虹のつぶやき(1)

♪ウッタタ、ウッタタ、クルクルクルクルくるまを
♪ウッタタ、ウッタタ、クルクルクルクルくるまを
♪ウッタタ、ウッタタ、クルクルクルクルくるまを売るなら「○ー○○(会社名)」

男性バレーダンサーの華麗な踊りにアテレコしたこのCM
(関西ローカルかな?)、
どんなに不機嫌なときでもおもわずニヤリとさせられちゃう。
ちょっと心がやわらかくなる感じ。
♪ウッタタ、ウッタタ、クルクルクルクル…。
でも自分で言ってみてもダメなのよね。
最近CMみてないの。
不機嫌なのはそのせい?
















虹のつぶやき(2)

<レインボー・セル>を開設して1ヶ月が過ぎました。
カウンターも2000目前、掲示板の書き込みも200を超えています。
みなさん、ご訪問そして書き込みありがとうございます。

サイトの更新もなかなか思うようにできないで反省しています。
特に<ひとりごと>コーナーは、仰々しくなりすぎてなかなか気楽に書き込めないでいます。
(歌集などをじっくり読んでないということもあるんですが。)

掲示板にも皆さんの書き込みに返事を書くだけで、こちらから何かを書き込むということが少なかったように思います。

そこで、短歌についてだけではなくいろいろなことについて
<虹のつぶやき>と題し掲示板に書き込んでいこうと思います。
(すでに昨日、[203]でたわいないことをつぶやいています。)

これからも、書き込み常連の方はもちろん、新しく訪問してくださった方も
気楽にHPの感想や意見などなんでも書き込んでくださいね。
今後も<レインボー・セル>をどうぞよろしくお願いします。<(_ _)>











虹のつぶやき(3)

『いや、正直言って五年やってだめな人はだめです。斉藤茂吉は十年やれと言ったんですけれど、私は五年と見ています。「短歌は文学」だという意識がはっきりしている人は長持ちするんですけれども、楽しいから始めたとか、何らかの動機でちょっとやってみようかということで始めた人は、そうでもない。もちろんある時点で変わればそれでよい。「これは文学なんだ、芸術だ」と思った人は長続きしますが、そうでない人の進歩は止まります。(略)私なら好き嫌いは別として、いま新しい歌人が出てきて何かやっているらしいと聞くと、どんな試みをやっているんだろうかって、とりあえず読みますが、彼らはそういう意味での勉強をしないんです。』(角川『短歌』2002.2月号 座談会「インターネットは短歌を変えるか」より)

鵜飼康東氏のこの発言にドキリ。

短歌を始めてもうすぐ3年になる。
短歌は文学、芸術だとは思うが、遊び半分の気分で3年が過ぎようとしている。
あと2年か…、どうする?

とにかく自分の歌を詠んでいくしかない。
そして好き嫌いはせずにさまざまな歌を読み、批評をしていこう。


虹を憎み虹を愛してひび割れてゆく冬空の破片が痛い  神崎ハルミ
























虹のつぶやき(4)

「すぐれた批評とは、作者さえ予想しない騙され方を創り出すものであってほしい。」(『短歌研究』2月号)と辰巳泰子氏。

作者のこころに迫りたい。
と、同時に
作者に騙されてみたいとも思う。
作者に届くことばで批評がしたい。


なないろのなにいろだったら胸の奥ふかくふかくに刺さるのだろう  神崎ハルミ























虹のつぶやき(5)

俳人の花森こまさんが送ってくださった個人誌『逸』をペラペラと。
第7号の表紙をめくると「短詩型文学の今を探る」という特集。
短歌についての評論、そして川柳についての花森さんの評論、俳句の評論へとつづく。
俳句はもちろん短歌作品も掲載されている。

花森さんは川柳から俳句へとうつられた方。
そして最近、短歌も詠み始めネット歌会にも参加されている。
どんな短歌を詠まれているのか楽しみ。
こういった交流は刺激になる。

<花森こまさんの日記とBBSのサイト>
http://www2.diary.ne.jp/user/119532/?
http://6909.teacup.com/hanamorikoma/bbs


十七文字と三十一文字(みそひともじ)をむすぶ虹 凍てついた空ひび割れてゆけ  神崎ハルミ




















虹のつぶやき(6)
パイオニアのプラズマテレビのCM。
大人のままで小学生だった時代へと戻った男性。
同級生たちは大人の姿の彼とごく自然に接している。
学校からの帰り道、好きだった少女とふたりきりになった彼。
思いきって昔言えなかった「好き」という言葉を口にしようとするが、
寸前で少女は「じゃあね」と言って去ってゆく。
BGMはショパンの「別れの曲」。

小学二年生のときの図画の時間。
よく使う好きな色の絵の具がなくなっていたのか、
二十四色セットにしか入っていない色が羨ましかったのかは忘れたけれど
「○○色かして!」と誰にともなくさけんだことがあった。
すぐさま前の席にいた子がふり返り、「はい」と絵の具をさしだしてくれた。
ペコちゃんみたいに可愛かった女の子。
絵の具の色がなに色だったのかはすっかり忘れてしまったけれど、
彼女の笑顔はいまでも忘れられない。


さしだしてくれし絵の具のいろ忘れ永遠(とわ)に描けぬ虹がこころに  神崎ハルミ













虹のつぶやき(7)
「私の手にあまったのは、インドの広さでも多様さでもなかった。その魂の深さだった。」(ジャワハルラール・ネルー)

新古書店で100円で購入した『ことばへの旅 1』(森本哲郎著)より。
著者によると「魂の深さ」とは、五千年間、いかなる文化を拒否せず、何ひとつ失うことなくあるがままに堆積してきた継続性らしい。

インドへ行ってまず感じたのは、そのごった煮状態。ヒンドゥー教の聖地であり大観光地でもあるバラナシの聖俗いりまじった独特の雰囲気。単純にカースト制といった多層性だけでは説明できない何かがインドにはある。
そして人々の美しい瞳、まなざしの鋭さ。町を歩けば仏像をおもわせる顔立ちの男女を数多く目にする。「ああ、やっぱり仏教はここで生まれたんだ」と納得させられた。インドの多様性はもちろんのこと、何ともいえぬ幸福感と何もかも見透かされているといった恥ずかしさを感じながら旅したインド。

森本氏いわく、「もし、ひとつの考え方が唯一絶対として君臨したならば、それは、当然、次に現れる他の考え方によって挑戦を受け、敗退し、消え去ってしまったでありましょう。そして、勝利を得たその考え方も、やがて、再び他の考え方によって潰え去る運命を繰り返したにちがいありません。」

イスラム原理主義組織、同じく原理主義にむかいつつあるようにみえるアメリカ。そしてそれに巻き込まれていく国々。インドもそして日本もそこから逃れられないのだろうか。


愛(うるわ)しきムムターズ・マハル、虹まではつくってやれぬ我を許せや  神崎ハルミ


















虹のつぶやき(8)
白猫の頸のほそきを掴みたる記憶が春の手によみがへる  目黒哲朗(『CANNABIS』)  *「掴」は歌集表記どおりの字が出ませんでした。

今日、関西はポカポカ陽気でとても暖かかったです。
このまま春になればいいのにね。
目黒さんの歌集『CANNABIS(カナビス)』にはすてきな春の歌がたくさん収められています。
特にこのお歌は私のお気に入り。
初めて読んだとき、手に柔らかで生あたたかい生きものの感触をありありと感じました。
春のポカポカとしたぬくもりが、かつて猫をつかみあげた「私」の記憶を呼び覚ましたのでしょうね。
そして私は、この歌をとおして春という季(とき)をこれまで以上にリアルに感じることができるような気がします。


両の手で抱(いだ)きあげたる猫の目に春虹はあるか、かお寄する君  神崎ハルミ















虹のつぶやき(9)
柳田國男の『妖怪談義』を読んでいる関係で…?、
戯れに『妖怪占い』サイトへ
http://www1.odn.ne.jp/interface/sub2.htm

生年月日で占うのだが、
「あなたは妖界のアーティスト タコワラシさんタイプです」と出た。
一反木綿(イッタンモメン)のことだろうが、「タコ」とは偶然にしてもびっくり。
占い自体は当たっているのやはずれているのや?

相性バツグンBEST3は、@イヤシ系の雪女さん(☆☆☆)A楽天家のカラ傘さん(☆☆)Bカリスマの閻魔大王さん(☆)
危険な関係BEST3は、@エリートのドラキュラさん(★★★)A世渡り上手の一つ目小僧さん(★★)B慎重派のミイラさん(★)
ですと。

『妖怪関係図』まであって、なにやら複雑怪奇な関係。
あなたは、どの妖怪?


「なないろの虹がでてるよ、シャツもだよ」ソデヒキコゾウが教えてくれる  神崎ハルミ










虹のつぶやき(10)
プリンスがアルバム『ザ・レインボー・チルドレン』を
約2年ぶり(プリンス名義では10年ぶり)にリリースしたらしい。

高校生のとき、「パープルレイン」のMTVの映像と歌声に鮮烈な印象を受けたことを思い出した。でもアルバム一枚をとおして聴いたことはなかったように思う。敬遠していたわけでもなかったのだろうし、カルチャー・クラブやシンディー・ローパーなんて好きだったからプリンスにはまっていてもおかしくなかったはずなのに不思議といえば不思議。でも「ウェン・ダブズ・クライ」「KISS」なんかはいい歌だとおもうし好き。

最近、インターネット・ラジオで80年代の洋楽をよく聴いている。
BGMとして当たり外れなく安心して聴いていられるから。別に80年代の音楽のできが特別よかったからじゃなくて、あの頃に青春時代を過ごし、今よりもはるかに長く濃密に音楽と接していたからにちがいない。
最近TVの主題歌やCMで80年代の曲をよく聴いたり、ちょっとブームになっていたのも、私と近い世代の人が仕事の前線に立つようになっているからにすぎないのだろう。

特に、1984年という年(昭和59年ではなく)は僕の中では特別な年だ。

[ザ・20世紀]というサイトの1984年にのっていたアメリカ・トップ10
http://www01.u-page.so-net.ne.jp/ba2/fukushi/year/1984.html#song

 1. Like A Virgin (Madonna)
 2. When Doves Cry (Prince)
 3. Jump (Van Halen)
 4. Footloose (Kenny Loggins)
 5. What's Love Got To Do With It (Tina Turner)
 6. Against All Odds (Take A Look At Me Now) (Phil Collins)
 7. I Just Called To Say I Love You (Stevie Wonder)
 8. Ghostbusters (Ray Parker Jr.)
 9. Karma Chameleon (Culture Club)
10. Wake Me Up Before You Go-Go (Wham !)

もちろん、全部おぼえている。
「Like A Virgin」ってタイトルもだけど「Material Girl」なんてタイトルも衝撃的だったなあ。僕はマドンナのなかでは一番すきな曲だけど。
この頃はちょうどLPからCDへの端境期で、でもまだまだLP優勢だったかな。
(初めて買ったCDはB・スプリングスティーンの「Born in the USA」だった。1985年のことだったかな。今では信じられないことだけれど、LPが並ぶレコード屋の片隅にクラシックのCDと一緒に遠慮がちに並んでいた。3500円ぐらいしたんじゃなかったかなあ。)
そんなにレコードは買えなかったけれど、B・ジョエル、シンディー・ローパー、マドンナ、ジェネシスなんかのLPは今でも家にあるだろう。カルチャー・クラブのピクチャーレコード(何でまた?)を友達に隠れてこっそり買ったっけ。
しょっちゅうレンタル・レコード屋でLPを借りていた友人。LPを小脇に抱えて登校する姿がかっこよくて羨ましかった。僕はダビングを頼んでばかり(笑)。

何か話がプリンスから脱線しちゃった。
「ザ・レインボー・チルドレン」ってどんなかんじの曲だろう。


「ねえ王子、紫の雨やんだあとお空に虹はでるよね きっと」  神崎ハルミ  








虹のつぶやき(11)
公園で女性が泣いていた
ひとり、ベンチにすわり
噴水をみつめるように顔をあげたまま

仲間由紀恵に似た美しい女性だったが
二流の彫刻家がつくった塑像のように
顔には表情というものがなかった
悲しくて泣いているのか
うれしくて泣いているのか
ただただ、
涙がしずかに頬を伝っていた

土曜日の昼下がりだというのに
人影はまばらで
噴水の音だけが公園に響いていた

僕の髪は北風に吹かれた噴水のしぶきでおもく湿っていた
彼女の黒髪はつややかさを増しまるで水草のようだった
噴水は虹を生むこともなく
僕たちを嘲笑うかのように水をふきあげつづけている

僕は彼女の横顔をみつめつづけた
彼女の黒髪にかかる虹を想像しながら
彼女は噴水をみつめ涙を流し続けている
いつまでも、いつまでも

 
    
<移動虹製造会社/神崎ハルミ>
公園で涙をながす移動虹製造会社の看板娘  
トリックは何もないのよただ涙ながすだけなのしずかにしずかに  
邪魔でなきゃとなりで泣いてもいいですか 噴水みつめしずかに泣きます   
涙もろいだけでは移動虹製造マンは到底つとまりません  
私ども自慢の虹の成分は、<ピュア・エキストラ・ヴァージン・ティアーズ>  
「あっ、虹」とさけんで空をゆびさせばそれを合図に消えそうなひと  









虹のつぶやき(12)
もしも、僕たちが
色のない世界に住んでいたとしたら
そう、色という概念のない世界に

花をみて美しいと感じたり
食事をしておいしいと感じたり
人を愛したり、憎んだり
そんな
些細で大切なことを
ぜんぜんちがった感覚で
感じていたのだろうか

ところで、

いま僕たちがいる世界は
ほんとうに色のある世界なの?
誰かおしえておくれ


なないろのしまうま虹からおちてきてモノクロの地に母をさがせり  神崎ハルミ



















虹のつぶやき(13)
「本を読むのに、
何よりもたいせつなことは、
ゆっくり読むということである。」(エミイル・ファゲ)

『ことばへの旅 1』(森本哲郎著)より。

1首の歌をじっくり時間をかけて読みたい。
時間をかけて読みたくなるような歌にたくさん出会いたい。
そんな歌を私も詠めれば。


ゆっくりとまいまいつぶりが虹を這うおとを目をとじききわける午後  神崎ハルミ



















虹のつぶやき(14)
「どんな人間のなかにも、一生のあいだ費(つか)い果たすことができないほど多量の沈黙が蔵されている。」(マックス・ピカート)


街中の
高層ビル群、
銀杏並木の大通り、
パチンコ屋、
いたるところに
沈黙は蓄えられてゆく

言葉にならない沈黙を
言葉にすべき沈黙を
「うた」にしなければ

沈黙で
街が私が
張り裂ける前に


おしゃべりな驟雨がやんだ 沈黙の虹がかかるようつむく街に  神崎ハルミ











虹のつぶやき(15)
「喫驚(びっくり)したいといふのが僕の願(ねがひ)なんです。」(略)
「宇宙の不思議を知りたいという願ではない、不思議なる宇宙を驚きたいという願です!」(略)
「死の秘密を知りたいという願ではない、死ちょう事実に驚きたいという願です!」(略)
「必ずしも信仰そのものは僕の願ではない、信仰無くしては片時たりとも安ずる能わざるほどにこの宇宙人生の秘義に悩まされんことが僕の願であります」(略)
「ヤレ月の光が美だとか花の夕が何だとか、星の夜は何だとか、要するに滔々たる詩人の文字は、あれは道楽です。彼等は決して本物を見てはいない、まぼろしを見ているのです、習慣の眼が作るところのまぼろしを見ているに過ぎません。感情の遊戯です。」
「我何処より来り、我何処にか往く、よく言う言葉であるが、矢張りこの問を発せざらんと欲して発せざるを得ない人の心から宗教の泉は流れ出るので、詩でもそうです、だからその以外は悉く遊戯です虚偽です。」(略)
「もう止しましょう! 無益です、無益です、いくら言っても無益です。……アア疲労た! しかし最後に一言しますがね、僕は人間を二種に区別したい、曰く驚く人、曰く平気な人……」
(国木田独歩『牛肉と馬鈴薯』より)


ことばの一つ一つが、胸に突き刺さります。

「牛肉(げんじつ)」と「馬鈴薯(りそう)」の彼方に永劫(とわ)の虹かかりていたり空知川には  神崎ハルミ 










虹のつぶやき(16)
村上きわみ氏の歌集『fish』をゆっくりと読んでいます。
昨年末、本屋に並んでいるのを見かけましたが、派手な色使いの表紙でひときわ目立っていました。「魚男(?)」のイラストも印象的で、おもわずこんな歌まで詠んでしまいました。


ぼくの手が魚男の血に染まり書肆の床まで血まみれだった  神崎ハルミ


ヲバラトモコさんの画もすてきですね。ページをひらくと、表紙の派手な色使いから一転してモノクロの画。独特の雰囲気があって、歌とすごく調和しています。


天然の天然の言葉ひとつだけ
話す鸚鵡のことは秘密だ    村上きわみ 


いいなと思った歌のひとつ。
「わあ、秘密にしないで教えてよ」とおもわずつっこんでしまいました。
鸚鵡のことも気になるけれど、いったいどんな言葉を喋るんだろう。
そのたったひとつの言葉は、すべての真理をふくんでいるのでしょうね。「天然の天然の」という念押しにもそれを感じとることができます。
そしてわれわれがずっとさがしもとめている言葉なのでしょう。
ひょっとして本当は「私」も、鸚鵡のことも鸚鵡が話す言葉のことも知らないんじゃないの。
実はずっとさがしつづけているんでしょ、ねえ。


天然のことばを発しつづけたい僕がなめてる虹のドロップ  神崎ハルミ









虹のつぶやき(17)
あの犬の名はパトラッシュ
泣けそうで泣けない話
フランダースの  村上きわみ

昨日に続いて『fish』から1首。
「フランダースの犬」は、子供の頃にみたアニメのなかではいちばん印象に残っている。
だって最終回でネロが失意のうちに死んじゃうんだもん。
夢と希望にあふれた純真な子供には、泣くこともわすれてしまうくらい衝撃的な結末だった。

でも大人になってからは、ネロって町の中ではちょっとは絵が上手だったんだろうけれど、それほどの才能はなかったんじゃないかって思ったりもする。そしてネロに自分を重ねてみたり…。

作中の「私」はなぜ、泣けそうで泣けないのだろうか。
パトラッシュという犬の名前を歌のなかに出しながら、主人公ネロの名前はあえて伏せているような印象をもった1首。
「私」もネロに自分を重ねて泣けないのだろうか。


