(4)   オバマ政権の成立と世界、民主主義・市場経済と歴史

リーマン・ショックがなかったらオバマ政権はなかったと思う。共和党の選挙参謀は07年暮れに、オバマ氏よりヒラリー女史をくみしやすしとしたが、草の根を掘り起こすオバマ旋風は、サブプライム・ローン懸念がくすぶり、経済環境悪化が共和党陣営に不利に働く中で、ヒラリー女史を断念させ、共和党のマケイン候補を引き離して史上初の黒人大統領を実現させた。

 

オバマ政権はブッシュ政権の金融危機対策を受け継ぎ、わずか1年で回復の糸口をつかんだ。問題はテロとの戦争。イラクでは治安維持を現地政権に委ねて米軍撤退の道筋をつけたが、アフガンでは現地政権が弱体でタリバンが勢力拡大、現地司令官の4万人増派要請に、3万人の派遣と14年撤退開始を決定したが、国民の厭戦感情で支持率は低下し、医療保険問題では共和党の金にものをいわせた反対キャンペーンに中・低所得の白人支持層をくずされ、苦しい立場に追い込まれたが、粘り強く巻き返し、まず下院で医療保険法案を可決、上院も反対党の議事妨害を排除できる60票の確保に成功して、クリスマス休暇前に可決し、年明けに両院の案をすり合わせ、法律成立にめどが立とうとしている。何代もの大統領が実現できなかった中低所得層のための医療保険改革が、オバマ政権下で遂に実現する。

共和党が唯一賛成した大型案件はアフガンへの3万人増派だけ。戦後まもなく大統領になったアイゼンハウアーが退任の時、産軍癒着の支配体制の危険を警告したのは有名な話だが、その後米国は、朝鮮・べトナム・イラク・対テロと、さまざまな理由で数々の戦争を行い、人々の命を奪い財産を破壊し、国富を戦争に浪費した。イラク戦争では民間軍事会社まで登場させて軍事費をむしりとった。この間、戦後しばらく縮小していた米国民の所得格差は拡大され、1960年大企業のCEOと工場労働者の収入格差は41倍だったが、1989年には85倍、2000年には531倍に拡大したという(国連大学研究所、06125)。

 

欧州大戦後の混乱に乗じては、極右のファシズムが台頭し世界を破壊に導いたが、金融資本主義のもたらした混乱からは、リベラルなオバマ政権が誕生したのは幸いだった。リーマン・ショックは、大統領選挙という絶妙の機会に金融資本主義の本山=米国を訪れ、勢力均衡で危うかった民主党の力強い追い風となった。

オバマ改革の目玉が、成人の4千万人、子供は4千百万人が無保険者、国民の20%が大病になると生活が立ち行かなくなるという医療保険の改革であり、共和党の執拗な反対宣伝で一時は成立が危ぶまれたが、粘り強い説得で下院・上院共に可決にこぎつけ、2010年頭には成立するまでにこぎつけた。米国民主主義の勝利というべきであろう。

共和党政権下の米国では「リベラル」は、社会主義・共産主義同様の過激思想としてマイナス・イメージを与えられているらしいが、民主党主流のリベラル派は、米国史において貪欲な金儲け主義から民衆を守り、少数民族の権利擁護に力を尽くしてきた。

かつてニュー・アムステルダム=ニューヨークに逃れ住み着いた米国のユダヤ人が、今や世界ユダヤ人口の過半数を占め、イスラエル擁護=パレスチナ圧迫の大勢力となっている。さらに昔オスマン帝国で安住の地を得たユダヤ人が、オスマン帝国の衰亡とともにパレスチナに「イスラエル」を建国し、パレスチナ人を圧迫し、悲惨な生活を強いている。トインビーと共に、歴史を反省しないこのユダヤ人の姿を嘆かざるを得ない。アフリカを植民地化し搾取した西欧諸国に、その反省がないと同様に、この嘆きが癒されることは無理かもしれない。

本流に戻ったというべきオバマ政権は、医療保険改革で米国史に名を残し、さらに中東問題に糸口をつけられるか。民主党と関係が深いというユダヤ・ロビーを抑えてそれが出来れば、まさに世界史に名を残すことになろう。イスラム・中東問題に関心ある小生が注目する所以である。

                              (4)おわり

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