荻原裕幸氏の虹について


好んで虹の歌を多く詠んでいる歌人として荻原裕幸氏が真っ先に思い浮かんだ。


○歌、卵、ル、虹、凩、好きな字を拾ひ書きして世界が欠ける

という歌があるほどだ。好きな「虹」という言葉を書き連ねつつ自分のまわりの世界が欠けていくという感覚、この歌のように虚しさを詠った歌が多くみうけられる。


○消ゆるまで冬の虹見て名も知らぬ少年とほほゑみをかはせり

「少年」とはかつての自分、あるいは今も心の片隅にいる少年の姿の自分だろうか。消えていく「冬の虹」をただながめて微笑みあうことしかできないふたりの自分。ただただ虚しさの漂う情景である。


○少女と虹と切手をふたりうばひあひどこにもゐない弟と棲む

この「不在の弟」もかつての自分、あるいは今も心の片隅にいる少年の姿の自分がかたちを変えた姿であろうか。恋(「少女」)や夢(「虹」)や趣味(「切手」)を奪い合う弟は実は存在し、「どこにもゐない」のは自分自身なのかもしれないと感じているのではないだろうか、とふと思った。


○虹をうしなひまた虹を得て曖昧にただみづいろの歳月である
○虹の虹らしさをはがす憂鬱をビジネスとしてはつゆきとなる

夢や希望を失っては得ていた曖昧で何もかもが確定していない青春の日々もやがては終わりを告げ、もう虹を得ることもないただ虚しさだけがのこる日々がやってくる。生きていくということは夢や希望をひとつづつ脱ぎ捨てて歩いていくということなのだ。虹の虹らしさをはがしていく憂鬱をビジネスとして我々は生きているのだ。


○ぼくはいま、以下につらなる鮮明な述語なくしてたつ夜の虹

自らの今たっているところも未来への展望も失ってしまった「ぼく」。それはただ目に見えないだけで「夜の虹」のようにあるんだと信じたいという思いが切ないまでに伝わってくる。


○ここにゐてかつ悠かなるものであるぼくをどうにかしてくれ虹よ

虚しさ、絶望感といったなかにいて「虹」へむけられる叫びは切実だ。


○虹を予報せよ軍艦を予報せよ虚しさがわれを殺さぬうちに

この歌の「虹」とは個人的な未来の展望のようなもので、「軍艦」とは国家とか世界といった公の未来の展望の象徴だろうか。個人的にも公的にも混沌とした今、もう「虹」は出ないのなら出ないと、そして「軍艦」が押し寄せ人類が滅びてしまうならそうとはっきりいってほしいという思い。それほどまでに虚しさが覆う世界にわれわれは生きているのだ。


○恋の頻度も虹たつほどとなりやがて歪んだ街の死角を愛す
○虹を折る音ひびかせて麒麟あれ春のオフィスの窓のあをぞら
○水曜日の午後にとけこむぼくたちの雲のあしあと虹のあしおと

そしてそのような世界に生きていることに対して、「やがて歪んだ街の死角を愛す」といったり、オフィスからみえる青空にバキバキと音をたてて虹を折る麒麟の出現を望むといった自虐的にならざるを得ない自分がいる。
しかし「ぼくたちの虹」は、仕事に追われる平日のど真ん中に足音を立ててゆっくりと確実に遠ざかっていくのだ。


○百合よりも眩しい朝にぼくの棲む世界が一つであることの虹

虚しさ、絶望感に満ちた混沌とした世界やそこに棲む人々と自分との一体感を空にかかる虹をみて感じている。この歌に、虚しさに打ちひしがれるだけでない「ぼく」の姿を感じるのは私だけであろうか。


○冬の雨やみたる街に目つむりて虹のかかれる音を聞かうよ

虚しさの中でじっと目をとじ、虹のかかる音を聞こうとする姿そして他者への呼びかけがみえる。虚しさや絶望感に満ちた世界からの脱却への意志が感じられる。


また、自分の人生の節目節目を具体的に詠った歌にも「虹」がでてくる。

○なぜだかふいに(入籍前に絶対に!)虹の卵が食べたくなつた
○まだ三十二歳だから、と言ひかけてうちなる虹の劣化に気づく
○不惑へとうねる峪間にまどひつつ虹たたず、視る力もないか


○虹といふたとへで日日をかたるとき虹はさびしき表情をせり

「虹」という言葉を短歌において偏愛し、「虹」のもつ憧れ・夢・希望といった象徴性をマイナスイメージの歌に多く詠んでいることへの荻原氏の「虹」へのいたわりのこもった歌ともとれる作品だ。


また、こんな虹の歌もある。

○だてめがねの穂村弘は虹だから象のうんこは雪のメタファー?