ネロの虹かかりていたる蒼穹をわが弓張りの虹で射貫かん  神崎ハルミ   













虹のつぶやき(18)
『疾走する女性歌人 −現代短歌の新しい流れ』(篠弘著)を読み始める。

俵万智氏への高野公彦氏の批判が心にのこった。
「才のある人だと思ふが、魂は半分ねむつてゐる。心から言ひたいこともないのに歌を作ったとしたらこんなものが生れる、といふ見本のやうだ。出来のよい見本だけれど、生の飢渇感の欠如が、作品を弛(ゆる)いものにしてゐる。(略)口語はこんなものばかりではない。」(「短歌現代」86.6)

俵万智氏がそうだということではなく、自分自身への言葉として(自分には才はないけど…)。
15年以上も前の言葉だが、ネット短歌全盛の現在にこそ言えることだと思う。


疾走し失踪したる青年の歌の残滓がいびつな虹へ  神アハルミ 











虹のつぶやき(19)
「まずまずの素晴らしいものを求めて何かにのめり込む人間はいない。九の外れがあっても、一の至高体験を求めて人間は何かに向かっていくんだ。そしてそれが世界を動かしていくんだ。それが芸術というものじゃないかと僕は思う」(村上春樹『国境の南、太陽の西』)


『国境の南、太陽の西』では、
「ヒステリア・シベリアナ」という病気のエピソードが印象に残っている。

見渡す限りのシベリアの荒野。
太陽が昇ってから沈むまでたった一人で畑仕事をするシベリアの農夫。
毎日毎日おなじことのくりかえし。
そしてある日彼の中で何かがぷつんと切れて死んでしまう。
彼はとり憑かれたように太陽の西に向かって歩き続ける。
何日も飲まず食わずで、そして地面に倒れて死んでしまう、という病気。 

「ヒステリア・シベリアナ」に罹ってしまった農夫と、
罹らずに一生を終える農夫とどちらが幸せなのだろうか。


西へ西へ虹をさがしているわけじゃないがひたすら西へ西へと  神崎ハルミ















虹のつぶやき(20)
今日の朝日新聞朝刊に、
『朝日親子教育セミナー』での谷川俊太郎氏の
国語の授業内容が掲載されていた。

50音の俳句読み。
「にぬねのは ひふへほまみむ めもやいゆ」
言葉の音韻的性格をこういう風に説明してもらえると
楽しいだろうな。
読み書きや意味だけの授業じゃなくて
こういう授業を受けたかったなあ。


びびびぶぶずずずぐぐぐずだだだびぶぜぜぜどどどどにじがないてる  神崎ハルミ 


















虹のつぶやき(21)
今日の朝日新聞朝刊『eメール時評』。
エッセイストの綱島理友氏が
『ネット上で(笑)は必要?』と題する文章のなかで
「ネット上では(笑)や絵文字は、一種、道路標識のような役割を果たしている。」と述べている。

本をを読んでいて、
やたら「!」や「…」がでてくるとうんざりするけれど、
ネット上の書き込み文は、
文章と会話の中間に位置するのだろう。
断片的にやり取りが繰り返されていく
ネット上でのコミュニケーションの難しさを感じているが、
「絵文字」や「(笑)」がネット上のコミュニケーションにおける
緩衝材の役割をいくらかは果たしているように思う。
私も結構多用しているほうだ。
ただそれですべてうまくいくわけでもない。
第三者が割り込み可能な場所で、
肉声も聞こえずに積み重ねられていくやりとり。
ひとつボタンを掛け違えれば、
容易に取り返しがつかない事態を
招いてしまう場所であることは間違いない。
そうなれば「絵文字」や「(笑)」を用いた文章でさえ
皮肉たっぷりの嫌味な文章と読み取られてしまうかもしれない場なのだ。


>あっ、虹!
って2時のことでしょ、ばっかみたい(笑)
明日早いの! 許してあげる。        神崎ハルミ









虹のつぶやき(22)
通過してしまえばいいと独り言 弱気な歌にうごめく破調   田中槐

今、参加している「梨の実歌会」で
破調の歌が話題になった。
選も集めている歌だったので
かなり否定的なコメントを述べた。
こういった歌会の場で、
1首独立の破調の歌の良し悪しを
判断するのはむずかしいことだ。
選ぶ側は、
選歌の力量を問われるであろうし、
出詠する側は、
出詠する覚悟や必然性を要求されるであろう。
私も破調はきらいじゃないし、
自分の歌にも破調は多いほうだと思う。
定型観を自分の中にしっかりもち、
定型を踏み外す覚悟みたいなものが
必要なのだろう。
破調のもつ韻律性みたいなものを
掴みとれればいいと思った。


虹のしたくぐりゆきたる自動車は破調のごとく 途 切れ と ぎ れ   神崎ハルミ










虹のつぶやき(23)
地下街の宝くじ売場の前を通り掛った。
脇にはロト6やミニロト、totoの記入をする
ちょっとしたスペースがあり、
ひとりのサラリーマンが
買ったばかりのスクラッチくじを
懸命に10円玉でこすっていた。
行き交う雑踏の中、
彼は夢中で手を動かしていた。
周りの人も音も
全く気にならないようだった。
もしも1等の50万円だか100万円が当たったら
(スクラッチってせいぜいそれくらいの当選金のはずだ)
彼はどうするつもりなのだろう。
へそくり?、
飲み屋にたまっているツケの精算?、
更なる一攫千金を狙うためのギャンブルの資金?、
それとももっと壮大な夢があるのだろうか。
「この当選金さえあれば…」
そんな悲愴感さえただよう彼の表情に
しばし釘付けになった。
僕はといえば、
グリーンジャンボ宝くじを3枚買った。


きっといつか虹がでるはずそう信じ青きバナナの皮むきつづく  神崎ハルミ










虹のつぶやき(24)
「虹のつぶやき(22)」
につづいて再び破調について。

「原人の海図」の歌会でも
破調というか自由律短歌に近いと感じた歌に
きついコメントをした。
作者がつっこみ希望をしていたので
あえて言わせてもらったのだが、
作者はどう感じただろうか。

岡田幸生氏が「なんという薔薇日記」
http://www2.diary.ne.jp/user/81482/
2月21日付けで破調について述べている。
納得しつつ読ませてもらった。

一部勝手に引用を。
「僕が夢見るのはこんな歌だ。
棒読みをこころみる。しかしはたせない。
ことばの調子にひきずられ、思わず音の高さや速さを加減してしまう。
そしてそれが快感をともなうとすればどうだろう。
ことばの響きにこころが通っている歌だということではないのか。」

ぜひ、みなさんも岡田氏のページへとんで
全文を読んでみてください。

岡田氏のいう「韻律の愉悦」。
それを破壊するところにうまれる
<破調の韻律の愉悦>というものもあるだろう。
韻律の愉悦とともに、破調で詠む必然性が
歌から感じられるかどうかが問題なのだろう。
それは詠み手の定型観や破調の歌を詠む覚悟にも
かかわってくる問題でもある。


コップからあふれる酒が鼻唄を、虹がうまれる幻覚をよぶ  神崎ハルミ 








虹のつぶやき(25)
ソルトレーク五輪もあっというまに閉幕ですね。
アイス・ホッケーもアメリカの劇的な勝利かな(笑)
日本のメダル獲得が銀と銅の2個とパッとしなかったせいか
あまり盛り上がらなかったように思いますが、みなさんはどうでしたか。
私は開会のセレモニーが一番印象的でした。
テレビ局は各局必死でもりあげようとしていたみたいだけれど(多額の中継料も払っているから当然か)、国会中継の方が視聴率を稼げたのかな。

今回の五輪はほんとうにアメリカ一色という感じでしたねえ。まあ、開催地がアメリカで、9・11のこともあるからある程度しかたないんでしょうが。
それにしても審判の判定はねえ。
アメリカ贔屓な感じがみえみえでなんか嫌な気分になりました。
いろいろと課題をのこしたオリンピックでしたね。
商業的にはどうだったんだろう。

フィギュアスケートのエキシビジョンを見ていて、やはり順位をつけたり、メダルをめざしてするスポーツじゃないなと思いました。
あれはショーとして楽しむものだし、じゅうぶん楽しめるもんね。
競技でのプレッシャーも全然なく、リラックスした笑顔も自然で美しかったし、みんなのびのびとリンクを滑っていました。
採点に審判の主観が入り込む競技に4年間を懸けるというのは、選手はどんな気持ちで取り組んでいるのだろう。
アクシデントがつきもののショート・トラックをみていてもそんなことを考えてしまいます。
ボクシングも、素人の私がみていてもおかしいなという採点結果がでることがよくあるけれど、まだKOで相手を倒せば勝ちという点で選手も見る側も納得できます。
そういうことを思いながらエキシビジョンを見ていたからかミシェル・クワン選手の涙は特に印象的でした。4年間のいろいろな思いがつまった涙だったんだろうな。


凍てつきしSALT LAKE(塩の湖)に映る虹よ虹、スケートの刃でずたずたの虹  神崎ハルミ








虹のつぶやき(26)
「願い」という題詠で歌をつくっていて
中学生の時に暗記させられた<主の祈り>を思い出した。

<主の祈り>
天にまします われらの父よ
願わくは御名(みな)をあがめさせたまえ
御国(みくに)をきたらせたまえ
みこころの天になるごとく地にもなさせたまえ
われらの日用(にちよう)の糧(かて)を今日も与えたまえ
われらに罪をおかすものをわれらがゆるすごとくわれらの罪をもゆるしたまえ
われらを試みにあわせず悪より救いだしたまえ
国と力と栄えとは限りなくなんじのものなればなり
アーメン

ネットで検索してみると、
いろいろな方言であらわしたサイトがあった。
(http://www2.gol.com/users/hideko/lordprayer.html#1 )

大阪弁の<主の祈り>を抜粋。

<大阪弁主の祈り@Original(Traditional) by Watasan>
てんにいてはる わてらのおとうはん。
たのんまっさかい、おなまえを あがめさしとくんなはれ。
みくにを こさしとくんなはれ。
あんさんが思わはるとおり、てんでなってるように、
この地いでも、なるようにしとくんなはれ。
わてらに毎にちの食べもんを おくんなはれ。
わてらにわるいことしよるやつを わてらは赦しまっさかい、
わてらのつみかて、赦しとくんなはれ
わてらをこころみにあわせんと
あくから救い出しとくんなはれ
国とちからとさかえとは、
いつまでも あんさんのもんやさかい。
イヤ、ホンマヤデエ!


ラップで読むとおもしろいかもね。
それにしても、
「国と力と栄えとは限りなくなんじのものなればなり アーメリカ 」って感じの時代。
アメリカもアフガニスタン同様、神を信じる国だそうですが…。


たぶん天にいてはる父よ、神さんよ、赦しを虹を怒りを我に  神崎ハルミ








虹のつぶやき(27)
大漁  金子みすヾ

朝燒小燒だ
大漁だ
大羽鰮の
大漁だ。

濱は祭りの
やうだけど
海のなかでは
何萬の
鰮のとむらひ
するだらう。


今日の朝日新聞夕刊より。
(鰮は、「いわし」)
27日から三越大阪店で開催される
「中島潔が描く金子みすヾ」展のPR記事。
(朝日新聞社が主催だからだ。)
俵万智の寄稿文が添えられている。


この「大漁」という金子みすヾの詩のように
事物を多面的に見たり感じたりすることが
感覚的にできる人が詩人であり芸術家なんだろう。
僕にはそんな感覚はないから、
意識的にそうしようとして
穿った物の見方や天邪鬼な性格に
なってしまったんだろうな。

でもそういうものの見方は
芸術家だけに要求されるものじゃない。
今回のテロ以降(以前?)然りだ。


きれいだと見上げる虹の裏側もきれいと信じ確かめずいる  神崎ハルミ 











虹のつぶやき(28)
お昼時、街なかを歩いていて気になるのがナース姿の女性。
といっても変な意味じゃなくてぇ…。
さすがにあの恰好で外で食事はしないだろうから、
きっとお昼ご飯の買いだしや銀行などの私用なんでしょうね。
白はもちろん、ピンクや水色、薄い緑色など
いろんな色の制服があるんですね。
そもそも看護婦さんの制服は、
汚れがすぐわかるようにという理由で白だったんじゃ。
色はよいとしても、
制服を着たまま街なかを歩くのってどうなんでしょう。
清潔感の象徴のような服なのに
あれで人ごみにでてほしくないなあ。


おひるどき街にナースの虹がでる ピンク、みずいろ、ミントグリーン……     神崎ハルミ  

象徴になりたくないが象徴をきみにもとめるおれなんだ 虹  神崎ハルミ













虹のつぶやき(29)
もう3月ですね。
企業では年度末で決算や
転勤、引越しといろいろ大変なとき、
学生のみなさんにとっては卒業式と
別れの季節ですね。
FM放送なんかでは「別れの曲特集」
じゃんじゃんやるんでしょうね。

別れの歌は耳が腐るほどありますね。
「さよなら」のつく歌で
ぱっと私が思いつくのをあげると
銀河鉄道999「SAYONARA」
(ゴダイゴじゃなくて洋楽の方)、
ビリー・ジョエル「さよならハリウッド」、
エアサプライ「さよならロンリー・ラブ」、
オフコース「さよなら」、
GAO「サヨナラ」、
たま「さよなら人類」
(これはイメージがちがうか…)、
最近では花*花もあったかな、
って何の脈略もないし古い歌ばっかり(笑)

陰暦3月の異称、弥生(やよい)の由来として
「木草弥生い茂る(きくさいやおいしげる)月」という説があるそうです。
http://koyomi.vis.ne.jp/mainindex.htm
(「弥(いや)」とは、物事のたくさん重なるさまを表す副詞)
弥生(いやおい)って言葉、いいですね。

3月は別れの月というよりも、
出会いや新たな活動を予感する月と思いたいですね。
次のステップへと行動を移す直前の心静かに落ち着かせる月としての3月。
もうあなたのなかで新しい何かがどんどん生れているのかもしれませんよ。
  

ジャングルの草木弥(いや)生い繁る月 虹の欠片をしずかに集む  神崎ハルミ








虹のつぶやき(30)
ネットで図書館の本の貸出予約ができるようになった。
予約した本が揃えばメールで知らせてくれる。
蔵書の検索も自宅でサクサク。
図書館には同様の端末があったが反応は遅いし、
なにより図書館に出かけたときにしか調べられなかったのが
自宅にいながらにして真夜中でも調べられる。
3月からは、ネットから返却期限の延長もできるようになるらしい。(ってもう3月じゃん。)

暗号カードとパスワードをカウンターで発行してもらう。
ネット接続の都度、図書館カードの番号、パスワード(変更可能)、
10個ある2ケタの数字からアト・ランダムに
指定された4個の数字を入力しないと
予約状況の確認などはできないという念の入れよう。
(貸出予約には暗号はいらない)
利用者の個人情報や読書の秘密には
細心の注意が払われているということらしい。
この種のことで完璧ということはないのだろうが、
神経質ではあってほしい。

図書館利用者の利用情報を秘密裏に収集し、
犯罪者となりそうな人をピック・アップし
マークするというような場面を
ハリウッド映画でみたことがある。
国家が国民を管理するのは容易いことなのだろう。
管理するつもりがなくてもそういった情報が
垂れ流し状態になる可能性は充分あるわけだ。

手書きの貸出カードが懐かしい感じもするけれど、
世の中便利になったものだ。


ニジガデタラサンジニナル 解読にみんながみんな口をつぐんだ  神崎ハルミ







虹のつぶやき(31)
今日は、桃の節句。
「奥の細道」にある次の一句が思い浮かびます。
(というかこれしか知らない。)

草の戸も住替る代ぞ雛の家 芭蕉

我が家でも幼い頃には、
ガラスケースにはいった小さな雛人形を毎年飾っていました。
人形についていた菱餅がとってもおいしそうにおもえたことと
防虫剤のにおいが記憶に強く刻まれています。懐かしいなあ。

菱餅の下から緑・白・ピンクという重なりは、
草萌える大地、雪、桃の花を表しているそうです。
http://www.hinamatsuri-kodomonohi.com/hisimoti.html

また、菱餅を供える風習というのは、
インド仏典の説話にもとづくという説もあるようです。
(「菱餅にまつわる悲しい物語」
http://www.yamakosenbei.co.jp/haku/hishi.htm
荒れた川をしずめるために、次々と7人の娘を竜にささげた農夫が
末娘の代わりに捧げたのが菱の実だったそうです。
なんでも菱の実は子供と同じ味がする食べ物なのだとか。
菱餅の赤は、竜に捧げられた女の子が流した血を象徴していて、
女の子の霊をなぐさめるものでもあったようです。
毎年お供えする菱餅には
我が娘の身代わりという意味があったんですね。


幼な児が好みて食めるひし餅の赤 虹となりたる七人の娘よ  神崎ハルミ








虹のつぶやき(32)
前々から読もうと思っていた
『ぼっけえ、きょうてえ』(岩井志麻子)を読む。

人面瘡の話で、ホラーとしてはありふれた話だったが、
遊郭での寝物語というシチュエーションと方言が
独特の雰囲気を醸しだしている作品だった。

「蚊帳やこ無(の)うても、こうしてずっと団扇で扇いじゃるけん、蚊は来ん。」
「妾(わたし)を好きとか気に入ったとか口にせんといてつかあさい」
「そりゃすまんこっちゃ、こらえてつかあさい」
等々の岡山弁が作品を魅力あるものにしている。
これが標準語で書かれていたならなんの変哲もない作品だ。
方言を耳ではなく文字で追うのは大変だが。

岡山弁といえば、横溝正史の金田一耕介シリーズがすぐに思い浮かぶ。
祖父母が岡山県人で岡山弁を話していたこともあって
ブームになった頃に文庫本を読みあさったものだ。

久しぶりに、岡山弁を目にし、
「おえりゃあせん」「こらっしゅうもねえ」
といった祖父母の岡山弁の口癖が甦ってきた。

方言を話す幼い子供も可愛いものだ。
カマキリなんかを捕まえてやったら
「きょうてえ、きょうてえ」
といいながら逃げ回ったり…。

いろいろなことを思い出すなあ。

訛りの歌を3首。

ふるさとの訛りなつかし / 停車場の人ごみの中に / そを聴きにゆく    石川啄木
ふるさとの訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまでにがし       寺山修司
月光の訛りて降るとわれいへど誰も誰も信じてくれぬ           伊藤一彦

