(1)自民党の大敗、民主党政権の登場、二代政党制の行方

小泉改革は小生のみならず外国人にも支持された。そもそも小泉氏は、佐藤首相の後継争いで田中派に敗れた福田氏の秘書として政治生活を始め、短命に終わった森政権の後継総裁選では、本命ではなく、党内支持の少ないのを靖国参拝を約束して遺族会の支持を集め、この約束の実行が中国との友好関係を破壊したが、まさか当選するとは読んでいなかったのではないか。「自民党をぶっ壊す」というスローガンで「田中派=経世会」支配に挑戦し、人気を集め予想外の勝利を手にしたが、彼が背にした風は民主党と同じ「自民党政治改革」だったのではないか。

首相となってはブッシュ大統領との友好を深めて海外で得点、党内反対勢力との決戦の郵政選挙では国民の圧倒的支持を得て大勝し、金融市場再建、念願の政官業癒着打破の、道路公団改革、郵政改革、そして田中派的政治支配システム打破という偉業を成し遂げた。

しかし自民党内反対勢力が、引き続く不況と小泉氏の党総裁の任期満了を契機に、反小泉運動を始めた。格差拡大は小泉政権の進めた「新自由主義政策」の責任という野党の説に、自民党反対勢力が安易に同調したのは愚かとしかいいようがない。

選挙に必要なのは人気といって選ばれた安倍・福田・麻生3人の総裁は、いずれも力量不足で政策の準備もなく、バックアップ体制もないままの首相就任であった。小泉路線の何を評価し何を継承し何を補うかという基本を明らかにする見識どころか意欲すら見せず、反小泉風潮の払拭は出来ないと見て同調さえする始末で、「選挙に有利なタイミング」を探るうちに米国住宅金融景気の浸透で時期を失い、支持率も下がり、懸案の総選挙を任期ぎりぎりまで持ち越し最悪の状況での選挙で、麻生首相は歴史的大敗、そして戦後自民党政治の終わりとなった。

 

自民党は本当にぶっ壊れてしまった。責任あるはずの小泉氏は最後の旗振りは反小泉派に任せ、我がこと終われりと地盤を次男に譲り、「元首相」の肩書きで形勢観望してご意見番。回想録は部下たちに任せて悠々自適の毎日らしい。

72年初当選のYKK3人組の中で、Y=山崎氏は中曽根−渡辺派を飛び出して山崎派を結成、K=加藤氏は池田−前尾−大平−鈴木−宮沢派を受け継いで次期を狙っていたが、K=小泉氏は岸−福田−安倍−三塚−森派内で領袖候補者の一人に過ぎなかった。その盟友=加藤の乱で、加藤氏でなく同じ派閥の森首相を支えた小泉氏は、その後の総裁選で本命=橋本氏を破り、3度目の挑戦で首相の座を手に入れた。

小泉氏は、道路公団では猪瀬直樹氏、金融関連では竹中平蔵氏という有能な人材(竹中氏は旧知の高橋洋一氏を財務省から引き抜いて女房役とした)を抜擢し改革に当った。しかしそれ以前に、「小泉改革」は彼の派閥のテーマですらなかったし、彼自身も総裁選挙で圧勝し首相になるまでに「郵政民営化」=「田中・経世会の政治支配を排除する」以外の明確な改革プログラムを持っていなかったと加藤氏は推測している。従って政策の内容は、立案した猪瀬直樹氏・竹中平蔵氏や高橋洋一氏の著書によると、自民党や官僚でなく小泉氏主導の経済財政諮問会議(01年、橋本行革で米国大統領の経済諮問委員会CEAを模してできた)が骨太の方針を打ち出し、細部は竹中氏が官僚の抵抗を排除しつつ検討立案したという。官僚が立案し自民党の総務会で全会一致可決され遂行された中曽根氏の国鉄改革との大きな違いがある。逆に言えば、自民党の全面支持は期待できない過激な政策だった。

 

国民の支持を集めた小泉政権には、当初から自民党の支持は限定的で、小泉氏の戦いは、野党より党内反対勢力に向かわざるを得ないという矛盾した関係があった。そこに小泉氏が国民の人気に頼った理由がある。郵政民有化法案可決で小泉氏は目的を達成し、それ以上の改革プログラムは持っていなかった。そこに小泉氏が期待された再選に踏み切らなかった理由がある。