これは、
○サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい  穂村弘
への返歌といえる歌だが、穂村弘氏への荻原氏の親愛の情や期待感が「虹」という言葉から感じられる。そして穂村氏が自身の虚しさを語りかけている「象のうんこ」を「虹」を隠してしまう「雪」の隠喩ととらえているところがおもしろい。
荻原氏は「虹」に語りかけ、穂村氏は「象のうんこ」に語りかける。ここから何か論じられそうだがそれはまた別の機会に。


手元に歌集がないのですべての「虹の歌」をあげられたかはわからないが、最後に「虹」の文字の含まれた歌をあげておく。

○ぼくの死後右の虹彩を切りとつて最後の景色を誰か見てくれ
○日日はしづかに過ぎゆくだらう虹彩を揺れながらゆく燕あるのみ

                                                                                       2002.1.11.








                                                                        

                              

ハピバスディ・ディア・ターザン・バイ・レインボー・ハイスクール・バトンガールズ
穂村 弘


歌集『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』の中の連作「手紙魔まみ、天国の天気図」の1首。

連作のタイトルからするとレインボー・ハイスクールは天国にあるのかな。
レインボー・ハイスクールのバトンガールたちに誕生日を祝ってもらえるなんて男冥利に尽きることだよね。「レインボー・ハイスクール・バトンガールズ」って名前きいただけでわくわくするんじゃない?

でも決して彼女たちは僕たちを祝福してくれないよ。
彼女たちは、ターザンみたいに文明を拒絶しジャングルの自然と共存しているような人しか祝福してくれないんだからね。
                                                                                        2002.1.12.






                                                                        






暗い燃料(フエル)タンクのなかに虹を生み虹をころしてゆれるガソリン  
穂村 弘


燃料タンクの中の虹って、よく水溜りに油が混じっているところが虹のように七色にみえているあれかな。
走行する自動車とともにガソリンは揺れながら虹を生み虹を殺している。そんなことは実際にはありえないことなのにすごくリアリティーを感じる歌だ。というのも「自動車」がわれわれの身体、「燃料タンク」は心、「ガソリン」が生きていくもとになるエネルギー源としての実際の心の動きと感じたからかもしれない。 心の中で揺れ動く激しい感情によって生まれては消えていく夢や希望といった虹、それを繰り返しながらわれわれは生きているのかもしれない。
                                                                                      2002.1.12.   











                                                                       








冬の樹のかなたに虹の折れる音ききわけている頬をかたむけて
加藤 治郎


木の枝に積もった雪がときおりバサッと落ちる音を何をするでもなく聴いているのだろう。静謐な空間を不規則にやぶる音。
その音の中にひょっとしたら虹の折れる音がまじっているかもと頬を傾け聴く姿は、じっと自分の心の中ををみつめている内省的なイメージを喚起する。
「冬の樹のかなた」とは彼(彼女)の心の奥底にほかならない。
彼(彼女)は虹の折れる音を聴いたのだろうか。それとも「冬の樹のかなた」に虹はしっかり根を張り七色に輝き続けているだろうか。













                                                                       










冬虹の内側とその外側の触るることなき人を想えや
大滝 和子


冬の虹というのは、透明感がありナイーヴで簡単にポキッと折れてしまいそうなイメージがある。虹の内側と外側の色は触れ合うことはできないし、触れることなくあっけなく空から消えていってしまう。
人を想うという感情は、触れ合えるという幻想のなかに生じては消えていく虹なのだろうか。















                                                                      










冬の虹大きくかかり比叡には黒き僧侶がつぶつぶといる
前田 康子


七色の虹と僧侶の黒い僧衣の色彩の対比、そして虹(自然)と人間との対比。
「つぶつぶ」という表現に人間の営みの、人間の存在というもののちっぽけさを揶揄的、自嘲的にみている姿が感じられる。
虹も人も生まれてはあっけなく消えていく点では同じなのに、この違いは何なんだろう。
















                                                                      

好きだった 君が聖書をめくる音 空を許して消えてゆく虹 
千葉 聡


生まれては儚(はかな)く消えていく虹を「空を許して消えてゆく」と表現した下の句と「聖書」という語との相乗効果で、神々しいまでにいとおしい像が「君」へと結ばれ、「好きだった」という過去形に一層の切なさを付与している。
虹は空を許して消えてゆくが、僕はいつになったら君を許せるのか。
「君」が話してくれる聖句やイエスの話よりも、「君」が聖書のページをめくる音を傍らで聞いている方が好きだったし、今でも覚えているのはその音の方。
いつになったら君を忘れられるのだろう。