テレビの影響や核家族化で、方言も衰退していくのだろう。
寂しいことだ。

ところで、『ぼっけえ、きょうてえ』には
表題作を含め4編の短編がおさめられている。
まだ、表題作しか読んでいないが、
最後の作品は「依って件(くだん)の如し」。
「件(くだん)」といえば神戸の六甲山でも
昔から噂のある牛女の話があるが、
(小松左京か誰かが書いてたはず)
あのことかなあ。


田舎者の訛りを恥じて虹たちは今日も都会の空にはでない  神崎ハルミ








虹のつぶやき(33)
トルマリン・ブレスレットというものを購入し、はめている。
PCの電磁波にいいらしい。リンゴの形の置物も売っていた。
天然トルマリンの粒子を練りこんだシリコンゴムのリング。

滝や噴水のそばは、マイナスイオンが出ていて
健康にいいというのはどこかで聞いたことがある。
(シャワーを浴びるのもいいとか)
この輪っかは、それと同じ効果があるらしい。
説明をよく読んでみるとそれ以外にもいろいろと効果が書いてある。

@マイナスイオン効果
 半永久的に発生するマイナスイオンが、体内の酸性化を還元して弱アルカリ性にし、
活性酸素を中和して、自律神経の調整、自然治癒力の活性化をうながし、
健康な状態を保つのに効果があります。マラソンやフィットネスでも、息が持ちます。
A遠赤外線(育成光線)効果
 中間赤外線「育成光線」の発生により、水のクラスターを分解し、
細胞の活性化と賦活化をし、新陳代謝の促進効果があり、運動機能が向上します。
B微弱電流効果
 別名「電気石」であり、ヒドロキシルイオンの発生により、
界面活性化作用が起こり、美肌漂白、殺菌消毒等の効果があります。

これだけ並べられると、かえって効果がなさそうに思えてしまうなあ。
輪っかをはめているからといってすごく調子がいいということもなく、とりあえずは今までどおりの気分と体調。
まだ、はめ始めて3日ぐらいしか経っていないからなんとも言えないけれど、まあ1500円(税別)の気休めだな。


トルマリン・リングはめたる我が体は虹をうむめり水飛沫(みずしぶき)あび     神崎ハルミ 








虹のつぶやき(34)
気休めシリーズ第2弾(笑)

突然のPCのトラブルには、お手上げ状態の私ですが、
東京の神田明神では、「IT情報安全祈願」が700円で売られているそうだ。
IT機器に張るステッカー型のお札と財布などに入れて携帯するカード型のお札がセットになったお守り。
秋葉原の近くだから結構売れているようだ。
http://b2o.nikkei.co.jp/contents/news10/evening/20020131eimi057z31.cfm

ほかにも300円のお守りを売っているお寺やいろいろあるんだね。
IT時代、お寺も当然HPをもつ時代なんだ。
http://www2e.biglobe.ne.jp/~kaisenin/page2.html

「電子お守りサービス」なんていうのもある。
http://www.nikkei-webc.com/cnews/2001/10/102202.htm
http://www.e-omamori.com/jindex.asp
これは、交通安全から恋のお守りやらなんでも揃っている。
電脳おそるべし。

こんなおもしろい記事もあった(古いけど)。
京都市東山区の八坂神社はこのほど、
コンピューターの誤作動やウイルス除けの祈とうを施した
CD-ROMのお守り「パソコン祇園守2000」の販売を中止した。
八坂神社によると、神社本庁などから「パソコンに神を降ろし、
画面上でバーチャル参拝させる内容は、お守りとしてふさわしくない」
との指摘を受け、販売を自粛した。
境内の神符守札授与所には販売中止を知らせる張り紙を出し、
電話で予約をした人にはわび状を送った。
内容を再検討し、CD-ROMのお守りを作り直したい、としている。
祇園守は十二月十五日に売り出され、三日間で約千枚売れた、という。
(京都新聞2000.1.6の記事より
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/topics/2000jan/06/10.html

パソコン画面内のお墓やお仏壇に向かって拝む時代なんだよね。
お線香や蝋燭も画面上で点火…。
これだったら場所もとらないし、
お金もそれほどかからないだろうし、
なんといっても月や火星に移住しても大丈夫だよね。

救世主もPC上から誕生するんだろうな、きっと。
神さまもリアルな世界には降りてきたくはないだろうし…。


PCに向かい拍手(かしわで)打つ人に国旗振る人、虹を待つ人   神崎ハルミ











虹のつぶやき(35)
「原人の海図」歌会
http://cgi.mediamix.ne.jp/~t2499/cgi-bin/genwaku2/light.cgi
井口一夫さんの所の「ちゃばしら」BBS歌会
http://www.lebal.co.jp/cgi-bin/bbs2.cgi
魚村晋太郎さんの所の「QP句会」
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Theater/3592/
の3つに参加していて最近なにかと忙しい。
それで気分的に紛れている部分もあるとは思うけれど。

ネットにつながるようになって、
あまり歌集を読んでいなかったので読み始める。
『水の粒子』(安藤美保)
『日輪』(永田紅)など。

『自分の俳句をこう作っている』(金子兜太)もペラペラと。
読みやすいのは読みやすいのだが、理解できない部分が多い。俳句は奥が深そうだと改めて思う。何かよい入門書はないだろうか。


















虹のつぶやき(36)
☆井口一夫さんのところの
『ちゃばしらBBSオープン記念おみやげ付き歌会』終了。
 (http://www.lebal.co.jp/cgi-bin/bbs2.cgi

【特選】25点
ぼてぼてのセカンドゴロが夕暮れの会議机のうえをころがる  井口一夫

【準特選】15点
にかにかにちゅうちゅうたこのういんなあ祖母はどこにもいないんだもう  神崎ハルミ

【準特選】9点
蒼白い待合室の静寂を破る天使のピンクのくしゃみ  発知雅史(マーシー)

【準特選】7点
いらん子はおらんかねえと声がして目を覚ませばさかしまの春  小林悦子

【準特選】7点
珈琲が冷めてしまうよ君はただ咲く花のわけ語り続ける  emi



☆魚村晋太郎さんのところの『QP句会』、続行中。
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Theater/3592/


☆『原人の海図』<「待つ」を詠む>歌会、続行中。
http://cgi.mediamix.ne.jp/~t2499/cgi-bin/genwaku2/light.cgi



☆『NHK学園・Slownet 第2回ネット短歌コンクール』
 小島ゆかり選に2首入選。

携帯電話(ケータイ)の電源は切る 富士山がきょうの二人のプロバイダーね 神崎ハルミ
飛ぶ夢をみない人鳥類(ペンギン)わたくしは静かに卵あたためている    神崎ハルミ


 ケータイの歌はどうなんだろ? なんか気恥ずかしい思いがする。
 選に漏れた歌は、

手をつなぎ一緒にとんだどぶ川や土の匂いを風は知らない  神崎ハルミ








虹のつぶやき(37)
永田紅氏の第一歌集『日輪』を読み終える。

『日輪』は、歌壇の芥川賞といわれている(のか…)第45回現代歌人協会賞受賞作。母親の河野裕子氏も24年前に受賞という親子受賞。父親は永田和宏という歌人の家庭に生まれ、13歳で『塔』入会というからすごいなあ。

『日輪』は、第8回歌壇賞「風の昼」を含む1995年〜2000年までの336首と1988年から1993年までの中学・高校の6年間の初期歌篇80首からなる。

かなり以前、図書館で予約したのだが受け取りに行けなくてキャンセル。その後も人気があるようで貸出中や予約が入っているし、なかなか歌集を借りて読む時間もなさそうだったのでそのままになっていた。

永田紅氏が選をされている公募誌の短歌コンテストで先月、最優秀賞に選んでいただいたこともあり(賞金3000円はかなりおいしい)、再び予約して読むことに。

400首を越える歌数というボリュームを感じさせない。
決して歌が薄っぺらいというわけではなく、短歌の韻律が身体に染み込んでいる人の歌というような印象をもつ。幼い頃から短歌に接しているからであろう。
とても落ち着いた雰囲気とともに、みずみずしい若さを感じた歌集だ。

(1995年〜2000年までの作品より)
人はみな馴れぬ齢を生きているユリカモメ飛ぶまるき曇天  永田紅

川のない橋は奇妙な明るさで失うことを教えてくれる  永田紅

「胃の中は体の外ね」昼の月見上げる人と駅まで歩く  永田紅

寝ることは癒えることなり沼の縁しずかに光り死に近づくも  永田紅

対岸をつまずきながらゆく君の遠い片手に触りたかった  永田紅

眼球は皮膚に閉ざさるときどきはその隙間から私を見たよ  永田紅

雨の日の猫のにおいに触れながら兄ばかり老けてゆくように見ゆ  永田紅 

関係は日光や月光を溜めるうちふいに壊れるものかもしれぬ  永田紅

鈍感でごめんね鳥が群れるとき鳥の影しか見ていなかった  永田紅

擦れ合いしコートの袖が眠そうなゆんでとう語を甦らせる  永田紅

あるべきであった時代が私にはなかった 径を塞ぐコスモス  永田紅

あらわなる肘より先を差し入れてあなたの無菌操作うつくし  永田紅

せつなさは細部に宿ることごとく隘路の奥ののうぜんかずら  永田紅

メリノヒツジさんカシミア山羊さんアンゴラうさぎさん眠らむ今日は  永田紅

修復をかさねて傷を深くする私たち 草刈りの匂いす  永田紅

柚子色のひとつの時期はゆく いっそ神様が決めたことならよかった  永田紅

二十代湯水のように怖ければまた泣きもせむ日輪の下  永田紅








虹のつぶやき(38)
君の眼に見られいるとき私(わたくし)はこまかき水の粒子に還る  安藤美保

安藤美保歌集『水の粒子』を読み終える。
以前この歌が別のサイトで紹介されていた。
(『原人の海図』だったと思う)。
シンクロニシティというほどのものでもないが、図書館で歌集に出会う。

表紙を開くと、黒い線で囲まれて微笑んでいる彼女の写真。
その下には、上の歌が三行書きで記されている。
写真の横には小さな字で、
『'91年8月26日(事故前日)朝「短歌往来」掲載用のため母が写す』とある。

次ページには、「心の花全国大会」での写真。
佐佐木幸綱氏や俵万智氏の顔もいる。

彼女は大学院の研修旅行中の山の事故で24歳の若さで急逝した。
生きていれば35歳。すてきな歌をたくさん詠んでいたことだろう。
しかし、もう彼女に会うことはできない。
360首余りの歌が「遺歌集」として残るのみだ。
(ご両親は、歌詠みを目指した娘の「胎動の歌集」と位置づけるほうが
本人の意思に合っているような気がするとあとがきで述べている。)

こちらは、『日輪』に比べ歌数は少ないが、
『日輪』ほどなめらかに読み進めることができなかった。
『遺歌集』という性格からではない、歌のスタイルの違いからだろう。

一斉に飛び立ちたいと告げるごとく坂の途中に群れる自転車  安藤美保

真昼間を縦横無尽に走りたる夢から覚めて雨の日の朝  安藤美保 

まちがった行き先表示を輝かせ汐見橋まで走れ電車よ  安藤美保

雨あがり へこんだ缶に描かれたる二つのレモンがちかりと光る  安藤美保

舌先に父という語をあやつって父の存在明滅させる  安藤美保

白抜きの文字のごとあれしんしんと新緑をゆく我のこれから  安藤美保

重なりあいひしめきあいたる自転車が花びらのごと明るむ戸外  安藤美保

誰からも拒まれている感じする暗き書庫より戻りし我は  安藤美保

最後部までプラットホームを歩みきて足元にさす薄日みつけぬ  安藤美保

悔いありて歩む朝(あした)をまがなしく蜘蛛はさかさに空を見ており  安藤美保

わさわさと春は来にけり山どこもカリフラワーのごと桜木けむる  安藤美保

言葉ということばが輝いてくる時を思いうかべつつ地下街をゆく  安藤美保

屋上までの階段君と上りつつ空を飛ぶ鳥恋うる一瞬  安藤美保

ずいずいと悲しみ来れば一匹のとんぼのように本屋に入る  安藤美保 

そこだけは人の歩みを輝かせきんもくせいの花踏まれゆく  安藤美保

手をふれてなめらかな壁この駅も身をかくすべき暗さを持たぬ  安藤美保

投げられて空からおちてくるまでの花籠(はなかご)のような生を思えり 安藤美保

電車いま地中を抜けぬしぼり出す陽の受皿となりて奔らむ  安藤美保

もぎ取られ投げられ吸われ私など水のようなりきみの理論に 安藤美保

「濃すぎる光を持てあましてるのね」アイスクリームなめつつ見る月  安藤美保

ほっそりと反らすこともでき友達の唇(くち)さわることもできる指もつ  安藤美保

生々しく脱皮したいと願ってる百対(つい)の脚がはねる校庭  安藤美保

熊のあけた穴をいくつも蔵すらん桜の揺れる山は大揺れ  安藤美保

くろぐろと貫く横棒身に秘めて食器洗いをつづけいる母  安藤美保

手長猿のような光が鉄橋をつぎつぎ渡る電車去るまで  安藤美保

道端にころがる缶の飲み口に流れ込む空 大風のあと  安藤美保






虹のつぶやき(39)
魚村晋太郎さんの所の「第14回QP句会」の作者名が発表された。
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Theater/3592/qp14xxx.html
私の句(俳号は「群羊」)は次の6句。


【絵】の題
散る花に踏絵のマリア埋もれたり   群羊 【正2】   
乙女らの危絵めきて春のはて     群羊 【正1】   危絵(あぶなゑ) 

【何】の題
レガッタの何も見ぬままゆく真昼   群羊 【正2】   
春光や何かを捨てたふりをする    群羊 【正2・逆1】   

【無題】
シネラリアなんとはなくに欠伸する  群羊      
ゴム風船くさきキスして別れけり   群羊 【正1】   


あまりコメントには参加できなかったが、
みなさんのコメントを読むだけでも勉強になった。
何よりたくさんの俳句を読むことができて楽しかった。

「踏絵」が春の季語だということを初めて知っただけでも収穫かな。
ということは、私の「踏絵」の句は「散る花」と季重なり…。

また参加してみたい。
それまでに図書館で借りた俳句の入門書を読まないと…。









虹のつぶやき(40)
足立尚彦(たかひこ)第二歌集『浮かんだレモン』(2000年)読了。
20代の若い歌人というイメージだったが、1955年生まれの歌人であった。
川柳的といえる短歌も多く、松木秀氏の短歌と共通するものを感じた。


用済みのメモをはがせば用もなくほこりの中に生れたる聖地  足立尚彦 

それぞれの宇宙包みてしづまれるシャーレの群れを抱く孵卵器  足立尚彦

未知三つ抱へて歩くボケまでの距離と死までの距離とその後  足立尚彦

ライオンの牙はとんがるふはふはと 縫ひぐるみなら長生きしろよ  足立尚彦

球根がごろんごろんと来年の春を疑はないで売られる  足立尚彦

新聞が新聞受けに挾まれて世界は器用に丸まつてゐる  足立尚彦

人間がこんなにもゐて誰ひとり鳥にならない横断歩道  足立尚彦

作業着の中身の事情それぞれを黙殺せむと始業ベル鳴る  足立尚彦

曖昧な批評の出来ぬ男ゆゑたつたひとりを抱いて眠らむ  足立尚彦

八月の雨に溶けよう 透明な傘から空を君と見上げて  足立尚彦

真昼間のけだるき店の隅に待つ 浮かんだレモンに君を乗せつつ  足立尚彦

種を売る店にて乾きゐる種は預言者めいて頑なである  足立尚彦

椅子として作られ売られ買はれたるこの木に幾度雨の降りけむ  足立尚彦

濡れてゐる魂である 雨受けて雨に逆らふ傘に守られ  足立尚彦

みづからを欺く智慧をとりあへず造花の「造」と分け合ひてをり  足立尚彦 







虹のつぶやき(41)
昨日(3月27日)の朝日新聞夕刊に、
京都・円山公園のライトアップされた枝垂桜が掲載されていた。
桜守の佐野藤右衛門さん(73歳)が説く花見の作法とは、
どこの桜でもいいから気に入った木を自分の桜と決めて通うというもの。

私にもお気に入りの桜の木がある。
といっても一瞬で通り過ぎてしまう花見。
そう、電車の車窓からの花見である。

沿線にある製菓工場や公園等々、
車窓からは実にたくさんの桜を目にすることができる。
そのなかの阪急電車神戸線で梅田へ向かう進行方向右側、
十三(じゅうそう)駅のすぐ手前にあるタケダ薬品の工場の桜が私のお気に入り。

正門のすぐむこうに並んで植えられているニ本の桜の木だ。
満開になると、ちょうど二本の木の桜花が重なり合い、
ピンクのリップ・スティックをさした
女性のふくよかな唇のように見えるのだ。
それだけではない、艶やかなイメージと同時に
大仏様の慈愛に満ちた分厚い唇をもイメージさせる。
日ごと満開へと桜木が姿を変えていくと共に、
その空間に一人の女性、そして大仏様が
現れてくる心持ちがするのだ。
それは私にとって春の訪れという以上に、
何かの啓示にさえ思えてくる。
もうどこの有名な桜を愛でることさえ無意味に思える幸福感と満足感、
そういう至福に満ちた一瞬の時間(とき)を独りで享受することのできる幸せ、
今この瞬間のためにだけ、あらゆるものすべてが存在するというような感覚、……。

やがて花は散り(そう、一瞬で)、
私のつかの間の幻想は、また記憶の底ふかくに沈んでゆく。
そして再び三月が巡ってくると思い出すのだ。
蕾もまだ固く、枝々が露わになったままで
ひとつの空間を共有して並ぶあの桜の木を車窓から目にして。

電車は今日も走り続ける。
目的地へ終着点へと向かって、春の街から街を一日中。
やがて季節は移りゆき、年も変わり、
ある者は消え、ある者は生まれ、また春がやってくる。
そんなことはお構いなしに電車は走り続ける。
私は何処へ向かっているのだろう。
(そもそも電車に乗っているのだろうか。)
そして、あなたは何処へ。






虹のつぶやき(42)
短歌誌を3冊も一度に購入。

『歌壇』4月号のシリーズ、
『短歌がめざすべきこと「短歌形式とは何か」』を立ち読みで済まそうと思ったが、
加藤治郎さんの文章(「短歌形式の現在 ー その死まで」)が長いし、頭に入ってこない。
それに、田島邦彦氏の「短歌の鑑賞・批評のために」という連載が
今月号から6回の予定で始まるとのこと。
ネット歌会でコメントする機会が多いので非常に興味深い。
図書館で読むという手もあるが、ずぼらな私のこといつになるかわからない。
いつもは、『短歌』と『短歌研究』のみで、
『歌壇』は立ち読みさえしなかったがおもいきって購入。

あのビートルズのCD『アビー・ロード』もかなり長い間、店に陳列されていたのに
買おう買おうと思いつつ先延ばしにしていたら販売中止で回収されてしまった。
今もっていたらプレミアもんだっただろうに…。

と、そんな昔のことをいつもいつも思い出し
予定外の出費の言い訳にしている自分が嫌になりつつも、
金八先生にウルウルし、でも最終回は予定調和でいまいちだなあと思いつつ、
「原人」歌会の選歌を早めに済ませ、
やっぱりまた次は『渡る世間』なんだと思いながら、
やっぱり『歌葉新人賞』にも参加するだけしてみようかなと歌を整理し始める。
(ネット上の発表は未発表扱いということなのでいくつかピックアップ。)
うーん、ダメだ、やっぱりどうしようか迷う。
でも連作のための30首という意識ではなく、
いい歌を1首うむための30首という意識でとりあえずどんどん詠んでみようと思う。
主題はぼんやりとあるのだから何とか1ヶ月で形にならないかなあ。

ところでどれくらいの人が参加を考えているのだろう。
ネット上で途中経過、選考の模様などをリアルタイムで公開するそうなので
皆さん一緒に参加してみませんか。

とりとめなくなってきたので桜の句を最後に。
(「桜散る」を予感させる句かな?)

