者による「逆輸入」の如きもの であろう。)。


 江戸前後、ホモセクシャルを指す言葉として一般的であったのは「若道」もしくは「衆道」である。「若い」 と言うのは、成人が年少の者を「犯す」からであり、成人したものがそのような行為に及ぶことは「衆道」と される。全体を指す言葉が「衆道」で、年少者を相手にする「若道」が内包されているというのが正しい。 井原西鶴の『好色一代男』の冒頭にも「少人の弄び」という言葉が出てくるが、成人がその道を教えると いうのが普通であったのだろう。
 この事例が当てはまるかが甚だ疑問なのだが、地方には「ニセヤド(『青年宿』と書くこともある)」という ものがあり、村はずれにある一軒のヤドで成人を迎える前の男たちが集まって共同生活をおくるという決 まりがある。十二歳前後になると必ず男の子は親元を離れここに入り、社会の決まり、村の慣わしなどを 教えてもらう。そして結婚、あるいは二十歳など一定の年齢に達するまで生活を続ける。ニセヤドを出た ものは晴れて一人前と認められ、村社会の「惣」に入るわけである。「男の子」に「社会の決まり」を教え るのが「ニセヤド」で、思春期を迎えた者ばかりが集う完全な男社会であったことを考えると、必然「若 道」が行われていたであろうと推測がされるのだ。
 江戸の笑話に、地方から奉公に出てきた若者が仲間に誘われて女郎買いに行った時、床を共にした 女郎に、「前の穴は使ったことがない。」と言って鶏姦をしようとした、という話があるがこれも「こうするも の」と小さい頃から教えられていた為であり、都市部の人間もそういう風習があることを知っていたため 笑い話となったのである。記憶されている方もあるかのしれないが、大島渚監督の『御法度』の中で、「丹 波笹山は若道の本場」と言われていたが、なにも丹波笹山に限ったことではなく、各所にその風習は残 っていたと考えるのが妥当である。ちなみに丹波笹山というのは京・大阪表では「山里・田舎」の代名詞 で、見世物小屋の口上にも、「丹波笹山で生け捕られた大ざる」とか、なにかと「秘境」の意味で用いられ たことを付け加えておこう。


 江戸時代、知識を独占していた僧侶や武家から学問を掠め取り、独自の発展を遂げていった町人文 化は、同時に彼らが寡占していた「衆道」という悦楽も知ってしまったのだ。それ以前の庶民は前述のよ うにやることはやっていたが、これが「衆道」であると認識し、行為に及んではいないと思われる。マルキ・ ド・サドが、キリスト教を辱めながら鶏姦することで快楽を得たように、精神的思想的な思考が伴って始め て「衆道」となると考えられる。
 それまでの衆道の担い手は、僧侶と武士が共に双璧を成していたといえるし、以後も二大潮流であっ たことは間違いない。「衆道の始祖は弘法大師」と言い切ってしまうものがあるくらいで、近年まで「仏教 の伝来=衆道の始まり」と考えられていた。では僧らにとって、サドにおけるキリスト教の如きものは何で あったか。理由として挙げられるのは「女犯」の思想であろう。仏教では愛欲の煩悩を断ち切る障害にな るとして陰茎を魔羅(マーラ 悪魔)と呼ぶように、その根源たる女性を一種忌避し遠ざけるようになって いた。仏教の戒は「生涯不犯」「不女犯」といわれているが、戒を受けた僧がすべて守ったかといえばそう はいえまい。「不女犯」の解釈を妻を含めずとした「逃げ道」を作ったり、浄土真宗のように妻帯を認めた 宗旨など『日本霊異記』などにも見られる「漏精」の記述などからも、押さえがたき性欲を満たさんとした 事がうかがえる。「不女犯」の戒を守り、かつ性的欲求を満たすものとして「衆道」は始まったわけだ。最 初のうちは同坊の僧同士であったろうが、時代を経るごとに稚児を愛するようになり、僧侶に禿(かむろ) の取り合わせが一般的となっていく。
 さて、一方の武士であるが、衆道に傾倒したのはどうやら仏教の影響が強いようだ。明日をも知れない 命、つまり「刹那」の思想が、一時の快楽へといざなったのである。また、神仏にすがるということも、武 士の一面としてある。武士と生まれれば、「不殺生戒」は確実に破ることとなる。そこにさらに「不女犯」の 戒を侵すことを恐れた。そこで、衆道に走ったとも言われている。よい例が上杉謙信である。ところが僧 侶と違い、武士には「後継者」をつくらなければならないという、ジレンマも存在し必然として「バイ」になら ざるを得ないわけである。
 それでは武士は平和になったら衆道が捨てられたのかというとそうではない。『豊国祭礼屏風』の中に かぶき者同士が鍔迫り合いをするシーンが描かれており、男の抜き放たんとする長太刀の朱鞘に「生き 過ぎたりや二十三 八まん引けはとるまい」と二十を過ぎても生きていることを恥じるようなことが書いて ある。戦国の世に生まれていれば、首一つ取っただけで一国の主にのし上がれたものを、と歯がみして 悔しがるかぶき者。彼らはそのライフスタイルさえ戦国武将を真似て、衆道を引き継いだのである。世の 諺言に「一夢二千三肛四開」というが、快楽としての射精は女性より衆道がよいと言っている事からも、 生死を賭ける「刹那」の思想はいつの間にか快楽に押されて消えてしまったらしい。