この歌から、次の穂村弘氏の歌が想起された。

○赤、橙、黄、緑、青、藍、紫、きらきらとラインマーカーまみれの聖書  穂村弘

「聖書」という語句があるのはもちろん、「虹」という言葉はないが虹の七色が詠みこまれているからだろう。
聖句に引かれた七色のラインマーカーは、虹のように儚く消えることはない。
聖書に閉じ込められた虹は、追い求めた夢や憧れのぬけがらなのだろうか。

○神生(あ)れよ 聖書をめくる指先の二色たりないマニキュアの虹  神崎ハルミ 






                                                                      










夢の中の虹 虹の中の歌たちがベッドサイドにある月曜日 
正岡 豊


眠りの中の夢にみた美しい虹。
その虹が夢の中の「私」にいくつもの歌を詠ませたのでしょうか。
目覚めればベッドサイドに、その虹と歌たちが夢の残骸のように散らばっている。
憂鬱な月曜日のはじまり。
















                                                                       










夢のきみとうつつのきみが愛しあふはつなつまひるわれは虹の輪
水原 紫苑


不思議な歌です。白昼夢でしょうか。
虹として、夢と現(うつつ)の「きみ」が愛しあう姿をみおろす「私」。
ひとを愛するということは、結局は他人のなかの自分を愛することなのかもしれませんね。















                                                                       










くしゃくしゃに神様泣いてずずっと洟をすすれば虹一つだけ 
植松 大雄


                   雨あがりの虹。
                   泣き虫の子供のように大泣きした神さまが、
                   泣きやんで洟をすすっているときにできた虹。
                   何を悲しんで神様は泣いていたんだろう?
















                                                                        





日のなかを次から次へ虹を脱ぎながら歩いてる 今日、逢えます 
雪舟 えま


いくら脱ぎ捨てても脱ぎ捨てても、また自分の中に生まれてくる虹。
虹を脱ぎ捨てながら明るい日差しの中を歩いてゆく彼女は、彼と何週間ぶりに逢うのでしょうか。
愛する人に逢える喜びに満ちあふれたすてきな歌です。
すぐに消えてしまう虹は夢や希望の儚さを象徴するものとして歌に多く詠まれていますが、この歌はそういったマイナスイメージとは正反対の歌ですね。
未来へとむかってまっすぐに歩いてゆくさわやかな若さを感じさせてくれる歌で大好きです。











                                                                      





虹斬ってみたくはないか老父(おいちち)よ種子蒔きながら一生(ひとよ)終るや 
伊藤 一彦


伊藤氏二十代の作品をおさめた第一歌集『瞑鳥記』(1974年)より。
父親との相克の歌。
「種子蒔きながら」とは、畑仕事の意味とともに子孫を残していくための種子「精子」をも意味しているのだろう。
夢や理想に燃える若き息子から、ただ家族のために身を粉にして働き日々をやり過ごしている父親への問いかけ。
夢や理想の象徴である虹をきりとって自分のものにしたいとおもっていたときが父にもあったはずだ。








                                                                      

星空のプテラノドンに出逢ったら虹の卵をみごもっていた 
風間 祥


星空の下、肩を寄せ合う恋人。
こうして、少しでも一緒の時間を過ごせれば満足なふたり。
何かを語りあう必要もない。ただ凍て空の下、お互いの温もりを感じていられれば。

「今日の星はいつもよりもきれいだね」
まっしろな息を吐いて彼女がいう。
「あそこにプテラノドンがいるよ」
星座に詳しくない彼は、夜空をゆびさして勝手に星座をつくりはじめる。
「え、どれ?」
彼がゆびさした先をみつめる彼女。
「あそこだよ。それでこれがプテラノドンが産んだ虹の卵、はい」
そういって彼女に小さな包みをさしだす彼。
なかには特別な意味の銀の指輪がはいっている。
彼の腕の中で彼女がみつめる夜空には、いつまでもプテラノドンが涙でキラキラと輝いている。


「虹の卵」がふたりの幸せな未来を暗示しているようですてきな歌です。
風間氏にはこんな虹の歌もあります。

○恐竜の卵が孵る夢を見る 冬の街にも虹は生まれる  風間 祥


                                    
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