胸そらしそのまま染井吉野かな 五島高資













虹のつぶやき(43)
いま、『素手でつかむ火 90年代短歌論 菱川善夫講演集』を読んでいる。

6つの講演(「素手でつかむ火 ー 無名者の責任」、「抒情の呪縛 ー 現代短歌の現状と課題」、「前衛短歌と現在」、「挑発する諧謔 ー 短歌と笑い」、「短歌のいま ー 九〇年代の挑戦」、「現代醜歌考」)からなり、とても刺激的でおもしろい。

歌の読みも鋭くて、短歌を始めてすぐに読んだ歌集で訳のわからなかった森本平や高島裕の歌なんかも少し理解できた気がした。


君の内部の青き桜ももろともに抱きしめにけり夜の桜に 佐佐木幸綱













虹のつぶやき(44)
NTTのフレッツADSLのコマーシャル。
お見合い中のふたり。
男「ご趣味は」
女「詩を詠むことです。」
男「ぜひ、聞いてみたいなあ。」
女「では。名古屋市、京都市、高松市……」

くだらないけどおもしろい。
短歌の朗読会で「歌を詠みます」と言って、
「ウッタタ、ウッタタ、クルクルくるまを…」と
踊り出すほ・さんや魚晋さんを想像してしまい余計に笑えた。(笑)

メモリーに死骸局番山とあるケータイを埋む桜の下に 神崎ハルミ



















虹のつぶやき(45)
地下鉄淀屋橋駅の近く、御堂筋を挾んで建ってる
二つのビルの上にある企業広告の看板がおもろい。
似たようなブルーの背景に、似たようなロゴで
「MIZUHO」「MIZUNO」の文字。
(正確な表記は忘れてもうたけど。)
合併に伴うトラブル続きのみずほ銀行と
スポーツ用品メーカーのミズノの看板なんやけど、
御堂筋を歩いとって視線を左から右にやると、
「MIZUHO」「MISUNO」(みずほ、ミスの)
と思わず読んでもうて、ひとりニヤニヤしそうになったわ。
「瑞穂」とは、みずみずしい稲の穂という意味らしいけど、
こんなとんでもないトラブル起こすんやから
「ミスミス為(し)い、去(い)ね! のほほん銀行」や、ほんま。
(オチが関西弁のため、全編関西弁で失礼しました。)








虹のつぶやき(46)
吉浦玲子氏の『精霊とんぼ』(砂子屋書房 2000.12.)を読了。
母子家庭という現実の中で詠むわが子の歌、職場詠など約370首。
子供を詠んだ歌以外にもにすてきな歌が多かったので
なるべくそちらのほうから10+1首選。

雨として絞らるる前いちめんに雲は膨れて空を覆へり  吉浦玲子

実の固い冬のトマトを食べながら夕暮れていく部屋に冷えゆく  吉浦玲子

一本のらふそく灯し確かむるわれと吾子との異なる未来  吉浦玲子

さんぐわつに逝きにし人の黒ぶちの眼鏡もぬくき地より芽ぶかむ  吉浦玲子

子と並ぶ浴衣姿のジョン・レノンさむきくるぶし見せて写りぬ  吉浦玲子

ゆるやかにゆふぐれ来ればをさなごの靴泥はらふほどのさみしさ  吉浦玲子

霧の雨の日暮れゆくときしほしほと傘持つゆびのさきより濡るる  吉浦玲子

雨ののち窓にとどまる数滴の雨粒もバスに運ばれてゆく  吉浦玲子

ヘリコプターをヘビコブタアと子の言へば蛇と子豚の降りくる気配  吉浦玲子

あふぎみる樹々は光をふふみありいつか言葉と出会ふ日も来む  吉浦玲子

淀川のむかうの人はつめたいと淀川のこちら側の人言ふ  吉浦玲子








虹のつぶやき(47)
美保子さんという方のところの「おかまの節句仮面句会 2002年4月4日」に参加。
16名参加で86句も集まり、とても楽しい句会になった。

お題は、「釜」「春炬燵」「芸」「桃饅頭」。
通常使用しているハンドル名を使わないということで、
俳句とともにハンドル名も悩んだ(ここでは内緒)。
私が選句した10句は次の通り。

【特選】2点
冴返る鍋釜はみなうつ伏せに      美保子(+7点)
【おかま選】2点
海市立つ桃饅頭の割れ目より      麟  (+2点)
【正選】1点
朧にて桃饅頭を包みけり        麟  (+4点)
桃饅頭内なる餡の暗さかな       登貴 (+3点)
春の夜の桃饅頭のあるところ      美保子(+1点)
春炬燵股の裡にも都ある        晋太郎(+2点)
降る花を聴くともなしに釜の耳     晋太郎(+6点)
【逆選】−1点
吾輩は無芸大食春の猫         晴生 (±0点)
三姉妹ポニーテールと桃饅頭      ナツ女(±0点)
好きもののマライヤキャリーは異な芸名 トホホ(−1点)

俳句として上手いなあと思ったもの以外にも好きな句が
たくさんあり逆選もお気に入りの句を選んだ。
特に、「三姉妹」の句はかわいくてすてき。
私の句は次の6句。

春の夢もももうひとつ桃饅頭      群羊
春の山ぶんぶく茶釜湯が沸いた     群羊
春炬燵仕舞えば負けそうタイガース   群羊
(+7点)
残桜や一世一度の一発芸        群羊  
釣釜やボーイ・ジョージの大きな掌   群羊
(+2点)
後釜はいない栗鼠虎猫の妻       群羊


投句一覧は以下URLへどうぞ。
http://www2.comco.ne.jp/~mihokoyo/kamen01.htm
美保子さん、みなさん楽しい句会をありがとうました。







虹のつぶやき(48)
寺井淳氏の第一歌集『聖なるものへ』(短歌研究社 2001.6.)を読了。
寺井氏は、1993年の短歌研究新人賞受賞者。
原発問題、天皇・君が代をテーマにした歌、NHKの番組名を詞書にした連作など
連作として非常に読み応えがあった。
自分が連作を詠む上でも得ることがある歌集であった。

「複数の歌が列挙される歌集という形態に、一貫した<私>へと収斂することへの誘惑を断って、矛盾や違和が明晰に定着させられ得ているか、と自問しています。短歌(和歌)という形式が、みえざる空虚にむけて矛盾をなしくずしに解消してしまう物語性を持つが故に、そう自問することを、私は(現在のところ)表現上の規範と考えています。」

と歌集の「後記」で述べている姿勢も好感がもてた。
短歌の「物語性」に、この詩形のある種の危険性が潜んでいるように私も思う。
特に時事詠、社会詠といった機会詩を詠む(読む)場合は注意が必要だろう。

他にもたくさん引用したい歌があったがとりあえず15首選。


はじまりはつねに私のうちにあり
<はじまり以前> をもの騙(かた)るかな  寺井淳

閉ぢられし世界に卵生みながら海にひかるる陸封魚われ  寺井淳

木末(こぬれ)よりしたたるみどり一滴に世界をすべて閉ぢこめて 雨  寺井淳

あいといふことばをしらず喩ふればわがまだみざるうみに似たるか  寺井淳

水面より無数の指(おゆび)たつといふたつべし或は北斗をささむ  寺井淳

海わたる西陽のあかさ つばくらめ茂吉のあかさ 炉心のあかさ  寺井淳

レクイエム終章へゆくテープかなされども自動反転はせず  寺井淳

通過する地下鉄の風轟然と無慮数千の万歳の声  寺井淳

どつちがのつぺらばうだか わが生を蔑(なみ)し地を這ふ夕影法師  寺井淳

一糸乱れぬ進軍を夢見るか緩みてねむりゐる万国旗  寺井淳

テレフォンカードがゼロになるまでドアを開け海なき街に海送れ 少年  寺井淳

めつむりてかのひと想ふまなぶたのそとで世界はあをく沈みゆく  寺井淳

うらうらと春この坂の岐路にこそ迷へ真綿の日ざしなす昼  寺井淳

かの歌手に罪はあらぬをにこやかにファシズムは朗々と<マイ=ウェイ>  寺井淳

触るるべきほど粒立ちて木霊来(き)ぬ答ふる術のあらぬ問ひなり  寺井淳






虹のつぶやき(49)
4月9日から12日にかけて
枡野浩一さんの期間限定の投稿掲示板で
http://8538.teacup.com/nomasu/bbs
「どうぞよろしく/お願いします」という
下の句で終わる「付け句」を募集していた。

『鳩よ!』4月号の短歌絵本も読んだが、
「どうぞよろしくお願いします」という
下の句への付け句が30首集まると、
読みすすめていくうちに不思議なリズムがうまれ
テンポが徐々に早まり心地よかった。

UPされていた「よろしく短歌」写真
http://www2.plala.or.jp/hani/yoroshiku3/yorotan3.html
からイメージした歌を
有木田りきという名前で、投稿してみた。

●ものまねは私ひとつもできません
 どうぞよろしくお願いします 

●どの子にも似てないつもりでおりました
 どうぞよろしくお願いします    

●やっとこさどどどもらずに言えました
 どうぞよろしくお願いします   

●読めませんメガネも辞書もありません
 どうぞよろしくお願いします   

●もう一回あいこでしょってやりましょう
 どうぞよろしくお願いします    

●怒ってるつもりでいます危険です
 どうぞよろしくお願いします 

●から威張りそりゃないでしょうあきません
 どうぞよろしくお願いします     

●鳩よ鳩ヨルダン王が通ります
 どうぞよろしくお願いします 

☆早まるな明日は今日のしあさって
 どうぞよろしくお願いします  

☆美人でもおじぎぐらいはしてちょうだい
 どうぞよろしくお願いします    

●カウンターくるくるまわってニャンコの目
 どうぞよろしくお願いします      

●キスしても赤くならない約束で
 どうぞよろしくお願いします 

●よーい、どん! 聞こえていればいいけれど
 どうぞよろしくお願いします       

●息子よりうまく言えるか心配な
 どうぞよろしくお願いします 

●足し算はできても引き算できません
 どうぞよろしくお願いします   

●見てないよ安心してねしゃべりません
 どうぞよろしくお願いします   

●ほんとうにおれのもんかよこの涙
 どうぞよろしくお願いします  

●ほんとうに俺の歌かよこの歌は
 どうぞよろしくお願いします 

●「シュワッチ!」と女性もやってくださいね
 どうぞよろしくお願いします       

●ジェンダーを議論してますガーガー!、パオーン!
 どうぞよろしくお願いします          


中間発表で、☆印の2首が残る。
「早まるな」の歌は、ブロック塀の上から
顔をのぞかせている猫の写真を詠んだもの。
『鳩よ!』4月号の短歌絵本では、この写真に

◎バンジージャンプでゴムをはずして落ちるけど
 どうぞよろしくお願いします   正岡豊

という正岡豊さんの歌が組み合わされていた。
さて、「美人でも」はどの写真でしょう。

それと絶好調のタイガースに寄せて
自分の掲示板でこんな歌も詠んだ。

●虎になるつもりでいます今年こそ
 どうぞよろしくお願いします。

でもついにタイガースも連敗、本領発揮かな。






虹のつぶやき(50)
「どうぞよろしくお願いします」短歌に続いて
4月13日から16日にかけて
枡野さんの掲示板「どうぞよろしくお願いします2」で
http://8612.teacup.com/nomasu/bbs
「これっぽっちも思っていない」への付け句短歌を募集していた。
こちらにも投稿。

●じゃんけんでグーとグーとがあいこだと
 これっぽっちも思っていない     

●はとぽっぽまめがほしいかそらやるぞ
 これっぽっちも思っていない     

●ホッチキス傷つけていることなんて
 これっぽっちも思っていない    

●消しゴムは傷ついていることなんて
 これっぽっちも思っていない    

●えんぴつは傷つけられて傷つけて
 これっぽっちも思っていない    

●修正ペンいいことしていることなんて
 これっぽっちも思っていない   

●ものさしは背筋伸ばして限界を
 これっぽっちも思っていない    

☆赤い羽根1000枚あつめて飛べるとは
 これっぽっちも思っていない     

●グリーンの羽根あつめても飛べるとは
 これっぽっちも思っていない    

☆ペンギンの翼に落ちる涙など
 これっぽっちも思っていない    

●はげ鷹のはねがほしいのほんとはね
 これっぽっちも思っていない    

●曇りのち晴れ熱射病要注意
 これっぽっちも思っていない    

●雨に濡れてるてる坊主かわいそう
 これっぽっちも思っていない   

●300円分のおやつはこれっぽっち
 これっぽっちも思っていない    

●あかい血が明日も流れているなんて
 これっぽっちも思っていない    

●朝刊がないからニュースがないなんて
 これっぽっちも思っていない     

●夕刊はいつもどおりで平和です
 これっぽっちも思っていない    

●落書きはだめ、返却日守りましょう
 これっぽっちも思っていない    

●枯れるのは私があげたバラ以外
 これっぽっちも思っていない    

☆スカートの下にズボンをはくなんて
 これっぽっちも思っていない  

●すてきな人たくさんいるから選べない
 これっぽっちも思っていない    

●人間は最低という人間は
 これっぽっちも思っていない    

●昔々、めでたしめでたし、今はいま
 これっぽっちも思っていない    

●霧ふかし身捨つるほどの祖国は…、
 これっぽっちも思っていない    

●衣食住、チューはなくてもいいなんて
 これっぽっちも思っていない    

●あるなんてピンポイントのパラダイスが
 これっぽっちも思っていない    

●カウンター1999だから終わりって
 これっぽっちも思っていない     

●もうこんなサイトになんかきてやるか!
 これっぽっちも思っていない    


☆印の3首を枡野さんに選んでもらえた。
個人的には「ものさし」の歌が好きなんですが、
みなさんは、どの歌がいいと思います?






虹のつぶやき(51)
「ぽぷら21」の第8回インターネット句会(4月)に参加。
お題は、1字兼題「踏」と季題「春昼」、それに自由題。
20名が参加し60句集まった。

私が投句したのは次の3句。

偏頭痛まりあの踏絵ほほ笑めり   群羊(選外) 
春昼やチュウインガムを包む銀   群羊(6点句) 
蒙古風みづほの国を揺らしけり   群羊(1点句)


選句した句は、次の5句

四股を踏む男のよさよ桜餅      獺亭(4点句)
羊羹と見紛ふばかり春の沼      元宗(3点句)
夫といふこの春山を踏破せり     亜矢子(2点句)
春昼の影それなりに黒くあり     元宗(2点句)
「沈黙」の踏絵かなしきひと日かな  深雪(1点句)


今回の最高点は6点で次の3句。

動くとも見えじ巨船の春の昼   晴生
水芭蕉しづかに会釈されにけり  美保子
春昼やチュウインガムを包む銀   群羊 


5点句が1句、4点句も6句ありました。
詳しくは、下記URLへどうぞ。
第9回インターネット句会(5月)のお題も発表されています。
http://www2.comco.ne.jp/~mihokoyo/netkukai.htm






虹のつぶやき(52)
東直子氏の第二歌集『青卵』(本阿弥書店 2001.12.)を読了。491首。
進化の道を遡(さかのぼ)り、最終的には水へと還る読後感といえようか。
人間として生きていることの淋しさを強く感じた。

 波音がわたしの口にあふれ出す鳥が切り裂く空に会いたい  東直子

 凍りつく光はふかく水に落ち肺しぼむまであなたを呼びぬ  東直子

 手の甲の火傷のガアゼ剥がすとき森を羽ばたく鳥を想いぬ  東直子

 抜け出して見た青空を忘れない魚の名残りのつめのあかるさ  東直子

 もうもうと枝を広げる森の木は抱きあうものをついに持たない  東直子

 水滴が小さな魚に見えてくる雨の匂いにしずまる真昼  東直子

 思ったよりも傷が深くて草笛を吹きつつしたたるものはぬぐわず  東直子

 樹液ふる森のあかるさ百億の空を葬るように泣きたい  東直子

 電話口でおっ、て言って前みたいにおっ、て言って言って言ってよ  東直子

 冬眠の熊の甘きあなうらを想うわたしたちのさびしさ  東直子

 一折のくず餅下げて会いにゆく そうですねえと答えるために  東直子

 黄色い土に影を重ねて最初からやりなおすから声を下さい  東直子

 夕立に帽子を濡らし帰りつくこどもは魚の匂いに充ちて  東直子

 今そばに居るひとが好き水が産む水のようだわわたしたちって  東直子

 腕を植えて生き直せれば永遠の植物としてあなたを愛す  東直子

 靴下はさびしいかたち片方がなくなりそうなさびしいかたち  東直子

 臆病なだけなんだよね本気ではないことばだけ生き生きとして  東直子

 だんごむしをバケツいっぱい集めたら誰にあげよう爺もおらんし  東直子

 ゆかた地を布目にそって切り裂けばしにたいわあって声がしてくる  東直子

 永遠に忘れてしまう一日にレモン石?泡立てている  東直子

 神様の選びし少女ほのぼのと春のひかりに鞦韆(しゅうせん)ゆらす  東直子

 立入禁止区域に雨が滞る わたしたちのことみんなしらない  東直子

 濡れている道をたどれば獣園のバケツに魚の無言の光  東直子

 水が生まれるまでの歳月呼びもどし細胞として抱きあえたなら  東直子

 ただ一度かさね合わせた身体から青い卵がこぼれそうです  東直子






虹のつぶやき(53)
小守有里氏の第二歌集『こいびと』(雁書館 2001.8.)を読了。358首。
『こいびと』というタイトルには、
「相愛の異性というより、追い、求めるものとしての意味を込めています。」
とあとがきにある。


