2004年05月30日

鉄球妄想 −緬鈴を買いに−

 堂主の趣味が奇妙な物語を集めることであるのは、此処までの書き連ねられた断簡の数々で理解して いただいていると思われる。しかし近年はそれのみに留まらず、物、オブジェにまで至っている。何の役 も無い物をこまごまと集める、コレクターとは聞こえがいいが、無秩序な収集癖は家人を辟易とさせる。 カラスでさえ青い物と方向性を定めてガラクタを集めるというのに、目に入るもので気に入りさえすれば、 たとえそれが何に使われた物であるかさえ分からないのに買い求める。病膏肓とはこのことだ。



 とある骨董屋で用途の分からない鉄球が二つ出た。大きさは鶏卵より少々小さい程度、中は空洞にな っていて、舌があるものか振ると澄んだ音がする。大きさからして馬鈴といったところかと転がしてみた が、どういう訳か鈴口もなければ鈕もない。ぬっぺらぼう。全体には錆がういているが、黒く落ち着いた錆 で時代はまだ若いようだ。閉じ口は溶接され、その痕はむやみに滑らかに仕上げられている。作りから 鋳物ではなく鉄板の打ち出しと知れた。
 思い当たらない物がないではなかった。中国に昔からある『健身球』である。内部が鈴状になった同じ 大きさの二つの鉄球を片手に持ち、掌で巴の形に転がす一種の健康器具だ。今のものは鉄製ではなく 石や非鉄金属もあるらしいが、古いものは飾りっ気のないただの鉄の球なのである。大きさ形、すべてに おいてこの鉄球は健身球に違いないと思われた。もしこの時点で思考が終了していたら、いくら安いとい われても買うことはなかっただろう。
 一様、店主に聞いたが、何であるかは不明で、ただ鉄の鈴ということしか云えないと言い掛けて、
「ただ、」
と付け加えた。
 元の持ち主は骨董商で、中国から仕入れた雑器を店主に見せ、良い物があったら買ってくれないかと 持ちかてきた。一目見ただけでもいけない物が多いのに、聞けばずいぶんと高い買い物をさせられてい る。気の毒だが、こちらも商売なので、まあこれならよいかと思われる品を二三引き抜いて、代を払おう としたときにふとこの鉄球が目に入った。
「目を付けたか。」
 骨董商は講釈をはじめた。俺もわからなかったが、どうやらこれは女の人に入れるものらしい。入れる と音がするだろう。それを楽しむんだとさ。
 堂主これを聞いて、
「緬鈴(めんりん)!」
と叫んでしまった。


 敬愛してやまない澁澤龍彦の短編に『花妖記』という作品がある。緬鈴は此処に出てくる宋渡りの珍品 の一つで、やんごとなき人々の使われる「房中の秘具」のことである。人肌の温もりと湿り気を帯びると自 然に震えだすという不思議な石で出来ている、まあ言ってしまえばいまの某のおもちゃと変わりないのだ が、この石を産するのが緬甸(ビルマ 現在のミャンマー)であったことから「緬の鈴」、緬鈴とよぶように なった。
 でもそんな石が本当にあるはずもなく、中国では専ら鉄を使用し、玉の中空に水銀と舌とを仕込んで使 用したという。水銀の池の中を舌が思い思いにたゆたうことで、鉄球が思いがけない面白い動きをみせ る仕掛けになっていたようで、その後はそれすらも廃れ、水銀を使わず、ただ名の示す如き鈴へと変わ ってしまったのだ。このあたりの事情は金関丈夫の論考『緬鈴』に詳しく書かれている。
 また澁澤が『高丘親王航海記』のなかで、男のいない寂しさを犬で埋めていた夫人が半人半犬の子供 を産み落としたことから、過去の過ちを再び犯さないよう犬人の股間に鈴をつける話を書いている。これ も緬鈴のバリエーションに他ならず、東南アジアに伝わる元の話では犬人にではなく婦人たちの開に鈴 を入れ戒めとしたそうだ。これが中国に伝わり勘違いの元となったようである。ちなみに犬人の股間に鈴 をつける発想は、落語の『鈴振り』というバレ話かららしい。


 この鉄球が緬鈴であろうはずもないことは百も承知なのだが、思考が徐々にあらぬ方向に走り出し、 待てよ、健身球とは元々緬鈴のことだったとしたら、これほど可笑しなことはなかろうかと思いだした。女 性の中に入るべきものを掌の中で転がしながら、その痴態を夢想している男。またその手つきたるや、 なんとも卑猥で健康的な部位など微塵もなく、健身球に添えられた手のツボを刺激するなどという後付の 能書きなど、恍惚としたその姿を見ればどこぞに吹き飛んでしまう。緬鈴も健身球もその端は宋代にある ともいわれているから、この発想もあながち外れてはいないかもしれない。
 鉄球が何ものであるかは実際には分からない。でも堂主の手元に納まった時、鉄球は「緬鈴」と名づけ られ、此処にあるかぎり、猥雑な妄想につき合わされる運命を辿らなければならなくなった。




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