その郵政改革ですら、「経世会支配打破」=「郵貯資金の安易な公共事業への転用禁止」以上の明確な改革プランは持っていなかった。竹中氏は高橋氏とプランを練った。国会審議時間は十分かけたというが、国鉄改革のような内部改革派と一体となっての改革ではなかった。そこに郵政改革が民主党政権で批判され修正論が消えない所以がある。

しかし改革は、自民党にも国政にも必要だった。竹中氏が自民党は小泉改革路線を継承・継続せず、残された問題を放置したから負けたというのは負け惜しみではなかろう。

自民党内の小泉反対勢力は、自民党政治への国民の不満、改革待望の大きなうねりを見誤った。年金問題という身近な攻撃材料が野党に与えられ、政府・自民党の対応が後手に回った時、民主党は「改革」という風を受け、国民の支持を得ることが出来た。小泉改革を進めなかった自民党の政治家諸氏の認識と国民との格差は明らかで、小泉氏が議員を離れ、「自分の改革を引き継いだのは民主党」という発言がある所以である。

 

「日本には二大政党制は根付かない、国民に階級的な分裂がないからだ」とジェラルド・カーティス教授はいった。戦前の民政党と政友会の支持基盤はまさに殆ど同じだった。社会主義弾圧時代だったこともあるが、両党の政権争いは手段を選ばず、野党の海軍軍縮問題での統帥権干犯、憲法解釈における天皇機関説問題など軍部の主張への迎合で政党政治の破滅をもたらし、両党力を合わせて軍部の独走を抑える方向には向かわなかった。

戦後低所得・労働者階層を代表する社会党はその左翼ばねの強さ(公正な発言は無視され、無理筋の左翼的な言辞が人気を博す)から、55年体制以後は自民党に政策を吸収され政権奪取に遠かったが、細川内閣に参加した後、中選挙区制指向なのに小選挙区制を導入されて自らの存立基盤を危うくした上に、自民党が政権復帰を狙って実現した村山自社連立内閣で自衛隊合憲という踏み絵を踏まされ、支持勢力を失って右社は民主党に飲み込まれ,左社=社民は参議院の人数合わせで民主と連立、昔の勢いは消えてしまった。

 

今の民主党への国民の期待はさしあたり自民党政治の改革までで、マニフェストは財源の裏づけのない選挙目当てのご馳走ばかり、寄り合い所帯で政策すりあわせなどなかった実体は沖縄基地問題でたちまち露呈した。鳩山氏の発言の無意味な軽さ=責任感覚のなさには驚くべきものがある。友愛を振りかざし宇宙人といわれるこの人は、政治の場で何を実現しようとして多額の資金をばらまいたのだろう。

その蔭で多数の議員を支配する実力者=小沢氏、田中角栄氏の弟子というこの人は一体保守か革新か。「日本人は自立心が足りない」、「国にしてもらうのでなく自分が国に何が出来るかを考えるべきだ」などの発言は革新的である。

新年4日、12チャンネル村上竜氏と小沢一郎氏との対談によると、小沢氏は田中角栄・金丸信・竹下登氏を尊敬はするが反面教師として認識し、小泉氏がチルドレンを8人しか残せなかったのに、周到な教育指導で当選させた新人代議士にさらに綿密な教育を施すなど、今までどの政党もやらなかった独自のシステムには、感服すべきものがある。果たして小沢民主党が革新・改革の党であるのか、西松献金事件の行方もあるが、自民党の復活は厳しいといわざるを得ない。

小選挙区制には、「小差で勝敗が決せられる」側面=二大政党による政権交代を支持する側面がありそれだから選択された。小沢氏がいうように、前々回の小泉大勝の選挙で落選した70人はわずか1万票の差だったので、それを挽回すべく草の根運動をした結果、今回は同じ小差で民主党がねらったとおり大勝した。

しかし田中派の優等生小沢氏がねらっているのは、2010年の参議院選挙で民主党だけで過半数を獲得し、社民・国民党との連立を脱し、経世会的民主党1党支配の恒久化のように見える。

かつて鳩山一郎氏は原爆投下批判でGHQに追放され、田中角栄氏は米国支配外のエネルギー資源外交を模索してわなに落ちたといわれた。5月までに対米関係はどうなるか。自民党は政権交代政党として生き残れるか、正念場を迎えようとしている。    (1)おわり

 

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