つゆくさの茂みに細い雨が降る六月われだけが老いていく  小守有里

雨の日の恋人笑いいつの日かわれをわすれてしまうやさしさ  小守有里

われという壺傾けて秋空へ放った魚のうろこのひかり  小守有里

ひつじ雲風が集めている昼に変えられていく世界のかたち  小守有里

草色の車のとまる隣家には空が落としたような子供たち  小守有里

金色(こんじき)の檸檬抱えて夢に来る母というひとやわらかすぎて  小守有里

子とわれとふたつの匂い引いていく夏の初めのダムまでの道  小守有里

空を見てわれを見て子は泣き始め世界はいつか水浸しになり  小守有里

スカートのすそわたくしに触れすぎる 幾人の秋の祖霊のけはい  小守有里

生命線濃くするような夕焼けを見にいくわれと子ははしゃぎつつ  小守有里

海抱え飛びたつしゃぼん玉いくつたった半分憎むふるさと  小守有里

今日も空が疾走していくこいびとに渡しそびれた花びら抱いて  小守有里

ジャンプすることの次第にうまくなる子の撥ね上げるふかみどりいろ  小守有里

わが裡(うち)に決して消えないなんぼんかの線が月曜の砂場にのこる  小守有里

冬銀河ほどけるように笑ってもわらっても君の水面さざなみ  小守有里






虹のつぶやき(54)
松村正直氏の第一歌集『駅へ』(ながらみ書房 2001.11.)を読了。415首。
1996年(26歳)から2000年(29歳)までの4年間の歌。

「あとがき」によると、松村氏は22歳からフリーターをしながら、
岡山・金沢・函館・福島・大分と転々と移り住んできたそうだ。
函館でたまたま石川啄木の歌集を読んだことがきっかけで短歌を始めたという。

「知り合いもいない町のつかみどころのない日々の不安や焦りを、
ともかく毎日三十一文字の形に変えていくことで、
自分自身を支えてきたように思います。」
と松村氏が「あとがき」でいうように、
歌集におさめられた歌にはそういう思いが反映されたものも多い。
その思いや歌の情景は、一ヶ所に定住している私にも十分共感できるものである。

歌集『駅へ』は、ユニークな生活を続けてきた歌人の「私」の魅力にとどまらず、
1首1首の表現力の豊かさも魅力なのは当然のことである。
私が、松村氏の短歌に最初に出会ったのは、『NHK歌壇』の投稿コーナー
であったと思う。短歌を始め、『NHK歌壇』へ投稿を始めた3年ほど前、
松村氏も投稿していてたびたび入選していた。
プライベートについては全く知らなかったけれど、
こんな風に自分も詠めたらと彼の短歌に憧れていた。
やがて、『NHK歌壇』のテキストを手にすると、
自分の名前を探すと同時に彼の名前を探すようになっていた。
『NHK歌壇』での入選作も『駅へ』におさめられていたと思う。



曇天を支え切れずに縮みゆく電信柱を責める気はない  松村正直

逃げ回り続けた眼にはゆうやみの色がかなしいまでにやさしい  松村正直

憂鬱な空と思って見てたのは、いいえ私の頭蓋骨です  松村正直

海の家の裏に隠れてこっそりと入道雲に空気を入れる  松村正直

ああ君の掌はこんなにも小さくてしゃけが二つとおかかが三つ  松村正直

一枚の葉にも表と裏のあることを五月の風は教える  松村正直

ポスターの曲り具合に気が付いてにわかに町は歪み始める  松村正直

門口に小さな秋の風が立ちまた誰か一人僕を忘れる  松村正直

ゆっくりと柱時計の鳴る音に夜の廊下が伸び縮みする  松村正直

明け方の淡い眠りを行き来していくつの橋を渡っただろう  松村正直

夢かたり終えれば妙に寒々と梅酒の梅が露出している  松村正直

海へ行くバスが一つも出ていないバスターミナルの夕暮れに立つ  松村正直

孫を見るような目付きで僕を見る猫よお前の生まれた朝は  松村正直

朝、僕は鏡の前で髭を剃り背中に生えた羽根を摘み取る  松村正直

君がまた壁の時計を見るように僕を見るから日は暮れていく  松村正直

あなたとは遠くの場所を指す言葉ゆうぐれ赤い鳥居を渡る  松村正直

雨の日の髪はわずかに湿り気を帯びてあなたをおとなしくする  松村正直

君からの手紙届いてこの部屋に確かに僕が住んでいること  松村正直

塀越しに見える墓石の先端が浮き沈みする春の夕暮れ  松村正直

デッサンのように何度も君の手に撫でられて僕の輪郭になる  松村正直 






虹のつぶやき(55)
久保春乃氏第一歌集『いちばん大きな甕をください』(北冬舎 2001.1.)を読了。
1988年から2000年に制作された377首。

表紙のタイトル横に記載されていた
「のっぽの男ひとり沈めておくのだから一番大きな甕をください」
に惹かれて読み始めた。相聞が中心の歌集といえようか。
それと大久保氏も雨が好きなんじゃないかなとふと思った。

略歴によると、大久保春乃氏は1962年生まれで、1988年に「醍醐」入会。
2000年に「醍醐」新人賞受賞。



群青のダムの底より聞こえくる祈りのごときひぐらしの声  大久保春乃

悲しさはりんごの形さっくりと誰かナイフを入れて下さい  大久保春乃

夕暮れの窓辺のばらのうつむきて闇に落ちゆくあるはずの影  大久保春乃

あの人を好きならどうぞそう言ってくださいわたし鳩になるから  大久保春乃

滝のようなフロントガラス ばらばらの心は葉月の雨に溶け出す  大久保春乃

せっけん二つ無理に合わせているようなあなたと私の夜ごとの会話  大久保春乃

こんなにも悲しいなんて知らなかった夜目にも白き桜下道  大久保春乃

うしろから抱きしめられている朝の光の束のやわらかきこと  大久保春乃

耳もとでささやきつづけてくれたなら私はきっと鶫(つぐみ)になれる  大久保春乃

死はかすかにふるえるものとしてありぬエンジンキーをまわす右手に  大久保春

からだごと闇に呑まれてしまうまで影ふみの子ら影踏みつづく  大久保春乃

「どうだい」って そうね大丈夫だけれど雨水だらけのプールの気持ち  大久保春乃

とろりと落ちて涙になってしまいそうな鐘お昼の十二時を告ぐ  大久保春乃

針金のハンガーみたいになんとなく十六年も生きてしまった  大久保春乃

魚(うお)って呼ぶらしいよ人はこんなにもはかない流線形の僕らを  大久保春乃

夕陽背に飛び立つ機影 僕らにもいつか翼の生える日が来る  大久保春乃

植木鉢のかけらで地面に書いてみるゆうべ覚えた「穢」という文字  大久保春乃

どこまでも軽くなってゆきそうな夜更けひらがなばかり連ねる  大久保春乃

ゆうべ君に愛されていた耳裏に星砂ふた粒ほどのざわめき  大久保春乃

わからず屋のあなたなんてきらいだから今日は橡(つるばみ)色の私  大久保春乃

アクセルを踏むほかはない上り坂 どうしてもあなたが好きだと思う  大久保春乃

差し出した右手は影絵の犬となりあなたの長い影に入りゆく  大久保春乃

のっぽの男ひとり沈めておくのだから一番大きな甕をください  大久保春乃

ひんやりと二枚の耳を合わせれば太古の森を渡る風音  大久保春乃

莟(つぼみ)になってあなたの前に坐っている命の熱をかなしみながら  大久保春乃






虹のつぶやき(56)
「ぽぷら21」の第9回インターネット句会(5月)に参加。
お題は、1字兼題「星」と季題「霞」、それに自由題。
18名が参加し54句集まった。

私が投句したのは次の3句。

星型のクッキー焦げしこどもの日    群羊(4点句)  残月も円周率も霞みけり        群羊(3点句) 
チャプリンの少女愛ありチューリップ  群羊(1点句)  

選句した句は、次の5句。

毋の日のおつぱい星人かもしれぬ  麟  (3点句)
こめかみに張りついてゐる霞かな  亜矢子(5点句)
ガス灯に紛れこみたる春の星    深雪 (4点句) 
廃線の駅舎に花の私語無数     章子 (3点句)
虹色の星爆ぜるなり石鹸玉     喜夫 (2点句)

今回の最高点は5点で次の2句。

こめかみに張りついてゐる霞かな  亜矢子
草笛や一番星を見つけたり     獺亭 

<短歌>コーナー下欄に
投句した俳句を「句会」別にUPしています






虹のつぶやき(57)
メール短歌同人誌『ちゃばしら』創刊2周年記念
「第1回ちゃばしらBBS歌会」に参加。
あらかじめ3首を選歌し、◎○△の評価とコメントとともにメール送信する形式の歌会。
20名が参加。◎=3点/○=2点/△=1点として得点を集計。
上位3首は次の通り。


【一席】15票  
背に腕に葉陰をうつし桜ん坊ひろう 誰もがだれかのこども  小林悦子

【二席】12票  
「じゃあ」って電話切るときの勢いがどんどんどんどん加速してゆく  よしだかよ

【三席】11票  
疲労には反重力を(眠るときは「む」を円形に空けておくこと)!  aoiono


この3首については、BBS上でも意見交換の時間が設けられ多くの発言があった。
(私はROMのみ)。私が選歌した歌は次の3首。


靴下が破れてゐるぞ 足裏の皮膚を感じて夏の男だ  足立尚彦(5票)
 
背に腕に葉陰をうつし桜ん坊ひろう 誰もがだれかのこども  小林悦子(15票)

わたくしと対面している其の顔へ鏡をすっと差し出しました  郁子(6票) 


私の出詠した歌は、

空をとぶ陳腐な夢でいいんです ちちんぷいぷいねむらせてくれ  神崎ハルミ(8票)






虹のつぶやき(58)
「第15回QP句会」に参加。
今回は逆選をたくさん集めてしまいました。

【弁】の題
はつ夏のBBSの弁妄よ     群羊
自己弁護して去るきみの黒日傘  群羊
【正1】   

【胡】の題
胡瓜揉み雨を拒める塩加減  群羊【正1】   
西貢の五月の風や胡志明   群羊【逆4】 西貢(サイゴン)・胡志明(ホーチミン)

【無題】
看護婦の白衣汚して行く春や  群羊【逆3】
逡巡のスターバックス寺山忌  群羊        


私が選句した句は、以下のとおり。

【弁】の題
万緑や駅弁売りの肩の紐   湯水【正4】   
麦藁や弁士の喉の太きこと  登貴【正2】  
沈黙に多弁の混じる蟻の列  麟 【正4・逆2】

【胡】の題
胡椒ふれば独り笑いの春キャベツ  絵【正4】   
入梅や小さき匙の柚子胡椒     湯水【正3】
夏至夏至と胡椒一瓶、中華そば。  広瀬犬山猫【逆3】 

【無題】
梅雨晴れ間命令形が落ちている        不見【正3】   
青嵐離婚届の紙薄く             潤目【正3・逆2】
ハヒフヘホパピプペポッポハトポッポ  赤井良二【逆3】






虹のつぶやき(59)
源陽子氏第三歌集『雑歌 ミッセラニアス』(砂子屋書房 2000.9.)を読了。
1993年から2000年までの作品からの335首。
あとがきにもあるように仕事の歌が多い印象だが(損保の営業職らしい)、上九一色村や以前かなりマスコミでも取り上げられていた自給自足の共同生活をしている団体についての連作、それに本歌取りなども含まれていた。


感情を展げるように見せに来るあなたも犬も五月の青葉  源陽子

パステルカラーの花に埋もれて見えぬままこの生(よ)の出口は其処にあるらん 源陽子

ほのぼのと芽ぐむつくしの天性はそこなわずして春にまぎれよ  源陽子

水打たれし玄関は住人のこころ映え 優しさは憂いを深く湛える  源陽子

ルノアールの聖少女まで秋びとの流れは雨の中の祝祭  源陽子
           
攻略法教えられしが感性の素手にて向かうわたしの流儀  源陽子

一切を持たざるものの神韻(しんいん)にわがシェパードが「おはやう」と言ふ  源陽子 

うらうらの春の電車に青麦のような性欲運ばれてゆく  源陽子

さくら重し曇天おもし零るるをこらえかねたるはるぞらの滝  源陽子

きみが根に棲む楽天に寄りそいて大河にかかるかもめ橋まで  源陽子

雨かんむりの文字ながめつつおもいみれば死をもらうまでの長期戦かな  源陽子

笠智衆ほろほろ逝けり権力にもっともとおきつば広帽子  源陽子

批評せんとせば百年の後に咲くさざんかの花のうえに眼を置け  源陽子

神輿のうえ若者跳ねるいつぽんのいのち綱にて輝く若さ  源陽子

巨き樹が隠したるもの夕鳥とこののちの日のわたしの時間  源陽子

こんとんの海から光をひろいあげ名をあたえれば蛍となりぬ  源陽子






虹のつぶやき(60)
永井陽子第五歌集『モーツァルトの電話帳』読了。
「本歌集は、一九八七年(昭和六十二)から九三年(平成五)までの七年間の作品より、
主に人名・書名などの入った短歌一八〇首を選び、一首の始まりの表記によって
五〇音順(歴史的かなづかい)に排列しました。」と最後に説明があった。
そういう歌集の構成の仕方もあるのか。
最近、意識的に言葉遊び的な歌を詠んでいるせいか
言葉がリズミカルに踊りだすような暗誦性のある歌に特にひかれた。
「短歌の私性」を意識的に排除したような彼女の歌づくり。
私もそういう短歌を詠みたいとおもっているので
ほかの永井さんの歌集も読んでみたいとおもった。
四十代という若さで亡くなったのが残念。


あまでうすあまでうすとぞ打ち鳴らす豊後(ぶんご)の秋のおほ瑠璃(るり)の鐘 永井陽子

海のむかうにさくらは咲くや春の夜のフィガロよフィガロさびしいフィガロ  永井陽子

ゆふさりのひかりのやうな電話帳たづさへ来たりモーツァルトは  永井陽子

秋の陽をかばんに詰めて帰り来るをとこひとりと暮らすもよけれ  永井陽子

かたはらにひとありひとの息吹ありさりとて暗しこの夕月夜  永井陽子

聞いてごらん さやさや水が流れゐる竹の内部のゆふやみの音  永井陽子

休館のうすくらがりの天井へさまよひのぼるゴッホのひばり  永井陽子

北向きの廊下のすみに立たされて冬のうたなどうたへる箒  永井陽子

きっぱりと人に伝へてかなしみは折半せよと風が吹くなり  永井陽子

さびしければ風のひと吹きごとに揺れ春のひかりのなかのガガンボ  永井陽子

さやさやさやさあやさやさやげにさやと竹林はひとりの少女を匿す  永井陽子

十人殺せば深まるみどり百人殺せばしたたるみどり安土のみどり  永井陽子

セーターを洗って干せば風が来てほそくかがやくかひなを通す  永井陽子

曇日のなぞなぞ遊び繰り返す子らのこゑやがてばけもののこゑ  永井陽子

なにとなうわたくしはただねむたくてねむたくて聞く軒の雨だれ  永井陽子

待ち合はす南大門に雨降ればくるぶしが寒さうな仁王よ  永井陽子

森の人オランウータン もともとはあんなさはやかな歩行であった  永井陽子

夜ごと背をまるめて辞書をひくうちに本当に梟になってしまふぞ  永井陽子

るるるる……と呼べどもいづれかの国へ出かけてモーツァルトは不在  永井陽子

嗤(わら)ひをるあの白雲め天と地のつっかひ棒をはづしてしまへ  永井陽子






虹のつぶやき(61)
☆『原人の海図』発足1周年企画の題詠「連想・海図」歌会が終了。
34名が参加。最多得票は、10票を集めた次の歌。

示さるる凪の海図はことごとく破り捨てたと君の指す北  きみょん


私が選歌した歌は、次の5首。

我も知らぬ我が水深を測らんとしず沈み来る我が背の錘   あとり
船乗りは躰(み)うちのみづに溺れけむ みづをゆるがすセイレンの舌  ほ・
あの青き海を見ぬまま終はるのか猫は魚を喰ひ続けをる   ささき根子
ゆくりなく見つけし海図果てのなき仮構世界へわれは出発(たびだ)つ  kiki
ときめきは不思議な地図だ 顔上げて今だけをみて目指す大陸   杉山理紀


私の出詠した歌は、次の2首。
得票は、それぞれ3票、1票とふるわなかった。

色褪せた父の海図を棺より取りだししばし潮の香を嗅ぐ        神崎ハルミ
羅針盤(コンパス)も海図ももたず水平線眺む エデンの園なる岬  神崎ハルミ


番外で私が詠んだ連作は、<短歌コーナー>の『原人の海図』コーナーに
本詠草2首とともにUPしています。ぜひご覧ください。


☆『恒信風句会』の「中国緑茶凜」句会に参加。17名が参加。
お題は、「中」「国」「緑」「茶」「凛」を詠み込んだ句と「雑詠」。

ハンカチを被せてひとつ国を消す  群羊(9票) 
また水着ふえて凛冽たる箪笥    群羊(3票)  
月曜や五月の風を拒みたり     群羊(3票)  

あと1票が2句と0票が1句。やはり苦しまぎれに捻り出した句は駄目だ。
今回初参加だったができれば次回も参加してみたい。
<短歌>コーナーに6句すべてUPしています。
(下のほうに参加している句会を一覧にしていますので
『恒信風句会』をクリックしてください。)






虹のつぶやき(62)
北川草子『シチュー鍋の天使【増補版】』(沖積舎 2001年)読了。371首。
歌集のメルヘンチックな装画も自身の手によるもの。
童話もたくさん書いていたようで多才な人だったのだろう。
2000年4月に30歳の若さで病没したのが残念だ。