 「西洋化されたホモセクシャル」との一番の違いは「少年を愛すること」に東洋のホモセクシャル文化が あったということである。


 若年層、特に女性であるが、彼女等には男性対男性の性行為を絵空事の中ではあるが、容認してい る風がみられる。いわゆる「腐女子」が読む「ボーイズラブ」というジャンルの出版物である。この手の読 み物は得てして「美少年」しか出てこない。美少年が美少年を攻め愛する。西洋的であり同時に東洋的 でもある。これを語るとき、映画『太陽がいっぱい』を思い出す。リメイクされて『リプリー』の題名で上映さ れたこの作品は、紛れもなく「ホモセクシャル」な美少年二人によって巻き起こされる愛憎劇なのだ。
 それはさておき筆者は、ボーイズラブは男性の否定なのではないかとおもう。男性という者は弱くとも性 行為に関してはどうしても主導権を握らざるを得ない。女性がどうしても受身になるのは、そういう身体つ きなのだから仕方があるまい。ところが、男性対男性ならどうなるか。必然として、いずれかが受身にな り、女性と同じ役割を担わなくてはならない。身体的には男性であるのに、女性として機能しなければな らない矛盾をある種の共感を持って楽しんでいるのではないかと思える。
 見目麗しい少年あるいは美しい男性が女性として苦悶する様子を想像する。少年たちは体毛がなく、 つるりとしている。性器もリアルである必要もない。もっと云ってしまえば性器以外はすべて女性になって しまっている。中性、いや、両性具有であろう。白洲正子が興福寺の阿修羅像に「アンドロギュノス的な 美」を見たように、彼女たちは女性器を持たずして両性具有化できる男性の美しさを見出したのかもしれ ない。そして想像は駆り立てられ、実際にいるアイドルや俳優さえ彼女たちの妄想世界の中では(本当は ヘテロであっても)ホモセクシャルとなりうるのである。それはあたかもローマの大理石彫刻のように麗し いアンドロギュノスかヘロマフロディスを追い求めているようでもある。


 これはあくまでも私論なので、問題があったらご指摘願いたいが。


 題名の『美男葛は大樹に捲かず』は成語でも何でもありません。江戸の頃、ある将軍が美少年を小姓 として(むろん若衆にしようと)迎えようとしたところ、すでにある大名と契りを結んでいたために、義理立 てして誘いを断り続けました。怒り心頭の将軍は少年を死罪、大名を改易に処した逸話から、こんな題を 付けてみました。ちなみに大樹は将軍の異称です。


付録 日本の根本思想「ハレ」と「ケ」について

 日本の精神世界は「ケ」と「ハレ」そしてそこから生じる「ケガレ」の考え方から成り立ち、この循環により ほぼ生活が進行しているといってよい。そしてこの「ケ」と「ハレ」の理解なしには、日本文化を語ることは 出来ないといってもよい。ただ、「ケ」と「ハレ」についてはいまだ解釈にばらつきがあり、大きな違いはな いものの、細部においては意見対立が顕著であることはご理解いただきたい。まず、ここで言う「ハレ」と 「ケ」、「ケガレ」の解釈を明確にしておきたいと思う。
 今日一般的に言われているものは日常を「ケ」非日常を「ハレ」と解釈し、日々繰り返される「ケ」におい てその身は「ケガレ」てゆく、そこで祭りなどの「ハレ」を行なうことで身の「ケガレ」を落とすというものであ る。と、ここまで理解されていたなら、もう一歩話を進めることにしよう。この「ケガレ」という言葉、日常を あらわす「ケ」と干上がるという意味の「カレ(涸れ)」から出来ている。つまり、「ケガレ」は「ケ」が「涸れ」 てしまうことを指している訳だ。そうすると、「ケ」は「=日常」ではなく、「ハレ」と対応する言葉ではなくなっ てくる。では「ケ」とは何か。「ケ」とは物質のように分量が増減し、なおかつ時間軸に対し減少を続けるも のらしい。一般的解釈と同じ考え方でゆけば、「ハレ」を行ないその身の「ケガレ」を解消して「ケ」に戻る わけだが、そうなると「ハレ」ではガス欠状態の人々に「ケ」を注入して「ケガレ」の状態をリセットする役目 を果たしているようだ。
 なぜここで「ハレ」と「ケ」を解説するかというと、日本のホモセクシャルはこの思想から発展していると みる向きもあるから。なんとなく想像してみてください。




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