ジャムのふたあかないバターは好きじゃないきっとだれも愛していない  北川草子

いつかはねって淋しくわらうニッキだけ底にのこったドロップの缶  北川草子

背に草の切れはしをつけ日なたから帰ってくるわたしのイザナギ  北川草子

大きすぎる指をかなしむ 鳥たちの夢にはきっとわたしはいない  北川草子

ごめんねを先こされたのがくやしくて白ヤギさんたら手紙をたべた  北川草子

飴玉の包み紙をすてるまえに折りたたむひと そのくせつめたい  北川草子

シトロエン・グリーンのシャツを着て明日わたしはどこまでいけるだろうか 北川草子

ごめんねずっと嘘をついててロンドン橋おっこちたのはわたしのせいなの  北川草子

意思なんてまるでないのにすこしずつすこしずつ剥がれていく壁のポスター  北川草子

なんどでも塗り替えられるマネキンの瞳の奥に蝶がまどろむ  北川草子

網膜の森をさまよう泣きウサギわたしいつから悲しいんだろ  北川草子

非常口のみどりつめたく海へ行く道を知らないひとりとひとり  北川草子

窓を拭く手のしづけさに耐えている片方にだけ眉のあるクマ  北川草子

寒暖計きれいに生きてきた人の背骨のように水銀が立つ  北川草子

おちていく羽毛でいっぱいの右脳(こんなふうにねこんなふうによ)  北川草子

ふらんねるの青より深い藍を纏う(かつてわたしも海の泡でした)  北川草子

やがて春 打ちあげられた靴たちがステップを踏むゆめの海岸  北川草子

うす青のタイルをつたう水滴がつめたい海となるまでひとり  北川草子

ツメクサで編むかんむりの最後の輪とじる魔法が思い出せない  北川草子

名探偵カッレも大人になりはてて水たまりには見むきもしない  北川草子

なによりも木に似ていたとあのひとを想うとき胸を吹きわたる風  北川草子

透明な傘、カサさかさの世界からあふれた涙が雨になるのよ  北川草子

そこここで今いきますの声がして兆しにみちた春がはじまる  北川草子

とてもとおいところにいます……絵ハガキの余白を埋めていく雨の音  北川草子






虹のつぶやき(63)
永井陽子第六歌集『てまり唄』(砂子屋書房 1995年)読了。300首。
『モーツァルトの電話帳』に引き続き(「虹のつぶやき 60」に抄出。)
彼女の歌集を読んでみた。「あとがき」で、永井さん自身が
「どちらかというと私性の強いこれらの作品」と書いているように、
脳梗塞で倒れ、施設へ移り亡くなった母へのあふれる思いが印象的な歌集だった。
「鹿たちも若草の上(へ)にねむるゆゑおやすみ阿修羅おやすみ迦桜羅」
という有名な歌もこの歌集におさめられている。


しわしわの紅がほどけてこの夏の疲れのごとき朝顔が咲く  永井陽子

風さへも触るるなこれは野の神に今日たてまつるひかりのすすき  永井陽子

むくつけき素手もてこころ盗(と)りに来よ落書は春の空にするべし  永井陽子

塔頭の内なるものらいちはやく耳を澄ませて聴く春の音  永井陽子

青麦のやうな背すぢをもて拒む阿修羅に似たりかの少年も  永井陽子

のぎへんの林に入りてねむりたり人偏も行人偏もわすれて  永井陽子

かぞへうたかぞへかぞへて石段をくだればおのがこころの中ぞ  永井陽子

生きることがさびしい時に聞こえくるこの世のいづこ水の漏る音  永井陽子

今朝ひとつおばけ芙蓉が咲きました人をさびしむ言葉のやうに  永井陽子

仕事にも飽きて閉ぢたるまなうらにれんげが咲いてゐるではないか  永井陽子

新しき鋏は夜のしじまにてひとを恋ほしみしやきしやきと鳴る  永井陽子

中堂に仏はねむりわたくしは旅の地にあり人とへだたる  永井陽子

四つ辻はつねに魔物の棲むところ母よ日暮れの方へ歩むな  永井陽子

苦しみを背に負ふものは仰げとぞ空に枝を張るゑんじゆ 鬼の木  永井陽子

長年の風雪に尾も色あせて風見の鶏(とり)はもうねむりたし  永井陽子

結び目がほろほろ解ける春の夜のさくらといふはうす気味悪し  永井陽子

付き来るはひとのこころのあをびかり鯖街道に降る春の雨  永井陽子

てまり唄手鞠つきつつうたふゆゑにはかに老けてゆく影法師  永井陽子

螢光灯を消せば事物の影も消えしづかに雨の降る夜となる  永井陽子

人間はひとりひとりがからつぽの壺 ひゆるひゆると風の音する  永井陽子

冬の雲のつしのつしと歩くゆゑ病み臥すものは真におびゆる  永井陽子

あふむけば何もかにもが御破算の空わたりゆく風の帆が見ゆ  永井陽子

地の水を一夜のうちにことごとく汲み上げたるがごとき群青  永井陽子






虹のつぶやき(64)
小池光歌集『静物』(砂子屋書房 2000年)読了。428首。


ひとたばの芍薬が網だなにあり 下なる人をふかくねむらす  小池光

霧はれてぬれしとどなる木の鳥居いのちのいろの万緑の中  小池光

ほのかにも杉立てりけり過ぎむとし若き僧侶の体臭はしる  小池光

梅蕾(ばいらい)のつんつん立てばおもしろいことがなかなか世にある如し  小池光

虫のこゑきこえなくなりし草叢(くさむら)にいつかも雨の暗緑の海  小池光

こめかみを打つたる雨の一滴もたちまちにしてひとつの過去  小池光

遮断機の腕(かひな)の棒の降りてきてかたむく天をひとたび見たり  小池光

どしゃぶりの雨ぶちあたる鉄板が運河の道に敷きつめられて  小池光

坂の上に真ッ赤に夕日がころがりをりのぼりつめたる人の吸はるる  小池光

夏草の百済のみちをただひとりわが行くおもへ水をもとめて  小池光

蛇(くちなは)は今をするどく生きむとしひかりあまねき道に轢かれぬ  小池光

色覚の貧しききよき犬の眼に青空はただ退屈な「明(めい)」  小池光

山削るが如く平たくなりてゆく昭和七十三年日本人のかほ  小池光

夕靄のうすむらさきにかき消えしインドの少年つなわたりびと  小池光

青柿はくまなく濡れて枝にあり人のへその緒よりもかなしく  小池光

意味ありげなる電信ばしらが立つてゐてそれはもう国境(くにざかひ)のかんじ 小池光

街上に潰れたる缶さらに踏むみづがねひかる空かぶさり来(く)  小池光

蓮根を穴もろともに太らしめ泥田にふかく突き刺さる雨  小池光

横たはる胸の上にはいつまでも濡れし庭石があるごとし  小池光

廊下のつきあたりに濡れて立つてゐる一本のモップを抱きしめむとす  小池光

キプチャック汗(かん)国あたりのたりのたり駄馬にゆられて死にたい男  小池光

パナマ運河の大開鑿をこころにおもひ耐へねばならぬことに耐へゐる  小池光 

魔法瓶にいま蔵(しま)はれし熱湯は暗黒の中にありしとおもふ  小池光

身の上をおもひ嘆かふこともなく猫にとりあたたかき処(ところ)のみ善  小池光  

ベニヤ板に描(か)かれしペンキの虹として戦後民主主義ふりにしあはれ  小池光

「ヒューマニズム」を無二の理想にかかげつつ五十余年の果てに「むかつく」  小池光

遺伝子配列三十億対を読み終へてうつくしき水晶の夜がくる  小池光

永遠の目撃者として碍子(がいし)あり かなしみふかき家を見おろす  小池光

晩鐘の音(ね)を感じつつある花芽チュウリップうごくくらき地上に  小池光

巻尺が一瞬にびゆんと巻き取られそののちしづかなるかたつむり  小池光






虹のつぶやき(65)
林あまり歌集『スプーン』(文藝春秋 2002年)読了。
114首。

お互いの悩みをぬぐいあうように 
 額(ひたい)に まぶたに くちびるを置く

あなたと眠るとどうして夢を見ないのだろう
 魂が消えてしまったようだ

すき、すき、と うごかしながら くちびるを
 あなたにすべらす 声は出さずに

一生のあいだに飲んだアスピリン
 湖ひとつ埋まるほどとか

この姫を送り届ける馬車はなく
 あいそのわるい深夜のタクシー

だいすきな少女と話せぬまま帰るむなしさのように
 年月が経った

海を見るためだけに乗るモノレール
 カーブのたびに青が濃くなる

手を触れることのないまま つづく水
 窓の硝子が溶け出しそうだ

プラチナがだんだん熱をもってきて
 自分のあたたかさに驚く

むつかしい顔して歩く小学生
 あの日の幼なじみに似ている

入院の母にこっそり食べさせる
 カップのアイスがなかなか溶けない

アイスクリームのスプーンがない
 なんとなく言えないうちに溶けてしまった

見たこともない男が夢に現れて
 五年二組のサノです、と言う

そこからが思い出せない
 見も知らぬ路地を曲がった夢のその先

これ以上なく美しく描いた少女から
 「あんたは嫌い」と告げられている

あの頃のわたしに似た子もいるだろう 
 ウサギ小屋にはウサギ飼われて

亡き祖母に咳のしかたが似ていると
 うつらうつらの兎目(うさぎめ)で聞く

抱いていた猫を下ろせばまず胸が冷えてきて
 冬がまた来る

いっしょに入るとお湯がざあざあ流れてく 
 この舟で川を下ってゆけそう

むかしむかしの春の歌ひとつ教わって 
 くちずさむうち ねむたくなった






虹のつぶやき(66)
永井陽子歌集『小さなヴァイオリンが欲しくて』(砂子屋書房 2000年)読了。592首。
『てまり唄』(「虹のつぶやき(63)」参照)以後の作品を発表順にすべて収録した遺歌集。
「うさぎのひとりごと <遺稿>」として未発表作品11首も収録されている。
1988年に雑誌に発表した小池光氏との〔手紙詩〕往復書簡短歌「うさぎめーる」
(永井陽子氏の作品10首と小池光氏の作品11首)も収録されている。


水のやうになることそしてみづからでありながらみづからを消すこと  永井陽子

くたびれたたましひたちのつばさにも似たるくつした星空に干す  永井陽子

たましひのすみかといふはからーんと青く大きな瓶(かめ) さう思ふ  永井陽子

縄文の人らはどんな言葉にて語りしやこの空のあをさを  永井陽子

熊手もて星をあつむる夢を見き老いより解かれはなやぐ母と  永井陽子

捨てられてわおんわおんと海底に泡吐く木魚夢に見しかな  永井陽子

駅のほか見知らぬ土地や手に受けて冷たきものを雨と呼ぶなり  永井陽子

多忙なる汝には見えぬ縄梯子ひそかに編みて秋のいちにち  永井陽子

大空のネヂもほほけて垂れ下がり都市さへねむたさうな休日  永井陽子

見なければよしとぞ閉づるまなうらになほ降りやまぬ銀の針雨  永井陽子

錠剤を掌にかぞふれば兆しくる死の芯のやうなものあたたかし  永井陽子

棺の内にもれんげ畑はあるでせう少女はすこしほほゑみゐたり  永井陽子

ポケットのない洋服を着る日にはすこし動物めきてゆくこと  永井陽子

風向計もひそかにつばさ折りたたみなんとしづかな休日だこと  永井陽子

なう、鳩よ この街の人はみななぜか語尾のするどき言葉を話す  永井陽子

ぎゆんと引く凧糸 寒の青空も引き寄せてのちひやうと緩める  永井陽子

この世からさまよひ出でていかぬやうラジオをつけてねむる夜がある  永井陽子

扉の外に捨て置かれたるうしみつの傘は舌など出してをらずや  永井陽子

ゆふぐれはサボテンと化すこころかな夕陽にトゲが突き刺さりゐる  永井陽子

冠のごとかがやく夏の雲高しがんばることをやめたる朝に  永井陽子

人生の版画凸凹なる版画刷り出だすべからず詩歌には  永井陽子

叩くたびビスケットのふえるポケットが欲しい日暮れに母を呼びつつ  永井陽子

日常のこころの内の鬼ごつこくりかへしくりかへしだあれもゐない  永井陽子

透明になりて次第に消えゆけりどこにも居場所のないかたつむり  永井陽子

いつの時代のわらべがほうと吹きたるやタンポポの種子窓より入り来  永井陽子






虹のつぶやき(67)
坪内稔典歌集『豆ごはんまで』(ながらみ書房 2000年)読了。300首。
俳人でもある坪内氏。
あとがきに、「ともあれ、私はとてもきれいな恋の歌を作りたいと思ってきた。
また、悲しみや孤独や怒りをユーモアたっぷりに歌いたいとも思ってきた。
そのとりあえずの結果がこの歌集である。」とある。

初句・2句が同一の歌があったり、連作中に同じ言葉を多用しているのが印象に残った。
そういう手法でイメージをどんどん広げていくという連作の方法もあるのだろうが、
「あの人が好きになったよ」という同一の初句・2句で
「平城京西の市場が淡雪の頃」と「出雲にて雪をさくさく踏んでいた時」
という歌が2首並んでいたりというのはどうなんだろう。
また、同じ連作中に「てのひらに火種をにぎっているような恋人」、
「青梅をひとつ隠しているようなそんなあなたの手」という表現の歌があったが、
イメージが拡散してしまって連作全体がぼやけてしまうように感じた。
といっても1首1首は、すてきな歌がたくさんあった。


そら豆のさやのみどりのそのそばで素直に今を叱られている  坪内稔典

葉桜は海辺のようにきらめいて未生以前の恋人がいる  坪内稔典

青梅をひとつ隠しているようなそんなあなたの手に触れている  坪内稔典

ベランダに火の舌を吐く蜥蜴いてむずむずしている私の舌も  坪内稔典

気の弱い奴のはずだが指立てて指に風呼ぶ今朝のあいつは  坪内稔典

曼殊沙華また曼殊沙華この村の猫は人より長き影曳く  坪内稔典

さみどりの心にならん旅さきの朝の緑雨をゆっくりと行く  坪内稔典

月光を踏んで戻れば門口の石榴ひとつが割れて匂うよ  坪内稔典

秋草へ道をそれたる恋人は千年前の鹿の息して  坪内稔典

群れ逸れる鴨の一、二羽、自愛とは逸れつつ光るあの鴨に似る  坪内稔典

十月の中央公園陽に満ちて木馬全身ひび割れている  坪内稔典

巣籠りのごとき一日買い置きのよもぎ餅ありしっとりとあり  坪内稔典

わが耳が巣箱のごとくあればよいなどと言いつつ下萌えの道  坪内稔典

運命にたじろぐこともありますが今は好きですこの百日草  坪内稔典

埋み火という言葉あり中年の男言葉だ、埋み火は今  坪内稔典

君はいま朝の霰だわが腕に真っ白い歯を立てている今  坪内稔典

死にたくはないが生きたくない気分春の淡雪手にのせている  坪内稔典

ぼくの中にぼくの顔した河馬がいて水に写った虹を食べてる  坪内稔典

動かないことも悦楽木々たちは芽吹いて空を近づけている  坪内稔典

さえずりが光の破片となるまでを空にとどまりひばりよひばり  坪内稔典

胸元を大きく明けたチューリップ午前の風の源となる  坪内稔典

むの字には○がありますその○をのぞくと見えるえんどう畑  坪内稔典

ひらがなは音のする文字枯れ草に月の光がぶつかるような  坪内稔典






虹のつぶやき(68)
岩城伸子歌集『それも気のせいでありますように』(フーコー 2002年)読了。244首。
岩城氏は1979年生まれで、2000年に第3回フーコー短歌賞大賞を受賞。
恋の歌が中心。「深刻な振りをしてたら本当に深刻な気がしてきてへこむ」
「あぁそっか私はこれが言いたくて今までダラダラ話してたんだ」など、
枡野浩一のかんたん短歌の影響が感じられる歌が多い。

縦書き、横書き、「」字形表示、1首のなかで一部だけ
横書きにして十字架のような表記にした短歌等々
表記方法も多種多様で、レイアウトもページごとさまざま。
全体的に薄墨色で霞んだ感じの文字。文字の大きさもさまざま。
歌によって微妙に色の濃さが違っていて、読みづらい歌もあった。  

表紙に大きく銀色のハサミのイラストがあり、
本文内にもハサミと切り取り線のイラストがある。
切り取り線で囲まれた歌(実際にミシン目が入っているところもある)や
歌のなかの一語「流血」だけを赤字で表示し、そこから血を滴らせていたり
真っ黒な足跡のイラストが見開きのページを横断しているところに
歌を配置したり(どちらも下に抄出歌としてあげている)、
表紙カバーの隅に小さく歌を載せていたり、デザイン的、視覚的な工夫が見られる。


屋上を解放してない学校が多すぎるから空も飛べない  岩城伸子

「会いたい」を躓かせると「ア、イタイ」あざが無くなり次第終了  岩城伸子

鋭くて繊細なくせに濁ってるあの瞳には二度と会えない  岩城伸子

愛された証拠は無くともかさぶたを剥がしていいのは君だけだった  岩城伸子

アイロンが温まるまでに一呼吸おいてるような恋をしていた  岩城伸子

まだ二十歳たいした挫折もないくせに体育座りで眺める夕陽  岩城伸子

雨垂れの音がリアルで落ち着かない 
流血している夢をみたから  岩城伸子

幸せが逃げると言われる溜息も溜まれば何か起こす気がする  岩城伸子

やさしさに色があるなら何色に染まるのだろう君の足跡  岩城伸子

一日にとても静かに小刻みに波がある多分恋をしている  岩城伸子

体温を解りたくって触れたから下心なんて二の次なんです  岩城伸子

影響を受けずに歳を重ねてるスペアな自分と話がしたい  岩城伸子

目の前に海があったし二人とも裸足だったから夏だったんだ  岩城伸子

シンプルな夢をみていた君がいて隣りにいたのがたぶん私で  岩城伸子

飛ぶ寸前と泣く寸前が続いてる あたしは生きてたいと思った  岩城伸子






虹のつぶやき(69)
岡井隆歌集『E/T』(書肆山田 2001年)読了。
最も近い場所にいる他者、年が離れた若い妻をモデルにした著者初めての書き下ろし歌集。
タイトルの『E/T』もそれぞれの名前、恵里子と隆のイニシャルからであろう。
多行横書きの歌10首を含む103首という少ない歌数で非常に贅沢なつくりの歌集だ。

加藤治郎氏が、<『E/T』、未知の虚空へ>と題した歌集論を
『短歌』7月号の岡井隆特集で展開している。また、中津昌子氏も触れていた。
岡井氏の歌集は初めて読んだのでとても参考になった。

以下、抄出歌はすべて縦書き。


食卓のむかうは若き妻の川ふしぎな魚の釣り上げらるる  岡井隆

けふ一日(ひとひ)辛抱すれば救はれる、だらうつて夜から伝言が来た  岡井隆

気づくとはあはれ花びらの傷つきてのち在(いま)したる風に気づくを  岡井隆

コロラドの生態系を変へるやうな激烈なダムは寝室にはない  岡井隆

うつむいてゐる男にもそれなりの理由があつて輝いてゆく  岡井隆

さくら咲いて循環バスに降ることもわれとは従兄弟同士のあはさ  岡井隆

森からはもう客人(まらうど)は来ないはずそれなのにああ肌が木膚(こはだ)に  岡井隆

口紅をひかぬ唇のあひだより皓歯こぼるるやうな生活  岡井隆

日没の日(ひ)は大いなる杯(さかづき)に溺れたくつて溺れるさうだ  岡井隆

どこからでもきみは入つて来る午後は(いけない)カフカしてしまひさう  岡井隆








虹のつぶやき(70)
奥村晃作第8歌集『ピシリと決まる』(北冬舎 2001年)読了。
1998年から2000年までの作品560首。あとがきに、
奥村氏の「最終的に到達し、かつ揺らぐことのない」短歌観が述べられている。
要約すると、「感動に立脚せよ」「的確の表現を追求せよ」という2点。
氏の提唱している「ただごと歌」についてくわしくは知らないが、
560首を読むのは正直しんどかった。
「感動に立脚する」というのと「感動を第三者に伝える」というのはまた別なのだろうか。


民衆詩、生活詩とてかまけてて歌の水位を下げてるじゃないか  奥村晃作

ニコニコと笑ってるよなタイの文字音符つらねて歌えるような  奥村晃作

ぎんぎんギラギラ日は落ちんとしこの道は東から西に真っ直ぐの道  奥村晃作

いろいろの工夫の花火見たけれど打ち上げ花火はまん丸がいい  奥村晃作

馬の字は馬に似て見え牛の字は牛と見え来る文字(もんじ)のフシギ  奥村晃作

「出られる」は四音にして「出れる」だと三音だからピシリと決まる  奥村晃作

結局は一人ぼっちのボクだから顔ぶら下げてそのままに行け  奥村晃作

楠(くすのき)は幾万の青き実を結び一つ一つはどうするつもり  奥村晃作

形良き松と思うが人間が勝手に造形しちまったんだ  奥村晃作

ゴールデンレトリバーは気味悪いほどに利口な顔をしている  奥村晃作

犬二頭引き行く散歩のバアさんが犬の奴隷のごとくに見える  奥村晃作

蛸が自分の足食うごとくみずからの作品創るあわれを読みぬ  奥村晃作

発売の初年のころは本当に喉に美味(うま)かったスーパードライ  奥村晃作

文法は知らずともここは「は」がいいと総合判断で選べればいい  奥村晃作








虹のつぶやき(71)
キクチアヤコ歌集『コス・プレ』(新風舎 2002年)読了。117首。
キクチ氏は1979年生まれで、第4回フーコー短歌賞大賞受賞者。
韻律がどうも馴染めなかった。


目を開けることもできない突風がこの先何回吹くのだろう  キクチアヤコ

ひたすら振る頭 どこに飛んでいっても構わないので  キクチアヤコ

ネクタイを緩める指を見ていれば余計なことをしたくなってる  キクチアヤコ

どこの街にも銀座が存在するように外から見ればありふれた二人  キクチアヤコ

十四歳の私の背中眺めつつ歩く花降る池のほとりを  キクチアヤコ

ふいに日が翳る 小さな雨粒はやがて矢となり誰もいなくなる  キクチアヤコ

土曜の夜なのに誰ともぶつからず身体の中溜りゆく罵声  キクチアヤコ

閉店間際くすり屋で買うマニキュアは深く潜っていけそうな青  キクチアヤコ

濡れ滲む視界にライトグリーンの文字神々しく  東急ハンズ前  キクチアヤコ








虹のつぶやき(72)
岩井謙一第1歌集『光弾』(雁書館 2001年)読了。439首。
第46回現代歌人協会賞受賞作。
岩井氏は、昭和34年生まれ。「心の花」会員で、
平成10年に「短歌と病」で現代短歌評論賞を受賞している。


ステージの黒きピアノに指走り打ちだせる音われをたたけり  岩井謙一

夕刻の厨に母の祈り満ち玻璃(はり)と刃物のひかり統べをり  岩井謙一

おそらくは今も宇宙を走りゆく二つの光 水ヲ下サイ  岩井謙一

電光の文字滝のごと落ち続き街は一日の罪を懺悔(ざんげ)す  岩井謙一

宙空のみどりごに乳あたへゐる滝の母性の轟きつづく  岩井謙一
   
地に降りし白木蓮の上(へ)をゆけば踏み絵踏みたる悲しみきたり  岩井謙一

親燕のみど深くにもちきたる風を喰らひて風となる雛  岩井謙一

雨の午後窓をつたへる無数なる天上の孤児妻と見てをり  岩井謙一

木製の踏み絵に窪み残りをり生を選びし光のたまり  岩井謙一

テーブルに青き蜜柑の皮ありて包むものなき静けさの咲く  岩井謙一

吾子とわれ肩車とふかたちにて魂ふたつ上下にもてり  岩井謙一

つるはしに男ふかぶか秋冷を刺してそののち大地を刺せり  岩井謙一

ほうけたる夕日漏らせるゆばりかなひかり一筋海原に揺る  岩井謙一

鬼灯を手のひらに乗せ鬼の字を落とさぬやうに日に透かし見る  岩井謙一

ジェット音聞きて妻の身にしがみつく吾子の原始の耳を愛せり  岩井謙一

藤の花うすむらさきの宙に垂れ地にはとどかぬ未完なる滝  岩井謙一








虹のつぶやき(73)
真中朋久第1歌集『雨裂』(雁書館 2001年)読了。450首。
岩井謙一氏の『光弾』と共に、第46回現代歌人協会賞を受賞した作品。
永田和宏氏の跋文によると、日本気象協会に勤務、気象予報士の資格をもっており
テレビやラジオにも出演している方らしい。「塔」会員。


日だまりの石ころのやうにしみじみと外勤の午後のバスを待つ  真中朋久

雑踏に踏みしだかるる石畳いちまいの石が月を恋ふるよ  真中朋久

せうせうと降る雨のなか首ふりてゐる馬あらむ水を吐きつつ  真中朋久

にんじんの畑のやうな君のその世界のなかに足踏み入れる  真中朋久

敷石のつぎ目つぎ目に揺られゐる影ひきて夕暮のこころは  真中朋久

なんのための石であらうか月光のみぢかき影のうへに置かれて  真中朋久

影あはき水面にしてその影は水底の泥にほのかにしづむ  真中朋久

わたくしは葦笛である風つよき日にはひうひう歌ひいださむ  真中朋久

君が火を打てばいちめん火の海となるのであらう枯野だ俺は  真中朋久

風の道となりたる堤かけ降りてルネッサンスを俺は迎へる  真中朋久

下駄放つて晴雨占ふゆふまぐれ世界の田舎だつてかまはぬ  真中朋久

アメフラシの貝殻のやうに残りたる記憶かわれをよろめかすのは  真中朋久

ゆるくゆるくつたはり来たるかなしみにやがてちからを抜かれてしまふ  真中朋久

視野はやや深くなりたりくらがりは塩ひとつかみ残る壺の底  真中朋久

乗車券あらためてゆきし濃紺の車掌のうしろ銀の尾が見ゆ  真中朋久

繊い月が消えさうである西ぞらはまぶたの裏の暗さ 明るさ  真中朋久

心中の石のごときをたもちつつひと日経て淡き雲になごみぬ  真中朋久








虹のつぶやき(74)
佐藤真由美『プライベート』(マーブルブックス言ノ葉絵本A 2002年)読了。
1973年生まれ。監修には枡野浩一の名前。   
縦書き、横書き、多行書きなどさまざまなスタイル
(赤字表示の歌もある)で、文字の大きさもさまざま。
イラストもふんだんな80首ほどが収録された歌集。                              
「本書は、枡野浩一著『かんたん短歌の作り方』(筑摩書房)、
短歌研究創刊800号記念臨時増刊号「うたう」(短歌研究社)、
「広告」2002年7・8月号(博報堂)他に発表した作品に、
加筆修正し、新作を加えて再構成したもの」とあり、
記憶にある歌もたくさんあった。


愛なんてコトバ新聞一面に載せないでほしい二日酔いの朝  佐藤真由美

アルデンテにゆでといたけど
それ以上わたしに期待なんてしないでね  佐藤真由美

正しさは振りかざさずに立っているあなたの悲しみによく似合う  佐藤真由美

強い意志とか
そんなんじゃないでしょう
コンクリのひびに咲くタンポポは  佐藤真由美 

走ってく方向間違えないコツは
目的地なんて作らないこと     佐藤真由美

3回も食事したからバレてるよ
生春巻とわたしが好きね      佐藤真由美

百錠は飲み過ぎだった 痛いのを我慢できないあなたにしても  佐藤真由美

ツケヅメを自分の爪だと思ってて
いきなり剥がれたような失恋    佐藤真由美








虹のつぶやき(75)
水原紫苑第一歌集『びあんか』(雁書館 1989年)読了。250首。
アンソロジーなどで水原さんの歌を目にしていてすごく魅力を感じていたのだけれど、
歌集は、何となく途中で挫折してしまいそうな気がして敬遠していた。
『びあんか』は、最初の歌集ということもあるのか、収録歌数が少なかったためか、
想像していたよりは読みやすかった。そして非常にクオリティーの高い歌集だった。
連作だが1首1首が独立して輝いている、
そんな力強い作品が犇きあっているという印象の歌集。
水原さんの歌の世界、そして文語の響きの心地よさに魅了された。
高野公彦氏が解説で、水原さんを<泉>型の歌人と称していたけれど、
僕は、<樹木> 型の歌人よりも<泉>型の歌人に惹かれているのかもしれない。
短歌における<私性>に、作者の現実生活が直接的にあらわれているだけの(に思える)歌
が今のところあまり好きになれないでいるからだろう。
恐らく水原さんの歌をほとんど知らないという方でも知っているであろう有名な歌が
数多く収録されていたので、ここでは僕が初めて目にした歌を中心に抄出してみた。


風葬とふ言葉いとしみ夕刻のわれ少しづつ軽(かろ)くなりゆく  水原紫苑

わすれ雪いのち無き日のしあはせを花に語りて母のごとしも  水原紫苑

海やまのくれなゐ吸ひて目覚めたる闇今しばし歌はずにゐよ  水原紫苑

流れゆく眸(ひとみ)といへどふかしぎのものならざれば魚に与ふる  水原紫苑

蒼天ゆ非在のさくら落ちにけり鋼(はがね)のごとく魚(うを)のごときか  水原紫苑

無彩なる世界に棲みて犬の眼(め)にくれなゐもまた闇かも知れず  水原紫苑

うろこなき鮎のからだを守りゐるつめたき水は息を吐きつつ  水原紫苑

枝のべてなほ届かざる言葉ありむくどり去りし天球の青  水原紫苑

高原(たかはら)の銀曳きてゆくひとの背にありあり見ゆる遠つ祖(おや)かげ  水原紫苑

月明にひとが透けゆくくるしみを目守らば朝(あした)まなこ炎(も)えなむ  水原紫苑

旅知らぬ大樹にわれは問はれゐつ落葉(らくえふ)ゆきし火や水の界  水原紫苑

あかときを音高まれる時計にて父母なきものはいのちするどし  水原紫苑

瓦斯室の歴史学びし少年が午前二時過ぎ弾くモーツァルト  水原紫苑

革、チェーン、錠剤なべて光りをり人にあらねば待つこと美し  水原紫苑

秋水のみなもと深きむらさきに去りしあやめの声を聞きたり  水原紫苑

白菊はみだらなるかもかぎりなき舌にひとつの言葉をもたず  水原紫苑  

舗道(いしみち)に棲むたましひも秋となり馬なりし世の声ひびかする  水原紫苑








虹のつぶやき(76)
佐藤弓生歌集『世界が海におおわれるまで』(2001年 沖積舎)読了。
昨年、「眼鏡屋は夕ぐれのため」で
第47回角川短歌賞を受賞した「かばん」所属の歌人。
この歌集には、2000年までの歌が収録されており、
第45回角川短歌賞次席作品「夜の鳥」も読むことができる。


少女たちきびきび焚火とびこえろ 休符をしんと奏でるように  佐藤弓生

糠星を夜禽の羽がおおうたび森の時間がすこしおくれる  佐藤弓生

穹窿の筋肉白くしなやかな秋 少女たちさあ逃げなさい  佐藤弓生

風鈴を鳴らしつづける風鈴屋世界が海におおわれるまで  佐藤弓生

なんという青空シャツも肉体も裏っかえしに乾いてみたい  佐藤弓生

きよくなることはなけれどいつまでも水をひとくち飲んで寝る癖  佐藤弓生

蝙蝠のひとつまっすぐ落ちてくる夕ぐれ脳に罅入るあたり  佐藤弓生

会えぬものばかり愛した眼球の終のすみかであれアンタレス  佐藤弓生

空のあの青いしげみに分け入って分け入ってもう火となれ ひばり  佐藤弓生

やわらかいあわせめを閉じ少女たち弾より速く生きのびなさい  佐藤弓生

背にひかりはじくおごりのうつくしく水から上がりつづけよ青年  佐藤弓生

海へゆく日を待ちわびた少女期を思えば海はいまでもとおい  佐藤弓生

絵空事だけが恋しい かんむりを切りぬきましょう金紙銀紙  佐藤弓生

オルガンがしずかにしずかに息を吐くようにこの夜を暮れてゆきたい  佐藤弓生








虹のつぶやき(77)
土橋磨由未第1歌集『二人唱(アンサンブル)』(2002年 邑書林)読了。323首。
略歴によると、著者は1966年生まれ。
「かりん」所属で、1998年より短歌を始めた。
「土橋は、生活の面でも言葉の面でも、一見して拙い人・拙い歌詠みに見える。
技術の上でも、特別なボキャブラリはなく、繊細な比喩はなく、古典の援用などもない。
しかし、瞬時に自分の心理をえぐり出す言葉のひらめきは凄みがあって、
読者たる私たちを驚かせ、強く引きつける。」という坂井修一氏の解説に納得。
あとがきに「わたしにとって健康とは永遠の宿題である」
とあるように病気に関する歌も多く収録されている。


ひとひらの雪落ちくれば見うしなう世界を夜の複製画とす  土橋磨由未

暗愁な思考を祓いととのえる息に若草萌えいだすまで  土橋磨由未

あなたのなかの三千人とキスをしてわたしのなかの千人が死ぬ  土橋磨由未

忽然と池ありそこにかなしみを鎮めよと口をあけたる緋鯉  土橋磨由未

どのような花が咲いてもよき種をひとつわたしの中に植えたり  土橋磨由未

いわれなきことのひとつの音叉とも思えてならず性愛のとき  土橋磨由未

つぎはぎのパッチワークでつなぎとめほころびるまで隣にいたい  土橋磨由未

樹となりて光合成をしてみたし君とはぐれてしまった場所で  土橋磨由未

山上(さんじょう)の雲はゆたかに流れゆき木(こ)の間(ま)にひかりの頁を繰りぬ  土橋磨由未

薄絹(うすぎぬ)のような雲たつ春日(しゅんじつ)はこころが先に脱ぎ捨てる服  土橋磨由未

連翹は街を黄に染め記憶からとおい記憶を呼び醒ますもの  土橋磨由未

待たされてここだけ雨の降るような気分にさせる絵画みている  土橋磨由未

いつまでもここにいてねと手をのばす木に抱(いだ)かれて森となるまで  土橋磨由未

ひとり子のわれを訪ねし妖怪も大人のわれを見失いたり  土橋磨由未

すれちがう人をしずかな落葉(らくよう)とおもう枯葉を踏みしだくとき  土橋磨由未

いつの世もきみをえらびてきたること菜の花がそっと教えてくれぬ  土橋磨由未








虹のつぶやき(78)
水原紫苑第3歌集『客人 まらうど』(1997年 河出書房新社)読了。344首。
『びあんか』と比べるとかなり難解な歌が多いという印象。
ただ読み進めていくのが苦痛だったかといえば、全然そういうことはなかった。


夜(よ)の虹のかがやきわたる草のうへ文字(もんじ)に還るうつしみわれは  水原紫苑

嬰児期のあなたが月に映るやうな夜(よる)をかさねてわれはパピルス  水原紫苑

「秋だからさくらは無(な)い」と幾たびも抱きしめて告げよ蒼眸の馬  水原紫苑

樹の無力 空の無力のただなかに雲のやさしき手術台見ゆ  水原紫苑

抱擁に閉ぢしまぶたの暗がりに石切場見ゆ石の母見ゆ  水原紫苑

いかやうにひろぐとも友禅はわだつみに及ばざることジェノサイドに通ず  水原紫苑

カットグラス取り落とさむとし抱きとむる瞬刻きけり亡き犬のこゑ  水原紫苑

地下道の鏡男よわれは今いかなる泪(なみだ)を流してゐるか  水原紫苑

撃たれたる夕陽を運ぶ人々のシャツのボタンの貝輝けり  水原紫苑

厚き帯しめたるのちによみがへる葡萄でありし日のわが言葉  水原紫苑

百舌鳥いづれのこゑもひとたびはわがこゑなりき神は知らずも  水原紫苑

大き百合カサブランカを目守りつつまじはれり縄文びと弥生びと  水原紫苑

わが知らぬ破船の重さ天窓より堕ちて来さうな月を支へて  水原紫苑

人と人が別るるきはにたんぽぽの種子来たりけり天馬乗せつつ  水原紫苑

ひさかたのあめのひかりに刻まれし夫(つま)をさがせり若き玉葱(たまねぎ)  水原紫苑

鼓もつ人形ふいにわたくしの過去生きはじむ生き直しつつ  水原紫苑

畳のへりがみな起ち上がり讃美歌を高らかにうたふ窓きよき日よ  水原紫苑

面影のかすめる硝子切りいだしかの不沈艦の窓にはめつる  水原紫苑

夢のきみとうつつのきみが愛しあふはつなつまひるわれは虹の輪  水原紫苑

春泥に取り落としたるたましひを四つん這ひにて拾ふことあり  水原紫苑

夜(よる)は無数の手をもつゆゑに委(ゆだ)ねたる宝石箱が鵞鳥に変ず  水原紫苑

祈るときみづうみとなる部屋ぬちに耐へがたき数の白鳥棲まふ  水原紫苑

木馬にてながく旅せし恋人をあたためゐたりその木馬焚き  水原紫苑

薔薇の木に仮面をかけしわが犬がふり向くまでのふかきしづけさ  水原紫苑








虹のつぶやき(79)
水原紫苑第4歌集『くわんおん 観音』(1999年 河出書房新社)読了。243首。
5首の歌に添えられた「歌から派生した詞書のような物語」(著者あとがき)も
とても魅力的だった。
たしか水原さんは文芸誌に小説も発表していたはず。今度探してみよう。


樹はきみの兄なりければわれらふたり行く末を問ひかそかなりける  水原紫苑

燃ゆる船を胸処(むなど)のみづに浮かめゐるいちにんに逢ひき花屋の向う  水原紫苑

雪となりて降り来るまことのうつしみよわがくちづけしきみはまぼろし  水原紫苑

ひとひらのこころは秋に与へしか 春のこの身は空なきつばさ  水原紫苑

いつはらぬわたくしといふけだものの黄金(わうごん)の尾に病(やまひ)ひそけし  水原紫苑

大いなる光の壺となりてゐるうつしみ北へ運ばれゆくも  水原紫苑

なきがらの海を抱(かか)へて内陸をはるかにゆきし塩の女(め)われは  水原紫苑

星の刃(は)にこころを研ぎしうたびとのひさしき恋をわが恋とせむ  水原紫苑

童貞のわが犬にふれよみがへる滝の景色にわたくしは無し  水原紫苑

抱擁のとどまらざれば雪兎視界にあふれひかり死ぬるを  水原紫苑

さざんくわは空(くう)を切るはなほろほろと切らるる一切空(いつさいくう)の世界よ  水原紫苑

鬱々と天使はゑがく水あらぬ大わだつみを濡るるほのほを  水原紫苑

わたくしといふ織物に紫を刺し入るる手のきれこみふかし  水原紫苑

くちびるをはるかな舟と想ふときわれとわが身の銀にちかきを  水原紫苑

水底(みなそこ)を見つむるひとのかたはらにこころの魚(うを)のわが佇めり  水原紫苑

後(のち)の世は果実と言ひし友ありき狂へる鳥のわれはついばむ  水原紫苑

忘却をいのちとしたる鳥たちか翼の銀のはつかこぼるる  水原紫苑

うすべにのけだものなりしいにしへのさくらおもへばなみだしながる  水原紫苑

ふれにける鬼のかひなのつめたさの真水を汲めばそら白きかも  水原紫苑

少女神のブラウスとなる夏空よ鈍色(にびいろ)の鳥のボタンならべて  水原紫苑

傘ひらく一瞬こころ空(くう)なればうすくれなゐの卵生みしか  水原紫苑

水玉のドレスのままに一夏(ひとなつ)を過ごせり滝に打たるるやうに  水原紫苑








虹のつぶやき(80)
斎藤典子『サイレントピアノ』(2002年 青磁社)読了。328首。
「短歌人」所属。歌から察すると教師をされている方のよう。
関西在住ということで僕もよく題材にする梅田の赤い大観覧車や
太陽の塔、じゃんじゃん横丁などの歌もあり親しみを感じながら読んだ。


雨の夜に産まれて来たるはかなさをこの子はいづこに宿してゐるらむ  斎藤典子

いにしへの樹のかをりして鹿鳴けばひとの持ちたる時間滅びむ  斎藤典子

良識に追ひつめられてうすあをき息を吐きをり日々のあはひに  斎藤典子

濁りたる春と思へり爪切りを探してさへも苛立つこころ  斎藤典子

精神のうすき汚れに耐へがたくじやんじやん横丁をほつつき歩く  斎藤典子

もうひとりわれが遠くの河にゐていつまで経つてもふりかへらざる  斎藤典子

橋のうへ釣糸を垂るる遊びして少年はけふを美しく失ふ  斎藤典子

あをいろの雨傘のなかの少年の貌緊まりゐて惑星のごとし  斎藤典子

言葉より激しき雨の降りはじめわれらをしばし沈黙せしむ  斎藤典子

心から笑つてゐる顔を知らぬままこの十八歳を卒業させゆく  斎藤典子

純粋が狂気となりし時代ありうらがへりつつひらたき平成  斎藤典子

無関係の死が繋がりゆかむ 「宅急便でーす」 インターホーンより聞こゆ  斎藤典子

川の水退いてまなかに歪なる石あらはれて陽に曝されてをり  斎藤典子

一瞬に皮を剥がされしろき身をさらす魚にも似たる神経  斎藤典子

三歳の写真のわれが笑ひたる過ぎゆきよりも春は来るらむ  斎藤典子

一日の終はりに眼鏡をはづすときひときは夜の匂ひのつよし  斎藤典子

八月の夜の暗さに滲みゆき広がりゆけり白さるすべり  斎藤典子

緑陰の風に吹かれて置き去りのままに消えゆくひともありなむ  斎藤典子

朝のバス遅れてきたるを待ちをれば何かがゆるりと壊れてゆかむ  斎藤典子

ときに思ふ地震の次に大きなる影もて覆ひくるものの正体  斎藤典子








虹のつぶやき(81)
小川真理子歌集『母音梯形(トゥラペーズ)』(2002年 河出書房新社)。338首。
第44回短歌研究新人賞受賞作品「逃げ水のこゑ」も収録されている。
ページを開いたときの第一印象は、活字がすごく小さいということ。
大きな活字で短歌を読み慣れているので正直何かもの足りなく感じた。
でも読み進めていくうち、1ページに2首が繊細に配置されたレイアウト、
そして余白の空間も心地よく、小川さんの歌の雰囲気にぴったりだと思えてきた。
フランス留学中の歌、フランス語講師としての日常を詠んだ歌、恋の歌、
報道関係の仕事でパキスタンやアフガニスタンへ赴く
夫の矢部雅之さん(小川さんと同じく「心の花」所属の歌人)を詠んだ連作、
独特のほあんとしたユーモアを感じる歌など魅力満載の歌集。
ざっと抜き出しただけでも30首以上も好きな歌があった。その中から20首を抄出。


わが部屋へ君が来る夏、木々の名を記しただけの地図を渡さう  小川真理子

まつすぐに君を見あげたし我よりも深き緑をもつ人なれば  小川真理子
                   
舌の上で紙風船が弾むんだ「ぽるとがる」つて言つてごらん  小川真理子
                   
幾千のひとびとの過去匂ひたつ霧雨やまぬ蚤の市(クリニャンクール)  小川真理子

傘干せば甘ゆるやうにかたむきてその内側のさみしさを見す  小川真理子

物乞ひがアコーディオンを開くたび錆のはげしき虹のあらはる  小川真理子

砂の舟にあづくるほかなき言の葉は水底(みなそこ)で歌になる日を待てり  小川真理子

草枕 闇に眼鏡を探るときみづからの骨拾ふがごとし  小川真理子

なつかしい風景のせゐ「まだ好き」と朽ちかけの橋渡つてしまふ  小川真理子

一生は落葉(らくえふ)を尽すものなればわがクローンにわが言葉なし  小川真理子

跨がればうるみはじむる木馬の眼ペロー童話の原文を読む  小川真理子
                    
「だいこんいぬ」と姪が言ふものを見にゆけば白き尻尾を立たせる犬  小川真理子
                    
午前二時しめす短針すみやかに誰(たれ)かを刺して鞘に戻り来  小川真理子

DNAのらせんのリボンかけられてかつてこの身も世に贈られき  小川真理子
                     
神々の手綱をちぎりほしいまま翔けりてゆけり早春の風  小川真理子

火をくぐり抜けたる者の寂(しづ)かさよ磁器人形(プペ・ドゥ・ポルスレンヌ)は瞬きをせず  小川真理子

君とゐて日本語の星空となるわが口蓋のプラネタリウム  小川真理子                        

魚たちの喜怒哀楽を思ひつつのつぺらぼうの蒲鉾を食(は)む  小川真理子

花よりもまづ水を欲りてゐるごとし骨董商の愛づる花瓶は  小川真理子

われを消す呪文の聞こゆ会ふたびに痩せた痩せたと人は言ふなり  小川真理子








虹のつぶやき(82)
八木博信歌集『フラミンゴ』(1999年 フーコー詩歌句双書)。331首。
昨年、第45回短歌研究新人賞を受賞した作者が、20代に
主に結社誌「短歌人」に発表した歌を中心にまとめたもの。

装丁の可愛らしさとは裏腹に、非常に刺激的な歌集だった。
全体的にやや歌の粗さが目立つ感じもするが、若さのパワーを感じた。
新人賞受賞作「琥珀」よりも、受賞後第一回作品「明日への祈り」の方が
個人的には好みだったし、作者のカラーが色濃くあらわれていると
思っていたのだけれど、『フラミンゴ』を読んでその思いを強くした。

僕が詠む(あるいは、詠みたいと思う)歌と共通のものを感じたためか、
あとがきの「十代の後半短歌開始時から既に私の詩句には、
身辺雑記的なものはあまりなく、虚構と創作が多くを占めていました。
歌句を創ろうとするとき、ドラマがどこからか湧いてくるのです。
つまり、創作方針とか文学的思想といったものではなく、
これは自らの資質であろうと認識しています。
そして私は、自分のこの適性に正直でありたいと思います。
人を感動させられるのは、その者の性だけだと思うからです。」
という言葉に強く共感した。


デジタルの体温計に測られて誤りのない哀しさがある  八木博信

虹色の油に映るわが顔を見に行く汚染地帯の川へ  八木博信

傷ついて舞い降りてくるフラミンゴ戦わぬなら汚れて眠れ  八木博信

わが腕で父母眠れスリーパーホールド俺が血を絞め殺す  八木博信

わが母の垢浮いている浴槽に人は土より生まれる神話  八木博信

吹き荒ぶ海に落とした長靴に書かれてありしただ僕の名が  八木博信

美しき怒りのために閉じられている母の目も天金の書も  八木博信

ガード下貨物列車が過ぎて行き愛とはつねに揶揄されている  八木博信

看板を黄に塗り終えし下あまた石礫あり黄の斑点の  八木博信

突き刺され墓標のごときスコップとやさしき工事人夫の佇立  八木博信

叱られて泣き尽くしたる子がふいに老婆のように見える放課後  八木博信

成熟を拒絶したまま老衰のピーター=パンの勃起が止まぬ  八木博信

速達のため放たれて美しき獣のごとく来る郵便夫  八木博信

やや知恵の遅れたる君何百と小鳥を飼えばキリストに似る  八木博信

キリストを説く女教師がしみじみと見入る地球儀赤道付近  八木博信

それぞれの終わりへ向けてレフリーが数えるときの指の鋭さ  八木博信

死児いだき嘆くごとくに楽章を終える一人のヴァイオリニスト  八木博信

夜の冷え残れる石を投げつけるわが熱きもの宿らせもせず  八木博信








虹のつぶやき(83)
松野志保歌集『モイラの裔』(2002年 洋々社 月光叢書04)。234首。
歌集タイトルの「モイラ」は、森茉莉『甘い蜜の部屋』の主人公からとったそうで、
「私の歌には多くの小説や映画、マンガ、芝居がときにはあからさまに、
ときにはそれとわからない形で影を落としている」と後記にある。
著者は、1973年生まれ。「月光の会」所属。

福島泰樹氏の「ネオロマンチシズムの荒野へ」と題した30ページにも及ぶ解説が圧巻。

「ボクシングは、殴り合うことによって成り立つ対話詩。
否、肉体と精神が激しく鎬を削る(短歌よりもはるかに波瀾にとんだ、
しかも厳格な規則の下に成り立つ)定型詩なのである。
努力、勇気、英知、運命、そして四角い荒野に激しく吹雪く高貴なる精神の戦い!」

歌集には直接関係ないが、しびれる文章だ。


ひとりでも生きていけるという口がふたつどちらも口笛は下手  松野志保

蛇苺地に熟れ神は千年をかけてまことの悲しみを知る  松野志保

遠ざかるほど赤々とメルカトル図法の隅に歪める祖国  松野志保

青い花そこより芽吹くと思うまで君の手首に透ける静脈  松野志保

いつの日か顧みなくなる歌ゆえに歌う わたしは雲雀ではない  松野志保

黒い服ばかり着たがる少女たち「鳩は放たれた。さあ次は火だ」  松野志保

夕立は身の外側を流れ落ち傷つきもせぬわたしの何か  松野志保

純粋なままに途絶えよ混じり合うことは決してないぼくと君の血  松野志保

椿館(ホテル・カメリア)に火を放とうか火の中で笑って融ける父が見たさに  松野志保

雪原の果てに一羽の鳥がいて火をはぐくむと思う夕暮  松野志保

禁欲のきわみにあればこの聖夜道行く人の喉みな白し  松野志保

兄の名を呼べば真冬の稜線を越えてかえらぬ奔馬と思う  松野志保

数え歌 兄の吐息に満たされた紙風船の色褪せるまで  松野志保

蝋燭のかくも小さき焔にも揺るぎなく死は孕まれており  松野志保

いけないことはみんな本から教わったひとつの書架として君を抱く  松野志保

君の眼は冬のみずうみ船あまた燃えながら沈みゆく音もなく  松野志保

飛び込んだ君の波紋がこの足をくすぐるまでを永遠と呼ぶ  松野志保








虹のつぶやき(84)
高柳蕗子歌集『回文兄弟』(1989年 沖積舎)。146首。

結句を「理由乞う百合」(リユウコウユリ)などの回文とした
一郎から十郎までが登場する連作10首「回文兄弟」、
「一、二、三、…十、百、千」と詠み込んだ連作12首「蛇1・2・3・4」、
「詩人ペッシカス」(逆から読むと「すかしっ屁」)など、
逆さに読めばおもしろいでたらめの人名地名を詠み込んだ「メラターデの画集」、
「東南西北白発中」を一字ずつ隠した連作7首「虹」、
「水たまり→鞠」「夜の海→濃密な」というようにしりとり風に、
前の歌のおしりを歌の初句にもってきて詠みつないだ連作10首「夜の出来事」、
『かばん』六十号記念に寄せて、初句を
「ろ」「く」「じ」「ゅ」「う」「ご」「う」「き」「ね」「ん」
で始まる語句から詠んだ連作10首「ろくじゅうごうきねん」、
などさまざまな言葉遊びの散りばめられた歌集。


にんげんのように焚火に集まって余分の腕などくべる仏ら  高柳蕗子

ゆるされて足が生えたと四月馬鹿うかれて蛇らみな皮を脱ぐ  高柳蕗子

夢だからいいのよと言う母(かーさん)に連れられ壁をいくつも抜ける  高柳蕗子

祖父(じーちゃん)に死を許さない祖母(ばーちゃん)の饒舌をさえぎる鳩時計  高柳蕗子

少女(ばーちゃん)をお迎えに雨雲つれて蝙蝠傘の少年(じーちゃん)が来る  高柳蕗子

鼻つまみ詩人ペッシカス追放し市民の樟脳臭い懊悩  高柳蕗子

唇を離せば紙屑になってさらばラビッサのぺらぺら娘  高柳蕗子

メラキアの砂漠の男ははなし好き駱駝の骨で古虹燃やし  高柳蕗子

身も船もなかば幽霊となりはてた老船長にまだ若い海  高柳蕗子

黒髪を白くなるまで梳くための長い腕持つ私の母系  高柳蕗子

星空を従えて近づいてくる夜道で出会う少女は怖い  高柳蕗子

色褪せて流れつく虹たくさんの手が抱きおろす西方浄土  高柳蕗子

真夜中の路上に発芽した虹を吹き消したこと誰にも言うまい  高柳蕗子

隠し事なんかないのに胃袋の底まで照らす月の一瞥  高柳蕗子

嘘つきで美貌の幼女手を叩き死んだ枯れ葉を踊らせる午後  高柳蕗子








虹のつぶやき(85)
高柳蕗子歌集『あたしごっこ』(1994年 沖積舎)。122首。

「あとがきごっこ」によれば、「とりあえず憎しみやら不幸やらを
思いつくままに爆発させれば、道が開けるかもしれないぞ。」
という思いで、「真実に迫る「ごっこ」」として書き始めた歌集。

言葉から書きたいことを探しあてていく「あいうえおごっこ」(67首)
と内容を考えてから書く「あたしごっこ」(55首)との二つからなる。

「あたしごっこ」は、
すべての歌に「あたし」という語句が詠み込まれている。

「あいうえおごっこ」は、
なるべく同じ音を多用し、最低各句の頭は同じ音にするというルールで
「あ、い、う、え、お、か、…、わ」と五十音(濁音、半濁音も含む)順に詠んだ作品。そのためリズムは非常に良く、言葉遊び的にはおもしろいが
作品として心に引っ掛かった歌は少なかった。
(下記抄出歌の最後の2首が「あいうえおごっこ」よりの作品。)


まちがってあなたが迷いこむように真っ暗になれ あたしの夜  高柳蕗子

その愛もどうせいつかは鳩の餌 と言いにはるばるあたしの捨て犬  高柳蕗子

丸顔に箱かぶせたらロボットになって行っちゃったあたしのマー君  高柳蕗子

でこぼこで戻ったロボットマー君にキスで切らせるあたしの電源  高柳蕗子

ひとり逃げおおせた者がつっぷして泣く野に立てるあたしのカカシ  高柳蕗子

かわいがれず撫でまわすうちに一夜明け蜜柑になったあたしの赤ちゃん  高柳蕗子

昔ひとを殺したらしいひまわりがバリバリ枯れるあたしのまうしろ  高柳蕗子

くちびるからほどけて長い紐になる 一筆書きのあたしを手繰れ  高柳蕗子

合唱だ!合掌じゃない 頑固さはがらんどうゆえがんばれ骸骨  高柳蕗子

文語というブラジャー取ればぶら下がる不気味な心に分度器あてる  高柳蕗子



                            
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